かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

IR法成立って、誰にどんなメリットがあるのかしら?

2018-07-21 11:35:08 | ブログ記事
あまり勉強していない間に
なにやら新しい法律が制定されたようですが、

そもそもIR法って何ですか?

なんか政治家の皆さんの嬉しそうな顔がニュースに出ていますが、

この法律は、私たちにどんなメリットがあるんですか?

私は、昨日も書いた通り、

政治家の皆さんが力を入れていたオリンピック誘致も賛成ではありませんでした。

今度のIR法っていうのも、カジノを作る法案とか聞くと、

あまりいい法律のようには思えないのですが、

どんなよいことがあるんでしょうね。

オリンピックもそうですが、

結局、得をするのは利権を得た政治家の先生方と違いますか?

われわれ庶民には、いいこと一つもないように思えますが?

今度のIR法も、私たちには、いいこと一つもない法案では?

成立したと喜んではる政治家の先生方には、何かよいことがあるんでしょうかね。

*

カジノと聞いて思い出すのは、

夫の従姉妹の娘さんの離婚した理由です。

お相手の男性は、
この娘さんの友人から紹介されて知り合った方だったらしいのですが、
見たところ、優しそうで、何の問題もなさそうな人に見えました。

が、

実はギャンブル依存症で借金がたくさんあったそう。

いったんは、その男性のご両親が借金を完済をしてくれたらしいのですが、

また知らない間に借金を作っていて、結局、離婚になりました。

子供さんもできていたのに、夫の従姉妹の娘さんは可哀想でした。

もちろん、生まれてきた子供さんも・・・。

ギャンブル依存症という病気があるそうですね。

こういう人、全国にたくさんいるんじゃないでしょうか?

大の大人を縛り付けておくこともできず、

カジノなんてできたら、

家庭崩壊するところが増えるだけではないでしょうか?

*

カジノって聞いたら、

大王製紙の御曹司のことも思い出されますね。

象の足を見た人と象の鼻を見た人では象の印象は異なってくる

2018-07-20 12:54:23 | ブログ記事
私が政治的な断定を避けたいと思うのは、

しょせん、私たちが知る政治知識というのは、
テレビ、新聞等、(最近はこれにネットが加わります)から得た間接的なものであるからです。

わが家は長い間、朝日新聞を購読していました。

が、ある人の意見を聞いてから、産経新聞に変えました。

替えた当初は、新聞によって、これほども見方が違うのかと驚きました。

私にとっては、コペルニクス的転回でした。

そして、だんだん朝日新聞の意見が絶対正しいわけではないと思うようになりました。

朝日新聞を購読していた頃は、

日本は第二次世界大戦で、韓国や中国に多大の損害を与えたと思い込んでおりました。

が、産経新聞を読むようになって見方が変わりました。

考えてみれば、

自分を基準に考えても、

日本人がそれほど悪辣なことをするはずがないという考えに傾いてきたのです。

本当に悪辣なことをしていたら、

戦前、中国を支配していた、現、台湾の人たちが親日家というのは
辻褄が合わないと気づいたのです。

新聞、テレビの影響は大きいですね。

われわれは、直接現地に行って確かめることができませんから、

結局、私たちの政治的な意見というのは、多かれ少なかれ、

テレビ、新聞の影響に培われたものなのです。

だから、Aさんが朝日新聞を購読していたら、自虐史の考えに傾くし、
Sさんが産経新聞を読んでいたら、右寄りの考えに傾くというわけです。

一つの出来事でも、

象の足を見ている人と、象の鼻を見ている人とでは、象の印象が異なってきます。

さらに象の目を見る人には、まったく違った象が見えることでしょう。

そのように、私たちの考えというものは、
多分にテレビ、新聞の、最近はインターネットの、影響下にあるということです。

私は、現在は、産経新聞を購読していることもあって、

どちらかと言えば、右寄りな考えに傾いていますが、

しかし、過去、何十年も朝日新聞を購読してきた歴史から
左寄りの考えを持つ人のことも理解できます。

私達の政治的意見というのは、
所詮、そんな程度のものだと認識しておいたほうがいいかもしれません。

このブログにコメントくださったお二方のご意見が真逆であったことから、
そんなことをつらつら考えてみました。

このブログは政治ブログではありません

2018-07-20 12:04:36 | ブログ記事
たまには政治的なことも書くことはありますが、
特に私が特定の政党に入れあげているとかいうことは全くありません。

