風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

冬至

2016-12-20 19:00:13 | 文藝

明日、12月21日は冬至。二十四節気の第22と。北半球ではこの日が一年のうちで最も昼の時間が短いと。旧暦だと11月23日である。二十四節気とは中国からきたと。中々理にかなった暦である。一年を春夏秋冬の四季に分け、季節を更に六つの節目を設けている。

昔は農業が主であったので、農事暦であろうが、今では自然を感知できる。自然の移ろいが分かる。一年の始まりの立春の前日が節分である。二十四節気を眺めると、小雪、大雪、冬至の後が小寒、大寒である。雪の降り始めは寒くなく、大雪の後に寒が来るかな

冬至は年末、年の瀬である。東京の早稲田大学の近くに穴八幡宮がある。冬至のお祭りは全国的にも珍しく地方からバスを仕立てて来る。ボケ封じも手伝って昔は、早稲田通りは、さながら年末の渋滞となる

寺や神社も商売である。お守りを買い、お守りの寿命は一年で毎年売り買いする。売る方も買う方も納得している。一陽来復のお守りを恵方の壁に貼る。ご利益があるなしに関わらず、毎年の習慣なんだな。坊主丸儲けと言われるが、そこまでの過程が苦労であろうな

坊主と神官は異なるが、いつしか「男はつらいよ」でも寅さんが演じていたが、死者を相手に来るから苦情がない。しかし本来、修行が辛く、肉体そのものであろうな。真冬でも薄着だし、剛健でなければ持たないだろうな。精神よりもまず肉体だな

高田馬場駅から早大正門まで、バスが昔から出ている。東京都の経営である。いつ頃からか地下鉄が通り出した。昔の学バスは片道7円50銭、往復15円であった記憶がある。地下鉄が通過した頃は、乗合自動車よりも地下鉄料金の方がはるかに高かった。今では、学バスは片道180円、地下鉄は170円である。料金では逆転した

信州に小梅線がある。小諸から小淵沢までの高原列車である。途中の野辺山では国鉄の標高最高地点がある。小梅線に沿った国道を走っていると、「秩父事件戦死者の墓」の標識が立っていた。信州で秩父事件とはと思いつつ立ち寄った

今では小梅町教育委員会の解説文があった。墓は馬流という駅の向こう側の山の中腹にあった。長閑な場所であった。秩父事件戦死者の墓だけでなく、あの辺りは墓地が多い。地元の爺さんに聞くと、昔は千曲川がもっと山の方にあったとか。そのせいか墓地が多いと。最後の激戦地となったと。地図でみると、秩父は山の向うである

秩父事件については、いつだったかなTBSで秩父の観光を取り上げていた。司会は大沢悠里、対談相手、助手は見城美枝子であった。ジャーナリストと言われる見城美枝子はコクミントウと発音していた。番組の最中で、大沢悠里は見城美枝子に向かって、台本ではコンミントウと書いてあると嗜めていた

ラジオとは言え、台本があるんだな。朝日の羽鳥慎一も頭は良いが、取材先の温泉旅館の女将が台本はあると言っていた。まあ、台本通りに進行する場合もあるが、見城美枝子が「困る」と言う事が分からなかったな

最近、ふとした事で秩父事件を耳にした。「草の乱」という映画を上映したと。秩父事件にはホ-ムペイジでオフィシャルサイトがある。「草の乱」の映画は知らなかった。従って見ていない。明治の頃、あるいはその前でも農民一揆や蜂起はあった。それは生かさず殺さずの国家権力の圧制に対する怒りであった

国家権力も騒動、騒乱が起これば武力を持って制圧し、首謀者を見せしめに殺す。明治以前の島流しなどは無いんだな。しかし、秩父事件には生き永らえた者がいた。草の乱で描かれた会計長の井上伝蔵は欠席裁判で死刑を宣告されるものの、秩父の地元民に匿われて、名を変えて北海道に定住して、六十年以上生きていたと

今の国家体制では考えられない。今じゃ、国民一人ひとりに背番号を付けている。最近の病院では名前でなく、番号で呼ぶが、国家は民に番号を付けて一生付き纏う。そいが国家の勤め、民を縛る努めであろうな。ただ憲法だけが為政者を縛るな

小栗康平が語っていたが、師匠である浦山桐郎が「哀切なら誰でも撮れる、それが痛切であるかどうかだと」と話していたと

秩父事件では皆、殺したわけではないんだな。生き延びた者に興味をもった。生き延びて世に出した。事件で多かれ少なかれ例えば会津の白虎隊、赤穂浪士四十七士、新撰組でも後世まで生き延びた者がいた

