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「空白の150年」に何があったのか?(その1)倭国大乱と卑弥呼の謎

2023-09-07 05:18:37 | 古代史
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卑弥呼の登場から空白の150年について、とてもよい解説を見つけました。通説では、いかに日本の古代史がよく分かっていないのか分かる記事になっています。やはり、すでに日本の古代史が謎な理由?で説明したように、当時の状況に対する間違った思い込みがあるので謎のままだということなのです。今回は今まで解明したこれらの謎について簡単に説明しますが、詳しくは参考記事をじっくりご参照いただき、疑問点をお教えください。ということで書き始めたのですが、簡単にはまとめられませんので、数回に分けようと思います。それでは、最後までお付き合いください(#^.^#)


日本古代史ミステリー 「空白の四世紀」に何があったのか?
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #088 歴史人
柏木 宏之 2023.8.31


 突然のように出現した巨大な前方後円墳が大和(やまと)から広がりを見せる3世紀後半~5世紀初頭は、具体的な記録が無いので「空白の四世紀」といわれています。
 中国の史書を参考にすると、『晋書 倭人伝(しんじょ わじんでん)』にある邪馬台国の新女王台与(とよ)が266年に朝貢をした記録が最後で、次に『宋書』などに現れる「倭の五王」までが何も情報がない空白の期間とされています。
 そして、この約150年の間に日本列島の人々の暮らしが大きく変化しています。まず第一に、弥生時代の邪馬台国(やまたいこく)は魏(ぎ)の皇帝に戦の救援を求めていますので、戦乱で苦境に立たされているようです。つまり、まだ邑国(ゆうこく)同士が激しく争っていた小国時代です。
 それが5世紀の倭の五王の時代になると、王権がほぼ確立して権威ある肩書を中国皇帝に要求しています。つまりこの間に大和王権がほぼ確立したと考えられます。また同時に前方後円墳が各地に広まっているのです。
 そして古墳の副葬品を見てみると、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に「倭国には牛や馬はいない」と書かれていたにもかかわらず、馬具が多く出てくるので馬が輸入されていたと考えられます。輸入どころか日本列島で繁殖に成功していたのでしょう。
 このように空白の期間は日本列島の文化や政治体制が大きく変わったときでもあるのです。現在の中国吉林省(きつりんしょう)にある高句麗(こうくり)の「好太王碑文(こうたいおうひぶん)」には、倭軍が攻め込んできたという内容も書かれていて、大和国の朝鮮半島への積極的なかかわりも見えます。
 なぜこの期間の記録がないのかといえば、大和にはまだ文字がなく書き残されたものがないからです。では中国はどうかといえば、地球の寒冷化によると思われる混乱の時代でした。中華国家は匈奴(きょうど)の侵入に悩まされ、五胡十六国時代に突入して南北朝時代まで混乱が続きます。とても海を隔てた辺境の倭国にかかわっている暇がなかったのでしょう。
 しかし日本列島は海に囲まれていることで大陸や朝鮮半島の混乱に巻き込まれず、その間に列島内の小国と折り合いをつけた大和王権が国家体制の礎(いしずえ)を確立していくのです。ただ、まったく大陸の混乱に関係がなかったかというとそうでもなく、渡来人(とらいじん)が日本列島に逃げ込んできます。現在の奈良県高取町市尾カンデ遺跡の「大壁建物」の調査では、4世紀後半ぐらいには渡来人が多くやって来たと考えられています。そういった先進の渡来文化が流入した時期でもあるのでしょう。
 記録はありませんが、前方後円墳をはじめ様々な遺跡の考古学史料は豊富ですから、ここから推測すると、かなりダイナミックな政治的・文化的な変革が日本列島にもあったことがわかります。
 風俗も大きく変わり、弥生時代の男が全員していた「黥面文身(げいめんぶんしん)」という入れ墨の風俗は駆逐されています。また、銅鐸(どうたく)祭祀や銅剣銅矛(どうけんどうほこ)祭祀も姿を消します。出雲の加茂岩倉(かもいわくら)遺跡と荒神谷(こうじんだに)遺跡は、まさに弥生祭祀の両文化が終焉した証拠かもしれません。
 こういったダイナミックな混乱期は地球の寒冷化に原因があったのだと思われます。大陸が混乱する中で、比較的温暖で海に隔てられていた日本列島内は大変革に成功したのでしょう。


2世紀末の倭国大乱が3世紀初頭に女王に立った卑弥呼によって一旦は収まります。通説では倭国大乱についてほとんど理解されていません。弥生時代になって戦争するようになった理由が、人口の増加・資源不足(適地や水の奪い合い)・蓄積された富の略奪・思考的変化というのがほとんど定説になっていましたが、そうではないことが弥生中期の北部九州の甕棺の数と受傷人骨を調べて分かりました(「弥生人は戦争好き?ウソですよ」参照)。ですから、後期になって倭国大乱がなぜ起こったのかは、東アジアの情勢も踏まえて倭国内部の状況をしっかりと推理する必要があります。(「【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」参照)。