ただ公平に、よき政治は拍手を送って、
そうでない政治には苦言を呈するのみです。

一国民として・・・。

昨夜、私がオリンピック開催に対する一国民の思いを書きましたところ、

ヒロリンさんという方から、

安倍政権は民主政権より頑張っているというご意見をいただきました。

私は、昨日の記事に、

安倍さんが頑張っていないなどとは微塵も書いてございません。

どちらかといえば、頑張ってくれていると私も思っています。

しかし、安倍さんの政治が完璧かと聞かれましたら、

私は、政治には素人ですので、断定は避けたいです。

民主党より頑張っているというご意見には

賛成するところ大ではあります。

というのが、
東北大震災の起きたときに政権党だった民主党の対応は
決して褒められるものではありませんでしたから。

ということで、私も一応自民党を応援しているのですが、

しかし、

上に書きました通り、完璧とは言えないと思います。

モリかけ問題は野党が騒ぎすぎとしましても、
安倍さんにも落ち度がなかったわけではないでしょう。

奥様がなさったこととはいえ、
安倍さんも全く知らなかったことではなかったと思うにつけ。

そういう問題はありながらも、

しかし、

現在、日本の政治を任せられる人というのは、
ほかにはいないのでは、という気持ちも強いです。

私は、民主党が政権を取ったとき、
実は、内心応援をしていたというか、期待していました。

が、期待外れでしたね。

それだけは言えると思います。

それ以上のことは、今の段階では何とも言えません。

ヒロリンさんも、私のブログにわざわざコメントくださるのでしたら、
ご自分のブログのアドレスも貼って、私にも記事を読ませてください。

私は、ブログなさっておられない方のコメントも大歓迎ですけれども、
ブログをお持ちでしたら名刺代わりにアドレスを貼っていただきたく。

ヒロリンさん、どうぞよろしくお願いいたします。

この酷暑の日本でオリンピック?

2018-07-19 23:28:58 | ブログ記事
いまニュースを見ていると、
7月24日が開会式と。

え、こんな暑い時期に?

マラソンは午前7時から始めると言っていますが、
午前7時でも、もう十分暑いです。

私は、今日は午前8時からクーラーのスイッチを入れました。

熱中症になりたくないから。

いくら健康な選手たちといっても、
午前7時からでも、
この酷暑の時期の日本で走らせるのは危険すぎないでしょうか?

そもそも日本でオリンピックをする必要はあるのでしょうか?

東北大震災の原発問題も、まだ解決していない日本で。

しかも、この危険な酷暑の時期に。

問題が起こってからでは遅すぎるから、

今からでも止められるものなら、止めたほうがいいと思います。

スポーツの祭典といっても、

人の命があってのものだねです。

こんな危険な状態の国で開催することはないのです。

*

私は昨年も同様のことを書いておりました。

ご参考までに貼り付けておきます。

梅雨明け・・・2020年のオリンピック開催に思う

私は自分が暑がりなので

2018-07-19 16:30:56 | ブログ記事
被災地の人たちのことを考えただけで息苦しくなります。

どんなに暑くて辛いことでしょう。

と、クーラーの中にいる私が書くことすら、申し訳ないような気がします。

そういうわけで、今日は何も書かないでいようと思いましたが、
書いています。

どうかこの炎熱地獄が早く終わりますように!

