風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

喧嘩だ! 喧嘩だ! 殴り込みだ!

2020-10-24 17:41:36 | 世評
火事と喧嘩は江戸の花だと

江戸っ子は気が短い、感情が表に出るために喧嘩っ早いと。火事場の見学は多いが、喧嘩は見学も自分もだろうな。喧嘩とは言っても江戸っ子では武器は持たずに素手での喧嘩であろう

喧嘩は必ずしも腕力の強い者が勝つとは限らない。喧嘩は先手必勝が肝心である。それと場数だな。喧嘩にはスポーツのようなルールはない。要はその場で相手を負かし、そして恐れさせることである。役者で石倉三郎は高倉健から倉の一字をもらって芸名にしたと。痩せているが、どう言う訳か喧嘩は強いと。

報道によると、10月16日に、菅義偉は日本学術会議の梶田隆章会長と首相官邸で会談したと。会談は約15分、会長に今月就任した梶田隆章の挨拶を目的に、学術会議側から求めたと

菅義偉は会談後、記者団の取材に対し、「学術会議が国の予算を投ずる機関として、国民に理解をされる存在であるべきだ」と、さらに「梶田会長からは未来志向で、今後の学術会議のあり方を政府とともに考えていきたいとの話があった」と

この報道が事実なら、こりゃ駄目だわ。へいへいかしこまりました。仰せの通りでございます。喧嘩にもならない。梶田隆章は喧嘩などする気は無い。小生は学術会議とは部外者である。会員でも連携会員でもない。しかしこの国の一市民である。一市民としてなら関係もあると考えたい

日本学術会員は120名の会員と約2000名の連携会員がいると。第一部が人文・社会科学、第二部が生命科学、第三部が理学・工学だと。2018年12月10日の日本学術会議の資料によると政府機関であるため、事務局員数は61名だと

会員や連携会員の名前は公表している。事務局員は多分国家公務員であろうが事務局員の名前は分からないが、局長は福井仁史とか。今回の会員候補6名の任命除外を聞いて大変驚愕したと

インターネットの世界では恐ろしく詳しい知識人がいる。今回の任命拒否でネットの意見を拝見している。この件は感情でなく論理の問題だな。道理や理屈で判断する以外にはないな。倉阪秀史氏のツイッターに当たった。内閣総理大臣による任命行為は1984年の改正の際に設けられたと。法案を採決する際には、審議をした委員会の意思を文書として残すと。それを付帯決議と言うと

そうだな、間違っても国の最高機関である。法案を通すのに言った言わないがないように文書に残すと。第100回国会参議院文教委員会第2号昭和58年11月24日の附帯決議、第159回国会衆議院文部科学委員会第7号平成16年3月23日の附帯決議はあると

やはり選任方法とか変わる場合には国会では討議して文書に認める。内閣総理大臣が会員の任命をする際には、日本学術会議側の推薦に基づくという法の趣旨を踏まえて行うこと、と。そうしないと国家権力は何をするか分からないからだな

どの国でも、どの時代でも権力者は自らの権力を末永く保持したがる。権力の座は美味しいんだな。心地良いんだな。この国だけでなく海の向こうも同じだな。憲法を変えても自らの地位を継続したがる

梶田隆章会長の菅義偉との階段は完敗であった。権力者に取ればノーベル賞受賞者などは意に関しない。のこのこ呼び出されて、先手は負けた。しかし二幕がある。芝居では二幕でガラリと変わることもある

菅義偉は長い間、安倍晋三の恥部、陰部を担ってきた。参謀とも言えた。今度は参謀が最高権力者に、二階俊博によって、二階俊博と利害共有者になった。普段の会見では下向きの顔、メモを常に携えての会見である

見ようによっては自信が無いようにも見える。しかしメモ無しでは本音が出るんだな。いや出ちゃうんだな。こう言うことを言ってはいけないと、メモがあれば言わない。しかしメモ無しではついつい口から、飛び出すな

10月9日のグループインタビューだった。「最初に案をご覧になったのはいつか、その時点では105人の名前が載っていたのか」と聞かれたが、えーえー、「私が最終的に決議をおこなったのは9月28日です。会員候補のリストを拝見したのはその直前だったと記憶しております。まあ、その時点では、現在の最終的に会員となった方がそのままリストになっていたとふうに思ってます」「総理がご覧になった段階でもう99人だった?」と質問すると、菅義偉は「そういうことです。任命するリストですから」さらに「任命するその前の推薦段階でのリストはご覧になっていない?」と、聞くとはっきりと「見ていません」と