倭国大乱は、范曄「後漢書 東夷伝」にあるとおり、建武中元二年(57年)に後漢光武帝から金印を与えられた倭国を支配していた奴国王が宮廷楽師師升らのクーデターで滅ぼされたことに起因し、北部九州の倭国から東に展開していた、狗奴国とされた旧奴国の勢力との抗争だったのです(「【決定版】金印贋作説を討つ!」、「伊都国の意味がヒントだった?」参照)。主戦場が佐賀平野・筑紫平野だったことが鉄鏃・銅鏃の出土状況を調べて倭国大乱の痕跡を発見しました。当初、倭国側は旧奴国勢にやられて、ほとんど消滅しそうだった状況まで見て取れます。

ここで活躍していたのが、魏志倭人伝に狗奴国王よりも先に紹介された狗古智卑狗です。狗奴国は邪馬台国の南にあるという記述があるので、多くの方は熊本県菊池市が狗奴国だったと考えています。しかし、後でまた説明しますが、狗奴国王卑弥弓呼(「比古御子ひこみこ」の誤り)は邪馬台国連合倭国が登場したことを受けて、列島に散っていた旧奴国の勢力を集めるために、政治・宗教に特化した大集落の纏向遺跡を造ったのです。3世紀半ばまでの纏向遺跡(纏向1~3期)からは九州の土器がほとんど出土していないことから、九州にあった邪馬台国と対立していたことが分かります(「【検証11】定説の根拠を疑え」参照)。

ではなぜ、邪馬台国と倭国が連合したのかは、鉄鏃・銅鏃の出土状況を見て、倭国側の住居跡に銅鏃が出土し、狗奴国側の山鹿市方保田東原遺跡や菊池市うてな遺跡の環濠や溝から倭国側の銅鏃が出土していることから推理できます。また、大分県大野川流域と熊本県阿蘇山麓にかけて、半島南部の板状の鉄素材が持ち込まれて、鉄製武器の生産拠点として数多くの集落が造られています。方保田東原遺跡からは山陰や畿内の土器が出土しているので、狗古智卑狗はこれらの地域から兵士を集めて倭国を襲撃していたことが分かります。

狗古智卑狗は兵庫県豊岡市久久比神社の祭神久久能智神(くくのちのかみ)で、北九州から山陰・北陸の縄文海人ムナカタ族を束ねる王だと推理しました。全国の上棟式の祭神屋船久久智命ですので、師升らに殺されたスサノヲの王子で木霊五十猛神(イタケル)の子孫だと分かります。つまり、イタケルはクーデターを脱出し、祖母であるイザナミの実家の米子市宗形神社を拠点とするムナカタ海人族に助けられて成長し、代々その子孫がムナカタ海人族を束ねる王の久々遅彦を襲名したと推理しました。

そして、丁度204年には遼東太守公孫氏が半島を平定し、楽浪郡の南に帯方郡を設置したので、倭国は息を吹き返し、逆に菊池川の狗奴国勢を襲い、それまで優勢だったので油断していた久々遅彦(狗古智卑狗)が討たれたと推理しました。

玄界灘を活動域として狗奴国勢に半島南部の鉄を供給していた族長の赤坂比古(和邇氏の祖)が、大活躍していた王を喪って途方に暮れていたところに、師升王の子孫難升米(なしょめ、伊都国男王・倭国王という意味、「伊都国の意味がヒントだった?」参照)が懐柔したので、卑弥呼(姫巫女)による太陽神の神託によって政治を行う条件で、狗奴国を裏切り倭国側についたと推理しました。この時期に甕棺墓が消えますので、難升米は宗教改革まで行ったと分かります。赤坂比古傘下の九州(東部・中部・南部)・中国西部・四国西部の部族が倭国に加わりましたので(後に讃岐・阿波・紀州の部族も加わる)、衰退していた倭国の交易センターだった奴国(比恵・那珂遺跡群)が復活し、倭国は公孫氏との交易で隆盛になったと推理しています。天理市東大寺山古墳出土の中平銘鉄刀は公孫度が遼東太守に任命された中平六年(189年)に倭国王難升米に贈られたもので、後に卑弥呼の弟赤坂比古に下げ渡されたと推理しています(「中平紀年銘鉄刀は卑弥呼のものか?」参照)。

卑弥呼は天理市和邇坐赤阪比古神社の祭神の市杵島姫(イチキシマヒメ)だと分かります。イチキシマヒメは不弥国(ウミコク、宗像市田熊遺跡群)で生まれたと思われますが、戦乱期には倭国に近くて物騒ですので、野麻国(ヤマコク、和名抄宇佐郡野麻郷に比定される宇佐市安心院町宮ノ原遺跡)に疎開していたと推理しました。葦原中国の宇佐嶋に天降りした宗像三女神の伝承地です。三女神は卑弥呼を隠すために日本書紀で創作された神話です。卑弥呼の宮室だった三女神社(さんみょうじんじゃ)の一之鳥居の神額に「二女神社」とありますから、地元の人がそれとなくウソを暴露していたと気づきます(当ブログのバナー参照)(^_-)-☆。



(つづく)





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