かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

祖父母と孫

2018-10-19 19:30:22 | ブログ記事
さきほどブロ友さんのブログを読ませていただくと、

ブロ友さんの子供のころの、そのお祖母さんとのことが書かれてあった。

なんでも、そのお祖母さんの剥いてくれる柿には、そのお祖母さんの使っていたハンドクリームのにおいがして、

ブロ友さんがキツイ調子で注意したとかいうことを書かれてあった。

思い出してみれば、私は、祖母にそんなキツイ言い方をしたことは一度もない。

母方の祖母が私を大事にしてくれていたことは事実だったが、

しかし、

このブロ友さんほどは祖母と私は親密ではなかったといえるかもしれない。

たぶん祖母のほうにも私に遠慮みたいなものがあったと思うし、

私も、ブロ友さんと比べれば、祖母に遠慮があったと思う。

父方の祖母のほうは、祖父の後妻さんで、義理であったせいもあって、もっと遠慮があったかもしれない。

当時は、義理だということを知らなかったが、こちらの祖母にもキツイ言い方をした記憶はない。

だから、今日、そのブロ友さんの記事を読ませてもらって、そんなに遠慮なく言える関係をうらやましくさえ思った。

それで気づいたが、

今年亡くなった母に対して、

兄の息子である甥は、母の生前、ずいぶんキツイ調子で母を怒ったりしていた。

母の実娘である私は、何もそんな言い方をしなくてもと思いながら見ることもあったが、

しかし、見方によれば、それだけ母と甥の関係は濃密だったのかもしれない。

私は、実子であることもあって、晩年の母のわがままに対して、ずいぶんキツク叱ったりしたものだったが、

甥は甥で、やはり祖母である母に遠慮がなかったから、ああいうキツイ口調になったのかもしれなかった。

母が亡くなったとき、この甥がその手で自らの涙をぬぐっているのを見た。

私は、「おや、あんなに私の母にキツイ言い方をしていたのに?」と訝しく思ったが、

母に一番かわいがられていた甥であったから、

心底悲しくて泣いたのだろう。

今日、ブロ友さんの記事を読ませてもらって、甥の気持ちがわかったような気がした。

さらに思い出してみれば、私の従弟が、その父親である私の叔父亡きあと、

私の祖父でもある、その祖父に、きつい調子で叱っていたことも思い出した。

私は、そのときは、年取っている祖父がかわいそうと思ったが、

今から考えてみれば、それだけ祖父と従弟の関係は濃かったのかもしれない。

勉強がよくできて医師になった従弟は、祖父の自慢の孫でもあったし・・・。

それから言えば、私と祖母の関係は、見方によれば、他人行儀であったといえるかもしれない。

祖父母と孫の関係は、はたからは窺い知れないものがあるように思った。

『馬上の男』を観て・・・西部劇についての考察

2018-10-19 12:42:35 | ブログ記事
西部劇とは、「女の奪い合い」劇かと思った。

もともと私は西部劇は好きでないので、あまり見なかったが、

たまたま観た、火曜日の『去り行く男』がよかったから、

水曜日の『ララミーから来た男』も観て、今日は、昨日木曜日に放映された『馬上の男』の録画も観た。

それで思ったのだが、西部劇って「女の奪い合い」の物語だったの?

偶然かもしれないけれど、三作とも、そのように思えた。

そうよね、アメリカって、もともとイギリスのピューリタンが移民してできた国だから、

建国当初は圧倒的に女性の数が少なかったから、必然的に、そういうことになったのでしょうね。

納得です。

それと同じ事情で、江戸も、徳川家康が都を作った当初は男ばかりで、

それで、吉原のような女衒ができたと聞いたことがあるし・・・。

アメリカは、そういうシステムがなかったのかしら?

たぶんあったでしょうが、

しかし、

やはり、自分の家庭を持ちたいと思ったら、

そういう商売上の女性でなく、

まともな女性の伴侶を求めるのが、男性の性なのでしょうね。

それで、まっとうな女性の奪い合いになった?

それにしても、西部劇の時代の女性は女らしいですね。

髪の毛はきれいにカーリングされているし、服装は、ズボンなど穿かずにロングスカートだし。

男性も、カウボーイの恰好って男性的ですね。

で、思うのだけど、

女らしい女は、男らしい男によって作られる。

逆も真なりで、

男らしい男は、女らしい女によって作られる。

なのでしょうね。

そういうことを考えていると、

最近のユニセックスの、男か女かわからない風潮は、どうなんでしょうね。

これは、時代の要請でしょうか?

それとも?

昔の西部劇は、私に、そんなことを考えさせてくれました。