刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

あの諏訪大社の神様も?(@_@)

2024-01-01 16:43:58 | 古代史
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明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

この記事を書いている最中に、石川県で震度7の大きな地震が発生し、こちらでもかなり揺れました。これから被害情報が報道されると思いますが、被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

さて、新年最初の話題はやはり、今年は辰年ということで、龍神信仰の話にしたいと思います。やはり今の日本の政治腐敗が行き着くところまで来ているようです。日本の守護神であるはずの龍神様も口先ばかりの詐欺師のような政治家たちを選んだ日本国民にお怒りのようです。三十年以上日本国民を貧困化させた政治を抜本的に見直して、日本国民を豊かにし、安全にする人物を選びましょう!

以下は、すでに2021-02-10 00:27:34に記事にしましたが、その後発見したことを入れて改訂しました。よろしければまた、おつきあいください(;^ω^)
 
フォローしているmash1125さんのブログに興味ある話題がありました。衝撃的な発見でした(^_-)-☆
神庭荒神谷の荒神さん
2021-01-22 06:57:43 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

出雲で荒神と云えば御神木に藁蛇が捲かれているが、ここの荒神さんは石塔で、そこに藁蛇が捲かれていた。鬱蒼とした竹林に覆われ、荒神さんが鎮座する処は、ぽっかりと穴が空いたようになっており、それなりの厳粛さをそなえていた。この荒神谷の麓から斐川平野の稲作地帯である。農民の豊作祈願が行われたのである。


(Google Mapより)


やっぱり道祖神なんでしょ!(詳細は、道祖神もやっぱり(^_-)-☆参照)!

そう言えば、境港のブロンズの大元神も御神木に龍蛇神がとぐろ巻いていた(^_-)-☆

水木しげるロードにでてくる妖怪・・NO.103 大元神(おおもとがみ)=村の守護神


ここの荒神さんの祭神は、須佐男命、大地主命、健見名方命とある。何故か知らないが・・・と云うより、不思議の一つであるが、荒神谷遺跡の周囲は建御名方命を祀る神社が多数取り巻いている。とすれば、358本の銅剣は建御名方命の怨念が渦巻いているのか? 周囲の建御名方命を祀る多くの神社は、その怨霊鎮めであろうか? 噺がそれてしまった。

え?タケミナカタが?(@_@)

ちょっと待って?タケミナカタ神は国譲り神話に登場する大国主の力自慢の次男だったでしょ!

諏訪大社の御祭神のはずだから大国主ではない神様じゃないのか?(@_@)

諏訪大社に以下のような記述があります。
諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。
信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされております。

全国に分布する御分社は一万有余社を数えお諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、敬まわれつつ巾広い信仰を有し、御神徳の数々は枚挙にいとまがありません。古くからある信仰には風と水を司る竜神の信仰や、風や水に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名です。

また水の信仰が海の守り神となり、古くからある港の近くには必ずと言っても良い程にお諏訪さまがお祀りされております。



大庭 祐輔「竜神信仰―諏訪神のルーツをさぐる」論創社2006


以前に読んだこの本を引っ張り出してみました。読んだ時には諏訪の神に関する竜神信仰の奥の深い内容だったので、というかタケミナカタと竜神の繋がりがいまいち理解できていなかったのですが、今まで突き止めた神々がすべて大国主の分身だったことから、ようやくこの本の内容がだいたい理解できるようになりました。答えは後で言います(^_-)-☆

国譲りを迫った建御雷神(タケミカズチ)との力比べで負けて、逃亡先の諏訪から出ない約束で許されたというのが古事記の神話です。さらに諏訪大社に伝わる伝承ではタケミナカタが出雲族を引き連れて諏訪の土着のモレヤの一族を打ち負かし、土着の神ミシャグジ神を破って、タケミナカタが祭神とされています。そしてこのモレヤ一族守屋氏を神官にしたとあります。諏訪大明神は戦国時代の武将武田信玄が篤く信奉したことは有名ですが、全国で武門の守護神として祀られているのですから、諏訪に逃げた神のイメージは違うようです(;^ω^)

