「ジェンダー平等」の問題 … ①

「ジェンダー」という旧い世代にとって、あまり聞き慣れていない言葉だが、「ジェンダー平等」という理念は今とこれからにとっていわば決定的に重要な言葉であり、理念となっていくと思う。
そういう立場からこのテーマについて、大枠のところをしっかりおさえていきたいと思う。

ジェンダーという語は、生物的男女(雄雌)に違いの意味ではなく、社会的差別があるかないかという問題意識をもって考えられる男女の違いという意味のようだ。ネット上の説明。

小学生でもわかるようにと前書きのあるジェンダーの意味は、こういうことだ。
「ジェンダーとは、日本語では「社会的性別」と訳されます。 たとえば、『男の子は青、女の子はピンク』とか、『お父さんは会社で働いて、お母さんは家で家事をする』というように、男女の違いによって、周りの人が無意識に抱くイメージや役割分担があります。 このように身体的な性別に対して、社会の中で『男性らしい』あるいは『女性らしい』とされている役割や行動、考え方や見た目などがあることを、社会的性別=ジェンダーというのです。

この「差別」を解消するということは、私的に思って、容易ではない。社会一般で、男女の服装、行動、礼儀作法、例えば挨拶なども、ジェンダー平等の視点でいえば、矛盾することが無数にあるのではないか。

例えば、ジェンダー平等の立場からの「服装」はどうあるべきなのだろう。「それぞれが好きなようにしたらいい」ということになるのだろうか。

大体、用語の使い方から問題になるのでは、と思う。男(おとこ)とか女(おんな)という言葉で表現することは、ジェンダー平等の原則とは別にしても、違和感がある。「あの男は…」とかではなく、「あの女の人」とする。また、男性・女性、とか、「男の人」「女の人」などということが自然なのではないだろうか。
そして敬称として、○○氏、○○さん、○○君に対して○○さん、などの違いは今後なくしていった方がいいのではないか、と思うのだが、どうだろう。すべて「さん」で統一する、など。

かつて高校の教師だったとき、私は原則、生徒には敬称である「いとう君」「かとうさん」と男女使い分けた。これからは、ジェンダー平等の立場でいえば、こういう使い分けは問題とされるだろう。

時代にあった言葉のあり方をもっと真剣に考える時期にきていると思うのだが。
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