遂にこの日がやってきた。
父が患った。
85歳の高齢とは思えないほどに元気でシャキシャキ動いていた父。
私なんかよりも全然ハツラツと生活できていた父。
数ヶ月前から夜中に咳が少し出始めた。
日中はそうでもないし、夜中の咳も眠れないほどじゃなかった。
そのせいか、病院に行こうとしなかった。
6月10日(火)。
年に1回、インフルエンザワクチンの時だけ利用している内科にやっと行った。
レントゲン検査の結果、即入院。
それでも「ちょっと考える」と言い張る父。
説得してなんとか大病院に入院させた。
入院手続きの際、私と夫にだけ知らされた「肺がん末期」の事実。
本人に告知するか。
治療の余地は無く、今後の処置はどうするか。
副作用等を考慮し、対処はどの程度するか。
本人の意思を聞いたことはあるか。
そんなような事を即決断してくださいと迫られた。
告知を拒否した。
母にも言わない事を選んだ。
健康である事を誇りにしていた父に告知の道は考えられなかった。
手術で肺の中に抗がん剤を振りまく処置を選んだ。
わずかでも延命できれば、と思った。
手術後に帰宅して、できるだけ普通に生活する事を希望した。
帰宅ができるかどうかは分からないが、とにかくこのまま2ヶ月で見送るのは絶対に避けたかった。
6月11日(水)。
左肺に溜まった1.8リットルの水を抜いた。
身体がラクになったようで、大喜びだった。
「また5年は寿命が伸びたぞー!」と張り切っていた。
6月12日(木)。
手術のための検査をしている時に容体は急変した。
血圧急低下、呼吸不全、体温低下、嘔吐、意識喪失。
私だけに呼び出しが来た。
一命は取り留めたが想定外の事が起きてしまい、
手術ができるかどうか分からなくなった。
仮にできても綱渡りの手術になる。
帰宅ができなくなるかもしれない。
と担当医から言われた。
父は弱気になっていた。
泣いて「家の枕の下にある黒いかばんを持ってきてくれ」と言った。
覚悟をしたらしかった。
6月13日(金)。
一転、父は元気を取り戻した。
熱もあり胸の苦しさや咳はあるものの、前日の弱気の虫はいなくなっていた。
その後も日を追うごとにいつもの父になって行った。
6月17日(火)。
面談の約束があり、父にわからないように担当医と会った。
検査の詳しい結果が出た。
胸水から悪性細胞は見つからなかった。
水から出ない事は十分にあり得る。
しかし、右肺に転移が見られる点からステージ4は間違いない。
手術の時に腫瘍細胞を採取して正式に病名を明らかにする。
癒着療法で肺に水が溜まりづらい状態にするが、まったく溜まらなくなる事はない。
一日で溜まる量によってその後の動向を決める。
肺に溜まる水が止められなくなるか、
他の臓器等に転移が始まるか、どちらかの状態で再入院になる。
その時にはもう退院はない。
そして今のウソに破綻をきたす事になる。
と言われた。
手術は6月20日(金)。
まずは無事に終わってくれることをただ祈るだけ。
こんな日がいつか来るんだろうと去年のうちに仕事を辞めた。
責任を全うして退職しておいて本当に良かった、と本当に思う。
父が患った。
85歳の高齢とは思えないほどに元気でシャキシャキ動いていた父。
私なんかよりも全然ハツラツと生活できていた父。
数ヶ月前から夜中に咳が少し出始めた。
日中はそうでもないし、夜中の咳も眠れないほどじゃなかった。
そのせいか、病院に行こうとしなかった。
6月10日(火)。
年に1回、インフルエンザワクチンの時だけ利用している内科にやっと行った。
レントゲン検査の結果、即入院。
それでも「ちょっと考える」と言い張る父。
説得してなんとか大病院に入院させた。
入院手続きの際、私と夫にだけ知らされた「肺がん末期」の事実。
本人に告知するか。
治療の余地は無く、今後の処置はどうするか。
副作用等を考慮し、対処はどの程度するか。
本人の意思を聞いたことはあるか。
そんなような事を即決断してくださいと迫られた。
告知を拒否した。
母にも言わない事を選んだ。
健康である事を誇りにしていた父に告知の道は考えられなかった。
手術で肺の中に抗がん剤を振りまく処置を選んだ。
わずかでも延命できれば、と思った。
手術後に帰宅して、できるだけ普通に生活する事を希望した。
帰宅ができるかどうかは分からないが、とにかくこのまま2ヶ月で見送るのは絶対に避けたかった。
6月11日(水)。
左肺に溜まった1.8リットルの水を抜いた。
身体がラクになったようで、大喜びだった。
「また5年は寿命が伸びたぞー!」と張り切っていた。
6月12日(木)。
手術のための検査をしている時に容体は急変した。
血圧急低下、呼吸不全、体温低下、嘔吐、意識喪失。
私だけに呼び出しが来た。
一命は取り留めたが想定外の事が起きてしまい、
手術ができるかどうか分からなくなった。
仮にできても綱渡りの手術になる。
帰宅ができなくなるかもしれない。
と担当医から言われた。
父は弱気になっていた。
泣いて「家の枕の下にある黒いかばんを持ってきてくれ」と言った。
覚悟をしたらしかった。
6月13日(金)。
一転、父は元気を取り戻した。
熱もあり胸の苦しさや咳はあるものの、前日の弱気の虫はいなくなっていた。
その後も日を追うごとにいつもの父になって行った。
6月17日(火)。
面談の約束があり、父にわからないように担当医と会った。
検査の詳しい結果が出た。
胸水から悪性細胞は見つからなかった。
水から出ない事は十分にあり得る。
しかし、右肺に転移が見られる点からステージ4は間違いない。
手術の時に腫瘍細胞を採取して正式に病名を明らかにする。
癒着療法で肺に水が溜まりづらい状態にするが、まったく溜まらなくなる事はない。
一日で溜まる量によってその後の動向を決める。
肺に溜まる水が止められなくなるか、
他の臓器等に転移が始まるか、どちらかの状態で再入院になる。
その時にはもう退院はない。
そして今のウソに破綻をきたす事になる。
と言われた。
手術は6月20日(金)。
まずは無事に終わってくれることをただ祈るだけ。
こんな日がいつか来るんだろうと去年のうちに仕事を辞めた。
責任を全うして退職しておいて本当に良かった、と本当に思う。