かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

嫉妬されないように生きることが肝要

2018-10-31 23:34:13 | ブログ記事
いろいろ考えてみても、

今まで私に意地悪を言ったり、した人は、私に嫉妬していたと思う。

私自身は、嫉妬されるような幸せな人間ではないと自覚しているが、

しかし、そんな私にも嫉妬する人はいるのである。

義母も、最後は、
私を実家に帰さなかったのは、自分に帰る実家がなかったことが原因だったと白状した。

私は、そんなことで嫉妬されているなどとは思いもよらなかったので驚いたが、
人は、どんなことに嫉妬するかわからないと思った。

義妹も、私が心臓手術の3年後、この家に越してくる年に、

母に、当時大学院生だった次男を一度海外旅行に連れて行ってやりなさいとお金をもらって
オーストラリアに行ったことがあったが、

そのあと、

「病気だからと思って母の世話をしていたのに海外旅行などして」と猛烈に怒ったことがあった。

その義妹の言葉で、私は義母が認知症になっていることを知ったのだったが、

夫は、義妹は海外旅行をしたことがないから嫉妬だと言った。

義妹家も行こうと思えば海外旅行も行けないことはないくらいの収入はある。

現に、現在も、恩給(義妹の連れ合いは公務員だったから)は私の夫の年金よりずっと多い。

海外旅行に行くかどうかは、その人の生きがいによると思う。

お金を貯めるのが好きな人は海外旅行など行かないと思う。

海外旅行には大きなお金を必要とするから。

が、日常を倹約しても、海外旅行に行きたい人は行く。

私の母などは、そうであった。

日常は、こんなことまで切り詰めてというほど倹約していたが、
海外旅行は毎年2度ほどしていた。

多忙の合間を縫って・・・。

それほど海外旅行が好きだったということだ。

旅行で得られるものが他をしのいでいるから、どんなことがあっても行くのである。

義妹も、嫉妬するのなら、大切なお金を使って海外旅行をすればいいと思う。

人を嫉妬するエネルギーほど無駄なものはないと思う。

が、されないように気を付けなければ、人は思わぬときに足をすくわれる。

私のように障碍者の身上でも嫉妬されることがあるくらいだから、
どんな人にも嫉妬される場面はあると思う。

もうずいぶん前になるが、私が某メーリングリストに参加してころも、
私のことを
「この人は自分に文才があると自負して云々」と言い放った人がいた。

私は、そんなことは思ったこともないし、書いたこともなかった。

ただいつも書いているように、書くのが好きで書かずにはいられないから書くだけのこと。

それをそんなふうに見ていた人がいたなんてと驚いた。

私は、その人こそ文才があって美人でと羨ましく思っていたくらいだったのに・・・。

短歌の結社にいたころも奇妙なことがあった。

私が、現在NHKの短歌の番組の講師をしていられる真中さんに紹介していただいて、
永田和宏氏のお宅に塔̪誌の校正に伺わせていただくようになったときのことである。

私より前からきていた、よく知っている人が、お菓子を配る時、私だけに配らないのである。

それ以外にも、あきらかに私だけを差別するようなことをするから、
しばらく校正に行くことを休んでいたことがあった。

あれも今から考えたら嫉妬だったのかな。

というのが、それより少し前に、とある男性歌人にラブレターのようなものをもらい、
歌会のあとの懇親会で猛アタックされたことがあったが、
そのとき、その意地悪した人が嫉妬に満ちた顔でにらんでいたのを垣間見たから。

その男性歌人は誰にでもアタックする人なので、私に特別どうこうということもなしに、
そういう真似事をしたにすぎないのに、
彼女にすれば、私がいい気になっているとでも思ったのだろうか。

あ、まだあった。

彼女がとりまとめをしていた歌会に歌を送ったのに、
歌会に行くと、私の詠草を詠草集に入れてくれていなかったこともあった。

それで、わざわざ行った歌会で私は座っているだけだった。

それ以後、私は歌会に行くことはやめた。

そんなことも思い合わせると、人は自分が意識しなくても、
思わぬことで嫉妬されるものだということを思う。

だから、こちらも無用に嫉妬されないように注意するべきと思うが、
しかし、
嫉妬は、どんなことでされるかわからないから、これが難儀なのだ。

私のような、美人でもなく、才能もなく、そのうえ障碍者でもある人間に対してですら、
嫉妬する人はするのだから。

私の一日・・・たとえば昨日から今日

2018-10-31 14:34:58 | ブログ記事
昨日のことは昨日の記事にも書いたが、

午後、美容院と補聴器店と病院のはしごをした。

そして、夜は久しぶりに回るお寿司を食べに行った。

その後、午後10時くらいに就寝して、午前1時ごろ目覚めた。

こうして中途覚醒するのは老人の特性らしい。

夫も既に2階で仕事をしていた。

それから、しばらくパソコンのブロ友さんの記事を読ませていただいたりしたあと、

料理を始めた。

まず買ってあった鮭の白子を湯通しして丁寧に筋をとってから5分くらい湯がいておいた。

今度は、買い置きの野菜で天ぷらを作った。

天ぷらは揚げたてでないといけないが、元気な時間帯に作っておこうと思って。
↑ということは夜中が元気な時間帯?

天ぷらにしたのは、サツマイモ、レンコン、シイタケ、それから冷凍のエビがあったから、
それも解凍して天ぷらに。

最後が紫蘇の葉の天ぷら。

それらをつまみ食いしてから、(つまみ食いをするため作った?笑)

今日がプラスチックごみ回収日だったから出す。

冷凍してある鶏モモ肉に醤油、みりんをまぶして冷蔵庫に移す。

炊飯器に炊き上がりがお昼になるようにセットしてまた寝た。

午前8時過ぎくらいだったと思う。

次に目覚めるとお昼前。

が、私はあわてない。(笑)

なぜなら、お昼に出すものは、すでに出来上がっているから。

ご飯は炊けているし、

鮭の白子の湯がいたものには大根おろしと万能ねぎを刻んだものをのせてポン酢をかけて出す。

天ぷらは冷めているが、形よく盛って出す。

昨朝作った豚汁の残りにお豆腐を加えて温めなおして出す。

それで昼食の支度は完成。

時間にして10分あまり。

今日の夜は、解凍して味付けしてある鶏に溶き卵をまぶして揚げて、

冬の間常備してある?おでんを温めなおしたものを出す。

残してある鮭の白子も出すかもしれない。

まだ足りないと思えば、豚汁の残りも温めて出すかもしれない。

と段取りがついているから、今から昨日処方箋を預けてきた薬局に行って
お薬をいただいてきます。

これが、ある日の私の一日です。

終わり。