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いつも勉強させていただいている武田晴樹さんの「 燃え盛るように熱い日本古代史」にとてもいい動画がアップされたので、いつものようにコメントしました。いきなり突拍子もないような話でしたので、驚かれたようです。よろしければお付き合いください(#^.^#)
刮目天
とてもいい視点だと思います。北部九州は甕棺墓文化圏でしたが、邪馬台国の登場によって箱式石棺墓文化圏に吸収されたという事実は、邪馬台国の成立を考える上でとても重要なヒントを与えてくれます。奴国王が北部九州を支配していた時期は甕棺墓が盛行していましたが、遠賀川付近から東側では箱式石棺墓です。宗教上の違いは明らかに民族の違いを表しています。甕棺墓は揚子江下流の渡来文化です。それ以外は列島に固有の縄文系文化と考えられます。
ですから、邪馬台国が成立以前は倭国王帥升(倭面土国王師升)は渡来系祭祀、成立後は縄文系祭祀に変わったのです。
倭面土国はどこかは明らかです。
57年に光武帝より金印を賜った奴国王から政権が交代したということですから、考古学の成果から本格的な王墓のあるのは伊都国しかありません。白鳥庫吉先生のご主張のとおり面は回の俗字の誤写と見て回土国(ウィトコク)と見るのが正解です。
そして、それが魏志倭人伝で伊都国という歴史的事実を示唆する国名に書き換わっていることから邪馬台国問題も日本建国の過程もすべての謎が解けたのです。
もう少しいうと、伊都国と書いた人物は師升王の後継者「儺升米」だと分かります。「儺」は追儺という意味ですから奴国王を追放して倭国を乗っ取った人物を意味します。「師」姓は周王朝以前から宮廷楽師の官位を意味する姓です。「米」は頭目(かしら)の意味で師(儺)升王の後継者という意味なのです。伊都国に居た本当の倭国王です。
でも伊都国に倭国王が居ては司馬懿の功績を持ち上げるのに面白くないので、縄文海人族ムナカタの姫巫女の居た場所(宇佐市安心院町宮ノ原遺跡三女神社、日本書紀の三女神降臨地の葦原中ツ国の宇佐島)を邪馬台国としたのです。難升米は人前に出ない女王の政治を補佐する男弟としたのです。邪馬台国への行程記事は司馬懿の功績を称えるために難升米が帯方郡太守に書いて教えたのです。詳細は「伊都国の意味がヒントだった?」をご参照ください。
@takedaharuki
ありがとうございます。倭面土国=伊都国説も確かに多いです。みなさん、結構、詳しいです。びっくりです。
驚ろかしてスイマセン(;^ω^)
邪馬台国問題はこれだけ長い間多くの人が議論しても決着しないという事実から、魏志倭人伝の記述からは特定できないということが証明されているのです。 ですから、記紀から推理するしかないのです。
しかし日本書紀も権力者に都合の悪い史実が隠されていますので、日本書紀に添った内容の仮説を立てても事実、つまり考古学や民俗学の成果とは一致しません。
逆に事実に矛盾する部分から真相を表す仮説が作れます。それをさらに事実によって検証すると蓋然性のある仮説が生まれます。
第三の推論法と呼ばれるアブダクションによってヤマト王権誕生の過程の推論から邪馬台国も特定できたのです。
詳しくは以下の関連記事などをご参照ください。
【関連記事】
倭王帥升(すいしょう)は何者だ?(´・ω・`)
伊都国が鬼払いの発祥地か?(^_-)-☆
倭国大乱が分かれば邪馬台国も分かる!
王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆神話は藤原不比等が創作したのですよ( ^)o(^ )
【刮目天の古代史】古代史の謎はアブダクションで解明できる!(^_-)-☆
【検証22】難升米という人物は?(その1)~(その3)
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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ですから、邪馬台国が成立以前は倭国王帥升(倭面土国王師升)は渡来系祭祀、成立後は縄文系祭祀に変わったのです。
倭面土国はどこかは明らかです。
57年に光武帝より金印を賜った奴国王から政権が交代したということですから、考古学の成果から本格的な王墓のあるのは伊都国しかありません。白鳥庫吉先生のご主張のとおり面は回の俗字の誤写と見て回土国(ウィトコク)と見るのが正解です。
そして、それが魏志倭人伝で伊都国という歴史的事実を示唆する国名に書き換わっていることから邪馬台国問題も日本建国の過程もすべての謎が解けたのです。
もう少しいうと、伊都国と書いた人物は師升王の後継者「儺升米」だと分かります。「儺」は追儺という意味ですから奴国王を追放して倭国を乗っ取った人物を意味します。「師」姓は周王朝以前から宮廷楽師の官位を意味する姓です。「米」は頭目(かしら)の意味で師(儺)升王の後継者という意味なのです。伊都国に居た本当の倭国王です。
でも伊都国に倭国王が居ては司馬懿の功績を持ち上げるのに面白くないので、縄文海人族ムナカタの姫巫女の居た場所(宇佐市安心院町宮ノ原遺跡三女神社、日本書紀の三女神降臨地の葦原中ツ国の宇佐島)を邪馬台国としたのです。難升米は人前に出ない女王の政治を補佐する男弟としたのです。邪馬台国への行程記事は司馬懿の功績を称えるために難升米が帯方郡太守に書いて教えたのです。詳細は「伊都国の意味がヒントだった?」をご参照ください。
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しかし日本書紀も権力者に都合の悪い史実が隠されていますので、日本書紀に添った内容の仮説を立てても事実、つまり考古学や民俗学の成果とは一致しません。
逆に事実に矛盾する部分から真相を表す仮説が作れます。それをさらに事実によって検証すると蓋然性のある仮説が生まれます。
第三の推論法と呼ばれるアブダクションによってヤマト王権誕生の過程の推論から邪馬台国も特定できたのです。
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