来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
大震災に思う
まさに戦争中を重ねたらいいのかも知れない。衣食住のどれも不足、生きる方法すらなくなりかけている地域にどういう援助をしたらいいのか。可能な範囲の寄付金を寄せる程度のことしかできない。戦争中「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」などを今の世でも言わなければならないのだろう。
北海道で最大限節電して余った電気を被災地の電力会社に送るということはできるのか。もしそういうことが可能であって首都圏の人たちの辛さの幾分かを共有できるのであれば、政府はこれを呼びかけるべきだろう。
電発の故障がつくり出す放射能は、今の段階では人体に全く影響がないという。であれば「避難」とか「外出禁止」などの指令をどうして出すのだろう。また「影響はないが、それでも心配な方はマスクなどこういうことを準備したらいいよ」などと言えばいいだろうに。
こういう事態に遭遇して初めて私たちの暮らしが、戦後と今の被災地のそれと比べてあまりにもかけ離れてきていたか、を痛感する。寒い、暗い、空腹だ、こういうことはあのころは日常そのものだった。
この悲劇に直面して、私たちは暮らしのあれこれを反省してみる必要性があることを知る。
死者不明者が1万人を超えたとの報道あり。今回の震災は1000年以上前に生じた「貞観地震」に匹敵するという見解がある。この時の被害者は約1,000人。当時は今の人口の20分の1。だからその時を思い合わせると20,000人になる。
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