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古代史ランキング
#本題ですが、日本書紀の神功皇后紀に卑弥呼と台与の朝貢記事が注記されていますが、後世に書き加えられたものだと思います。卑弥呼や邪馬台国が書かれていない理由を、天皇の歴史書なので好意的に解釈しています。それだから古代史が謎なのです!よろしければ、お付き合いください(;^ω^)
【ゆっくり解説】なぜ卑弥呼と邪馬台国は日本の歴史書から抹消されたのか…?【歴史 古代史 ミステリー】
古代史研究室【ゆっくり解説 歴史 ミステリー】@YouTube
その理由は見つかっています。日本書紀を完成させた人物にとって日本の建国の史実が都合が悪いから神話を創って誤魔化して、デタラメな歴史を創ったのです。初代神武天皇は本当の初代応神天皇の虚像なのです。
多くの方は天皇の歴史書だと思っているので、何とか解釈で乗り切ろうとしているので分からないのです。
日本書紀は天武天皇の崩御34年後の720年に完成しているのです。
先に完成したとされる古事記は9世紀に突然表に出てきたもので、正史に記録もないし、日本書紀で参照したと分かる痕跡もないのですから、勝者の歴史書だとわかれば、どこにウソがあるかは分かりますよ(^_-)-☆(2024.8.29 赤字追加)
事実、つまり考古学や民俗学の成果に基づいた推論で謎を解くと、卑弥呼や邪馬台国も分かりました。
富雄丸山古墳や吉野ヶ里遺跡の謎の石棺の被葬者も判明しました。
ご興味があれば、刮目天の古代史をご参照ください。どうもお邪魔しました(;^ω^)
@sonchuzan
うん?
古事記って九世紀に出てきた書物なのですか?
@sonchuzan さん そうです。
太安万侶の子孫で学者多人長(おおのひとなが)が日本書紀の講義を宮廷で行う際に、サイド・テキストとして出してきたと言われています。古事記の序文は人長が書いたと多くの専門家も認めています。しかし本文は原古事記がある可能性も指摘されています。
しかしその内容は古事記とは全く別物だと思います。
多氏はカミヤイミミを祖とすると自ら言ってますが、これは神武天皇の皇子で架空の人物です。
本当は富雄丸山古墳の被葬者と推理したウジノワキノイラツコの子孫だと推理しています。
詳しくは「消された古代王族「トミ」族の正体?」「「古事記」は謎ときのヒント!」などを検索して、参照してください。

神武天皇崩御後の皇子たちの反乱と応神天皇崩御後の話はそっくりなのはなぜでしょう?答えは?日本書紀は前例を創作するのが得意なんですよ!以下の関連記事に詳しくありますので、よろしければどうぞ(#^.^#)
【関連記事】
卑弥呼は何故隠された?(´・ω・`)
真相を推理しました(^_-)-☆
血塗られた女帝の秘密(*´Д`)

富雄丸山古墳に何故葬られたのか?(@_@)?

最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!
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日本書紀は天武天皇の崩御34年後の720年に完成しているのです。
先に完成したとされる古事記は9世紀に突然表に出てきたもので、正史に記録もないし、日本書紀で参照したと分かる痕跡もないのですから、勝者の歴史書だとわかれば、どこにウソがあるかは分かりますよ(^_-)-☆(2024.8.29 赤字追加)
事実、つまり考古学や民俗学の成果に基づいた推論で謎を解くと、卑弥呼や邪馬台国も分かりました。
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古事記って九世紀に出てきた書物なのですか?
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太安万侶の子孫で学者多人長(おおのひとなが)が日本書紀の講義を宮廷で行う際に、サイド・テキストとして出してきたと言われています。古事記の序文は人長が書いたと多くの専門家も認めています。しかし本文は原古事記がある可能性も指摘されています。
しかしその内容は古事記とは全く別物だと思います。
多氏はカミヤイミミを祖とすると自ら言ってますが、これは神武天皇の皇子で架空の人物です。
本当は富雄丸山古墳の被葬者と推理したウジノワキノイラツコの子孫だと推理しています。
詳しくは「消された古代王族「トミ」族の正体?」「「古事記」は謎ときのヒント!」などを検索して、参照してください。

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