遺産相続

2018-07-18 15:59:20 | ブログ記事
亡くなった母に、
「不動産の遺産は放棄して」と頼まれていた。

以前は、私にも、高知市内にある貸家を一軒くれることになっていた。

が、亡兄には男の子が三人いるので、不動産は全部放棄するように言われたのは、
ここ十年くらい前のことだった。

私も、そうするつもりだった。

が、ここに来て、少し考えが変わった。

放棄してしまうと、
実家にも帰りにくくなる。

兄が生きていればまだしも、

甥の名義になると、
帰省のたびに、実家に気を遣わなければならなくなる。

それはいやだ。

現在の実家には、
私が娘時代に使っていた部屋も残っている。

その部屋は
私は疾うに嫁いでいたから、
甥たちが使ったりして、私の持ち物は処分されてしまっているけれども、
一応、私の部屋だった名残りの部屋である。

しかし、実家の名義が甥になると、
そんなことを言うのもはばかられるようになる。

そこで考えた。

何も急いで名義変更する必要はないのではないか。

実際、実家の名義は、現在、亡父、亡母、亡兄の三人になっているらしい。

それなら、私が死ぬまで、そのままにしておいてもいいではないか。

私は、実家を自分のものにするために、そう言っているのではない。

故郷を失いたくないから、そうしたいだけのことだ。

だから、私が死んだら、私の夫や子供達には、放棄してもらう。

そして、私の持ち分は兄嫁に贈与しようと思う。

兄嫁は、母が生前、世話になるからと、兄にかけてあった生命保険の
受取人を兄嫁にしてあったから、保険金は手に入れている。

が、現在、住んでいる私の実家は、現行の法律では相続できない。

母の孫であり、義姉の息子達である、甥たちに直接相続されてしまう。

甥は、すでに結婚して子供もいる。

そうなると、いくら親が大事といっても、妻子の立場も考えるようになる。

そうなったとき、相続できない兄嫁の立場は弱くなる。

そのことを忖度して、私は、私の遺産の取り分を兄嫁に贈与しようかと。

兄嫁は私より5歳若いし健康だから、私より先に死ぬことはないだろう。

兄嫁は、私の生存中は、自分のものにできなくても、
私の死後、贈与されることが約されていたら、立場が安泰だろう。

私は、いま、そんなことを考えている。

義姉が私の母の世話を十分にしてくれたとは決して思っていないが、
それでも、長年嫁として、母と同じ建物に暮らしてくれたから。

★義理なれど姉妹の立場でありぬれば姉を思ひて贈与はなさむ

★母よりも兄が先立つ不孝にて義姉の取り分飛ばされ甥に

私の母も、自分の実家をその甥たち(私の従弟たち)のために放棄したが、
しかし、義理叔母のことを思えば、そうしないで、
いったん自分が相続しておいて、
義理叔母さんに贈与したほうがよかったかもしれない。
義理叔母さんは祖父母の最期の世話をしてくれたのだから。

★親よりも先立つ不孝おやよりも嫁に影響与へる仕組み

★そのために義叔母その子の嫁よりも立場が弱くありぬるあはれ

私は難聴だけど、夫は健忘症?

2018-07-17 21:13:27 | ブログ記事
一つ前の記事に叔父さんのお見舞いに行ったことを書いた。

このお見舞いに行くのに、また夫と喧嘩してしまった。

理由は、

夫が電話で叔父さんの入院している病院名を聞いてくれたのだが、
これがあいまいで、1時間足らずで行ける距離に、
3時間近くかかってしまったから。

私は、家を出る前に夫が聞いた病院名を検索したのだが、ヒットしなかった。

夫は、いつも出発してから、私に探せと地図を押し付けたりしていた。
私をカーナビ代わりにしていたのだ。

乗り物の中で地図の文字を探すのは、老眼には辛かった。

なので、

私は車を動かし始める前に地図で確かめておいてほしいと思うのだが、
それを言うと夫は怒りだす。

最近はカーナビができて、地図で確かめなければならないことはなくなったが、
目的地の地名などがあいまいだと、
カーナビがあっても、なかなか目的地には着けないので、
今日も、私は心配して、夫に何度も確かめるのだが、
夫は「近くまで行けばわかる」と言う。

