かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

義母が私を虐めたのは義父に対する当てつけであったかもしれない

2018-10-23 13:09:47 | ブログ記事
義父は優秀なエンジニアであった。

それで会社勤めしていたころは高給取りであった。

が、自分で思うように仕事をしたくなって、会社を興して自営した。

が、エンジニアとしては優秀であったが、会社経営は下手であった。

採算を無視したいい仕事をしようとするので、会社は火の車であった。

それを助けてくれたのは、義父の長姉の伯母さんであった。

義父の会社と同じ大阪に住んでいたことと、

開業医の奥さんとして比較的裕福で、さらに子供がいなかったから、

夫たちのお金がかかるときは、この伯母さんが援助してくれていたらしい。

私も結婚してからのち、ずいぶんよくしてもらった。

毎年、春、夏、秋、冬と、季節ごとにブランドの高級服を買ってくれた。

こんなにしてもらっていのかしらと思うくらいよくしてもらったと思う。

が、この伯母さんは、婚家を援助してくれていたこともあり、

義母のぜいたくにはうるさかったらしい。

伯母さん自身は、ごく質素に暮らされていたこともあって・・・。

それで義母は、この伯母さんを嫌っていた。

そして、この伯母さんにうるさく言われる原因は、
義父に甲斐性がないせいと思っていたのではなかっただろうか。

それで、私が里帰りするときなどに、茶の間などで私を異常に怒ったりしているのを

義父は隣の座敷で聞いていたはずだったが、何も言わなかった。

たぶん何も言えなかったと思う。

そのころの義母は、

この伯母さん以外には、だれにも何も言わせないくらいのこわさがあった。

私も義母のことが怖かったが、夫も怖かったらしい。

それで、夫も、若いころは、義母にはあまり反発できなかった。

それで、私は、義母には言いたいように、されたいようにされたが、

仕方なかったとも言える。

が、上記した通り、

義父の長姉の伯母さんは、私にとてもよくしてくれたし、

義父のすぐ上のお姉さんである伯母さんも、私には、すごくよくしてくれた。

義父のすぐ上のお姉さんは義父の実家に家族で暮らしていたが、

私たちが帰省すると高知の郷土料理をいっぱい作って待っていてくれたし、

私たちの子供のお守りまでしてくれた。

この伯母さんも私と同じく難聴でもあったから、よけい私のひいきをしてくれたのかもしれなかった。

義父の長姉の伯母さんのような経済的な援助ではなく、体を使った世話をしてくれた。

私は、どちらの伯母さんにも、感謝してもしきれなくらいよくしてもらった。

それから、義妹は義母と一緒になって私を虐めたが、義弟は昔も今も私に親切だ。

義父に似て根が優しいのだろう。

そんなことを思い出せば、

嫁いできても、決して悪いことばかりでもなかったことに気づく。

子は鎹であり、生きがいである

2018-10-23 08:02:42 | ブログ記事

私が結婚後、姑や義妹からいわれのない虐めを受けても離婚をせずに頑張れたのは、

子供がいたからである。

子供のために離婚は絶対してはいけないと思っていた。

片親になったあと、再婚すれば、子は余分になる。

中には、我が子でなくてもかわいがってくれる再婚相手もいるかもしれないが、

普通の人間は、わが子でない子はかわいくない。

男は、わが子でない子に飯を食わせたくないと思うだろうし、

女は自分の生んだ子でない子の世話はしたくない。

というのが、普通であろう。

さらに悪い男は、義理の娘に手を付けたりする。

それらは、テレビのニュースなどでも、いやというほど目にする。

そのたびに私は、離婚だけはしてはいけないと思ってきた。

が、子供たちも成長して、それぞれよい伴侶に恵まれ、子に恵まれれば、

もう親の私の出番はない。

子供が巣立っても、夫婦で仲良く暮らしていけるのなら、それはそれでよいだろう。

が、年とっても、外へ外へと刺激を求める人と一緒にいて、楽しいことはない。

妻が尽くしても、よその女性に現を抜かす人といて幸せだろうか。

いま思い出だせば、

子育てのさなかも、テニスに情熱を燃やしていた夫は、

あるときは、会社の若いきれいな女性を自分の車の助手席に乗せているのを見たこともある。

テニスのためにお迎えやお見送りをしていたのかもしれないが、

幼い子供たちを抱えた私は、それどころではなかった。

夜は夜で、別の会社のお気に入りの女性とダンスを習いに行ったりしていた時期もあった。

その女性のことを好きだった夫は、会社でもそのことが評判になったりもしたらしい。

一方の私は、今も昔も生活費しかもらわないから、外遊びなどできるはずもなかった。

私は子育てに必死だったから、見て見ぬふりをしてきた。

しかし、最近のように夫婦二人に戻ったら、夫がよその女性と出かけることは面白くないし、

文句の一つも言いたくなる。

これは文句を言う私が間違っているのだろうか?

ブログに書く私が間違っているのだろうか?

私がブログに書くことの仕返しをするかのように、

夫は難聴で電話のできない私の代わりに子供たちに電話をして私の悪口を言う。

掃除が行き届かないとかエトセトラ。

子供たちも内心困っていると思う。

しかし、私は書かずにはいられない。

自分の心を静まらせるために。