このブログでは開店以来、特定出来る個人的な情報や思いの強い投稿は
極力控えるように努めてきましたが、今回その禁を破ります
29日 早朝6時 知人からの携帯電話の着信音で「まさか!」の思いが脳裏をよぎります
昨年6月頃、とても元気だった石田さんが突然の腰・背中の痛みを訴え
「整形外科にこれから行くんだ」との話を聞いた時にはギックリ腰にでもなったのかと
思っていました 数後日、検査を受けたら「すぐに大病院で検査してください」
「紹介状を書きます、いくつかの中から病院を選んでください」と告げられたと
ご本人から聞きました その後、病院が決まり、先ずは検査入院となる数日前に
私の事務所を訪れその流れをお話しして頂きました
病名は?と尋ねると 「自分自身もよくわからない、最初の医師も首をかしげていた」と・・
別れ際に「暫く留守になるけど、宜しく」と言い事務所を出ました
その約1週間後、再び事務所に見え
「都内の大学病院での精密検査の結果は、開腹手術が必要であるとの結論が出て
手術のための入院が決められた」とおっしゃいました その時の石田さん
のいつもの元気いっぱいのしゃべり方は今でもよく覚えています
他人事のように明るく語る様子はとても手術の必要な病人とは思えませんでしたから
7月下旬入院先の大学病院に仲間数人でお見舞いにまいりました
この日は第4日曜日、「資源回収」の午後です
術後にと思っていましたが、再検査の結果 別の症状を
抑えてからの手術と言う事になったそうで、手術はまだ先になりそうだというのを
本人からの電話で聞いたので、お見舞いに伺う事に致しました
到着すると、病室では無く談話室で我々を迎えてくれました
そして新築間もない高層の病棟の中を案内していただき、窓から見える景色の説明もされました
その時、そのご様子から我々は事の重大さに気付くことも、深刻な感情もありませんでした
「手術さえ成功すれば、必ず良くなるんだ」「また一緒に普通に会えるんだ」と・・・
8月に入り手術が終わったとの連絡が入りました
今までの経験では術後は1週間~10日位で退院される方が多かったので
お盆の休み前の退院だと思っていましたが
なかなか退院の連絡が入りません、そこで再びお見舞いに伺う事に
お元気そうでしたが、浮腫みが取れずまだしばらく入院継続との事でした
9月に入り、事務j所に退院の報告に本人がまた参りました
「どうやら悪性でしかも転移の可能性があると」やはり他人事のような物言いでした
そして10月に入り地区体育祭や「神幸祭」にも顔を出し、子供たちの太鼓の演奏を
気遣っていました
11月に入り、再入院の報告にまた訪れました
「抗癌治療」を受けることになったとの事でした
またお見舞いに伺いました、回を重ねるたびに
痩せていく御姿にどうにか快方に向かわれることを祈っておりました
2週間程で退院され12月の「餅つき大会」にも参加されていました
そして子供の定期練習にも顔を出していたそうです
お元気そうでしたが無理をされていたのかもしれません
そして今度は京都の病院で入院する事になったと知らされました
検査入院ですがそのまま長期入院になるかもとおっしゃっていましたが
数日で戻られ、再び元の病院に再再々入院され年を越すことに
年明けまた連絡が有り、7日から都内の別の大学病院に転院される事を
知らされました
1月27日 第4日曜日 資源回収が終わって 夕方
4回目のお見舞いに行くことに 病室に入ると衰弱され痛み止めの点滴のせいで
ほとんど意識も薄れているようでしたが 奥様のお声には反応され
私の存在も分かってくれているかのようでした
後を頼むというかのごとくのお顔をされていました
そこで初めて奥様から「褐色細胞腫」と言う病名を聞き
さらに難病であることを知りました そしてもう手の施しようもない事も
そして2日後の朝・・・・・
昨夜のお通夜、本日4日の告別式は恙無く終了致しました
謹んで皆様にご報告いたします
平成15年11月に 関さんと私の二人で立ち上げた「栄2打楽団」
翌16年4月のメンバー募集の町内回覧にいち早く応募された石田さんです
その石田さんが初午太鼓コンクールの出場経験者だったことを
その時初めて知り心強く思いました また同時に入団した松本英晴君、増田義之君
関 実加さんの6人で 練習を重ね 同年7月子供の「栄2太鼓クラブ」を
立ち上げ、募集の回覧で集まった10数人の子供達の指導が始まり
その後、口コミで加わった総勢大人10名、子供20名で
3月のコンクール初出場を目指しました
石田さんの子供に対する情熱は目を見張るものがありました
礼に始まり礼に終わるという今の練習スタイルは石田さんが始めた物です
そこで子供の指導は石田さん、大人は関さんと担当を決め
本格的練習がスタートしました
練習場所は町会会館の空調の無い1階フロアー
太鼓もありません 勿論大きな音を出すことは出来ません
そこで石田さん発案・製作によるザル太鼓10台が大活躍致します
出場約30チームの子供の部で 5年でベスト10、10年でベスト5を
目標にすることもこの時の僕らの合言葉でした
それから数年が経ち
年々順位を上げとうとう、1昨年には準優勝を果たすことが出来ました
創部7年目でした
その奇跡に近い成績を取れたのもひとえに石田さんの功績です
すべて石田さんの作曲による曲でエントリーを続けました
今では市内有数のチームと言われるようになりました
子供達には入部の記念にと一人ひとりに手作りで名前を彫り上げた「木札」を
作成し、それを首にかける時の石田さんの笑顔は今でも思い出されます
私にはサンプルだと言ってその第1号を作って頂きました
とても残念です そして無念です
まだまだあまりに若すぎます
病魔と闘っている石田さんに何の手助けも出来ませんでした
本日、最後のお別れを致しましたが
その御姿、立居振舞、お言葉は教え子の子供達、その保護者の方、
そして我々同志の心に深く刻まれています
心より、ご冥福をお祈りいたします
合掌
石田さん、ゆっくり休んでください。
ご冥福をお祈りします。
戒名にはあまり使われない
「鼓」と言う文字が入っています
納骨が3月10日とのご案内がありました
この日に「初午太鼓コンクール」が
開催され教え子の子供チーム2組が
その時刻に出演します