報道ではそのようなやり取りだったと。菅義偉は逃げた。あたかも自分の意志で6人の任命除外を匂わせている。「総合的、俯瞰的に判断した。前例を踏襲して良いか考えた」と言うが、6名のリストからの除外には直接関わっていないと言いたかったんだな。論理が一貫していない

官房長官とは首相の手足である。逃げたらまた新たな手足を添えれば良い。しかし、総理大臣、大将は逃げちゃ駄目だな。大将が逃げたら、部下も逃げる。安倍晋三も森友で逃げた。だから公文書の改ざんまで発展した。いやせざるを得なかった。死人を出しちゃった

また、菅義偉の唯一の著作を文芸春秋社から出版したと。出版の編集権は出版社にあるが、著者も関わってくる。「政治家の覚悟」だと。帯封に「国民の「当たり前」私が実現する、新総理の原点」だと

公文書の重要性、『政府がどう考え、いかに対応したかを検証し、教訓を得るために、政府が克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です』と、当たり前の事を言っている。まともな事を言っている。その記述部分の章を削除したと

森友・加計、桜を見る会での公文書の改ざん・破棄について、2017年8月に記者がこの書物の公文書のあり方部分を読んで、この本を記されたのは、どなたかご存じですしょうかと聞くと、菅義偉官房長官は「知りません」と

官房長官では逃げられた、逃げ足が速かったのでその場は収まった。しかし最高指揮官ではこうはいかない。文学や論評でも、例えば盗作した立松和平や風を虱と書いて謝った山藤章二がいたが、総理ともなると、最高司令官なんだな。いくらシマの人間でも別だな。総理とはシマの中から出なくちゃならないな

文春新書編集部は取材に「官房長官時代のインタビューなどを加えて新たに編集したものであり、特定の文言の削除を意図したものではありません。本の総ページ数など全体のバランスを考えた上で、編集部の判断で割愛しました」と

編集部の判断なんだな。文藝春秋社の粋な計らいだな。それは政治家の信念にも関わるな。出版社は商売に関わってくる。話題を提供して売上の増加を目指す。編集方針もあるが、商売上の方が重要である

文藝春秋も商売上宣伝を掛ける。サワリ部分を宣伝のために抜粋して公表している。『人事権は大臣(※菅氏は当時、総務大臣)に与えられた大きな権限です。』『とりわけ官僚は「人事に」敏感で、そこから大臣の意思を鋭く察知します。』

NHK改革に関して『さっそく局長を呼んで調べたところ、懇談の議事録が残っていて、はっきりとその課長の発言が記載されていました。NHK改革が簡単か難しいか訊かれてもいないのに、わざわざ自分から見解を述べた発言であることが分かりました。』

官僚が人事に拘ることに関しては、出世を望むことに関しては、横浜の市議になった時からだと。長年の秘書時代からかな当時の市長とは馬が合ったと。人事の情報がいち早く入ると本人に告げると、そうすると当人たちは菅義偉が人事をしているのかと錯覚すると。それも菅義偉は計算しているんだな

26日からの国会では菅義偉の所信表明があると、予算委員会では質問が丁々発止で飛んでくると、メモ無しでの答弁である。見ものである。それは菅義偉もそうだが野党からの質問もである

何故、公文書の重要性を削除したか
公文書の重要性より、官邸のインタビュー記事の方が自らの信念であるのか
それとも考えを、信念を変えたか

学術会議の会員の任命は99名を任命したが、その理由は
6名を除外したのは自らか その理由は

日本の携帯電話の料金は高いのか その理由は
3社の独占状態は変わらないか

地方の銀行も利益が下がったのは何故か
合併する弊害は

菅義偉とは、議論の過程が嫌いで、結果が出てくる。説明とか理由がない。説得力がない。国会とは菅義偉と言う総理大臣の考え、ひいては人間を知る機会なんだな

土台、下からたたき上げで伸してきて暗部を担ってきた男が総理になっちゃった。人事に警察畑を8年近くいた者を配し官僚を操ってきた。最高権力者に上り詰め、財政も軍隊も握った。後はこの体制の長期化を図るだけである。そのために学問の自由などは困るのである。学問の自由を与えたら自らの首を絞めることにもなり兼ねない。学術会議の任命はその入り口である。ここを突破したら国立大学の学長や学者にも手を伸ばしてくる