そうです!日本書紀にも諏訪大社やこの地方の伝承でもタケミナカタがタケミカズチに敗けて諏訪に閉じこもったという話はありません。古事記は例によって、史実を暴露するために、大国主の分身タケミナカタの話を創ったようです。タケミナカタがこの地を抑えたという話は、国譲り神話の元ネタになった尾張王の日本統一の史実を少し歪曲した伝承になっています(詳細は「国譲り神話の史実は?」参照)。尾張王建稲種命は神話のタケミカズチですから、タケミナカタではありません。

タケミナカタについてもう少し考えてみます。宋史王年代紀第十八代奴国王スサノヲが宮廷楽師師升らの反乱で殺されて北部九州の倭国を奪われました。出雲地方に逃れたスサノヲの王子イタケルの子孫は出雲三代の龍蛇神です。八束水臣津野命(略して八束命、大国主の祖父)、先代久々遅彦(大国主の父、天之冬衣神)と大国主久々遅彦です。その部下だった安曇族が、その根拠地の一つである信濃・諏訪地方で、これらの龍蛇神を祀っていたのです。松本、安曇野地方に、母親である犀竜(さいりゅう)と共に安曇野周辺を開拓した怪力の泉小太郎(いずみこたろう)の民話があります。上田地方にも同様の小泉小太郎(こいずみこたろう)の伝承があります。江戸時代に作られた松本藩の地誌「信府統記」に、かつて松本にあった大きな湖に住む犀竜と東の高梨(現在の須坂市、長野市の東)の池に住む白竜王との子供が小太郎で、犀竜は建御名方神の化身だとされています。

白竜王は上記「竜神信仰」の中で、アズミ族が対馬の和多都美神社(わだつみじんじゃ)や博多湾の能古島で祀る白髭神や各地で祀る白蛇神、天白神、長白羽神と説明されています。「現代の韓国の寺院を訪ねると、その壁面や堂内に白髪白髭の老人が配置されており、「山神」とか「竜神」と呼ばれている。古来より、朝鮮では神は白髪白髭の老人として描かれ、「山神」「竜神」が主流であった。ただし、竜神が女性として描かれる場合もある。」とあり(p.8)、泉小太郎の母と一致します。白髪・白髭の老翁は、記紀で五代の天皇に仕えた三百歳の武内宿禰のイメージです。魏志倭人伝で狗奴国の官として王よりも先に紹介された狗古智卑狗が豊岡市久久比神社の祭神久々遅命で、全国の上棟式の木霊でもありますから、木の神五十猛(イタケル)の子孫です。武内宿禰は、出雲三代の龍蛇神が代々狗奴国王に仕えたことから連想された人物のようです。神功皇后神話の武内宿禰は龍蛇神大国主のことですから応神天皇の父なのです。新羅神としても祀られています。

諏訪地方の伝承は、八世紀以降の藤原政権に配慮して国譲り神話にすり合わせたのではないかと思います。つまり藤原氏の命令で諏訪大社の祭神をタケミナカタに変更させたということでしょうか。

このことは、土着の神のミシャグチ神の正体が示しているようです。ミシャグチ神の名称の由来は、色々な説があるのですが、その御神体が石棒ですので、石神から転化したという説がいいようです。つまり道祖神のひとつ塞ノ神ですから、すでに調べた通りサルタヒコに当たります。そして、サルタヒコは大国主を隠すために作られた大国主の分身の神ですから諏訪大明神の正体は大国主久々遅彦なのです。勿論、大国主はその父祖の霊も纏っていると古代人は考えていますので、諏訪大明神は出雲三代の龍蛇神でもあるのでしょう。

全国でエビスさんとして親しまれている大国主の長男の事代主(コトシロヌシ)も大国主久々遅彦の史実を隠すために登場させた大国主の分身なのです。すでに述べた七福神の話のとおりです(詳細は「本当は怖い七福神の謎(;一_一)参照)。

諏訪大社は上社と下社に分かれており、御祭神としてはそれぞれ、建御名方神 (たけみなかたのかみ)とその妃とされる八坂刀売神 (やさかとめのかみ)とありますから、下社で大国主の妃台与が祀られているのでしょう。伊勢神宮との関わりも「竜神信仰」に伊勢と諏訪を結ぶ神々が述べられており(pp.282-287)、伊勢神宮の外宮の豊受大神が神功皇后のモデル女王台与ですから、内宮の祭神は、神功皇后に寄り添って常に助けた武内宿禰であり、台与を妃とした大国主久々遅彦で、くどいようですが応神天皇の父だと分かります。

ここで、さっきの小太郎伝承ですが、驚くことにWiki「小泉小太郎伝説」を見ると松本市弘法山古墳や大町ダム、長野市久米路峡で見られる小太郎は母親の犀竜に乗っているのでいいのですが、安曇市穂高神社では、なんと牛に乗っているのですよ(@_@)!



