斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

同志が欲しかったけど…

2024年12月13日 | 中央アジアその他

だいぶ前の記事(繰り返し書いてしまうネタ)の記事で、同志欲しい。テュルク友の会なら同志出来るかもしれない。と書いたような気がする。

 

テュルク友の会について“後日読む”という事になって読んでみた。

 

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テュルク友の会とは

 

2020年11月に有志で結成された任意団体「テュルク友の会」のアカウントです。ユーラシアに広がるテュルク世界各地の言語・文化・社会の研究調査と成果の発信、各種語学講座、テュルク諸語の語学教材作成などのさまざまな活動を行います。noteではメンバーが様々な記事・情報発信を行います。

《テュルク友の会より引用》

 

との事でした。

 

以前の記事では、「テュルク好きな同志募集」の部活のような広範囲に渡るコミュニティーだと勝手に解釈、思い込みで突っ走ろうとしていた。

 

そんな筈はない。

 

2020年11月の時点でメンバー(有志・同志)は締め切られている。私達に出来る事はnote を読んで、コメント📝やいいね🩷をする事。

 

同志と連絡先などが交換出来るわけではない。別に同志の連絡先なんか要らねえ。

 

部活というモノが好きではない。上下関係があり、教室なんかのフラットな関係よりも関係は構築しやすいが、部活のノリが大っ嫌い。不良、ヤンキーみたいで嫌だ。先輩によるパワハラなんかもあるだろうから尚更だ。部活というより「学校文化」それ自体が大嫌いだ。

 

部活と書いてしまった事を後悔し反省している。サークル活動と書くべきだった。

 

それか、*サロン。

 

《サロン:①社交的な集まり〈貴族文化のひとつ。邸宅で開いた社交的な集まりで、教養ある人々が集まり会話などを楽しむところ〉

②地域住民の交流の場〈住民同士が企画・運営を行い、交流する場〉

 

その他、美容室や美術の展覧会や洋風の客間などがある。》

 

自分が書いたサロンというのは、①である。

 

自分に教養なんか全く相応しくはないが、テュルク友の会などは教養がある人ばかりなので①でもいける。

 

教養がある事自体、部活とは全然違う。

 

部活の方が「同志愛」は育まれやすいのかも知れない。

 

「善き上下関係」と「同志愛」「良きライバル」その他は、部活の華々しい側面。

 

でも自分は「部活」は嫌い。学校文化も嫌い。

 

 

20年ほど前、ホリエモンがホリエモンチャンネルという動画で、サロンをやると良い。などと言っていた。それの意味は①だった。

 

ホリエモンは趣味を実践的に行なっている仲間のみならず、趣味に関心のある人間同士が集まり、会話などを楽しむ場所を設ける事が大切だと言っていた。趣味に限らず、モノでも良い。テュルクに関することでも、SUM41でも天体観測でも鉱物でも超常現象でも何でも良い。

 

サロンに“所属”しなければならないという事はない。興味ある人は自由に交流出来る。

 

しかし、ホリエモンの提案した①のサロンは根付く事は無かった。

 

①のサロンの代わりに、ネット上での5ちゃんねる掲示板のようなものやSNSなどの、実体で会う事のない空間でそういうものが次々沸き起こった。

ネット上の趣味カテゴリーだとネット・カースト上層部の人たちだけが会話して、それ以外の人が発言し続けてもスルーされるという事象が絶えない。結局は内輪会議のようになる。

 

世間では②の地域密着型のサロンが主流である。チームワーク型の、村の井戸端のようなもの。

 

テュルクの文化を堪能する民をテュル活民と言う。

 

また、テュルクに関するものなら何でもとびつく困った人をテュル活民というらしい。

 

自分は、テュルクに関するものと直接関係なくてもとびつく。更に困った奴だとは思うがw

 

テュル活民である事には、テュルクに興味関心のある者なら何でも良いと表向きでは言うが、暗黙の条件というのがあって、それはテュルク系の言語を学習している事と、現地に足を踏み入れた事のある人。それ以外は話にならない。テュルク系のSUM41が好きだと言っても相手にされないのである。

 

何故ならSUM41はテュルク語で歌ってはいない。それにインタビューの受け答えも、英語でしかやっていない。SNSの発信も全て英語で行なっている為、テュルクとは見做されないのである。

パンクロックという、仕事でやってる事だからしょうがない。SUMが好きなら英語勉強しろと言われそうである。パンクロック好きな人は英語が喋れる人が多いが、自分はパンクロックが好きというわけではない。あまりよく知らないジャンルだ。

 

デリックよ。何故お前は英語でしか喋らないのだ。(フランス語だけで歌っている曲もある)

 

それには“英語至上主義”なるモノを感じる

 

 

テュル活民になりたければ、大学に入学して、テュルク系言語を専攻する学徒になるか、トルコ語などを学習する教室に入学するかしかない。

 

必ずしも何かに”所属“していなければならない。

 

自分は“所属”などに縛られていたくはない。

 

ホリエモンの言う①の文化サロンのような、自由で縛りのない“同志”が欲しいと思ったがその考えは甘いのだろうか。

 

“同志”という言葉の意味合いとしては「戦友」という色が強い。やはり、「部活」に舞い戻ってしまう。スポーツとか武の世界だ。それは、社会主義時代の軍国主義支配の影響による。

 

自分が甘かった。SUM41の古参は、本当に「戦友・同志」であると思う。自分はニワカなのでそれとは関係がない。古参にしか理解出来ない世界がある。順を追ってライブ映像を集め、古いライブ音源を集めてはいるが、古参の気持ちは理解出来ない。

 

自分が本当に欲しいのは同じ知識を持つ「知り合い」であった。

 

知り合いだったら無限に作りたい。友達のような同調圧や束縛がないから。知り合いには自分の意見を言える。友達のように、自分の意見を言ったら口をきいてくれなくなるような事はない。

「私達、お友達だよね」という煩わしい確認もされない。その代わり、自分の意見を言って、気に食わなくなれば、容赦なく関わりを断絶される。それで良い。その人とはそれまでなんだと割り切れる。

 

 

テュル活を本気でやろうと思うなら、

 

ウズベキスタンダンス、トルコ語教室、トルコ料理教室、カザフ刺繍。

 

ダンス、トルコ語教室、料理教室のなどは主に土日である。たまに平日もあるが、自分の休みの曜日とは被っていない。自分は平日休みである。

 

ゆるいテュル活なら、トルコ語独学か、カザフ刺繍を独学で縫うかクックパッドをみてトルコ料理を作るなどをする。

 

同志を求めるなら、きちんと部活のように”所属“して、みんなで一丸となって足並みを揃えて目標に向かって戦うこと。それしか道はない。同志というのは甘い環境では作れない。

 

長文のご精読ありがとうございます.


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