が、結局、私の心配した通りになった。

私は車でぐるぐる探し回ることは避けたいので、

従弟にメールで、

「目印になるものはありませんか?
教えてもらった病院をネットで探すのですが、見つかりません」

と打った。

すると、従弟から折り返し夫のスマホに電話がかかり、
病院への行き方の説明をしてくれた。

私は、その病院名を自分のスマホのカーナビに入れた。

すると、夫の車のカーナビとは全然違う説明をする。

私のスマホのカーナビのほうが正しいみたいなので、
それを言うと夫は、突然怒り出して、「車から降りろ」という。

車でないと行けない場所にある病院だったので、

仕方なく乗っていたけれど、

怒った人の横に座っているだけで、私は胃が痛くなった。

夫が怒り出した発端は、

私が、

「最近、聞いた端から忘れるようだから、電話を聴きながらメモをとったら?」

と言ったことからだった。

夫は、

「難聴のおまえは、なぜ人と話をするときに書いてもらわないか」

と矛先を私に向けてきた。

私が、

「それは私もしてもらいたいと思っているけれど、
他人はなかなかそれをしてくれない」

というと、

夫は、

「いつも白板を出して書いてもらえ。それをしないのは、おまえの怠慢だ」

と怒った調子で言う。

私は、夫は何もわかっていないと唇をかんだ。

白板を差し出しても、書いてくれる人は少ないし、

その白板をいつも持参するのも嵩張って荷物になる。

持参したとしても、スマホも入れたカバンからその白板を出し入れすると
スマホを落としそうになったりする。

だから、私としては、あまり持ち歩きはしたくない。

必要なときは持参しているメモ用紙に書いてもらえるように、
メモ用紙は常に携行している。

が、このメモ用紙を取り出したりすること自体、現実には難しいことが多い。

主治医の先生ですら、お願いしても書いてくださらないくらいだから。

白板を出してお願いすると、私の耳元に口をつけて声を張り上げるだけだ。

よほど書くことが面倒なのだろう。

医師ですら、その程度の理解だから、一般の人の理解は推して知るべしだ。

それが夫にわからないのだろうか。

わからないはずはない。

夫は私に嫌がらせを言っているのだ。

私が、夫の、聞いた端から忘れる健忘ぶりを指摘したから仕返しをしているのだ。

確かに私は難聴である。

しかし、記憶力は人より優れているかもしれないと自負している。

だから、聞き間違いとかをしなければ、
大概のことは正確に記憶できると思っている。

子供の頃から、

「びこは、いったん覚えたら忘れない子だ」と言われてきたことからしても・・・。

ひょっとすると、これは難聴から得られた私の特技みたいなものかもしれない。

で、結局、私たち夫婦は、

片や難聴、片や健忘症という欠陥夫婦であるということだ。

★難聴のわれの連れ合ひこの頃は健忘症になりて忘れる

★難聴のわれと健忘症の夫(つま)怒りやすくなりて喧嘩を

せっかく子や孫と一緒にいた三日間は

車の運転は長男がしてくれたこともあって、

曲りなりにも仲直りしていたのに・・・。(溜息)


お見舞い

2018-07-17 17:05:06 | ブログ記事
従弟から義叔父(亡叔母の夫)さんが、いつ亡くなるかわからないと聞き、急いでお見舞いに。



もうなにも食べられなくなっていて、話しかけても反応がない。

この叔父さんには、先日書いた広島の大叔父さんと同様、
義理の仲なのに、ずいぶんお世話になった。

つい最近まで、「びこちゃんに食べさせてやりたい」と
毎年二回高知の明神水産の鰹たたきを送ってくれていた。

父を早く失くした私にはもう一人の父親のような存在でもあった。

叔母亡きあとも、ずっと変わらず可愛がってくれてきた。

だから、いつまでも生きていてほしい人だが、それは叶わないことだ。

歳を取るということは、こうして自分の味方を失っていくことかと今かなしみを噛み締めている。

★従弟よりメール来たりて叔父さんはいつ亡くなりても不思議はなきと

★叔父さんと叔母は祖父母の反対を押し切り恋愛結婚したり

★引き離すために祖父母は広島の大叔父さんに叔母を預けし

★離しても効果はあらず叔父さんと叔母は結婚してしまひたり

★父親を早く亡くしし叔父さんは人より頑張る人でありにき

★頑張りて会社を興し家を建て叔母は社長夫人でありにき

★胃がんにて六十二歳で叔母は死にそののち寡(やもめ)でありし叔父さん

★叔母のゐぬ家を守りて叔父さんは孫のお風呂の世話もしてゐき

★叔母の死ののちを三十年(みととせ)生きて今死にかけてゐる叔父さん見舞ふ

やっと帰宅

2018-07-16 20:43:40 | ブログ記事
子供、孫たちと一緒だったため、
ブログの写真を撮るのも覚束なく、
記事を書くゆとりもありませんでした。

わが子とはいえ、会えるのは年に何度かですから、
会ったときは目いっぱい触れ合いたいという気持ちが強く、
写真を撮ったり、スマホをいじったりする気持ちの余裕もありませんでした。

