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【分かった!】日本人の形成過程!(^_-)-☆

2024-07-22 18:47:10 | 古代史
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#私もDNA解析は専門分野ではないので、みなさんとこうやってフランクに議論ができるのはとてもうれしいです。専門家も入っていただけるともっとレベルアップしますね。ちょっと長いので恐縮ですが、素人の易しい話ですので是非、最後までお付き合いください( ^)o(^



@katumoku10
パレオゲノミクスの分かり易いご紹介、有難うございます。
しかし、この成果には従来の考古学や民俗学などの成果だけでなく、mt-DNAやY-DNA解析から推理した結果と、さらに斎藤教授が下のとおり解明した、核DNA解析によって推定される日本列島への人類集団の移住の歴史とも合致しませんので、とても違和感があります(wiki「日本人」#古代核DNA解析による研究 参照)!

第一段階(狩猟採集民)(約4万年前から約4400年前、旧石器時代から縄文時代の中期)
第二段階(漁撈・園耕民)(約4400年前-3000年前、縄文後期から縄文晩期)
第三段階前期(農耕民)(約3000年前-1700年前、弥生時代)
第三段階後期(約1700年前-現在、古墳時代から現在)


縄文人はmtDNAで分かりましたが、すでに多くのDNAが混ざっています。Y-DNAも日本固有のものDーM55が現代(本土)日本人男性のルーツの約4割ですが、わずかなC型縄文人(CーM8)や三内丸山遺跡を営んだとみられる西遼河人系(N1)もいました。これらは弥生時代の北東アジア先祖ということでしょうか?すでに縄文時代の話なのですよ。



また、古墳時代になって東アジア先祖の人々が突然増えたなどというのは考古学の成果と明らかに食い違っています。長江下流域で漁労と水田稲作を行った倭人は縄文晩期=弥生早期から北部九州の沿岸部に灌漑技術と水田稲作を伝えて、時間をかけて列島の東に稲作文化が伝搬しています。

現在のパレオゲノミクス解析は、もっと、サンプル数を増やすといいのかも知れませんが、最先端の遺伝子解析でも今までの研究成果や考古学などとの整合性を無視したら歴史の事実は分からないということですね(;´Д`)

@user-qt3dh6he2f(古庄さん)
ありがとうございます。まだまだ研究途上ですね

@YO-high(YOさん)
核ゲノム解析は、、まだまだサンプルが足りてないと思うんですよね。だから憶測の域をでてないように感じます。

古墳人が大量に日本列島に来たように見えますが、そもそも古墳人たちが黄河長江流域にまで進出してたとしたら、それらの地域のゲノムと似ててもおかしくはないかなぁと思っております。 ようは、まだ断言するにはまだ早いってことでしょう。

あと、まぁどうでも良いのですが、
元の論文(英文)を読めばわかるのですが、遺伝子学での「JOMON」「YAYOI」は、考古学の「縄文」「弥生」とは「違う概念」というのだけを覚えておいてください。学問が違うので、語彙が同じですが意味が違うのです。
遺伝子学の「JOMON」は「旧石器時代(氷河時代)に日本列島に来た渡来人」、「YAYOI」は「それ以降に来た渡来人」という概念なので、純粋に「縄文時代に来た人」たちも「YAOI」の区分なのが注意するところです。案外盲点です。
ハルキーさんのところでもコメントしましたが、縄文人と弥生人の比率が「1:9」なのは、「縄文:弥生」ではなく「旧石器時代:それ以降」なので 1:9 なのです。
「縄文:弥生」の比率が「1:9」というのが、ワイの長年の疑問だったのですが、案の定でしたね。「JOMON:YAYOI」が「1:9」なのだと。
「英文」で「JOMON」書いてあれば「縄文」と訳してしまう日本人がよくないのですが、「JOMON」とカテゴリするほうが悪いよなぁ。
古代史界隈でこの話題を知ってるひとは少ないです。が、あまり気にしなくても良いかもしれませんね。
ライブ?ではこの量は書けないので、早めに長文しておきました。すみません。


