う~ん、そうであるともいえるし、そうでないともいえる。
そうであるとは、
たとえば、天照大神が皇室の先祖であるということとか神仏の存在を信じているとかがその答えになるだろう。
数年前の私であれば、そんなことを信じるのはバカバカしいと思ったかもしれない。
が、一度精神薬を飲んで、少し頭がいかれてからは信じられるようになった。
頭がおかしくなったといっても、それは薬の副作用で、
薬をやめたら治るような類のものであったが、
しかし、
そのとき以来神様のことが信じられるようになったから、ラッキーな契機であった。
私達は此の世に起こることはすべて説明できると思っている。
が、実は説明できないことのほうが多い。
なぜ空には太陽が存在するのか?
なぜ私達は存在するのか?
なぜ私達は生きなければならないのか?
なぜ私達は生きている動物を殺して食べるのか?
などなど、わからなことだらけだ。
その疑問を解こうとすれば、気が変になってしまう?
しかし、それは神様の仕業と思えば、すべてのつじつまが合う。
私は、神様の存在を信じられる人のほうが賢明だと思う。
それは理系、文系とかに分類する以前の問題だからである。
理系であれ、文系であれ、真に学んだものは、最後は神の存在に行きつく。
と私は思う。
私は理系分野でも文系分野でも落ちこぼれだが、神様の存在は理解できるから、
少しは賢い?
もし少しでも賢くなれたとすれば、それはあの疫病神であった精神薬のおかげである。