国立大学だけでなく私学にも国庫補助金を導入している。国の財政を与えていると言う理由であらゆる分野で自らの配下に置こうとするだろう。それが菅義偉の信念であろう

喧嘩とは最初の踏み込みが肝心である。最初の勢い、気迫がものを言う。相手に手強いと身に焼き付けることが重要である。第一幕では大将が白旗を上げた。文藝春秋のお手つきで第二幕が下りた。ここで99名のうち、1名でも任命を辞退して、首相官邸前で莚を掲げて座り込みしか手が無いだろう。「私は御用学者じゃ無い。学術会員の任命をあなたから受けません」と

ここが瀬戸際である。ここで崩れたら、後はなし崩し的に菅義偉の言いなりになる。菅義偉は何せ信念を持った男である。99名の内1名でも立ち上がれば突破口は開けてくるだろう。それ以外に道はないだろうな。そすれば同調者はきっと現れる。現れなければこの世はオシマイだ

明治の表を描いたのが司馬遼太郎なら、裏を描いたのは山田風太郎と言われている。山田風太郎が「コレデオシマイ」を記したが、そうならないためにも正念場だな



山桜

2020-10-17 11:21:53 | 文化
山桜、1時間30分ほどの映画である。原作は藤沢周平の「山桜」である

藤沢周平の原作は映画、映像の世界では良いんだな。映像にし易いのかも知れない

小説の原作を映画化した場合には、原作より落ちるのが多い。原作を参考にして映画を作るのだろうが、映画監督にすれば原作とは別物で監督の作品なんだろうな。オーケストラも指揮者によって作品は異なってくると

浦山桐郎がいた。「私が棄てた女」ではミツをオーディションにて小林トシ江を起用した。まるでタコ部屋なんだな。外部との接触を一切禁じ、浦山桐郎のイメージ通りの女を作成した。小栗康平も泥の河だったかな、少年を公募で起用し、同じく外部との接触は出来得る限り断ち切った。終わった後に少年から思いっ切りぶん殴られたと

「山桜」の冒頭で、磯村野江(田中麗奈)が墓参りの帰りに山桜の枝を折ろうとする。しかし手が届かず足袋を汚してしまう。そこへ手塚弥一郎(東山紀之)が通りかかり手を伸ばして山桜を折って野江に渡す

櫻切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿と言われる。桜を折る行為とはと思い、小生には違和感があった。昔は桜と言えば山桜、吉野の桜なんだな。明治になって染井村の植木職人が新しい品種の桜を改良した。染井村の桜からソメイヨシノと言われた

従来の山桜は花が開花すると同時に葉も伸びる。葉の伸びはじめは緑色だが次第に赤くなると。吉野の山桜は花と赤い葉が一緒である。「山桜」の葉は緑、若葉、青葉と薄桃色の花、気品がある。どこで撮影したか知らないが、1本だけの山桜は気品がある

小林秀雄は明治の文部省の役人は尋常小学校の校庭に染井吉野を植えたと、品が無いと。「山桜」の桜の花と木を見ると、小林秀雄の説も大いに納得するな。吉野の山桜は赤茶けた葉であったので、染井吉野の絢爛豪華さとは比べようがないが、「山桜」の山桜を見ると、間近に見ると良いものだわ

山桜は山に群生している。山では肥料が無いだろうが、春を告げると花開く。遠くに見えるので、山笑うようでもある。里で山桜に会うことは余り無い。しかし桜を切るのは?

櫻切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿とはソメイヨシノを指したのであろうか。確かに染井吉野は寿命が短いと。三春には枝垂れ櫻が多い。滝桜も養生して蘇生したと

「山桜」は極端に台詞が少ない。役者の動作と周りの情景だけである。山桜にしても花瓶に生けても生きてくるんだな。そういう意味では華道も存在意味があろうかな

手塚弥一郎(東山紀之)は母一人、子一人の家、しかも剣の達人。以前に出戻った野江に縁談を申し込んだが、断られた。家庭環境と剣一筋では人柄までは考えが行きつかない。どこの藩でもそうだろうが、腹黒い私腹を肥やす重臣はいる。重臣ゆえに改革者であるゆえに家臣たちは異を唱えられない。代案もないし、改革の流れに乗らざるを得ない

