「少年よ、大志を抱け」

昨日のNHK「歴史秘話」少年よ 大志を抱け!(~クラークと教え子たちの北海道物語~)は意味深いものだった。

北大の前身札幌農学校の事実上の校長として、重要な役割を果たしたのだが、初めて知るクラーク先生の人生や生き様の一面に感動を受けた。
明治9年の7月から翌年の5月まで、開校直後の札幌農学校の教頭として赴任する。封建制度から離れたとはいってもまだまだ江戸時代の名残ののこる日本で、クラーク先生は苦労の連続だった。まず学生たちに「紳士」であることを要求する。たくさんあった決まりを廃止し、まさに「紳士たれ!」(Boys,be gentleman!)と呼びかけて自律を求め、自らも好きだったアルコールを断つ。

北海道を農業、特に酪農の基地にすることを展望した。クラーク先生が学生たちと別れるとき(北広島市島松で)のメッセージはよく知られている「Boys,be ambitious!」であった。
テレビの解説は、クラーク先生はこの言葉のあとに「like this old man」があったと言っていた。

今札幌市内の重要な観光点は「時計台」であるが、これもクラーク先生が農学校の学生たちが「場違いの」戦争(ときまさに西南戦争の年)に引っ張り出されてあえなく犠牲になることを心配して、武術をたしなむようにしむけた武芸練習場(演武場)だった。

体当たりでやんちゃな学生たちに対してみずから信じることを要求(キリスト者として)したクラーク先生の行動と功績はその後の日本の思想史と北海道の農業発展に大きな意義をもっていた。

別れの言葉の「Boys,be ambitious!」に続く言葉が何であったか、NHKテレビの解説者のいうことだったか、別の説もある。そしてこのBBAが本当にクラーク先生が叫んだ学生へのはなむけのメッセージだったか、というのも確かな証拠もないらしい。しかし今や北大の生みの親ともいうべきクラーク先生が後生の若者たちに贈ったプレゼントであったと言ってもいいだろう。

NHKがいうような「like this old man」などとつけ加えていたかもあやしい。このときクラーク先生はアメリカで新しい大学を作り出した直後だった。自分を「この年寄りのように」などというだろうか。

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