文化勲章を受章した丸谷才一が昭和41年に「笹まくら」を河出書房から刊行した。徴兵忌避者を描いた。実際に丸谷才一自身、徴兵令から逃げるような体験をしたらしい。軍隊から逃げる、片や軍隊に入り論理的に軍人を追い詰めていく様を大西巨人が「神聖喜劇」で描いた

笹まくらも河出書房の書き下ろしの記憶がある。同じ書下ろしで高橋和巳の「憂鬱なる党派」があった。坂本のワンカメさんだったかな

民は圧制に堪えかねた時に蜂起する。起ちあがらぜるを得ない時に立ち上がる

起てよ 飢えたる者よ 今ぞ日は近し

今じゃ、インタ-ナショナル、グロ-バルと叫んでいるのは右翼だな

民の武装蜂起は高橋和巳の「邪宗門」だな。大本教を題材にしたが、面白かったな。それと五木寛之の「戒厳令の夜」だな。いずれも虚構であるが、あり得るし、あり得なかったことがむしろ不思議であるかな


風になった しいある

2016-02-16 16:34:56 | 文藝
図書館に行き、ふとしたことで書籍を手にした。題名が「風になったしいある」副題として「軽井沢病院産婦人科医療事故 遺族の手記」著者が鈴木美津子、発行所が㈱マガジンランド、2008年12月15日が初版である。

副題の通り、産婦人科での産婦の死亡について、遺族が記している。遺族だから感情がはいるのは自然の成り行きである。人が行動を起こす場合は、論理よりの感情が大きい。発端はパトスだな。そのパトスが走り出す。

裁判までいった、あるいは裁判を起こさざるを得なかったが、書かれてあることは、何だな。世間一般の常識とは余りにかけ離れているな。

事が起こったのは、2003年10月5日、今から13年ほど前、舞台は避暑地で名高い軽井沢町、その地にある町立とも言える軽井沢病院。10年一昔と言うがの
 
今も、軽井沢町は存在するし、軽井沢病院も存在している。軽井沢は避暑地と言われる。ちなみに軽井沢には様々なキリスト教会がある。その結婚式で商売として売り出している。しかし、ショ-記念礼拝堂にしても軽井沢高原教会にしても、牧師、つまりプロテスタントなんだな。

西欧で宗教革命が行われ、当時腐敗しきったキリスト教に変わってプロテスタントが台頭した。日本に来た宣教師は旧来のカソリックが多い。そして日本に伝道に来たカソリックはどういう訳か不思議なほど清廉潔白な者であったと。

軽井沢町のカソリックは聖パウロカトリック教会だけである。従って山の中だけあって町としてあるいは避暑地としては新しいと言える。

小生はいつも枕が長い。当時の軽井沢病院では信じられないことが行われていたようだ。医者とは人の命を救うことが大前提である。その間には事故あるいは合併症も起こるだろう。交通事故もどんなに注意しても事故は起こり得る。
医療の現場でも、予期せぬ合併症とかも起こるであろう。しかし、この「風になったしいある」では医者の倫理観がひとかけらもないんな

医業とは専門分野の分散化が激しい。内臓ひとつとっても、呼吸器、消化器、腎臓、心臓と分かれている。消化器の専門医は肝臓を知らない、腎臓は感知しないでまかり通ることもあり得る。昔の医者は機械の医療機器の進歩がさほどでなかったので、医者の経験や患者の状態で判断することもあった。今じゃ機器とパソコンとにらめっこで、患者に接する時間は短くなった。

軽井沢病院産婦人科の医療事故は当時、新聞やマスコミでも大々的にとりあげられたと。しかし裁判、法律ともなると、客観的な証拠、100%の証拠がないと駄目なようである。そして医療事故は起きてから、だいぶ経て発覚する。

論理の世界は難しい。釈迦は30にしてたつ、すべて論理的に解明できたと言ったが、それは神であろうから

人の世では100%とはあり得ない。善悪でも100%はあり得ない。盗人にも三分の理と言う言葉もある。

昨今では医者の倫理は落ちたようだな。忙しいこともあろうが、医者だけでなく誠実さに欠けてきたようであろうな。

この本を読んで、これだけ軽井沢町、あるいは軽井沢病院が書かれているが、いまだ存在している。あるいは存在し得ている事は首を傾げざるを得ない。あるいは当時とは状況が変わった、変えたのであろうか。


