11月28日(金)
2年に一度、国際ブラジリアン柔術連盟が開催する第2回アジア柔術選手権大会に参加するために、仕事が終わってから最終便で松山空港から飛行機で東京に向かう。
アジア選手権が今年の11月に東京で開催されることを知ってからは大会に出場し、勝つことを常に念頭に置き、日々生活し、練習に励んできた。
しかし、6月初旬に柔道練習中。「グリン!グリン!」という鈍い音とともに右足ハムストリングスが肉離れ。右足全体が異様に腫れ上がり膝が曲がらなくなるという状態。肉離れとしては、かなりの重傷。
3ヶ月間も練習を中止するというアクシデント。3ヶ月後(9月)にようやく足を動かせるように回復した時には左足よりも利き足である右の方が二回りぐらい細くなっていた。
「これでアジア大会に間に合うのか?」という不安。
「無理をしたら、また鈍い音とともに切れてしまうのではないか?」という不安。
可能な範囲で最善を尽くそうとリハビリとトレーニングに励んできた。
「時間は止まらない。やるしかない。今しかない。」
「人生はチャレンジ!」
「リスク(危険)なくして成功なし」
「自分ならできる!」弱気になりそうな自分を鼓舞する。
11月29日(土)
宿舎を出発し、東京都綾瀬の東京武道館に向かう。
大会参加者のべ1200人という巨大な大会。
柔道畳8面で同時進行で競技は進められる。私が出場するカテゴリーは、午後4時集合だが午後1時に会場入り。いつも一緒に練習している廣瀬さん(パラリンピック柔道日本代表)が出場する別のカテゴリーの1回戦、2回戦を大声で声援。気持ちは高まってくる。
私が出場する青帯・シニア2(41歳以上)1回戦の相手は、私より5センチぐらい背が高い選手。
「コンバッチ!」というレフェリーの掛け声で試合開始。
組み手争いの後、タックルから横四方固め。アームバーに捕らえるが、相手はタップしない。
私の額から血が流れ、レフェリーが試合をストップ。
レフェリーがドクターを呼んで傷口をチエックする。「擦れただけだから大丈夫だ」とドクターの診断。消毒だけして試合再開
再度、立ち技、寝技の攻防、サイドポジション(横四方固め)をオープンガードに戻されるが、試合時間5分タイムアップ。
ポイント判定で勝利。レフェリーに手をあげてもらう。
観客席の廣瀬さんが「龍山さん! 今ので良いですよ!」と肯定の激励。褒められると気分がよい。
相撲の大会で「何をやってんだよ!」と子どもに怒ることがあるので、少々ダメでも一生懸命にやっていれば、試合当日はグッとこらえて「今ので良いよ!」でよいのかも知れないとこのときに思った.
否定されるより肯定される方が、気持ちは積極的になるに決まっている。少し反省。
一回勝ったことで気持ちは楽になったが、汗びっしょり、前腕の筋肉がパンパンになる。
まずい。握力が・・・・。
準決勝は、組み手争いから両手刈りで相手を仰向けに倒して、寝技の攻防からV1アームロック。全力で捻り上げると相手は「参った」の声。一本勝ち。
試合畳の横で決勝戦まで10分間の休憩。
「もう、疲れた。しんどいので、このまま一時、休ませてほしい。」
弱気は敵。相撲の選手時代に何回も失敗した全国大会決勝戦進出に満足して優勝を手放してしまうダメな気持ち。
優勝を何が何でも奪うという気持ちに、ここで再度セットしなおさなければならない。
「優勝と準優勝は、天と地ほど違いがあるぞ!」自分に言い聞かせる。
東京武道館の天井を見上げて、全日本10連覇、柔道の鬼・木村政彦氏が全日本柔道選手権の決勝戦前には、でてきたと自伝に書いていた影法師(妖精?)を探す。「影法師! 出てこい!」
いくら探しても影法師の姿も妖精の姿も見つからない。
超常現象もおこらない。
天井を見上げても、そこにあるのは東京武道館の電球と屋根の鉄骨だけ・・・。
神頼みではダメだ。自分の心でアジア王座を奪うのだ。
ついにアジア選手権の決勝戦。
相手が、いきなり飛びついてクローズガードで絡みついてくる。パスガードを狙うが、バタバタするとバランスを崩し、スィープ(寝技での投げ)されて相手にポイントが入る可能性があるので、しっかりベースを固めて相手の下からの攻撃に対応する。
このときにレフェリーが2回「ルーチ!(指導)」と「膠着」に対する指導のサインをだした。これが私に対する「指導」なのか、相手に対する「指導」なのか、よく判らない。
