高齢者のゆくえ

不明の高齢者の問題と、戸籍上のはっきりしない100歳以上の人とは直接関係はない。後者は、戦争や災害、外地への移住と引き上げなどの手続きの瑕疵(かし)などが理由だろう。しかしそういうことがあっても、役所の仕事はいいかげんという感じがする。誰が見てもヘンだと思う120歳以上の「生存者」など、ちょっと調べたらわかるだろうに。しかし、このことはだからといって年金の不正支給でもなさそうだし、誰に迷惑があるわけでもなさそうだ。

しかし前者、死んでいたのに生きているように扱われてきた高齢者の問題は、遺族たちの生活保障を、すでに死んだ親族を生かせておいてその年金に依存するということだから、悲しい世相を反映している。あるいは、誰も知らないで死んでいたという問題も含まれているかも知れない。一人暮らしの年寄りの末路である。

結婚しない人が増えてきたり、核家族現象が進んできたり、地域的な関係もどんどん希薄になってきたり、どこに誰が住んでいるのか、生きているのかどうかすら、もう関心外ということになる。

菅さんと小沢さんが、口角泡を飛ばして獅子吼しているのだが、上のような問題をどうするのか、すなわち日本の未来への展望につながることを語っているのか。ただ官僚政治打破というだけでは、どうもはっきりしない。

ひるがえって自分のことを見ても、まだ「後期」ではないにしても高齢者だ。平均寿命からいうと、あと14年間ぐらいの「余命」になりそうだが、考えたり準備したり、やらなければならないことはたくさんある。

ガラクタを整理していたら、02年8月17日の道新の切り抜きが出てきた。日野原重明さん(今99歳)が「75歳から第三の人生。心の中に何か作る精神宿らせて」という講演記録である。
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