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#昨日の記事の動画コメントにUp主様からお返事を頂きましたので、更にコメント差し上げました。よろしければ、お付き合いください(;^ω^)
@user-jh1or4lj1x
卑彌呼以て死す。大いに冢を作る。徑百餘歩に徇葬者は奴婢百餘人。
卑弥呼は既に死んでおり、沢山の墓が作れ、直径百歩(138m)に殉死は奴婢100人であった。
@user-jh1or4lj1x さん 返信ありがとうございます。しかし、「大いに冢を作る」を「沢山墓を造る」と訳すのは間違いですよ。なぜなら倭国女王とされた卑弥呼の墓なのです。卑弥呼と奴婢を同じように考えるのは不自然です。卑弥呼は石棺で葬られ、百余名の奴婢はせいぜい土壙墓か野ざらしと考えるのが自然です。
当時の1歩は6尺で1尺は約24cm、百余歩は約150mです。卑弥呼の墓「三柱山古墳」の周りに奴婢が殺された場所がありました。「血野」という地名が残っていました。地元では戦国時代に安心院氏の若様が従者と殺された場所との言い伝えがありますが、後で作られたものと考えています。
卑弥呼の墓の遥拝所が南約400mの河原にあります。日食(日欠け)を示唆する地名「ヒカケ」に作られた卑弥呼が宮室としたと考えられる三女(さんみょう)神社と同じ名前の社です。しかも、卑弥呼の墓との間に、墓を目視して遥拝できないように後で、土盛りしています。そこに天岩戸を模したような横穴が掘られ、馬頭観音像が置かれています。
さらにすぐ横にすっぽんセンターがありますが温泉が湧き出ています。その横に伝説の仁聞菩薩が造った乳不動(石仏群)があります。恐らく、ここの露天風呂に入浴していた卑弥呼が引き出され、「ヒカケ」で殺害されたと見ています。卑弥呼の供養のために造られたと考えられます(詳細は「卑弥呼の墓は今?」参照)。

(「卑弥呼の墓の遥拝所に何がある?」参照)
なぜ殺されたかも推理しています。
卑弥呼は太陽神のお告げを伝える巫女なのです。本当の倭国王難升米(倭国王帥升の孫と推理、「伊都国の意味がヒントだった?」参照)が狗奴国の大軍団が押し寄せる情報を入手していたところ、247年3月24日に北九州で皆既日食がありました。倭国王は糸島市伊都国に居たはずですが、ここは皆既日食ではないですが、丁度日没時だったので太陽が欠けながら海に沈む、珍しい日没帯食を見て、不吉な予兆と考え、卑弥呼が不謹慎であったために起こったと考えたのでしょう。持衰と同様に部下に暗殺を命じたのだと推理しています。「【刮目天の古代史】卑弥呼の謎!」に卑弥呼に関して分かったことを記事にしていますので、よろしければどうぞ(#^.^#)

もしも他に、このような卑弥呼に関する遺物や伝承などが残されている別の有力な卑弥呼の墓の候補があるのでしたら、お教えください(;^ω^)
最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!
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@user-jh1or4lj1x
卑彌呼以て死す。大いに冢を作る。徑百餘歩に徇葬者は奴婢百餘人。
卑弥呼は既に死んでおり、沢山の墓が作れ、直径百歩(138m)に殉死は奴婢100人であった。
@user-jh1or4lj1x さん 返信ありがとうございます。しかし、「大いに冢を作る」を「沢山墓を造る」と訳すのは間違いですよ。なぜなら倭国女王とされた卑弥呼の墓なのです。卑弥呼と奴婢を同じように考えるのは不自然です。卑弥呼は石棺で葬られ、百余名の奴婢はせいぜい土壙墓か野ざらしと考えるのが自然です。
当時の1歩は6尺で1尺は約24cm、百余歩は約150mです。卑弥呼の墓「三柱山古墳」の周りに奴婢が殺された場所がありました。「血野」という地名が残っていました。地元では戦国時代に安心院氏の若様が従者と殺された場所との言い伝えがありますが、後で作られたものと考えています。
卑弥呼の墓の遥拝所が南約400mの河原にあります。日食(日欠け)を示唆する地名「ヒカケ」に作られた卑弥呼が宮室としたと考えられる三女(さんみょう)神社と同じ名前の社です。しかも、卑弥呼の墓との間に、墓を目視して遥拝できないように後で、土盛りしています。そこに天岩戸を模したような横穴が掘られ、馬頭観音像が置かれています。
さらにすぐ横にすっぽんセンターがありますが温泉が湧き出ています。その横に伝説の仁聞菩薩が造った乳不動(石仏群)があります。恐らく、ここの露天風呂に入浴していた卑弥呼が引き出され、「ヒカケ」で殺害されたと見ています。卑弥呼の供養のために造られたと考えられます(詳細は「卑弥呼の墓は今?」参照)。

(「卑弥呼の墓の遥拝所に何がある?」参照)
なぜ殺されたかも推理しています。
卑弥呼は太陽神のお告げを伝える巫女なのです。本当の倭国王難升米(倭国王帥升の孫と推理、「伊都国の意味がヒントだった?」参照)が狗奴国の大軍団が押し寄せる情報を入手していたところ、247年3月24日に北九州で皆既日食がありました。倭国王は糸島市伊都国に居たはずですが、ここは皆既日食ではないですが、丁度日没時だったので太陽が欠けながら海に沈む、珍しい日没帯食を見て、不吉な予兆と考え、卑弥呼が不謹慎であったために起こったと考えたのでしょう。持衰と同様に部下に暗殺を命じたのだと推理しています。「【刮目天の古代史】卑弥呼の謎!」に卑弥呼に関して分かったことを記事にしていますので、よろしければどうぞ(#^.^#)

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