ポイントで勝っているのか負けているのか判らない。しかし、私に「指導」を出している可能性の方が高いと、このときに私は思った。(後で冷静に考えると2回連続して行ったということは、双方に膠着による「指導」が与えられたと考えられる)
「ポイントで負けている!」
積極的に攻めないとまずい。一本勝ち狙いで袖車絞めや袈裟固めを狙うが、ネチネチと袖や襟に絡みついて、胴に絡みついた脚で私のバランスを崩そうと煽ってくる。寝技の状態でも「ゴロン!」と転がされるとポイントが相手に入って、判定になった時に確実に負けてしまう。時計をみると残り1分30秒。
最後のスパートを掛けるが、結局一本を奪えずに判定に持ちこされる。
試合途中の「ルーチ(指導)」が私に対するものだったら、やばいかも知れない。
試合場の中央に呼ばれ判定。私と対戦相手の手首をレフェリーが持つ・・・。
「オレの手をあげてくれ・・・。頼む、レフェリー!」
ひたすら念ずる。
・・・・。
・・・・。
レフェリーは、私の右手を勢いよく引き上げた。
「よっしゃ! アジア選手権優勝や!」
そのまま、人があまりいない廊下まで歩いて行ってバッタリと横になった。起きあがれない。
完全燃焼。灰になるまで燃えた。
相撲選手として現役を引いた時に人生におけるスポーツ選手としての闘いは、もう終わったと思っていた。
残された道は、後進の指導とお世話。
しかし、神様は、まだドラマを用意してくれていた。完全燃焼できるような闘いの舞台を用意してくれていた。ありがとう。
健康であることに感謝。闘える環境にあることに感謝。周りの人たちに感謝である。
そして運が良かったのだ。ハムストリングス(右足太腿の筋肉)も心配していたが最後まで持ってくれた。
春日館の精神は、「前へ向かって決死の覚悟で進む。倒れる時も前のめりになって倒れる」という。これからもひたすら前に向かって進む。
2年に一度、国際ブラジリアン柔術連盟が開催する第2回アジア柔術選手権大会に参加するために、仕事が終わってから最終便で松山空港から飛行機で東京に向かう。
アジア選手権が今年の11月に東京で開催されることを知ってからは大会に出場し、勝つことを常に念頭に置き、日々生活し、練習に励んできた。
しかし、6月初旬に柔道練習中。「グリン!グリン!」という鈍い音とともに右足ハムストリングスが肉離れ。右足全体が異様に腫れ上がり膝が曲がらなくなるという状態。肉離れとしては、かなりの重傷。
3ヶ月間も練習を中止するというアクシデント。3ヶ月後(9月)にようやく足を動かせるように回復した時には左足よりも利き足である右の方が二回りぐらい細くなっていた。
「これでアジア大会に間に合うのか?」という不安。
「無理をしたら、また鈍い音とともに切れてしまうのではないか?」という不安。
可能な範囲で最善を尽くそうとリハビリとトレーニングに励んできた。
「時間は止まらない。やるしかない。今しかない。」
「人生はチャレンジ!」
「リスク(危険)なくして成功なし」
「自分ならできる!」弱気になりそうな自分を鼓舞する。
11月29日(土)
宿舎を出発し、東京都綾瀬の東京武道館に向かう。
大会参加者のべ1200人という巨大な大会。
柔道畳8面で同時進行で競技は進められる。私が出場するカテゴリーは、午後4時集合だが午後1時に会場入り。いつも一緒に練習している廣瀬さん(パラリンピック柔道日本代表)が出場する別のカテゴリーの1回戦、2回戦を大声で声援。気持ちは高まってくる。
私が出場する青帯・シニア2(41歳以上)1回戦の相手は、私より5センチぐらい背が高い選手。
「コンバッチ!」というレフェリーの掛け声で試合開始。
組み手争いの後、タックルから横四方固め。アームバーに捕らえるが、相手はタップしない。
私の額から血が流れ、レフェリーが試合をストップ。
レフェリーがドクターを呼んで傷口をチエックする。「擦れただけだから大丈夫だ」とドクターの診断。消毒だけして試合再開
再度、立ち技、寝技の攻防、サイドポジション(横四方固め)をオープンガードに戻されるが、試合時間5分タイムアップ。
ポイント判定で勝利。レフェリーに手をあげてもらう。
観客席の廣瀬さんが「龍山さん! 今ので良いですよ!」と肯定の激励。褒められると気分がよい。
相撲の大会で「何をやってんだよ!」と子どもに怒ることがあるので、少々ダメでも一生懸命にやっていれば、試合当日はグッとこらえて「今ので良いよ!」でよいのかも知れないとこのときに思った.