また、うっかりしたことを書いたら、子供から叱られますし、
写真も同様です。

本当は家族で団欒しているところなどをアップして見ていただきたかったのでしたが・・・。

私自身は自分の記録として残しておきたいのですが、
子供達には子供達のプライバシーがありますから。

孫は、高1、小4、生後8か月と、年齢はまちまちでしたが、
生後8か月の孫は可愛い盛りなので、
皆でお人形の世話をするみたいに楽しみました。

綺麗な景色を見て、おいしい料理を食べて、
可愛い孫に触れ合って、
本当に幸せな三日間でした。

が、疲れたことも事実で、明日はもっと疲れが出るかもしれません。

スマホから投稿した記事は、ゆっくり直していきます。

やはりブログ記事はパソコンから投稿しないとうまくいきませんね。

マルキン醤油記念館〜福田港へ

2018-07-16 11:45:40 | ブログ記事
家族団らんから離れて、
ブログ記事も少し書きます。

今朝はホテルを出て、
最初オリーブ園に行きました。

オリーブは小豆島の特産品です。

このときは写真撮影をしませんでした。(ごめんなさい)

次に、これも小豆島の特産品であるお醤油のメーカー、マルキン醤油記念館へ。

ここが最後の観光になるので、サボらずに、
記事にすることにしました。

記念館に入った最初のところに置かれてあった昔の金庫。



昔の製造工場の間取りとか、タイプライターとか珍しいものもパチリ。


これは昔の工場のレプリカですね。


ここからは、昔のお醤油の製造工程の写真です。

これは大豆を炒る鍋だったと思います。


これは醤油を仕込んだ樽だったと思います。


こちらは「火入り釜」と説明があります。

写真が鮮明でないから、説明が読み取れないかもしれませんが、
「火入り」とは麹や酵母の働きを止めて、色、味、香りを整える工程とありますね。


いま小豆島の福田港まで来ました。

姫路行きのフェリーに乗船して、
一行は姫路駅で解散です。

娘一家は東京へ。

次男一家は神戸へ。

われわれは川西へ。

長男は近江八幡へ、

それぞれ帰ります。

というわけで、2泊3日の団らんは終わりです。


今から小豆島のホテルで夕食です

2018-07-15 19:07:12 | ブログ記事
夕方、亡母のお弟子さんだった人の経営する小豆島のホテルに到着。


ホテルから小豆島一の観光スポット、エンジェルロードが見えます。

私達は日没前に現地を歩きましたが、連休中ということもあり、大勢の人出でした。

今から総勢10名の夕食です。


★日の暮れる前のエンジェルロードには蟻の行列のごとき人たち

★恋人と歩く人たち恋人でなき人達と歩く人たち

★恋仲でなき人達も恋を恋ひ歩くエンジェルロードは暑し

★おおむかし恋人同士でありし老いらしき人らも歩く恋道


ご参考までに、
ホテルは「天空のオーシャンビューホテル 海廬 」でした。

仁淀ブルーの「かんぽの宿いの」に到着

2018-07-14 18:01:49 | ブログ記事
母の初盆の行事が終わり、家族で「かんぽの宿いの」まできました。



ここは2年前の1月に亡母と来た思い出のホテルです。

あのときは冬でしたが、今回は夏なので、さらに素晴らしい景色です。

明るい時間帯は孫を川で遊ばしてやって、暗くなったら温泉が楽しめます。



私達の部屋は和室ツインでした。


夜のご馳走が、また楽しみです。

★初盆の母の法事ののち泊まる仁淀川辺の宿の夕暮れ

★亡き母と冬に泊まりし”いの町”の宿にこの夏家族と泊まる

★夕暮れる空のグレーに染まりゆく仁淀ブルーの青を見つめる

帰省

2018-07-13 08:06:25 | ブログ記事
私だけ別用があるので、独りだけ、

朝いちばんの高知行きバスに乗りました。 

宝塚を過ぎて明石大橋に向かっていますが、変わった雲だと思ったので撮影しました。


ところで、昨夜は、今朝は朝早く起きなければと思うと一睡もできませんでした。

夫がいれば、万一寝過ごしても、起こしてもらえると思えるので、安心して眠れるのですが、
もしと思うと心配で・・・。

バスに乗ってから寝ようと思っていたのでしたが、神経が昂ぶっているのか眠くもならず、
あとで、疲れがどっと出るんじゃないかと。

