斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

既視感の正体についてのあれこれ考察

2024年12月08日 | 日記

実際にしないけど、「超旅ラジオ」にこんな内容の葉書を送ってみたいと考えた。

 

「自分はカナダ🇨🇦(北米)の市街地ではなく、都市近郊の郊外の景色を動画で初めて見た時に謎の“既視感”を覚えました。自分はカナダに一度も足を踏み入れたことはありません。

 

ひとつ原因があるとすれば、自分の住んでいる所が相模原市である事も関係すると思います。都市近郊は世界中どこもそんなに景色は変わらないのでしょうか?相模原が、米軍基地を中心に、北米風に土地が区画整理された可能性がある事。その上日本人市民が、近年流行りの北米風デザインの戸建てに建て替えた事で、景色の北米化が進んでしまった事なども関係すると考えています。

 

さとるさん、岡田さんも初めて足を踏み入れた地域、または無編集の散歩動画などを初めて見た時に謎の既視感を感じたご経験はお有りでしょうか?」

 

偶然目にした地域に既視感を覚える… もしこれが本物の旅だったらどんなに幸せか。

 

家から一歩も出ずに、YouTube で無編集の4K動画を観ているだけで、既視感という栄養を得られて、楽しかった。未知との遭遇であるが、既視感があったという何とも不思議で非日常な体験だった。

 

とある中央アジア関連のアカウントの人のツイートによると、「中央アジアをフィールドする人間にとって、平壌の街並みは既視感がある。」と言って、ウラジオストクから平壌の旅行動画を添付していた。このツイート(ポスト)がキッカケで、カナダ(北米)への謎の“既視感”についての記事を書こうと思った。ネタとして面白そうだったので。

 

という事は、相模原市在住の自分にとってカナダ(北米のもみじ)の郊外の街並みは既視感があるというリクツは間違いではないのかも知れない。米軍による北米化の影響でこうなってしまったのか?!

 

中央アジア諸国や北朝鮮も、社会主義の影響で共通の街並みなり、雰囲気が出来てしまった。

 

しかし、カナダと相模原のそこら辺を実際に比較すると全く似ていないという事に気づいた。相模原とカナダの郊外、強いて言えば、空の広さと建物の高さ、平地の広さとの関係だろう。

 

カナダと日本の相模原市の平地面積を比較するのも変である。カナダといっても全てではなく東部のケベック州の郊外の景色などは、これにはあまり、当てはまらない。いくら広い平地で、空が広かろうと、相模原のような雰囲気ではないのが異様に不思議である。ケベック州の鉄道4Kも偶然見た事があるが、相模原味が強くないのである。これに関して説明が上手く出来ない。

 

相模原味が強い傾向にある景色動画は、オンタリオ州、マニトバ州、アルバータ州が多い。市街地部には既視感を感じない。新興の宅地にもあまり既視感を感じられない。どちらかと言うと、古いタイプの宅地群やその周辺、カナダの広々とした景色には既視感が発生する。

 

名古屋近郊の住宅街とカナダ郊外だって似ていてもおかしくはないというリクツになるが、カナダから名古屋の住宅地を連想する事はできなかった。それも不思議である。

 

よく考えると、相模原市のそこら辺を見て、”ここらへんカナダみたい!“とはならない。もちろん自分はその国に足を踏み入れた事がなく全然知らないので、初めからそんな事を考えるわけがない。

 

カナダの4K見た時に、不思議な”既視感“体験が起こり、そこに“相模原”を充てがっているだけかも知れなかった。“既視感”があるという事は、それに対応する類似品と対にならなければ成立しない。行った事もない全く知らん国に“既視感”はあり得ない。因果関係が成立しなければならない。

 

ツイートの人も、北朝鮮に対する既視感の類似品は、行った事のある中央アジアだと言う。

 

先日、千葉へ行った。自分は昔千葉県にも住んでいた事もあるが、千葉の雰囲気が記憶の片隅に残っていて、それもカナダへの謎の”既視感“へと繋がっているのではないかと期待していたが、これのどこがカナダだ?というのが正直な感想。カナダの”対“を探す旅に出たわけではないが、そういう”旅“があっても良い。

 

 

千葉の左上(千葉市を含む)は東京よりのどかではあるが、相模原や厚木ほど田舎ではない。東京近郊多摩も半月程前、外大の文化祭のために行ったが、これも全く。

 

この日本にはカナダ(北米)ソックリな場所などどこにも無いのかも知れない。

 

 

 

以前カナダ既視感について考えた事を昔の記事で書いた。読み返すと随分オカルト(超常)的な事を書いていた。

 

よく聴くパーソナリティの声によって自分に「刷り込まれた」パーソナリティ氏の過去の記憶。

 

リングか….

