「大津事件」って知っていますか

高校の日本史の教科書に項目として出ている。「1891(明24)年の大津事件で青木周蔵外相が辞任し…」と、そしてこの注釈で「ロシア皇太子が、滋賀県大津で、沿道警備の巡査に刀で負傷させられた事件」とある。この巡査が36歳だった津田三蔵という人。明治24年5月1日のこと。 

今読んでいる吉村昭氏の「赤い人」という本は、北海道開発のためにたくさんの囚人たちが動員され、「死んだらカネが節約できる」とばかりにこき使われたことが描かれている。樺戸集冶監などがこの小説の「主役」である。

明治24年に、上の津田巡査に対してロシアに対して「死刑」に書すべきと時の司法大臣が司法当局に圧力をかけた。しかし大審院の院長だった児島惟謙は時の刑法規定にもとづいて無期懲役が相当とした。いわゆる司法権の独立を守った事例として評価される一件である。

結局犯人の津田は釧路刑務所(この時は釧路集冶監)に送られ、10月1日に死亡。断食だったから自殺だとされているが、毒殺されたのではといううわさもあるのだとか。政府がひそかに手を回したのかも、と。

津田という巡査がなぜロシア皇太子をねらったのか、ははっきりわからないが、ロシアが日本に対して千島・樺太交換条約(1875M8。日本が千島列島をとり樺太はロシアのものとする条約)に不服だったのではないかと想像されている。

なおこの「赤い人」という小説は、北海道開拓の裏面を鋭く描いた歴史書そのものだ、という感想をもつ。北海道を切り開いたのは、いわば囚人たちだったといっていいのではないか、とすら思う。
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