手塚弥一郎(東山紀之)は下級藩士。職務には忠実である。陰では重臣の考えを批判する者もいるが、批判者には群れをなさない。農業とは天候に作用される。長雨がたたり不作になる。百姓とは百種類の作物を育てると言われるが、稲作が最も腹を満たすし、年貢は米である。しかも凶作に乗じて年貢率は増加する

長雨で凶作になったので、婆さんや子は弱いものゆえに腹をすかして死んでゆく。ある時手塚弥一郎(東山紀之)は意を決して悪徳重臣と道で会い刀を抜く。重臣の手下をあっと言う間に峰打ちで倒し、重臣に刃を向ける

重臣は逃げない。やはり腐っても武士だな。逃げずに刀を抜いて手塚弥一郎(東山紀之)に立ち向かう。手下も倒され援軍もいないため、剣の達人に立ち向かう。現代に例えると、論理でくれば論理で戦うんだな。手塚弥一郎(東山紀之)は悪徳重臣を切り殺し、黙って大目付の屋敷まで歩いていく

普通では藩内で上司に剣を抜く。刃を向ける。良くて切腹、悪ければ斬首刑だな。しかし多分、悪徳重臣は切り殺されたのであろうな。殺されたから重しが無くなったので、裁きも出来なくなった。裁きをする者が居なくなった。刑を強行すると百姓の反感を買う

手塚弥一郎(東山紀之)は自己弁護もせず、弁解もせず、助けも請わず淡々として黙している。まさに忍だな。何を忍んでいるか。耐えてはいない

人名で「忍」と言う名がある。普通は女性の名だが、男にもいる。知り合いに「忍」と言う名前の男がいた。若い頃は忍という名前が嫌だったと。分かるな

小生の出身の高校も校訓が「忍」だった。小生も何故「忍」としたか分からない。まあ忍ぶも良いかな。忍ぶ忍ぶれば、偲ぶにも通じるかな

「山桜」の登場人物は科白が少ない。また人の良い悪いがはっきりしている。良い人間はどこまでも良いし、悪い人間、下賤な人間はどこまでも卑しいな。しかれども勧善懲悪とも違うな。物語は淡々として進行していく

時代劇にしても西部劇にしても、良い人物と悪い人物がいる。現代劇と違い、人の良い悪いが色分けされている。はっきりしている。それが人の好さが清々しい、清涼感が漂ってくる。それが時代劇の好さかもしれない。また限界かも知れない。しかし、さっと一服の薫風の感がある

小説だけでなく、世とは理不尽なことがまかり通る。加藤唐九郎はかって、芸術の上では何をやっても良いと。寺山修司は芝居とは演劇とは一つの実験だと。訳も無く、一刀両断とはあり得る。論理では解明できないことも多い。しかれども胸に秘めることもあり得る

榎本三恵子の蜂の一刺しではないが、言葉に出したら消えてしまうこともあり得る。シャボン玉のように口にしたら飛んでいっちゃうこともある

高橋治が語っていたが、無法松の一生をベネチアに持って行ったが、口に出さない恋愛感情が分からなかったと。黙して語らずとは恋愛だけでないだろうな


サヨリ

2020-10-08 16:10:02 | 世評
台風が来ていると。梅雨時の長雨、夏の厳しい暑さを過ぎ急に寒くなった。山の木々は紅葉を待たずに落葉している。夏枯れと言おうかな、木々の緑の生気が無い

昔、北に旅した。確か秋田だったかな。都わすれと。地元の人間に言わせると山の中の旅館を作っても来る人があるかと。都忘れと言う綺麗な名前だったので記憶に残っている。もう数十年にもなろうかな。もう一つ地元の新聞を見ていて、五木寛之の「親鸞」が連載されていた。不思議だなと思いつつ東京に戻り東京新聞に問い合わせた

確か共同通信とか時事通信とかが地方新聞に流していると。発信元は共同通信か時事通信だと。その時は詳しく調べなかったが、妙な現象だなと記憶に残っている。五木寛之でも発信元は一つで、それを各社に流しているとは

著作権でも一社じゃない。あるいは一社に独占して各社に流している。こういうやり方は疑問符が残った。著作とは一社との契約ではないかなと思いつつ、こういうやり方もあるかと疑問に残った

