先記事↓
内陸アジアに迷い込んだと錯覚する所を散歩 - カルガリーたん
の相模川中腹の内陸(両岸の穀倉地帯、相模野台地、厚木)に流れついた騎馬民族のその後についての妄想ヒストリーです。
彼らのアイディンティは「和」の精神で浄化されてしまったのだろうか?
ここでいう「和」とは和病でいう「和」です。
「和病とは、絆、団結、連帯、信頼といった不可視である「和」に執着し、それを乱すものは悪と捉え、考える力がなくなる。いわゆる思考停止の状態にする、日本人に顕著に見られる精神疾患のこと。」
アイディンティの浄化とは、民族浄化のように戦争犯罪で殲滅させるという物理的なものではなく、民族集団の帰属意識を殲滅させること。
(或いは物理的殲滅もあった可能性もあるが…)
↓の話は完全に妄想です。
日本列島に長年住む先住の多数いる人間(和人)は、その昔から「和病」の精神構造であった。
大陸から日本の相模川中腹、内陸の平原に渡来した騎馬民族は、次第に定住して、開拓し、定住牧畜生活を築いていた。そのうち幕府は、和人村落共同体と騎馬民族のいる地域を行政的に統合する。
和人は、渡来騎馬民族との共存のために、不可視である「和」の精神で騎馬民族としての考える力や言語や誇りなどを削いでいった。
決して「力」ではなく、「和」の精神で。
肉食をしないキレイずきな和人達は、彼らに肉食を禁じた。
牛や馬などはそのまま生かされた。
しかし、羊や山羊やラクダなど、和人の生活に馴染みがない家畜はたとえ健康であっても彼ら自身の手によって殺処分させ廃棄させようとした。
キレイずきな和人は自分の手を汚さずにこれをさせようとした。
理由は肉食に用がない事と、これらの動物の「衛生面」が心配という事。牧畜に馴染みがない和人は、動物の多い環境に神経がすり減らされた。家畜がいっぱいいるとノミやダニが酷い事と、鳴き声がうるさいこと、ニオイなどや、疫病などの予防の名目で殺処分させたかった可能性もある。
和人達に言わせれば、村のみんなに迷惑をかけるな!という事だろう。
和人側は悪意があったわけではない。彼らなりの「正義」と「常識」と村全体を守る「思いやりの精神」で動いたに過ぎなかった。
騎馬民族は、解ったと言いながら殺すことはせず和人達の監視のない時に家畜を原野に逃した。
家畜達は戦乱中の飢えていた時期、一匹残らず様々な人間に喰われた。
「ボクはお肉なんて食べません。」と抜かしてた奴にまで喰われたのである。
そして元騎馬民族は、人に頼らなければ餌が手に入れられないシステムである、何でも人中心の、人間だらけの村落和人社会で暮らさなければならなくなる。
騎馬民族だった彼らは、和人に言わせれば
「難民」
戦争難民か、食糧危機難民。
和人は騎馬民族を「難民」という非常に弱い立場と見なし、世話をしてあげているというつもりだった。
「難民」は犯罪をやるはずだと思われるが、それは無かった。とても優しい和人により食べ物に困る事がなかった事と、和人は実際にとても優しかったこと。絶えず村人に監視されてた為、逃げる隙も犯罪をやる隙も与えられていなかったと考えられる。犯罪に走る猶予もない。
和人達の愛によって生かされていた。
和人達からは「かわいそう」という扱いを受けていたが、そこに自由は無かった。
元騎馬民族は郷に従うしか生きる道は無くなってしまった。
「郷にいれば郷に従え」いかにも日本らしい諺である。
「世界」で生きて来た騎馬民族が「ムラ社会」という非常に狭い世界で生きるようになる。
和人達の関心はいつもムラ社会の「世間」に向き、他所者の故郷など自分達に関係のない外の世界にはまるで関心が無かった。
騎馬民族の「生活」や「世界の多様な人々」の話の内容より「他所者」の言葉遣い、仕草、食べ方など非常に細かい事の方が目についた。
他所者だから当然だが、目立つ動きが多い。
女達はそんな彼らにクスクスと笑う者が、正義マンなどは、目につく細々としたどうでも良さそうな事をいちいち非難していた。
「みっともない!」などと言って。
和人達は、この他所者たちの為を思って非難していた。
元騎馬民族はムラ社会の人間との違いを色んな人から非難されたり嗤われるにつれて、次第に人の目や世間を気にする様になり、空気を読む事とか、ムラのみんなに迷惑をかけない事ばかりを考え、民族的誇りを失っていく。
民族的誇りを感じるより、頭の中が人間の事だらけになっていく。
周囲と違っていると虐められる為、常に意識して同化するしか無かった。
「出る杭は打たれる」と常に咎められていたら自分を見失うでしょう。
ムラでは自分のルーツや故郷について話す事はあまり喜ばれる事ではない。ムラ人からは
「そんな事よりもっと面白い事あるだろう」と話を逸らされる。
この時代は戦争が勃発しやすい不安定な世の中だった為、馬の供給は欠かせなかった。
相模野台地は馬の産地。隣は信玄の甲斐国。
その時代、元騎馬民族は馬の仕事を任されていた。自分達が連れて来た馬で仕事をさせて貰っていた。それが唯一新天地で自分の民族的誇りを取り戻せる時だった。
元騎馬民族は和人と混交し、子孫を残した。
「和」の精神は、渡来人の民族的誇りを愛でもって溶かしていった。
「和病」は元々和病では無かった。それがいつの間にか何故か良くないことのように捉えられるようになって行った。それがとても悲しい。
民族的プライドなんてどうでもいいじゃん!
みんな和人になって、みんな仲良くね!
「和をもって貴しと為す」聖徳太子の政策です。
和の世界には、民族的プライドなどは必要がない。そんな事より人を中心にものを考え、仲良くする事。
↑の話は完全な妄想なので鵜呑みにしないで下さい。