かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

今日は尼崎市塚口までお出かけ

2018-10-02 15:29:31 | ブログ記事
尼崎へは川西能勢口駅前からバスが出ているから、バスで行きました。

杖を持った人がたくさん乗っていました。

底床のバスは杖を必要とする人にも優しいのでしょうね。

私も遠からずそうなると思いながら拝見しています。



降りる停留所はピッコロシアター前。

ここで降りて、これから売り出される予定のマンションのモデルルームに行って、

聞こえない耳で説明を聞いてから、

上坂部公園に入って散策してきました。


出かけたのは3時過ぎで、この公園に来たのは午後5時ころだったから、だんだん薄暗くなり、

写真は写しませんでした。

その後、またピッコロシアター前からバスに乗って川西能勢口駅前まで帰ってきましたが、

バスを降りると、もう真っ暗になっていました。

日の暮れるのが早くなりましたね。

*

★思ひ付きお出かけせしは三時過ぎ帰宅は七時なに食べやうか

★塚口の駅前マンションラッシュなり工場跡地がマンションの街

★マンションが立ち並びたる塚口はいまだ工業地域なるらし

★新快速電車の停まる尼崎駅の隣の塚口駅よ

★これからは発展しゆく街ならむ駅の周辺マンションラッシュ

★塚口は尼崎市で塚本は大阪市なり二駅はなる

★尼崎駅を挟みて塚口と塚本駅があるはおもしろ

★ユニチカのありしがゆゑに大阪の局番を持つ尼崎市なり

★尼崎大阪間を神崎川ながれて分かつ兵庫大阪

★そのかみは摂津と呼ばれ同じ国なりき大阪尼崎とも

★尼崎伊丹川西摂津国芦屋神戸も宝塚市も

★分かつのはやめてかつての摂津国甦らせむ大阪都にし


脱走犯はツーリングしてたって?

2018-10-02 10:56:37 | ブログ記事
笑っちゃいけないんでしょうが、笑っちゃいますね。

しかも「只今、日本縦断中」というプラカードを持った写真まで?^^

脱走犯の彼は楽しかったでしょうか?

少なくとも、暑さが去ったあとの四国やしまなみ海道のツーリングは快適だったのでは?

道の駅で万引きしていたらしいですが、

万引きをなんとも思わない人だったら、良心の呵責もなかったでしょうし。。。

それに一緒にツーリングする仲間もできていたから、寂しくもなかった?

その犯人に勝手に仲間にされていた人は邪魔に思っていたらしいですが、

しかし、ついてくるなとも言えなかった。

しかも、その俄か仲間も親族から行方不明の状態だったらしいから、類が友を呼んだ結果?

笑っちゃいけないんでしょうが、笑ってしまいます。

え、不謹慎ですって?

だけど、私は、笑いの乏しい聴覚障碍者ですから、お見逃しを!

*

★友達ができて瀬戸内ツーリングしてゐた脱走犯の万引き

★万引きが逮捕をされるきつかけになりし脱走犯の自転車

★道の駅従業員に挨拶し草引きもしてゐた犯人の手

★草引きをせし手で万引きしていたる様を写せし防犯カメラ

★人間は騙せて騙せぬカメラなり挨拶しても悪事は写す

★連れのゐるツーリングなら見つからず日本一周などと背中に

★髭伸びて陽に焼け赤き顔なれば手配写真と別人のごと

★写真まで撮らせてtravelしてをれば誰も脱走犯と思はず

★笑はせてもらひし事件わらはせるつもりはあらぬ脱走犯の


難聴者だから人間的な価値がない?

2018-10-02 03:01:50 | ブログ記事
世間ではそう思われているようである。

難聴者は安く見られるのが常ではあるが、

私は自分に価値がないとは思っていない。

が、義妹に

「あんたみたいに耳の聞こえない人間に仕事なんかあるかいな」

と言われた言葉は時々わたしの脳裏によみがえる。

私がパートの仕事を探していたときに
パートの仕事が見つからなかったことを言っているのだと思うが、

しかし、

過去、障碍者枠で試験を受けて大企業に正式採用していただいたことがある。

結婚前も、そのころは軽い難聴ではあったが、銀行に採用されて働いていた。

が、義妹は難聴の私のことをわざわざそう思いなして見下げたがるのである。

義母は、義弟の奥さんには言わないようなことを私には平気で言った。

それは、難聴である私をバカにしていたからである。

難聴であると、思いたくないけれども、しばしば間抜けに見える、と思う。

だから、バカにしてもかまわないと義母は思っていたのだろう。

もともと私に難聴があるという理由で、

私と夫との結婚に反対した義母であったから、私がお嫁にきて面白くなかったのだろう。

私たちの世代はベビーブーマーで、適齢期の女性に対して適齢期の男性は半数しかいなくて
完全に買い手市場であったこともあって。。。

実際、同じベビーブーマーだった義妹はなかなかお嫁にいけなかった。

その悔しさが義母、義妹の二人の言葉の端々に出た。

いま思い出しても涙がこぼれる。

しかし、自分が難聴であるから言うのではないが、

難聴だからと言って、なんら人間的に価値が劣るとは思わない。

たまたま難聴に生まれた、あるいは難聴になったというだけのことである。

現在、正常に聞こえる人も、どんな事情で難聴になるかわからない。

そうなってみないと、人はそのことに気づけないのだろうか。



義母は常に私に対して居丈高であったが、

自分が認知症になって初めて私に対する態度が変わった。

あれほどいじめていた私を頼って、私の姿が見えないと探し回った。

私は仕返しをすることもできたが、しなかった。

自分が弱みをもって生きる辛さを知っていたから、義母の認知症も辛いだろうと同情したからだ。

実際、辛いものであったと思う。

義母は美人で頭のいい人だったから怖いものなしであったが、さすがに認知症になってからは
態度が軟化した。

軟化せざるを得なかったのだ。

そういう意味では、弱点をもつことはよいことなのかもしれないとも思う。

実家の義姉も、老いさらばえた私の母に優しくできなかったのは、弱点のない人だからだ。

特別な美人とはいえなくても、健康で高学歴であるから、怖いもの知らずなのである。

だから障碍者の私のことを見下げている面もある。

が、これは仕方ないことかもしれない。

人は自分が弱くならないと弱い立場の人間に同情することは難しいから。

*

★弱みあることに負けねば弱みあることが強さに代わる日がくる

★悲しみをもたぬ人には悲しみがわからぬことを悲しみてゐる

★障碍をもてば二重に苦しめることあるそれは差別あるから

★障碍者だまつてをれといふ態度障碍のなき人に見受ける

★いぢめてもかまわぬ人と思はれていぢめらるるも多しわれらは

★人間の価値に変はりはなけれども障碍あれば安く見られて

★自らも価値なき者と思ひ勝ちそれが一番こまることなり

★障碍のある苦難にて磨かれてむしろ価値ある人になるべし