<YOさんにいくつもコメントが寄せられましたのでご興味がある方はどうぞ( ^)o(^ )>

@YO-high
皆さまありがとうございます。
ワイの見解として、考古学と遺伝子学では「語彙」が同じでも意味は違うと知って欲しかったという話なだけです。
遺伝子学による考古学へのフィードバックを考えると、語彙で意味が違うのは誤解が拡がる元だと考えております。
まぁ、古墳時代の「KOFUN」カテゴリに関しては、まだ検体が少なくてもう少し時間がかかりそうです。
KOFUNカテゴリの検体が、古墳外周部分ではなく、古墳に埋葬されてるものを使って欲しかったなぁと思っております。
いずれにせよ、まだまだ未知の領域の話なので、これからどうなるのか期待しております。


@YO-high ​ さん こんばんは!語彙が同じで意味が違う?有難うございます。気づきませんでした。
これは遺伝子学者が考古学や歴史学を勉強していないということじゃないかと思います。
だから平気であのような違和感のある変な棒グラフの結果を出せたのですね?
査読者は外国人なのかと疑問に思いました(@_@)?
斎藤三段階モデルのヤポネシア・グループには考古学者も入っておられますが、歴史学者は入っていたのかな?
歴史学に関わる話ですから関係学会で学術用語を共通にしないと幅広い査読ができないですから混乱の元ですね(;^ω^)

神武天皇は外国からの侵略者なのか?( その2)`ー´)ノ へコメント頂きました(#^.^#)
分野の違う学問は、同じ語彙でも意味が違う。 (YO)2024-07-22 09:54:34
おはようございます。
昨夜コメントありがとうございました。古庄さんのコメントではなく、こちらに返信させていただきます。

ワイも、日本の古代史を考えるうえで、「遺伝子」「比較言語学」「中国の文献」などを調べておりましたが、ゲノム解析の論文とか、古墳時代の遺伝子の論文とかを読んで違和感を覚えたんですよね。

遺伝子界隈だと「JOMON」「YAYOI」という区分があるのですが、考古学の「縄文」「弥生」とは違うんですよね。
Y-DNAでいえば、「縄文C系」のみ「JOMON」であり、D系やO系は「YAYOI」ということになります。ちょっと違和感ありますよね。

「ゴール」という語彙は、サッカーだと「得点」ですが、マラソンだと「終点」です。カテゴリが変われば意味が変わるということです。

両方の学会で「意思疎通」図ってないのは確実で、知らない人だと混同してしまうでしょう。
そう、縄文顔と弥生顔のイラストを見て、世間はこんな浅い認識なんだなぁとつくづく思ったものです。(氷河時代と稲作時代では食べ物が違うんだから、同じ民族でも「顔つき」だって変わるよね。)


(刮目天 一(はじめ)) 2024-07-22 10:23:17
おはようございます。
なるほど、たしかにゴールの意味がスポーツの種目によって違いますね。包容力のあるYOさんのご意見はとても参考になります。

また、同じように金沢大学の三重構造説に違和感をいだいておられることを教えていただき、とてもうれしいです。
NatureだったかNewtonですか?ま、あり得ませんが私に査読が回ってきたら、今の結果では却下です( ^)o(^ )

@hirouchida3068さんは三重構造説の結果を肯定的に見ていますが、わたしの反論のお返事を待っているところです。
また、別の動画にコメントしましたが、反論みたいなコメントを頂き、たった今返事した所です。
その内容をこれから記事にしたいと思いますので、またお気づきのことがございましたらよろしくお願いいたします。
どうも有難うございました(#^.^#)

@hirouchida3068
一般的な論文ではJOMON=縄文にならないことがありますよね。ライブでも同意させていただきました。
ただ、今回の論文では時代区分がきちんと肌感覚と合っていてJOMON=縄文、YAYOI=弥生、KOFUN=古墳と受け取って問題ないかと思われます。

もっと言うと、青の6割を東アジアではなくHAN(漢民族)と表記している箇所があるので踏み込んだ論文だなと。

問題は青のゲノムがどの時代にどうやって列島に入ってきたかかな~と勝手に思っています。
そんな私は出戻り縄文人が渡来人だった説を推しています笑


@katumoku10
​ @hirouchida3068 さん 三重構造説の棒グラフの結果はほとんど誤りだと思いますよ。
理由は上に書きましたのでご参照ください。
また、現在のHAN(漢民族)はものすごく雑多なDNAから構成されます。
華北と華南でもかなり違います。wiki「日本人」[日本人および周辺(日本からおよそ5000km以内)の諸民族のY染色体ハプログループの割合]に詳しくありますのでご覧ください。