 

リングより怖いで😱

 

東京FM ブルーオーシャンの中でパーソナリティはカナダ🇨🇦言い過ぎなので、“暗示”はあると思う。

 

自分の意思で行った場所にはカナダに似た場所など無い。

 

幼少時、親に連れて行ってもらった場所なら、ソックリな場所がある可能性がある。自分の幼少時ぐらい昔の日本の郊外など、どこも現代のカナダの平地の郊外や田舎と似たものだったのだろうか?

 

幼少時の事、はっきりとは覚えていないので何とも言えないが、幼少時に目にした物が記憶の底のデータに残っているのかも知れない。あるいは自分が実際に訪れたのではなく、自分がよく見た絵本の舞台がカナダの郊外だったり、親に連れられて、よく訪ねた家などに飾ってある絵画に、カナダの郊外などが描かれていたのかも知れない。いずれにせよ、脳内の記憶の視界分野にデータとして蓄積されている。

 

あるいは、幼少時でもカナダそのものを描いた物を目にしたことなどないのかも知れなかった。

 

 

 

AIの生成機能と同じような人間の脳の機能によるものではないか?とも考えられる。

 

AI(人工知能)は人間の脳の機能をモデルに作られている為、人間の脳にも画像生成AIと同じ機能があるのではないか?という事。

 

人間が生まれてから現在に至るまでに目にしたものを記憶し、脳が勝手に合成する。それが個人の“原風景”となる。人は無意識のうちにそれを持つ。その個体の“原風景”と近似値にあるものを目にした時、謎の”既視感“が生じたりする。

 

人間の脳はそれだけいい加減なものである。

 

自分の場合、それが偶然YouTubeの殆ど無編集の4K動画のカナダ郊外編を見た時それが生じた。

 

実際カナダに行った事もないのに“既視感”が生じるのである。脳は嘘をつく。まぁ、誰にも迷惑を掛けない嘘なので、“浪漫“を愉しむ。

 

これは”デジャヴー“体験にも同じ事が言えるのだろうか?デジャヴーは、視覚だけではなく”体験“を伴う。

 

ロシアの郊外の風景を見て、謎の”既視感“を覚える人もいるであろう?

 

自分もYouTubeの殆ど無編集の4K動画で、ロシア郊外編を見た事があるが、残念なことに、謎の”既視感“は生じなかった。とても寂しかった。正直な事を言うと、ロシアの構図を把握するのが難しかった。これも非常に説明が難しい。

 

ロシアにおいても、この“嘘”の愉しみを覚えてみたかった。

 

ロシアの音楽をよく聴いているのに、“既視感”には繋がらなかった。耳から目というのは繋がらない。耳で聞いて想像して目に繋げるというのは非常に難しい。だから「名曲アルバム」なる番組があるのかとも思う。言葉と文字は繋げられるが、音楽と風景は無理ゲー。

 

ロシアの風景に“謎の既視感”が生ずる人はどんなモノを幼少時から見て来たのだろう?

 

自分は、ロシアの音楽を聴くと「懐かしさ」を覚える。カナダの音楽にはあまり関心がない。ジャスティン・ビーバーぐらいしか思いつかない。

 

日本人の大半は、ロシアよりカナダに既視感を覚える人が多いのではなかろうか?