今回、柿崎明二が総理補佐官を受諾したと。共同通信社は一般社団法人共同通信社と子会社である株式会社共同通信社があると。その前身は戦前の国策通信社であった同盟通信社が1945年10月31日に解散して、解散させられて共同通信社と時事通信社とに別れたと

報道部門を一般社団法人共同通信社となり、出版業務を株式会社時事通信社となったと。戦後は終わったと、令和の時代だと、15年戦争敗戦より70数年経ているがまだまだ戦後を引きずっている感がある

テレビで「ひるおび」がある。報道のTBSと言われたお昼のお笑い番組である。司会は恵俊彰。お笑い出身にしては媚びを売らないし誰に対しても物おじしないから上手い司会である。政治関係の出演者は時事通信社出の田崎史郎。それに現職の共同通信社の柿崎明二が加わった。どういう経路で出演者が決まるか分からないが、田崎史郎は安倍晋三の応援者言わば手下であろうな。それに比べ柿崎明二は安倍晋三の陰部に批判していたんだな

どちらも母体は通信社である。共同通信社は一般社団法人であるため地方新聞に配信する。地方新聞であるため、外国からの情報は共同通信社から流れる。テレビとはインターネットと違い、映像をそのチャンネルなら一方的に流す。それも何度も何度も同じ映像を流す。時たま前後関係が分からなくなる。果てにはどのチャンネルでも同じ映像が流れることがある。映像には著作権は無いんだろうかな

政府の事業に深く関わっているのに株式会社電通がある。その株主に2019年末日時点で大株主に2位に一般社団法人共同通信が18,988,800株で6.86%、4位に株式会社時事通信社が16,178,680株で5.84%であると。いつ頃株主になったのかは知らないが、両方で10%も超えている。この国は分からない

柿崎明二は秋田出身であると。柿崎明二が、菅義偉が総理に任命された9月16日に一般社団法人共同通信社に退職願を提出したと。それ以降ひるおびに出演しないが、9月30日のひるおびに元TBS解説委員で流通経済大学教授の龍崎孝が出演した。

龍崎孝は柿崎明二が総理補佐官になり「がっかりした」と。龍崎孝と柿崎明二は毎日新聞入社で同期だったと。柿崎明二は早稲田大学の文学部出身だと。新人研修で販売店研修を行った時の思い出を披露した。新聞を積んだトラックに二人で乗って色々話をしたと。研修終了後の配属先について、柿崎明二は「政治部に入って、将来は政治家になりたい」と。龍崎孝は「ラグビー記者になりたかったから、すごい大人だと。ピカピカの時に言っていた」と

新聞社とはインテリが紙面を作成して、ヤクザが売ると。面白いと言えば面白い。ヤクザと堅気が入り組んでいるんだな

この龍崎孝の言葉が全てを物語っている。政治家を目指すなら、早稲田なら政治経済学部であろうな。間違っても法学部だな。文学を目指すなら文学部であろうな。文学部での政治家を目指すか。江藤淳がいた。「奴隷の思想を排す」で世に出た。新進気鋭の文芸評論家であったが、以後保守派に転じた。柿崎明二も若い頃から政治家を目指していたんだろうな

ただ、思想とか評論は言葉であったな。秋田県沖には山形県の飛島が見える。飛島と言えば深夜叢書社を設立した齋藤愼爾がいた。孤島の寺山修司とも言われた。普通は吉本隆明か埴谷雄高だが、両者に愛された。画風が違うと言えば、奇しくも生年月日が同じ五木寛之と石っ原慎太郎の両者に取り入った幻冬舎の見城徹とは違う。何が取り入ったかと言えば五木寛之と石っ原慎太郎では画風が違いすぎる

むしろ見城徹の人への取り込みは菅義偉のやり方に似ている。菅義偉は人の懐に飛び込むのが上手いと。これはと言う男には食らいつくんだな。自らの上昇過程で勘所の押さえ方が上手い。40年以上も政治の世界でいた。いや政治だけの世界だな。人とは悲しいものである

官僚の世界も階級社会である。政治もそうであろうな。弱肉強食である。その世界を泳いできた。人生の半分以上、40年以上である。垢にもまみれる。7年以上は安倍晋三の番頭である。安倍晋三の陰部を担ってきた男である

