「強制連行」という語句は使わない?!

HBCテレビの11日の「報道特集」は群馬県で「追悼碑」を撤去させようという動きがあることを報じた。これも、「太平洋戦争開戦特集」に関連するのだろう。

太平洋戦争時、日本は国内の労働力を確保するために朝鮮半島からたくさんの若者を強制的に日本に連行して、各地の土木工事などに従事させた。まさに強制連行と強制労働だった。この労働によって命を奪われた人たちはたくさんいた。この事実を忘れまいということで群馬の人たちは記念碑を建てた。

しかし最近、特に維新の会の議員から「強制連行」という語を変更すべきと(徴用と)いう意見が出され、強制連行記念碑が撤去されるかも知れないという。

戦前の日本の政治がすすめた戦争と周辺国への侵略の歴史をしっかりと継承していかなければならない。朝鮮人の強制連行だけでなく、中国人もたくさん拉致されて日本の工場や炭坑などで強制労働に従事させられた。こういう歴史を忘れてはならない、それは戦後の日本の教訓だったはずだ。

かつて北海道では劉連仁(りゅうりえんれん)さんという中国人が北海道に連行され(1944)、雨竜郡の炭坑で労働させられた。しかし彼は便所のくみ取り口から這い出して逃げた。道内各地を12年間逃げ回った。
「終戦」を知らずに。寒い北海道の各地を人に見つからぬようにして、まさに想像を絶する苦しみだった。
当別の地で日本人に見つかって保護され中国に帰ることができた。

「時がたち 月日が流れ 一人の男はふるさとの村へ ついに還ることができた 十三回の春と 十三回の夏と 十四回の秋と 十四回の冬に耐えて 青春を穴にもぐって すっかり使いはたしたのちに … 」

これは茨木のり子さんという詩人が詠んだ叙事詩「りゅうりえんれんの物語」の終わりの部分。

「強制連行」という語句を否定することはできない。
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