かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

今日も天気がよかったから、また散歩を兼ねて

2018-10-21 18:32:31 | ブログ記事
次男の住まいを探しに行っていた。

今回は、最初に見にいったのと同じ川西市内の花屋敷であったことと
比較的大規模な分譲マンションだったので、すぐに見つけることができた。

雲雀丘花屋敷駅からは徒歩6分。

前回の一戸建ての物件は徒歩3分だったから、少し(私的にはだいぶん)遠い。

が、その分、我が家のある川西能勢口駅には近いから一長一短である。

物件は南西の角部屋で3280万。

中古マンションにしては高いような気がするが、最近のマンション人気のせいだろうか?

それと比べれば、川西能勢口駅からバスで行かないといけないが、
鶯台の一戸建ての2180万は安いと思う。

来たついでに、北側からも撮影しておいた。


阪急雲雀丘花屋敷から徒歩6分だが、
この物件はJRも利用できるから、複合的に判断しないといけない。
JRの川西池田駅には坂道を徒歩10分も歩かないといけないけれど。

*

こうして私が探したところで、
息子夫婦やお嫁さんのご両親が賛成しなければ、ただの徒労になる。

が、季節はいいし、私の運動になるから、これはこれでいい。

冬になると、また家に閉じこもりきりになるから、
今の間に歩けるだけ歩いて体力の貯金をしておかなければ!


*

★むかしから家を見るのが好きなれば趣味で息子の家を探して

★坂道を登りていかねばならぬゆゑよき運動になる家探し

★高級な住宅地とぞ聞きにしが坂道多く汗かきのぼる

★運転のできぬ私は住めないと思(も)ひつつ登るこの住宅地

★駅の名は雲雀丘と花屋敷合はせてひばりがおかはなやしき

★マンションも安くはあらぬ雲雀丘花屋敷なりお屋敷街の

★庶民には暮らせぬ街と思ひつつ登りてをりぬ運動兼ねて

★まつさらでなきマンションの一室が三千万を超えるはいかが


柿の木

2018-10-21 05:53:37 | ブログ記事
私の実家は現在ビルになっているが、

私が子供のころは平屋の一戸建ての家であった。

祖父の家とは庭続きで、祖父の家のほうには立派な築山があったが、

我が家のほうの庭には柿の木とイチジクの木があった。

兄は、たしか小学校の2年か3年のときに、その柿の木のことを作文に書いて何かの賞をもらった。

私は、まだ幼稚園児か小学1年くらいだったけれど、母が喜んでいたことが記憶に残っている。

その作文の書きだしを少し覚えている。

「僕の家には柿の木があります。

いつのまにか、勝手にそこに生えていたそうです。

桃栗三年、柿八年と言いますから・・・」

というような書き出しだった。

今こうして書きながら、

小学2年か3年にしては上手すぎるような気もするが、

私が小学2年に上がるとき、その家をいったん引っ越したから間違いない。

母が喜んでいたのは、その家に住んでいたときの記憶だから。

なぜ、その家を引っ越したかというと、

私が小学1年のときに祖父が亡くなって、父の長兄が、その財産を独り占めしたから、

父が怒って引っ越したと聞いている。

だから、私のその家での記憶は、小学1年までしかない。

その後、その平屋の家はずっと近所の商家に貸していたけれど、

私が二十歳のときにビル(といっても小さなビル)に建て直して戻ってきた。

だから、その柿の木のこともイチジクの木のことも、兄の作文のことも忘れていたけれど、

昨日、ブロ友さんの子供のころに食べた柿の話を読ませてもらって、思い出が蘇った。

兄は作文が上手であっただけでなく、勉強もよくできた。

兄が小学6年のときに公務員だった父の転勤が決まって高松に引っ越すことになっていたが、

兄が、

「合格しても行かないから、受けるだけ受けさせて」と、

県下一の進学校だった土佐中の受験をしたがったので、受けるだけならと両親は受けさせた。

塾にも行っていなかった兄が合格するとは誰も思っていなかったから、合格した時、みな驚いた。

それでも約束通り、一家で高松に引っ越す予定だった。

が、

兄の6年のときの担任の先生の「もったいない」の一言で、兄だけ高知に残ることになった。

そのとき最初に下宿したのは、祖父の家、すなわち父の長兄の家だった。

仲たがいしていたとは言っても、そこはやはり兄弟である。

そして、さらにおかしいことは、

父の長兄は、自分の息子より、私の兄のほうを可愛がって、

下宿させてもらっている間は、兄だけ映画に連れていってもらったりしていたらしい。

伯父は、決して優しい人ではなかったが、
それでも、
親と離れて下宿している甥を慰めてやろうと映画に連れていってやったりしていたのだろうか?

思い出とは不思議なもので、

一つ思い出したら、芋づる的にいろいろ思い出される。

*

★イチジクと柿の木ありしふるさとの古い平屋を思ひだしたり

★イチジクの枝に座りてゐし兄と兄の作文おもひ出だして

★柿の木の作文書きて受賞せし兄の作文おぼえてゐるよ

★あのころは家族四人があの家に揃ひてゐたり平屋のあの家

★わが家の庭と祖父母の家の庭つづきてあちらこちらで遊びき

★いとこらと庭で遊びて外遊びせざりしわれら風呂も一緒に

★祖父母ゐてわれら姉妹のごとありしあのころのわれと従姉妹ら

★わんぱくな兄でありしが勉強もよくでき我は自慢でありき

★いぢめられやすきわたしが虐められ帰れば兄は家を飛び出し

★わが兄の姿みゆれば苛めつ子蜘蛛の子散らすやうに逃げゐき