マスメディアの取り込みも上手いと。この新聞社にはこれを、あの報道機関にはあの情報をと、官房長官には、むしろ情報が首相よりも入ってくると。メディア操作はお手の物だな。出世と人事により操作は出来る、また出来得る立場だった

矢崎義久がいた。田中角栄への取材は木乃伊取りが木乃伊になると会うのを嫌っていた。それほどマスコミでは田中角栄とは魅力的な男であったと。ある時、意を決して取材したと。取材を終えたら秘書の早坂茂三が封筒をタクシー代だと渡したと。矢崎泰久は中を見て良いかと尋ねて数えたら一万円札が100枚入っていたと。タクシー代にしては多すぎると返したら、早坂茂三は返したのは、貴方が初めてだと

柿崎明二も政治記者が長いであろうから、菅義偉の横浜時代から知っていた。安倍晋三には辛かったが、菅義偉には甘かった。同郷人とは知らなかった。秋田には、たいまつ社を起こした、朝日新聞を見限って横手にて、たいまつ社を起こした、むのたけじがいた。そう言えば柿崎明二も横手市出身だとか

横手市は雪が深い。かまくらで売り出したが今は雪はどうかな。むのたけじも秋田県で衆議院選挙に出たが落ちたとか。政治家好きは共通しているかな。その柿崎明二の首相補佐官での最初の仕事が日本学術会議会員の任命であろう

10月6日の朝日川柳では、奈良県伊谷剛が「安倍麻生なんだか可愛く見えてきた」と。見ている世俗人はいるな。川柳とは世俗のものだが、拍手だな。アメリカでは商人が権力を持った。権力者とはどの国でも似たようなものだな。長くいると居心地が良くなるんだな。居心地とはその社会での、そのシマでだけだな。しかし、官僚を筆頭にして出世の欲求は強い。その社会での出世は権限が大きくなる。しかし、塀の中だけだな

自民党も菅義偉・二階建て政権だな。岸田文雄を追い落とし、次の標的は麻生太郎だな。政敵は抹消する。自らの長期政権を目指している

縦割り行政の打破だと、デジタル庁の設置だと、IR(総合型リゾート)の推進だと、菅義偉の目指すものは官邸への一元化だろうな。判子を無くすと。元々官僚での判子は責任の分散だ。判子を無くすと、責任の取り方はどうなるんだろう。判子に代わるものは何かな

菅義偉の映像を通しての話はメモを携えているんだろうか、チラチラと下を向いて話す。自らの主張をする場合もメモを見ているようである。メモ無しでは政見や主張も言えないのかな。説明なしに結論が出てくる。話は端的だがどうも思想も段々と分かってきた。ナショナルからかパナソナに商号を変更したが、いつの間にか会長になった竹中平蔵を筆頭にして、新自由主義が基盤になってるようだな

新自由主義とは言うが、まず官界に入ってくるんだな。官界を通しての規制改革なんだな。商人でも商売でも官界からの改革を訴えるのだな。今回の日本学術会議の会員任命拒否は菅義偉を筆頭にした政権の統制下だな。自民党を筆頭にした輩は、独立した政府機関でなく自らの配下に置きたい。それには官界と同様に人事から始める

会員の任命を端緒にして、日本学術会議のあり方を考えたいと。このことは取りも直さず政権の配下に置きたいことだな。そういう意味では正直である。本音が見えてくる。菅義偉は体育会での苦労人、たたき上げ、成り上がり者だと、文学や論理や倫理や学問の世は知らないだろう。おそらく異質の世界は分からないだろうな

いつも人を秤にかけ、競争してきた人間には権力に立ち向かってくる者を理解できない。いつかは転ぶと仕掛けてくる。権力とは人事と財政と軍事を握っている。今度の一件は人事・財政・軍事を盾に取った一種の喧嘩である。早稲田大学の岡田正則教授のように、喧嘩を仕掛けられたら逃げずに正々堂々と立ち向かわざるを得ない。そうしないと御用学者になっちゃう。御用機関になるかの瀬戸際だな

サヨリと言う魚がある。細魚や針魚とも言われる。見た眼は綺麗なんだな。しかも旨い。しかし腹を裂くと真っ黒だと。板前の世では見かけによらず腹黒い人を隠語でサヨリさんと言うと。菅義偉はサヨリの上を行くかな