かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

孤独は悪いものじゃない

2018-07-11 08:49:51 | ブログ記事
私は難聴ということもあって、人と群れることはしない。

群れたくても群れることができないともいえる。

難聴の程度が軽いときは、それが寂しいときもあった。

が、難聴も進んで高度難聴になると
群れたくても全く群れることができなくなってしまった。

それが遠因になって、過去、鬱病にもなった。

また、これは現在も続いているが、ネット依存症にもなった。

ネットだと、聴覚障害を気にしないで人と交流できるから、
人との付き合いに飢えていた私はたちまち依存症になった。

これは仕方ないと思っている。

が、リアルな社会では、今でも孤独である。

川西に引っ越してきて、今年で足掛け12年になるが、近所に友達はいない。

地区の自治会の役員も難聴を理由に夫に出てもらうから、知人すらいない。

そんな私には、夫だけが頼りだったが、その頼みの夫も最近は別居している。

ひょっとすると、夫も難聴の私が重荷になったのかもしれない。

そういうわけで、現在は全くの孤独である。

が、孤独は悪いものではない。

と、逃れようのない孤独になって気づいた。

最近は、

むしろ人と群れて失うもののほうが多いとさえ思う。

人によっては、こんな私のことを変人のように思うかもしれない。

そんな人には思わせておくさ。

独りでいても、ブログがあるし、本がある。

声を出さずに、朝晩、草花に語り掛けている。

水をやりながら、世話をしながら植物に語り掛ける。

私が語り掛ければ、草花は応える。

それで充分だ。

どうせ一人で生まれて一人で死ぬ人間だ。

★孤独こそ此の世に生きる意味を知る玉手箱なり開けてみるべし

★草花に語りかくれば草花は返してくるる声なき声を

さるブログ記事で、聴覚障碍者は中身がないと書かれてあったが、むしろ逆だ。

孤独でいる分、日々、己の中身を磨いている。

★聴覚に障害あれど頭まで障害あると思ふなよゆめ

★聴覚の障碍者見て偏見を持つ者こそが障碍者なり

★選ばれし難聴者なり選ばれて孤独の生を孤独に生きる

週に1、2回帰宅する夫

2018-07-10 15:27:11 | ブログ記事
先月、大阪のマンションに身の回りのものをもって引っ越した夫は
現在のところ週に1、2回帰宅する。

で、昨日から帰宅しているが、今日の夕方は、また向こうに行くという。

大阪のマンションの近くには総菜のおいしい小ぶりのスーパーがあるから、
そこでおかずを買ってきて、ごはんは自分で炊いているらしい。

趣味のテニスも、そこから行っているらしいし、
先月資源ごみのボランティアをしているとき溝にこけて打った肩の治療も、
自宅から電車で行く医院にも週一度通っているが、
同時に大阪のマンションの近くの接骨院にも通っているとのこと。

