来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「生きて虜囚の辱めを受けず」
また戦争関係のことを。
大日本帝国は徹底的に軍国主義を国民に鼓吹した。子どもから大人まで、天皇の僕(しもべ)であった国民(臣民であった)は、天皇のために死ぬことが最高の徳(忠)だった。
これらを謳う語句で今もはっきりと覚えているのは次のふたつ。
・ 「生きて虜囚の辱めを受けず」。
・ 「海行かば」の歌詞
うみ行(ゆ)かば 水(み)漬(づ)く屍(かばね)
山(やま)行(ゆ)かば 草(くさ)生(む)す屍(かばね)
大君(おほきみ)の辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
小学校2年の夏休みで、一応「軍国主義」は終わったのだが、未だにこのときの教育の片鱗を心にもっていることがソラ恐ろしい。
戦争で敗れて敵に捕まっても捕虜になどなるな、そういう恥辱を受ける前に自決せよ、と。
一端緩急あれば戦地に赴き、天皇のために死ぬ、決して後悔しない、と。「命は鴻毛より軽し」の気持ちだ。
戦後の歴史の中で、この戦争をふり返って、絶対にこれを繰り返すまい、と誓った。小学校2年の私たちに対して担任の女の先生は涙ぐみながら私たちに言っていたとかすかに記憶がある。
今、日本の教育行政を担当する上層部はそういう当時の国家的決意をどこまでアタマにあるのだろう。戦争によらないで国際的な問題を解決する、そのために必要な外交の技術と理念を徹底的に堅持しているのか、気になってしかたがない。
大日本帝国は徹底的に軍国主義を国民に鼓吹した。子どもから大人まで、天皇の僕(しもべ)であった国民(臣民であった)は、天皇のために死ぬことが最高の徳(忠)だった。
これらを謳う語句で今もはっきりと覚えているのは次のふたつ。
・ 「生きて虜囚の辱めを受けず」。
・ 「海行かば」の歌詞
うみ行(ゆ)かば 水(み)漬(づ)く屍(かばね)
山(やま)行(ゆ)かば 草(くさ)生(む)す屍(かばね)
大君(おほきみ)の辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
小学校2年の夏休みで、一応「軍国主義」は終わったのだが、未だにこのときの教育の片鱗を心にもっていることがソラ恐ろしい。
戦争で敗れて敵に捕まっても捕虜になどなるな、そういう恥辱を受ける前に自決せよ、と。
一端緩急あれば戦地に赴き、天皇のために死ぬ、決して後悔しない、と。「命は鴻毛より軽し」の気持ちだ。
戦後の歴史の中で、この戦争をふり返って、絶対にこれを繰り返すまい、と誓った。小学校2年の私たちに対して担任の女の先生は涙ぐみながら私たちに言っていたとかすかに記憶がある。
今、日本の教育行政を担当する上層部はそういう当時の国家的決意をどこまでアタマにあるのだろう。戦争によらないで国際的な問題を解決する、そのために必要な外交の技術と理念を徹底的に堅持しているのか、気になってしかたがない。
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