いま徳島の吉野川サービスエリアです。

その後、バスは下道を走っています。

吉野川沿いを走るので気持ちがいいですか、信号待ちがあるから、のろのろですね。



もうすぐ高速高知道の今度の豪雨で崩落したところを通ると思うから、写せたら写しますね。

と思っていましたが、ここで眠ってしまって・・・、もうすぐ高知です。

★一人だけ先発をするわたくしは今朝一番のバスに乗りたり

★眠られぬままに迎えし朝の吾(あ)を乗せて明石大橋わたり淡路へ

★大橋を二つ渡れば四国なり豪雨のあとの四国下道

★下道を走る高速バス今日は見せてくれたり吉野川水

★下道の景色たのしき四国路のバスに揺られてゆく高知まで

★高速で行くバス旅と下道を走るバス旅いづれ勝れる

★景色よき吉野川沿い下道をゆく四国路の七月のバス

広島の被災地

2018-07-12 16:01:32 | ブログ記事
母方祖母の妹は、当時としては珍しい恋愛結婚で、
広島県の山の中の旧家に嫁いだ。

その旧家は、大きな川沿いにあり、裏山を借景にして、庭を作っていた。

庭には大きな池があり、たくさんの鯉が泳いでいた。

大きな屋敷であったので、私たちは夏休みには逗留させてもらったものだった。

朝は、その裏山にある湧き水の水を汲んできて大叔母がお茶を入れてくれた。

その水は冷たくてガラスのポットに汲むと水滴がつくほどだった。

夏でも朝晩は肌寒いくらいの涼しさだった。

昼間は、その屋敷の前の大きな川で、
その家の、私より8歳年長の娘(養女)さんと一緒に泳いだりして過ごした。

主に夏休みにお邪魔させてもらっていたから、夏になると思い出す。

それで、つい最近も、夫に、そのころの話をしたところであったが、
きのう、ネットのニュースを見ていると、
その大叔母さんの住んでいた地名が被災地になっている。

え、あの風光明媚だった地が?

と驚いたが、しかし、よそに嫁いだ養女さんは現在東京に暮らしていて、
あの屋敷は廃屋になっているはずだから、
もし裏山がが崩れたしても、被害者はいなかったと思う。

考えてみれば、すばらしい環境の住まいだったが、
昨今のような異常気象の下では、
裏に山あり、前に川ありで、
危険な条件の住まいだったと言えるかもしれない。

また思い出だから余計いいことしか思い出さないのかもしれないが、
大叔母さんの暮らしは素晴らしいものだったと思う。

長生きだった大叔母さんも十余年ほど前に亡くなった。

私は、母の妹の叔母にも可愛がってもらったが、
この祖母の妹の大叔母にもずいぶん可愛がってもらった。

*

★このたびの豪雨被災地広島の河内町には大叔母をりき

★高知より河内に嫁ぎ福山で死にし大叔母祖母の妹

★寝るときはこの大叔母と大叔父の間に入り寝たりもしたり

★広島の県庁勤めしてをりし大叔父さんは紳士でありき

★恋をして遠くに嫁ぎし大叔母は愛嬌よしの人でありにき

★祖母よりも祖母の妹、母よりも母の妹(いもと)が愛嬌ありき

★男好きする大叔母でありしかと思ひ出しをり夫に言ひつつ

★広島で河内駅行き切符買ふときに聞かれき高知?河内?



母の初盆のため、明日から、また帰省します

2018-07-12 10:50:00 | ブログ記事
初盆の法事は明後日なのですが、
私は別用もあるため、明日早朝に先に一人で帰省します。

現在、高速高知道は、先日の豪雨で高速道の橋の落下したため、
阿波池田から大豊まで一般道を走らないといけないらしくて、
渋滞が予想されます。

明後日は、初盆の法事が終われば、皆で仁淀川の傍のホテルに泊まります。

ここは一昨年、亡母と一緒に泊まった思い出のホテルです。

その翌日は、やはり、昨年亡母と一緒に泊まった小豆島のホテルに泊まります。

いずれも亡母の供養を兼ねて泊まるのです。

道中、スマホから記事の投稿をするかもしれませんが、
できなかったときのためにお知らせさせていただきました。

*

★初盆に帰る私を待ちくるる母の御霊は今どこにゐる

★四人ゐし家族いまでは私のみ 父、兄、母の順に亡くなり

★死ぬ前に親族連れて行きたしと母の言ひゐしホテルに泊まる

★この弥生宿泊予約をしてゐしに待てず睦月に死にしははそは

★子も孫も曾孫も連れて泊まるとぞ約して死にし母の初盆