大阪のマンションは、もともと私達が家族で住んでいたマンションなので、
知人、友人がたくさんいる。

だから、夫も楽しく暮らしているようだ。

洗濯も、次男のおいていった全自動洗濯機で、まとめて洗っているらしい。

なにしろ、親子5人で暮らしていたマンションに、
現在は1人で暮らしているのだから、広々と余裕である。

私も、先月一度行ってみたが、
現在の兵庫県川西市の一戸建ての家と比べると、
眺望もいいし、日当たりも風通しもいいから、なかなか居心地がいい。

大阪キタの空中庭園のある梅田スカイビルも目の当たりにできる。

親子5人で暮らしているころは、

5人で暮らすには狭すぎたから不満だらけだったが、
1人で暮らすには十分すぎる広さである。

いっそ私も行って一緒に暮らせばいいのだが、
お互い、現在のところは別々にいるほうが快適だ。

私は夫がいないとのびのびできるし、

なにより食事の気遣いをしなくていいのが楽だ。

自分の食べるものだけなら、なんとでもなるし、
自分が食べたいときだけ作ればいいから気が楽。

夫がいると、どうしても品数がいるし、
温めて出すもの、冷やして出すものなどの神経も使う。

お茶も必ず熱々を出さないといけないし・・・。

だから、夫がいなければ、お茶は麦茶を冷やしておけばいつでも飲めるし、
とにかく自由気ままができる。

その代わり、夫が帰宅しているときは、めいっぱい尽くすようにしている。

ご馳走ではなくても、

たとえば今日のお昼も、

厚焼き玉子、鶏ひき肉のシソの葉巻き、
ネギとパプリカの酢味噌和え、胡瓜とちくわとワカメの酢の物、
に冷奴とちりめん雑魚を出した。

写真をアップすればいいのだが、
写真に写そうとすれば料理も体裁よくしないといけないし、
その手間が面倒だから写さない。

デザートのプリンも朝から手作りしたから、
朝からずっと台所に立ち詰めだった。

が、夫は、夕方、また大阪に帰るから、あとはゆっくりできる。

別居というと聞こえが悪いが、
実際は、それほど悪いものでもないかもしれない。

昨日は、NHKの「あさイチ」で、「プチ別居」と題してやっていたが、
あれは別居というより、プチ家出だった。

子育てで大変な奥さんが
夫と子供をおいて夕方から一泊どまりで別居するというものだった。

ただし、曜日は仕事に差し支えない土曜日だ。

別居というのとは違うなあと思いながら見た。

私も子育てのさなかに、あんな家出をしてみたかったが、できなかったと思う。

ふだん家のことは100パーセント妻の私にまかせっきりだった夫に
子供を預けて出かけることなど無理な相談だった。

夫は、その当時でも、自分の趣味のテニスとかには出かけていたが、
私は家事と子育ては自分ひとりの仕事で、
肩代わりなどしてもらえないと思い込んでいた。

そうでなくても、少しでも夫に頼んだりすれば、
当時、権力のあった義母になんと言われたかしれない。

そんな時代だったと思う。

自由にしている友人もいたが、それは恵まれた人だった。

*

★別々に暮らす暮らしも悪くなくわれら別居の夫婦となれり

★独り身も困ることなしこの頃は出来合ひ総菜店にならびて

★離婚ではなく別々に暮らすこと別居と呼びて齢かさねむ

★通ひ婚現代版と思ひなし夫かよはす媼となりぬ

★六DK間取りの家に一人(いちにん)で暮らす媼の耳は遠くて

★子育てのさなか暮らししマンションの間取り三LDKなりき

★狭くても楽しきわが家でありにしと思ふ媼となりにけるかな



悪夢

2018-07-09 16:50:55 | ブログ記事
一昨日は一日中アラームが鳴りっぱなしでした。

私の住んでいる地方だけではなく、西日本全体がそうであったようでした。

近年は、「何十年に一度の」という枕詞をつけて警報の出る天気予報が多いです。

ですから、半分「またか」と思うところもありました。

が、一夜明けた昨日は、各地の被害が明らかになりました。

今日は、さらに惨状が詳らかになり、夕刊には死者は100人と出ていました。

一昨日の豪雨が嘘のように、今日は朝からすっきり晴れています。

今日9日(月)は九州北部・中国・近畿・東海・北陸で梅雨明けしたとか。

一昨日の豪雨が嘘のようですね。

悪夢とは、こういうことを言うのでしょうか?

これは何か私達日本人に対する警告なのでしょうか?

今回は、たまたま私の住むところには大した被害がありませんでしたが、
いつどこが被害に遭ってもおかしくない最近の日本列島です。

被害に遭われた地方の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

  ★神様の怒りかこれは西日本いや日本のなべてが崩る

  ★雷は神鳴りなれば梅雨明くる前に激しく神鳴りは鳴る

  ★神いますこの国まもる天皇の祭祀いまこそ励めと鳴るや

  ★祭祀せぬ天皇なれば要らぬとぞ雷は鳴る神の鳴らせる

  ★国民のための皇室皇族と自覚なさらぬ皇族要らぬ

  ★国民のすめらみことと思ふゆゑ国税つかふことをうべなふ

すめらみこと=天皇のこと

今日は長女の誕生日

2018-07-09 09:58:45 | ブログ記事
今日は長女の45回目の誕生日です。

昭和48年7月9日。

この年は空梅雨でした。

7月6日に陣痛らしきものがおこった私は予約してあった産婦人科医院に入院しました。

が、微弱陣痛で、いっこうに生まれる気配がありません。

それで、7月9日に陣痛促進剤で産ませたのが長女でした。

なかなか生まれなかったので心配しましたが、元気な産声を上げて生まれてくれました。

私は陣痛促進剤で激しい陣痛に耐えているさなかに、猛烈な睡魔に襲われ、
看護師さんに
「どうしてもこの眠気に耐えられないから、いったん陣痛促進剤を止めてください」と
お願いするほどの猛烈な睡魔でした。

あれは、いったい何だったのでしょうね。

貧血で死にかけていたとか?