バカまるだし

2015-12-23 12:58:27 | 文藝
近年にない面白い本である。面白いと言うか痛快だな。テレビやラジオは広告主で成り立っている。新聞も多くはスポンサ-の意向に反することはできない。出版ならではだろうな。出版しかなし得ないだろうな。

 2007年(平成19年)に講談社から刊行された。現在は講談社文庫に収められている。

冒頭に、永六輔が語っている。

役者バカ・藤山寛美。
版画バカ・棟方志功。
野球バカ・長嶋茂雄。
こういったバカたちは実は尊敬されている。
同じバカがついても、改革バカ・小泉純一郎となると・・・・・・。
そして、この本で対談している二人は・・・・・。
ラジオバカ・永六輔。
編集バカ・矢崎泰久

ハッキリ言って、バカまるだしである。
バカといっても「馬鹿」と「莫迦」。
サンスクリット語のあて字が「莫迦」、さらに馬と鹿の力を借りている。

この対談のテ-マはひとつ。戦争反対だ。
平和バカもいれば戦争バカもいる日本。
「美しい国バカ」にこの本を捧げたい。
永六輔

冒頭から面白い。昔「面白半分」という雑誌があった。編集長は色々変わったが、「四畳半襖の下張」で名を馳せた。

もう一つ「話の特集」という雑誌があった。こちらは矢崎泰久が編集長であった。編集長であったから、作家や漫画家や挿絵家を数多く発掘した。著書の「あの人をみよ」では深沢七郎と少年の頃近所に過ごしていて、その頃のペンネ-ムは桃原青二であった。その後本名の深沢七郎になったが、日劇ミュ-ジックホ-ルで出演したり、後の「風流夢譚」の件も描いていた。中央公論も出版社としての矜持のカケラすらなかったな。

 この対談では、永六輔は一応マスコミの人であるので、抑えている。矢崎泰久は随所に言いたい放題であろうな。それも活字にのせるほどであるが。永六輔も最初に矢崎泰久と会ったときは、「怪しいヤツだ」と思ったが、やっと最近になって心が許せるようになったとか

テレビで顔が売れると、いつのまにか「善」になっちゃうと。テレビが悪人を善人に変えてしまうと。そう言う面がある。朝から晩まで電波を流されればそうなっちゃうな

「国のお褒めを辞退する会」っていいじゃない。杉村春子は文化功労者には選ばれているけど、その後の文化勲章は辞退している。岸田今日子はたしか、文化功労者も辞退しているはずだ。

矢崎泰久が「話の特集」をやっている頃、篠田正浩に紀元節復活反対の原稿をかいてもらって、イラストレ-ションに横尾忠則。若い女性が菊の紋章にオシッコをかけていたと。案の定、刀を持った右翼が乗り込んできたと。「編集長はいるか」と、そしたら皆、一斉に矢崎泰久の顔を見たと。恐ろしかったと。

とっさに思い出したのが、ガキの頃に叩き込まれた歴代天皇の名前だと。神武、緌靖、安寧、懿徳、考昭、考安・・・と124代全部言ったと。ついでに、難しい漢字も書いて、「私はあなたよりも皇室のことに詳しい、そうじゃありませんか」と言ったら、右翼が「恐れ入りました」って。でもほんとに怖かったと。

五木寛之も、かって語っていたな。飲み屋で旧軍人に絡まれて、キサマ軍人勅語を言ってみろと言われたと。五木寛之は一つ 軍人はと滔々と話したと。旧軍人は舌をまいたと。

教育とは恐ろしい。昔の教育は暗証だな。そして一度覚えたら忘れようとしても忘れられない。教育の恐ろしさだな。そして教育とは国家が握っている。

こないだ相撲部屋の稽古風景を若い女の子と見ていたら、「鉄砲注意」って張り紙が写っていたと、それを見た彼女が、「九州場所だから鉄砲を持って来る人がいるんですか?」と、

モンゴルへ行ったとき、朝青龍が土俵入りするときに、縄を締めているのはなぜだっていう質問。つまり、横綱の注連縄が不思議だと

あの注連縄って、神道では「標 しめ」といって、神様のいる場所とそうじゃない場所とを分けるものだと。つまり、神棚と同じで、あの向こう側に神様がいるわけだと。

横綱の場合は、オチンチンだと。昔からある男根信仰からきていると。

戦時中の遥拝(明治神宮前を通ると臨時停車して、全員直立不動でお辞儀をする)の話でも、若いヤツに「チンチン電車に乗って・・・・」なんて話しても、そのチンチン電車が通じない。

