来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
隠居生活2か月が過ぎた
昔の言葉なのか「隠居」という言葉は。
戸主が息子にその地位(立場)をゆずって、のんびりと暮らすこと、というような意味だったろうが、要するに仕事上現役引退で死ぬまで気楽(できれば)に過ごすことの意味だろう。私もそういう立場になったことをつくづく感じさせられている。有り難いことだとしみじみと思う。
しかし以前にも記したが、ただのんべんだらりの暮らしでは恥ずかしい。また心身の健康に悪い。仕事をしていたときにと同じく朝は6時起床。そしてラジオ体操(テレビ体操)を10分間する。これはこの何年間も続けている習慣でもあるのだが、これをすっぽかしたらダメと自覚しなければ、と思っている。
とはいうものの、75年以上のわが暮らしのものさしは曜日だった。しみしみと感じる。今は毎日が土日みたいなものだから、この曜日拘束から解放された感もするのだが、これはダメだと自戒している。
戸主が息子にその地位(立場)をゆずって、のんびりと暮らすこと、というような意味だったろうが、要するに仕事上現役引退で死ぬまで気楽(できれば)に過ごすことの意味だろう。私もそういう立場になったことをつくづく感じさせられている。有り難いことだとしみじみと思う。
しかし以前にも記したが、ただのんべんだらりの暮らしでは恥ずかしい。また心身の健康に悪い。仕事をしていたときにと同じく朝は6時起床。そしてラジオ体操(テレビ体操)を10分間する。これはこの何年間も続けている習慣でもあるのだが、これをすっぽかしたらダメと自覚しなければ、と思っている。
とはいうものの、75年以上のわが暮らしのものさしは曜日だった。しみしみと感じる。今は毎日が土日みたいなものだから、この曜日拘束から解放された感もするのだが、これはダメだと自戒している。
「今日は月曜日だから『日本史』の授業が何コマだ」と、朝床の中で確認するという最初の作業がない。気楽だ、という気持ちが2か月たつとこの曜日の拘束からの解放が自覚的暮らしの仕方を自壊させることになる。
そんなこともあらためて気にしつつある今日この頃だ。
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