戦争が終わった(負けた)8月の日々(2)

明日は8月9日、長崎に原爆が落とされた日。
小学校(正式には国民学校)2年生の私は、この8月の上旬から中旬、何をしていたか、ほとんど記憶がない。夏休み中だったので、援農作業以外は遊んでいたのだろうと思う。
8月のこのころは米づくり作業はそれほど忙しくない。だから子どもも(当時ウチで勉強することはほとんど例外だった)遊び歩いていたのではないか。
ヒロシマやナガサキのことなど全く記憶にない。15日のことは後述する。

アメリカがこれまでにない爆弾を市民に対して落としたことなど、田舎に住むガキどもは知る由もなかった。ただ、神国日本がいずれ鬼畜米英をやっつける、ぐらいのことをなんとかの一つ覚えで思っていたのではないか。

当時、和寒村には電気もなかったし、もちろんラジオもない。だから天下の情勢は一日おくれで配達される新聞だけだ。これも「大本営発表」記事しかないから本当の戦争の状況など分からない。

この年の7月14日か15日、アメリカの爆撃機が北海道の各地を空襲した。和寒村は幸い攻撃されなかったが、このとき南の空を何機かのアメリカの飛行機が飛んでいったことをかすかに覚えている。もちろん、子どもたちは校舎からドタドタと出て近くの溝に体を潜めていた(「防空壕」は用意されてなかった)。

遠い空を飛んでいた飛行機はにっくきアメリカの飛行機だった。数日後旭川に住むおじさんが爆撃された「証拠」の品を持ってきて見せてくれた。そのときはもう戦争は終わっていた。
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