犀竜の「犀」は角のあるサイのことで、シナでサイは犀牛というようです。古代中国の地理書『山海経』の「海内南経」に記述される幻獣という説明もあります。

そこで穂高神社ですが、ご祭神は中殿に穂高見命(ほたかみのみこと)で左殿と右殿に綿津見命(わたつみこみこと)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が祀られているのです。すでに「大谷さんは日高見国の王子だったの?」で見たように、日向三代神話のニニギノミコトは綿津見命である海神豊玉彦のことだと分かっています。そして、豊玉彦の御子が穂高見命なのです。古事記は宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)としているので、(注5)で穂高見命も豊玉彦なのかも知れないと考えましたが、やはり豊玉彦の御子でいいようです。つまり、「ほだ」「ひだ」は木の神イタケルの子八束命豊玉彦でいいと思いますが、「ほだかみ」「ひだかみ」の「かみ」は、古文の「か」が調子を整える接尾語で「み」は霊という意味がありますので「ほだ(ひだ)の霊(み)」という意味となり、父祖の霊を纏った人物、つまり八束命豊玉彦の子天之冬衣命(大国主の父)のことです。穂高見命はやはり八束命豊玉彦の御子の先代久々遅彦だと思います。

そして安曇市の小太郎が牛に乗っているのですから、これはスサノヲや菅原道真の神使(神様の使者)を連想します。スサノヲは牛頭天王に習合していますが、道真の祖神は天穂日命(あめのほひ)ですから天神様と呼ばれているのです。

あ!高天原から大国主に国譲りさせるために最初に降らせた天穂日命はスサノヲの子孫で、穂高見命、つまり大国主の父のことだったのでしょうか?

実は、大国主の父は、その殉難の地熊本県山鹿市の茶臼塚古墳に葬られていることを発見しています(詳細は「宇佐は記紀が隠した秘密が満載だ(^_-)-☆」参照)。その周辺に「丸に一文字」の神紋付きの猿田彦大神の石碑が20個以上集中してあることを発見しましたが、その中に道真を祀る菅原神社・天神社がいくつかありました。この神紋は大国主がその祭神の正体である柳川市日吉神社のご神紋なのです。全国の日吉神社・日枝神社の摂社にも菅原道真が祀られているようですから、以前から天穂日命の正体は誰だろうと思っていました。

【検証26】建稲種命の終焉の地は?(@_@)?」で見たように、沼津市日枝神社の境内に天神様が祀られていますが、高尾山穂見神社という耳慣れない神社もあります。南アルプス市穂見神社から勧請したとのことでしたので元宮を見ましたが、祭神は保食神となっていたので、ウカノミタマ台与のことかと思っていました。しかし、沼津市の隣の富士市穂見神社には天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみ)が祀られているではないですか(@_@)穂見諏訪十五所神社では保食神と共に建御名方命が祀られているのです。穂見は穂高見、つまり天穂日命のことですから、タケミナカタは穂高見命、つまり大国主の父のことだったようです。古事記では「日高日子」を「ひこひこ」と読ませているようですが、「日高の御子(豊玉彦の王子)」というのが正しい読みでしょう。

松本市深志神社にも諏訪明神(建御名方命)と菅原道真(天神)が主祭神となっていますので、諏訪明神というのは二世紀末の倭国大乱で活躍した大国主の父の先代久々遅彦ということでいいのではないかと思います。もちろん、その霊を纏った大国主久々遅彦のことでもあるのですが、神使が牛ですのでスサノヲの子孫でもあるので、その祟りが恐ろしい神様なのですよ。

宮司さんや地元の方たちは、実は秘伝があって、本当はどなたが祀られているかは御存じだとは思いますが、お願いですが、くれぐれも、このような話を神社に尋ねないでくださいネ!今年もこんな感じで気楽に古代史の謎に取り組んでいきますので、どうぞご支援ください。それでは、またよろしくお願いいたします(;^ω^)


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