否定されるより肯定される方が、気持ちは積極的になるに決まっている。少し反省。
一回勝ったことで気持ちは楽になったが、汗びっしょり、前腕の筋肉がパンパンになる。
まずい。握力が・・・・。
準決勝は、組み手争いから両手刈りで相手を仰向けに倒して、寝技の攻防からV1アームロック。全力で捻り上げると相手は「参った」の声。一本勝ち。
試合畳の横で決勝戦まで10分間の休憩。
「もう、疲れた。しんどいので、このまま一時、休ませてほしい。」
弱気は敵。相撲の選手時代に何回も失敗した全国大会決勝戦進出に満足して優勝を手放してしまうダメな気持ち。
優勝を何が何でも奪うという気持ちに、ここで再度セットしなおさなければならない。
「優勝と準優勝は、天と地ほど違いがあるぞ!」自分に言い聞かせる。
東京武道館の天井を見上げて、全日本10連覇、柔道の鬼・木村政彦氏が全日本柔道選手権の決勝戦前には、でてきたと自伝に書いていた影法師(妖精?)を探す。「影法師! 出てこい!」
いくら探しても影法師の姿も妖精の姿も見つからない。
超常現象もおこらない。
天井を見上げても、そこにあるのは東京武道館の電球と屋根の鉄骨だけ・・・。
神頼みではダメだ。自分の心でアジア王座を奪うのだ。
ついにアジア選手権の決勝戦。
相手が、いきなり飛びついてクローズガードで絡みついてくる。パスガードを狙うが、バタバタするとバランスを崩し、スィープ(寝技での投げ)されて相手にポイントが入る可能性があるので、しっかりベースを固めて相手の下からの攻撃に対応する。
このときにレフェリーが2回「ルーチ!(指導)」と「膠着」に対する指導のサインをだした。これが私に対する「指導」なのか、相手に対する「指導」なのか、よく判らない。
ポイントで勝っているのか負けているのか判らない。しかし、私に「指導」を出している可能性の方が高いと、このときに私は思った。(後で冷静に考えると2回連続して行ったということは、双方に膠着による「指導」が与えられたと考えられる)
「ポイントで負けている!」
積極的に攻めないとまずい。一本勝ち狙いで袖車絞めや袈裟固めを狙うが、ネチネチと袖や襟に絡みついて、胴に絡みついた脚で私のバランスを崩そうと煽ってくる。寝技の状態でも「ゴロン!」と転がされるとポイントが相手に入って、判定になった時に確実に負けてしまう。時計をみると残り1分30秒。
最後のスパートを掛けるが、結局一本を奪えずに判定に持ちこされる。
試合途中の「ルーチ(指導)」が私に対するものだったら、やばいかも知れない。
試合場の中央に呼ばれ判定。私と対戦相手の手首をレフェリーが持つ・・・。
「オレの手をあげてくれ・・・。頼む、レフェリー!」
ひたすら念ずる。
・・・・。
・・・・。
レフェリーは、私の右手を勢いよく引き上げた。
「よっしゃ! アジア選手権優勝や!」
そのまま、人があまりいない廊下まで歩いて行ってバッタリと横になった。起きあがれない。
完全燃焼。灰になるまで燃えた。
相撲選手として現役を引いた時に人生におけるスポーツ選手としての闘いは、もう終わったと思っていた。
残された道は、後進の指導とお世話。
しかし、神様は、まだドラマを用意してくれていた。完全燃焼できるような闘いの舞台を用意してくれていた。ありがとう。
健康であることに感謝。闘える環境にあることに感謝。周りの人たちに感謝である。
そして運が良かったのだ。ハムストリングス(右足太腿の筋肉)も心配していたが最後まで持ってくれた。
春日館の精神は、「前へ向かって決死の覚悟で進む。倒れる時も前のめりになって倒れる」という。これからもひたすら前に向かって進む。
凄い試合だったんですね!
最後まで追いかける強い気持ち・・
どんなシチュエーションでも大切ですなのですね!
次は世界?!わくわくします!
頑張って下さい!