どういうリクツか知らんけど、所属するグループによる既視感の偏りなどがあるのかも知れない。

 

この件は、自分が日本人である以上はしょうがない事かも知れないなーと割り切ることにする。

 

 

人間の脳内にAIの画像生成機能と同じものがある。AIは人間の脳を超えることは出来ないような気すらする。人間の脳はいい加減だが、生成AIはそれ以下のスペックで更にいい加減である。

 

真面目に研究する人に非常に失礼な記事を書いてしまいました。これはあくまでも科学的な裏付けのあるプロの意見ではなく、憶測で勝手な事を言ってるだけなので、鵜呑みにしないように願います。

 

前世北米インディアンだったとかその系の自分でも分からない、辿れない過去世関係のオカルト要素を排除し、現実的な原因を考えてみた。

 

 

長文のご精読ありがとうございます😊

 

 

ひとつ考えられる、ロシアとカナダの違いは、ロシアの映像はトラックドライバー目線の高さである事。それに対してカナダの映像は乗用車目線である事。

 

カナダの郊外↓

《Sunday Drive & Music/Driving Manitoba-Altona, MB》

 

 

ロシアの郊外↓

《МИШАНЯ DRIVER 152/ПО ХАБАРОВСКУ НА ФУРЕ. НЕОБЫЧНЫЙ ГРУЗ》

 

 

ウラジオストク→平壌↓

《PoletMe Aviation Videos/高麗航空 Il-62 | ウラジオストクから平壌へのフライト | 平壌を歩く》

 

この事柄について自身のブログをかいつまんだ文章

 

単なる思い込みに過ぎないと思うが、ひとつ確証がありそうな理由として、考えられるのは東京FMブルーオーシャンのパーソナリティー、住吉美紀さんによる「刷り込み」の可能性がある。

10年近く彼女の声を聞いていると、刷り込まれている部分もあると思う。自分は他人の見聞きしたことを自分の記憶として、取り込んでしまっていたという事が時々ある。

私は感受性が非常に強く、人の影響を受けやすい為、そうなってしまうのかも知れない。住吉美紀さんはバンクーバー。私は内陸カナダを勘違い?!住吉美紀さんは、かの地にいる時内陸カナダのあの雰囲気を感じた事があるのかも知れません。それがラジオを通して刷り込まれてしまった?!私はカナダには行った事がない。それなのに既視感的なものがあるのはどう考えても理解が出来ない。考えあぐねた結果、一番あり得るのが「刷り込み」

こういう、どう考えても原因が解らない事柄の本当の原因は、人や周りにある。私はそう信じている。人からの影響だったり、モノからの影響だったり、外部から攻撃して来るもの。自分には何も問題はない。だから取り敢えず、住吉さんのせいにでもしてこの件が片付けば円く収まると思っている。それ以上は深掘りしないつもりでいました。

《斑爾里ちゃんねる-大いなる勘違い- 抜粋》

 

トロントという大都市と郊外を繋ぐMetro LINXのGO Transitの4K動画を見た限りでは、湖岸東線の終点Oshawa(もみじオンタリオ州・トロント郊外)あたりまで行くと非常に相模原らしいと感じる。この沿線の景色は、外国のものとは思えない。トロント中心部に近づくにつれて、ここは日本ではないんだなーと感じるが、郊外、さらに田舎へ行くにつれて相模線の一角などのような雰囲気になり親近感が湧く。しかし社会構造や様々なシステムや慣習は全く異なる。YouTube 切り取りマジックに掛かってるのかも知れない。実際に行ってみると、親近感も既視感も懐かしさも全く無いのだろう。しかし飛行機で13時間もかかる地球の裏側なのに車窓が似ているというのは不思議である。日本に洋風な戸建てが増えたことにより、トロント近郊の車窓に近づいてしまったことも考えられる。大都市近郊というものは、世界中どこもそんなに景色変わらないのだろうか?ひとつ考えられるのは、相模原が、米軍基地を中心に、北米風に土地が区画整理された事。アメリカン・スタンダードに基づく国土改編。米国が侵食して来ている。その上日本人市民が、近年流行りの北米人が住むデザインの戸建てに建て替えた事で、より北米化してしまった。もみじの郊外よりアメリカの郊外の方がもっと相模原に似ているのかも知れない。

《斑爾里ちゃんねる-姉妹都市・友好都市- 抜粋》

 

 

 

 

 

 

コメント
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