それでも元気に生まれてきてくれたのて、私には天にも昇る気持ちでした。

もう嬉しくて嬉しくて・・・。

あのころは第二次ベビーブームだったせいで、
その産院も出産ラッシュでした。

長女は昼過ぎに生まれましたが、その産院では、その日の4人目の誕生でした。

3人目までは男の子だったから、看護師さんが「また男の子かな」と言っていましたが、
女の子でした。

その夜、私は担架に乗せてもらって、産んだばかりのわが子を見に行きました。

ベビーベッドに並べられている赤ちゃんたちを見ると、
生まれたてながら、男の子たちは男の子らしかったし、
私の産んだ娘には女の子らしい雰囲気がありました。

授乳の時だけ看護師さんが私の入院していた個室に連れてきてくれるのですが、
日に日にまつげが伸びてくるのが面白かったです。

里帰り出産でしたから、毎日、入れ替わり立ち代わり親戚の人や知り合いの人たちが
お見舞いに来てくれました。

あの頃の幸福感は、これまで生きてきた私の一生の最大のものだったかもしれません。

退院してからも、毎日毎日が幸せでした。

しかし、あの出産で、私の聴力がガクンとおちてしまったことは悲しいことでした。

  ★しあわせな日々でありにし出産ののちの月日をつくづく思ふ

  ★つらかりしこともそののちありぬれどあの日おもへば全て消えさる

  ★いのち産み終えしことのみこれの世の記憶となして死にてゆくべし

↓今年の母の日に娘からもらった花の寄せ植え


↓プランターに植え替えて毎朝水をやっています。


また7月9日は、私が心臓弁膜症で入院した日でもあります。

あれはずっと下って、平成15年のことでした。

入院して5日後の7月14日に緊急手術になりましたが、今年で15年目になるのですね。

あれから、私は、よく15年も生きてきたと思います。



死刑囚の歌

2018-07-08 14:58:31 | ブログ記事
「金髪気分」の裏側で書いていた

やはり死刑には賛成できない」に続けての記事です。

あちこちのブログ記事を読ませていただいても、

オウムの幹部たちの死刑は当然という意見が並んでいます。

殺人に対する贖罪は死刑しかないというふうに。

たしかにそうかもしれません。

が、私は自分が歌を作る人間なので、

歌を作る人間同士通じ合うある種の共感は禁じえません。

さるサイトで、処刑された中川智正は俳句を吟じていたと知りました。

歌も詠んでいます。

  恐ろしき 事なす時の 我が顔を 見たはずの月 今夜も静(さや)けし
中川智正

よくわかる歌ですし、歌それ自体はいい歌だと思います。

こんな感性を持った人が殺人するときの気持ちはと私などは忖度してしまいます。

彼のしたことは絶対許せないことではありますが、

オウム真理教を信じていた彼にしてみれば、

間違った考えを持った人間をポアすることは善行と信じていたのです。

ポアして幸せにしてやらなければならないと思い込んでいたのです。

間違った宗教にのめり込むことの恐ろしさを彼の犯行で教えられました。

私には他人事とは思えません。

よくオウム事件と比較される事件に「あさま山荘事件」があります。

この事件の主犯だった坂口弘も歌を詠む人です。

というか、死刑囚になってから詠むようになったようです。

今日とどいた、さる結社の記念号に載っていた彼の歌。

  女らしさの総括を問い問い詰めて「死にたくない」と叫ばしめたり
坂口弘

この歌を詠むことで、私には、坂口弘が百万回謝罪の言葉を述べるより
事件の被害者への謝罪の気持ちを伝えていると思います。

坂口弘は、こんな歌も詠っています。

  あらざるにわが子の名前を考へをり死刑囚にして独り身のわれが
坂口弘

にも、彼の深い悔悟の気持ちを読み取るのですが、

世間の人たちは、そんな私をも許さないかもしれませんね。

私は、彼らに対しては
凶悪犯ではあったけれども」と書いた気持ちを捨てがたいです。

歌を詠む同士として。

今朝の猪名川

2018-07-08 09:47:29 | ブログ記事
一昨日は見に行ったけれど、
豪雨の中、撮影できなかったので、今朝、写してきました。

