明日、12月21日は冬至。二十四節気の第22と。北半球ではこの日が一年のうちで最も昼の時間が短いと。旧暦だと11月23日である。二十四節気とは中国からきたと。中々理にかなった暦である。一年を春夏秋冬の四季に分け、季節を更に六つの節目を設けている。
昔は農業が主であったので、農事暦であろうが、今では自然を感知できる。自然の移ろいが分かる。一年の始まりの立春の前日が節分である。二十四節気を眺めると、小雪、大雪、冬至の後が小寒、大寒である。雪の降り始めは寒くなく、大雪の後に寒が来るかな
冬至は年末、年の瀬である。東京の早稲田大学の近くに穴八幡宮がある。冬至のお祭りは全国的にも珍しく地方からバスを仕立てて来る。ボケ封じも手伝って昔は、早稲田通りは、さながら年末の渋滞となる
寺や神社も商売である。お守りを買い、お守りの寿命は一年で毎年売り買いする。売る方も買う方も納得している。一陽来復のお守りを恵方の壁に貼る。ご利益があるなしに関わらず、毎年の習慣なんだな。坊主丸儲けと言われるが、そこまでの過程が苦労であろうな
坊主と神官は異なるが、いつしか「男はつらいよ」でも寅さんが演じていたが、死者を相手に来るから苦情がない。しかし本来、修行が辛く、肉体そのものであろうな。真冬でも薄着だし、剛健でなければ持たないだろうな。精神よりもまず肉体だな
高田馬場駅から早大正門まで、バスが昔から出ている。東京都の経営である。いつ頃からか地下鉄が通り出した。昔の学バスは片道7円50銭、往復15円であった記憶がある。地下鉄が通過した頃は、乗合自動車よりも地下鉄料金の方がはるかに高かった。今では、学バスは片道180円、地下鉄は170円である。料金では逆転した
信州に小梅線がある。小諸から小淵沢までの高原列車である。途中の野辺山では国鉄の標高最高地点がある。小梅線に沿った国道を走っていると、「秩父事件戦死者の墓」の標識が立っていた。信州で秩父事件とはと思いつつ立ち寄った
今では小梅町教育委員会の解説文があった。墓は馬流という駅の向こう側の山の中腹にあった。長閑な場所であった。秩父事件戦死者の墓だけでなく、あの辺りは墓地が多い。地元の爺さんに聞くと、昔は千曲川がもっと山の方にあったとか。そのせいか墓地が多いと。最後の激戦地となったと。地図でみると、秩父は山の向うである
秩父事件については、いつだったかなTBSで秩父の観光を取り上げていた。司会は大沢悠里、対談相手、助手は見城美枝子であった。ジャーナリストと言われる見城美枝子はコクミントウと発音していた。番組の最中で、大沢悠里は見城美枝子に向かって、台本ではコンミントウと書いてあると嗜めていた
ラジオとは言え、台本があるんだな。朝日の羽鳥慎一も頭は良いが、取材先の温泉旅館の女将が台本はあると言っていた。まあ、台本通りに進行する場合もあるが、見城美枝子が「困る」と言う事が分からなかったな
最近、ふとした事で秩父事件を耳にした。「草の乱」という映画を上映したと。秩父事件にはホ-ムペイジでオフィシャルサイトがある。「草の乱」の映画は知らなかった。従って見ていない。明治の頃、あるいはその前でも農民一揆や蜂起はあった。それは生かさず殺さずの国家権力の圧制に対する怒りであった
国家権力も騒動、騒乱が起これば武力を持って制圧し、首謀者を見せしめに殺す。明治以前の島流しなどは無いんだな。しかし、秩父事件には生き永らえた者がいた。草の乱で描かれた会計長の井上伝蔵は欠席裁判で死刑を宣告されるものの、秩父の地元民に匿われて、名を変えて北海道に定住して、六十年以上生きていたと
今の国家体制では考えられない。今じゃ、国民一人ひとりに背番号を付けている。最近の病院では名前でなく、番号で呼ぶが、国家は民に番号を付けて一生付き纏う。そいが国家の勤め、民を縛る努めであろうな。ただ憲法だけが為政者を縛るな
小栗康平が語っていたが、師匠である浦山桐郎が「哀切なら誰でも撮れる、それが痛切であるかどうかだと」と話していたと
秩父事件では皆、殺したわけではないんだな。生き延びた者に興味をもった。生き延びて世に出した。事件で多かれ少なかれ例えば会津の白虎隊、赤穂浪士四十七士、新撰組でも後世まで生き延びた者がいた
文化勲章を受章した丸谷才一が昭和41年に「笹まくら」を河出書房から刊行した。徴兵忌避者を描いた。実際に丸谷才一自身、徴兵令から逃げるような体験をしたらしい。軍隊から逃げる、片や軍隊に入り論理的に軍人を追い詰めていく様を大西巨人が「神聖喜劇」で描いた
笹まくらも河出書房の書き下ろしの記憶がある。同じ書下ろしで高橋和巳の「憂鬱なる党派」があった。坂本のワンカメさんだったかな
民は圧制に堪えかねた時に蜂起する。起ちあがらぜるを得ない時に立ち上がる
起てよ 飢えたる者よ 今ぞ日は近し
今じゃ、インタ-ナショナル、グロ-バルと叫んでいるのは右翼だな
民の武装蜂起は高橋和巳の「邪宗門」だな。大本教を題材にしたが、面白かったな。それと五木寛之の「戒厳令の夜」だな。いずれも虚構であるが、あり得るし、あり得なかったことがむしろ不思議であるかな