最新のデータからではありませんが、グラフ化していますので、よろしければ「刮目天の古代史 神武天皇は外国からの侵略者なのか?」をご参照ください。混血がどこ出身の人々なのか傾向を見るのに役立ちますから(^_-)-☆


(「日本民族とその周辺民族の父系のルーツ!」より)


青(東アジア祖先)は新石器時代に長江文明を作った倭人(YーDNA O-47z)などの祖だと思いますが、それは弥生人のところに書くべきものでしょう。弥生人の黄(北東アジア祖先)は旧石器時代から縄文時代に混血した西遼河人系(N1)やC型縄文人(C-M8)の祖だと考えられます。だから、あの結果の棒グラフには違和感だらけです。そうでないとおっしゃるのであれば、お教えください(;^ω^)

*****************************************
神武天皇は外国からの侵略者なのか?( その2)で紹介したダニエル社長の動画のコメントで以下のとおり、拙論に批判のコメントがありましたので、反論しました。不思議なことに何度入力しても消されますので、ここの記事に追加しました。最初コピーし忘れたので思い出すのが手間でしたよ(;^ω^)

@user-hv9lt9lh6u
DNAでおおよそわかる。

@katumoku10
おっしゃるとおりおよそ分かります。
しかし、三重構造説で説明されている縄文人・弥生人・古墳人の話は斎藤成也さんの話やYーDNA、mtDNAや考古学などの成果から導いた歴史と食い違います。
サンプル数が足らないのもあるかと思いますが、最先端の遺伝子解析だけで歴史は分からないということです(;^ω^)

@user-un1ic4kr5x
DNAは、父系のY染色体でも、母系のmtDNAも、単一遺伝標識に過ぎませんし、日本人の先祖調べも単体じゃ使えませんよ。

多数の遺伝子型、尾本恵市氏の23個の遺伝子型からの総合した頻度やHLA型とか、あらゆるデータと同じ環境で長い時代を共に暮らした
容貌も含めた形質人類学根拠が必要に成りますよ。


​ @user-un1ic4kr5x さん、さきほど返事を書いたのですが消えましたので、改めてお返事します。内容は同じです。

おっしゃるとおり、人間の場合22対の常染色体に遺伝情報が入っていますので、一般的にはその理解が正しいと思いますが、古代史研究すると、両親からの形質などの遺伝と無関係な性染色体Y-DNAで考古学や民俗学の成果と突き合わせることができ、さらに斎藤成也先生の三段階モデルとも合致します(詳細は「刮目天の古代史 日本列島に集まった人々とは?」参照)。

この結果が妥当な理由は以下のとおりだと考えています。

旧石器時代から古墳時代くらい、あるいはそれ以降もそうかもしれませんが、息子は父親と一緒に行動し、父親から教育を受けていたのだと思います(それ以降は家長の子息の場合は、一族の中の現役を退いた立派な古老に守役を頼み、君主教育していたようですが)。古い時代にはそういう父系が同じ男性の一族・部族が集団で行動するケースが多いので、考えも似てくるので、立派な父祖の霊が導くという考えがあったようです。

例えば、天皇即位後の大嘗祭で最も重要な儀式は眞床追衾(マトコオフフスマ)です。
皇祖神から与えられた寝具にくるまれて天孫降臨し、皇祖神と共に食事をして、皇祖神の霊を身に帯びて大業・偉業をなすことができるという信仰に現れているようです。王の襲名という考え方も同じ意味でしょう。
特に古墳時代に首長権が強大化しますので、日本全国の首長の一族では古墳を造営し、先代の葬儀を盛大に行って、首長権継承の儀式が古墳の上で行われたようです。古代氏族の家系図も男子の系譜となっています。女子が描かれた場合、その父も描かれている例も時々見ます。

縄文時代は母系社会でしたが、男性は集団で、集落の外に出て、狩猟や海外との交易を行っています。
隠岐の島の黒曜石が沿海州や半島などで出土しています(「いにしえの島根/第一巻・磨かれた技・豊かな資源」(島根県HP) 参照)。
異民族とトラブルがあった時のために集団で行くのかも知れません。
そして海外から嫁を連れて集落に帰還するのではないかと思います。
そのため母系のルーツは多様になっているのだと思います。
また女性は多分、15歳くらいの一定の年齢になると隣り村などに嫁に出ていくのでしょう。


(島根県HPより)


【関連記事】
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天皇陛下は日本国民、いや人類全体の統合の象徴に最もふさわしいご存在でしょう!


最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)

初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!

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