カメラを伊丹空港方面に向けています。


池田市五月山のほうに向けています。


普段は穏やかな猪名川に濁流が川幅いっぱいに流れています。

遠方からだけでは迫力にかけるから、河原に降りてきました。


川の傍で撮影するのは、ちょっと怖かったです。吸い込まれそうで・・・。


猪名川も、もっと上流の多田神社のあるあたりは、川底が浅いので避難指示が出たようでした。

その護岸工事現場で働いておられた方が一人亡くなられたことは痛ましいことでした。



雨は上がりましたが、また暑くなりそうで、暑がりの私には、それが恐怖です。


申し訳ありません、また元にもどしましたm(_)m

2018-07-08 08:14:07 | ブログ記事
きのう新しく作ったブログに写真が載せられるように悪戦苦闘したのでしたが、

どんなにやっても、私の力ではできませんでした。

スマホ店に持っていって設定してもらっても、前の「かみなり」の投稿画面が出るのみです。

で、仕方なく、元に戻しました。ただしブログタイトルとテンプレートは変えて。

写真の入れられないブログって、と思いますから。

これだけでも、しばらくは家族から見つかりにくいと思います。

もう見つかったら見つかった時のことです。

皆様にはご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。m(_)m

それにしても、どうしてこんなに逃げ回らなければならないのかしら?

私のブログなのに・・・。

諸般の事情から、このブログもこれが最後の記事になります

2018-07-05 11:03:25 | ブログ記事
イギリス旅行の写真は、夫のカメラが置き引きされたカバンに入っていて戻る可能性がないので、
私の写真のほうはボツにする予定だったものも記録しておこうと思います。

ロンドンの写真の追加投稿です。

撮った私も撮った目的が不明なものが含まれます。(苦笑)

が、関心をもってくださった方は、

7月1日に投稿したこの記事を参考にご覧いただけると幸いです。

マリーローズガーデンの追加写真です。


これは何だったかな?

国会議事堂?

ご存じの方教えてください。

こちらはバッキンガム宮殿に向かう途中だったと思います。


子供達がかわいかったから写したのだと思います。



いろんな国の人たちがいるのが珍しくて写したのかな?


これも記憶にない写真。

官庁街を写したものだと思いますが。

こちらはウェストミンスター寺院の横の教会だったように記憶するのですが。


こちら2枚も、バッキンガム宮殿の遠望だったと思います。

順番通りになっていない?^^



大英博物館で。




工作教室が開催されていました。


ピカデリーサーカスの近くの中華料理店で食べた昼食。




ここからはアラブの人たちのお祭り?


夫はインドの人たちのお祭りだと言うのですが?









このシルバー色の男性は、生きた人ですが、人形のように動かずにいます。


夫は、空き缶にお金を入れてあげていました。

この金色のドレスを着た人も生きている女性ですが、人形のように動かずに立っています。


パフォーマンスなのですね。

この手のパフォーマンスは、むかし、イタリアのときにも見かけました。

動かないゴールデン人形風女性と歌うお兄さん。


ピカデリーサーカスの大通りの向こう側にユニクロを見つけたから撮影しました。


ピカデリーサーカスの表通りを一本入った路地には、こんな屋外飲食店が並んでいました。


最後に泊まったロンドンのホテルからの夜明け前を写したつもりみたいです。(笑)


が、逆に窓ガラスにテレビをつけた部屋の中が映って、それが写ってしまっていますね。


夫のカバンを置き引きされた思い出?のヒースロー空港。


こんなポストがあちこちに立っています。


着陸する前のフランクフルト空港を写しました。


イギリスのヒースロー空港からドイツのフランクフルトまで乗ってきた飛行機を写しました。

フランクフルトから関空まで乗った飛行機はジャンボで大きかったのでしたが、これは中型ですか?


