昔から「年寄りの冷や水」という言葉がある。
これは「老人が年齢にふさわしくない危険なまねや、出すぎた振る舞いをすること」
という意味らしいが、
これをする老人は多い。
昨年亡くなった私の母もそういう老人であった。
とにかく年寄りらしく大人しくしているということのできない人であった。
亡くなる前の年も、入院中で、胸にコルセットを当てられているのに、
私がお見舞いに帰省したことを利用して外出許可をもらって、
私が帰る日になって、JRに乗って自分の従妹の家に泊りがけで行った。
それを止める私とは高知駅で大ゲンカになったが、母は決行した。
それもただ行ったのではなく、
JRで久礼という漁港のある町まで行って、
そこでお土産にお魚をいっぱい買って持って行ったのだ。
母の言い分は、これだけお土産を持っていくのだから迷惑ではないと。
その言い分は、母の従妹が元気であればのことで、
その母の従妹は軽い認知症になっている。
だから、その母の従妹の息子さん夫婦には迷惑だったようで、
その後、その母の従妹のお連れ合いが亡くなったときも、
わざわざその息子さんから私の母に来させないように兄嫁に連絡があったらしい。
だれでもコルセットを当てた90歳過ぎの老人に一人で来られると対応に苦慮する。
そんなことは誰にでもわかりそうなことなのに、わからない人が私の亡母であった。
母は若いころから何事でも、自分のしたいことを無理しても、やり通す人であった。
私が心臓の手術を受けた翌月、
母は乗っていた自転車で大けがをして、杖をついてやっと歩くという状態になった。
が、毎月お稽古に行っていた香川県には杖をついて教えに行ったから、
お弟子さん達が驚いたらしい。
当時の母は78歳であった。
だいたい自転車に乗るのも危ない年齢である。
が、母は、まだ乗っていたのである。
そして事故を起こしたのだが、
静かにしている人ではなかったので、お稽古に行ったし、
その月の終わりごろには心臓の手術後ひと月の私のところに手伝いという名目で来た。
が、そんな身体で来られて手伝いになるはずもなく、
まだ寝ていなければならない私のほうが母の世話をするという羽目に陥った。
母は、とにかく若いころから無理をする人であった。
それで通してきた人だった。
亡くなった日の前日も、
病院で外出許可をもらって、
母の世話に来てくれていたおばちゃんに付き添ってもらって頭にパーマをかけている。
生け花の新年会に行くつもりだったのだ。
そのパーマをかけた翌日、
私の甥の子で、母には曾孫である子のピアノ演奏を聴いてから後は一日中寝ていた。
しかし、夕方には寝込んでいた私を起こしてホテルの夕食を一緒に食べに行った。
そして、その次の朝、未明に心不全で亡くなった(=亡くなっていた?)のだった。
最期の最後まで、したいことをして死んだ。
ある意味、幸せな一生であったかもしれない。
が、ふつうは、こういう無鉄砲なことはしない。
と、前置きが長くなったが、
昨日、私の「やはり歩きすぎはよくないようだ」の記事にコメントくださった
通りすがりの方があった。
その方は、「歩いている70代、多い。 少し、スリムになった方がいいのでは。」
と書いてくださったのだが、
私は母と違って無理をしないのがモットーなので、
大きなお世話と申し上げたい。
私も腰に痛みのないときは、機会を見つけて歩くよう心掛けている。
病院に行くときも一駅分くらいなら歩いて行く。
が、腰痛を起こしているときに歩くのは逆効果だと思うから歩かないだけのことである。
また、亡くなった自分の母のように、人に迷惑をかけてまで頑張ることはよしとしない。
無理は禁物と思う所以だ。
(それでも、私も母の娘であるからには、かなり無理をするような場面もあるが・・・)
とにかく、そんな私の信条を知らずに通りすがりで無責任なことは書いてほしくない。
と、記事にして反駁してみた。
*
類は類をもって集まるのか、私の夫もかなり頑張りすぎる人である。
一昨日は、
この春売却した大阪のマンションから川西市の自宅まで自転車をこいで帰ってきた。
マンションにあった家財は、人手不足の折から、ほしい人たちにもらっていただいたが、
買ったばかりだった自転車は、自分で乗って帰ってきたのだ。
今年の誕生日がくれば後期高齢者の仲間入りをするというお人なのに・・・。