昔、ビニ本を作っていた時代があった。取締りは厳しいけど、飛ぶように売れたと。ところが、取締りがゆるくなると、全然売れないと

矢崎泰久が、田中角栄の秘書の早坂茂三にすごく褒められたと。彼に日本のジャ-ナリストで、こいつだけはすごいと思ったヤツが一人いる、矢崎泰久だと

ある日、早坂を通じて、田中角栄が会いたいと、田中角栄は嫌いだったけど、ジャ-ナリストだから会った方が良いと思って、会ったと。魅力的な男だったと。ここで親しくなったら危ないと思ったと。

しかし、自分でもダメなヤツだと思ったけど、ご馳走になった。帰りに、お車代って包まれた。ズシリと重い。見ていいかと聞いたら、どうぞと早坂が言ったと。見たら百万円くらい入っていたと

今から考えれば惜しい事をしたと思うけど、きっぱり断った。そしたら、早坂が雑誌の座談会かなんかで、そのことをしゃべったの。「矢崎はすごいヤツだ。他のジャ-ナリストはみんなもらった」と

算盤の五つ玉は、博奕ばくちと深い関係がある。博奕の理屈でいうと、「張った、張った、丁目半目揃いました、ハイ、できました、どうぞ」とやるでしょう。あれは算盤の上と下の玉と同じ理屈ですよ

胴元は半目丁目に合わせる。つまり、客が張るでしょ。丁に張った客と半に張った客と、どっちか足りないときがある。そこで胴元が足りない方につくか、誰かを誘って数を合わせるか、乗せるか、それが胴元の腕なんです。

いまはどうか知らないけど、昔は、新聞では使いものにならないヤツがテレビジャ-ナリズムの世界に入ってきた。要するにレベルが低いんですよ

憲法の本来の正しい形は、聖徳太子の17条憲法だと。三波春夫に聞いたが、17条憲法は国民宛じゃない。大和政府の役人宛てなんです。役人の規範を書いている。市民は関係ない。本来、一般市民は憲法なんて気にしなくてもいい。憲法はあくまでも国の舵取りをする政治家や役人、つまり為政者を縛るための法律なんであって、国民は憲法に縁がなくても、幸せならそれでいいんですよ。

マッカ-サ-は相当の日本通だった。彼は若い時に日本に来ているし、新婚旅行も日本だった。マッカ-サ-のお父さんが、日露戦争の観戦武官だった。その後、二度目に結婚した奥さんと、新婚旅行で横浜のホテルニュ-グランドに泊まっている。

マッカ-サ-は10回も天皇と会っているが、日本側の通訳が残した会見録というのは3回分しか公開されていない。それ以外は、マッカ-サ-と何を話したかは、全部秘密なんだ。戦後の「菊のカ-テン」はそこから始まっていると

「旅行」ってもともと、旅に出る「行ぎょう」です。つまり、「リョギョウ」なんです。旅がなんで「行」かというと、「旅」という字は、旗の下に多くの人が集まるって意味、つまり軍隊のことだからね。軍隊の編成で「旅団」ってあるじゃないですか。あれは、そこからきているわけです。

だから、「ひとり旅行」とは言わない。あくまで「行」のつかない、気楽な「旅」で良い

最後に矢崎泰久が記している

 私はこの本のタイトルが嫌いである。なにしろ「バカまるだし」では自分に突き刺さってかなわない。その通りだからだ。
 何をしても、何を言っても、「ああ、オレは何てバカなのか」と、しみじみ思いながら齢70余になった。その点、永六輔は利口そのものである。読んでいただければわかるが、私というバカを相手にノビノビとしている。悔しいが事実だから仕方がない。

この本は、「本音まるだし」とすべきだった。日本社会の仕組みは「タテマエ」だらけであって、「ホンネ」は通用しにくい。嘘ではないかと思われるほどに、本音でものを言っている。いっそ、「嘘ばっかり」というタイトルにするべきだった。
正反対の位置に鎮座ましましているのが、この国の権力者たちである。腹が立つがどうにもならない。

庁を省に格上げした人が、憲法を変えようと主張する。はっきりと「9条廃止」となぜ言わないのか。衣の下に刃を隠して再び戦争への道を進もうとしている。世界平和を求めるならば、核だけでなく、あらゆる武器を捨てよ、と言いたい。
                                                      矢崎泰久