フランクフルトから関空までの機中で観た英文字幕付き邦画の一つを撮影しました。

これは英語の勉強になるから、おすすめです。



以上です。お粗末様でございました。m(_)m

番外編つづきの続きの続き

2018-07-05 05:46:45 | ブログ記事
ボツにした写真で番外編を続けております。

今日は6月23日に訪れました北ウェールズのボドナントガーデンです。

主な写真はアップしましたけれども、まだありましたので、













当初は地味かなと思って割愛した写真群でしたが、必ずしもそうでもない
かもしれません。

とにかくどこを写しても絵になるお庭でした。

こちらは、この朝、泊まったランコーンのホテルの近所を散歩した折の写真です。


個人の家でも綺麗にお花を咲かせているのが印象的でした。

冬季は道路が凍結するのでしょうか。道路端に融雪剤を入れたボックスが置かれてありました。

きびしい冬のあとの春や夏を思いきり楽しもうと目論む北国の人たちなのでしょうね。

番外編つづきの続き

2018-07-04 17:04:00 | ブログ記事
を書きます。

6月22日の湖西地方の写真の追加です。

ウィンダミア湖には、私達が乗ったクルーズの乗り場以外にも、いくつかの桟橋がありました。



↓この写真の”PLEASE Queue Here”の意味がわからなかったので、添乗員さんにお聞きすると
「ここで待ってください」なのだそう。

Queueは「キュー」と読むそう。知らなかった。



それらを眺めているのも至福の時間でしたが、

ピーターラビットの旗の翻る様を眺めるのも、
ベアトリス・ポターの村まで来たという喜びが味わえてよいものでした。

ベアトリス・ポターのお店の前です。


そこで買ったお土産でアップしていなかったものもアップします。
 

残念ながら、これらも置き引きされて日本に持ち帰ることができませんでした。

空の雲が日本の夏の雲とは全然ちがっていると思ったので撮影しました。


気候が違うと雲の姿も違ってくるのですね。


この雲は特に変わっていると思いました。


このあと、ウィンダミア湖クルーズの写真のアップしていなかったものをアップします。

乗船する乗り場からボウネスの町を写しました。



乗船しました。



ウィンダミア湖クルーズが始まりました。









このあと、レイクサイドで降りて蒸気機関車を見に行ったことは記事にしましたが、
アップしていなかった写真を追加アップします。


列車が煙を吐きながら動き出したので、手を振ってあげると、
乗客の方々も喜んでくださり、何人かの方が手を振り返してくれました。

やはり蒸気機関車というのは味わいがありますね。^^


この駅舎のトイレの写真もアップしていなかったから、追加のアップです。

こちらの写真では、この綺麗なお花の飾られている建物がトイレとはっきりわかりますね。

また続きます。

イギリス旅行番外編つづき

2018-07-04 09:51:31 | ブログ記事
昨日の番外編の続きです。

シェークスピアの生誕地の写真も追加します。

これはシェークスピア一族の墓地のある公園の入り口です。



墓地の裏手は公園になっていて、


少し歩くと川があったことはご紹介
しました。



川のそばに白鳥が固まって休んでいたことも書きましたが、それがもう一枚ありました。

白鳥の向こうにロイヤル・シェークスピア劇場が見えています。

川の写真に戻ります。


屋形舟ような舟を見かけました。


川から離れて町のほうに戻ろうと公園を歩きました。





ここらあたりで私が歩けなくなったのでした。

と、今回はここまで。

気が向けば、午後また書くかもしれません。

帰国して1週間たつが疲れがとれない

2018-07-03 17:23:40 | ブログ記事
まだまだ疲れはとれない。

なにしろ70歳にはハードすぎる旅程だったからと私は思うのだが、

しかし、80歳の人も参加されていたから、私が弱すぎる?

私の場合、その上、帰国した翌日に兄嫁からメールが入り、
その日の夜行バスで帰省したから、疲れに疲れが重なった。

旅行記は旅をしながら書けば、写真もその場その場で入れられたのに、
スマホ店のアドバイス通り帰宅してから書いたから、写真を入れるだけでも苦労した。

スマホの小さい画面から、どの日の写真か判別するだけでも難しかったし。

写真はもっと入れたほうが理解の助けになったかもしれないが、
私自身が、たくさんの写真から選ぶ手間を省きたかったのと、
読者の方々も、あまり写真が多いと煩わしく思われるかと制限した。

どちらがよかったかは、私にもわからない。

が、番外編として、少し追加アップしてみる。

*

6月20日、ルイス城を見た
あと、
町を散策していると、おいしそうなパンが売られていたから写しました。


パン屋さんのショーウインドウに町の景色が映っていますね。


ケーキもおいしそうでした。


同じ6月20日、セブンシスターズの海とは逆の高原を写しました。
イギリスは酪農の国なので、森はあまりなく、こういう牧草地帯が広がっています。


6月21日、ブライトンの町のジョージ4世の別荘である離宮。
1枚しかアップしていなかったから追加です。


その庭に咲いていた花を撮影


6月21日、バイブリーで借りた有料トイレを外から撮影


同じ6月21日のボートン・オン・ザ・ウオーターの写真の追加。


これも6月21日に訪れたコッツウォルズの村をミニチュア化した公園の写真。

たくさん写したけれど、編集の関係で2枚しかアップしていなかったのですが、


もっとご紹介するべきだと思いなおしたので、追加です。



これだけ精巧にミニチュア化した町を作るのも大変なことですね。



だから、たくさん写したのでした。



けっこう広かったんですよ。




実際の町も歩いたのでしたが、ミニチュア町をたくさん撮影したから、そちらは割愛しました。

こちらはグロスター寺院のあった町だったと思う(もう忘れかけている?)のですが、


川沿いが公園になっていて、大勢の人たちがくつろいでいました。

気持ちのいい街だったので、こんな町に住みたいと思ったことを覚えています。

これはアイスクリームのお店を写したつもりが屋根だけしか写っていませんね。^^


この川沿いの公園で、夫が昼食代わりに買ってきてくれたパンを食べました。


と、今日はここまで。

帰路のフライト

2018-07-02 12:11:31 | ブログ記事
盗難に遭った記事でイギリス紀行を締めくくるのは何なので、
そのあとのことも少し書いておきます。

ヒースロー空港を飛び立った私達は
乗り継ぎのフランクフルト空港で3時間あまりを過ごしました。

おもに免税店を見て時間つぶしをしましたが、
ふと見ると↓、ベンチにこんなおじさんが座っています。



誰かわかりますか?

そう、アインシュタインですね。



この空港の人気者のようで、皆、このおじさんと一緒に写真に収まっていました。

わたし?

もちろん。

だけど、写真はお見せしません。

お見せするほどのものじゃないですから。^^

フランクフルト空港を飛び立って間もなく、お楽しみの機内食が!(^^)



メニューは、

でした。

私は乗り物の中で食べ物を食べるのが大好きで、
バスでもですが、飛行機で食べるのはもっと楽しみです。
あったかいご馳走が出ますからね。

このあと、先日の記事に書いた通り、英文の字幕付き邦画を三本見てから眠りました。

往きは日本時間の朝とびたちますから、眠れませんが、
帰路は朝出るといっても、日本時間は夜ですから、眠れますね。

次に目覚めると、もう関空でした。

楽しかったツアーも終わりと思うと寂しい到着です。

また行きたいと思うのも、この空港ですけれども···。

ところで、今回のツアーで、夫は私を探すのに苦労したと言います。

なぜかというと、私が現在、頭髪を金髪にしているからです。

それも白髪交じりの金髪。

向こうに行っても昼間うろうろしいているのは、われわれと同年配のリタイヤした人たち。

私は身長が160センチあって、向こうの人の中に紛れ込むと判別しにくいらしいのです。

お陰で夫は何度もイギリスのマダムに声をかけそうになった?(笑)

それも今回の旅の楽しいエピソードです。

6月25日「ロンドンヒースロー空港で置き引きされる」の記

2018-07-02 00:16:50 | ブログ記事

帰国の日は、ロンドンのホテルを朝4時に出発予定だった。

ということは、

朝シャワーを浴びる私は午前2時には起きなければならないと、

前日の夜は午後9時にベッドインした。

そうすれば、4時間あまり眠られると計算してのことだった。

ところが、私は夜中の12時に目覚めてしまった。

もう一度寝直し出来ないわけではなかったが、寝過ごすことが怖くて、そのまま起きていた。

午前3時にホテルのロビーに降りた。

朝食用のサンドイッチが配られたので、食べる人、カバンにしまう人と、二通りに分かれた。

私は空港の待ち時間に食べようとカバンにしまった。

一行は定刻4時にホテルを出て、バスでヒースロー空港に向かった。

私は予定通り、空港での待ち時間にサンドイッチを頬張った。

お腹が満たされると、急に睡魔が襲ってきた。

夫がポンドを使い切ってくると、空港の免税店に行ったあと、私は空港の待合室の椅子に座ったまま居眠ってしまった。

添乗員さんが居眠っている私のところに来て起こして、「ご主人は?」と聞いたとき、私は半分寝ぼけていたと思う。

私が眠る前、私の周りにいたツアーの一行は、そのとき一人もいなくなっていた。

添乗員さんが、

「みな搭乗口のほうに行っていますので、ご主人と一緒に来てください」と言われるから、
急いで夫を探しに行った。

が、見つからないので元の場所に戻って待っていると、まもなく夫がチョコレートをいっぱい買って戻ってきた。

「どうして、そんなに時間がかかったの?」と文句を言う私に夫は取り合わないで「僕のカバンは?」と聞く。

その期に及んで、私はやっと夫がカバンをおいていったことに気づいた。

が、時すでに遅しで、

夫のパソコンやら道中に買ったお土産の入ったカバンは影も形もなかった。

これが、夫のカバンを置き引きされた顛末である。

そんなわけで、私達は断腸の思いで、ロンドンヒースロー空港を後にしたのであった。


新しいパソコンや、孫に買ったお土産を失くしたことは残念ではあったが、
せめて旅先でも取り組んでいた仕事は完成させて日本の取引先に送信したあとだったのは、
不幸中の幸いだったと言えるだろうか。

盗られたと気づいた直後の私は、
ショックでへなへなとなってしまったが、
夫が落ち着いて対応してくれたことが救いだった。

夫は、
「僕が一言頼んで行けばよかった」と、むしろ私をかばう言葉を発したので、
私は救われた。

黒人の人たちの元気

2018-07-01 17:15:11 | ブログ記事

西北さんから「確かに色んな人種の方が住まれていますね。」とコメントいただきました。

ほんとうに、それは強く感じました。

20年ほど前にスペインやイタリアに行ったときは、それほど感じなかったのでしたが、
今回のイギリスでは強く感じましたから、これは時代が変わったということなのでしょうね。

特に黒人の人たちの元気が目立ちました。

実は、写真には撮っても記事にはしていなかったのですが、

23日夜、北ウェールズからロンドンに帰って来て、

ホテルで夕食を摂っていたとき、

私達と同じ食堂に、黒人の人たちのグループがパーティをしていました。

それがすごく賑やかだった(やかましかった?笑)から、白人の人たちはいなくなりました。

私は好奇心が強いほうなので、いったい何のパーティをしているんだろうと、
彼らの傍に寄っていきました。



黒人の人たちのパワーって、半端ないですね。

殊に身体の大きな男性のそばに立つと、吸い込まれそうなくらい迫力がありました。

が、勇気を振り絞って(そこまですることもないのに?笑)何をしているか聞きました。

誕生会をしているということでした。

それで私は、「ケーキを写させてもらっていい?」と聞きました。


「どうぞ、どうぞ」と彼ら。

とてもフレンドリーです。

黒人の人たちは、見方によっては、

やかましくはありますが、とても温かいオーラも発していますね。

白人の人たちも、にぎやかな人もいますが、それほど騒がないですかね。

東洋人、ことに日本人となると、これはもうお通夜のようです。黒人の人たちと比べれば。

私は、今回のイギリスのツアーで、様々な国の人たちを見て、

これからは黒人の時代になるのではないかと思いました。