火事と喧嘩は江戸の花だと
江戸っ子は気が短い、感情が表に出るために喧嘩っ早いと。火事場の見学は多いが、喧嘩は見学も自分もだろうな。喧嘩とは言っても江戸っ子では武器は持たずに素手での喧嘩であろう
喧嘩は必ずしも腕力の強い者が勝つとは限らない。喧嘩は先手必勝が肝心である。それと場数だな。喧嘩にはスポーツのようなルールはない。要はその場で相手を負かし、そして恐れさせることである。役者で石倉三郎は高倉健から倉の一字をもらって芸名にしたと。痩せているが、どう言う訳か喧嘩は強いと。
報道によると、10月16日に、菅義偉は日本学術会議の梶田隆章会長と首相官邸で会談したと。会談は約15分、会長に今月就任した梶田隆章の挨拶を目的に、学術会議側から求めたと
菅義偉は会談後、記者団の取材に対し、「学術会議が国の予算を投ずる機関として、国民に理解をされる存在であるべきだ」と、さらに「梶田会長からは未来志向で、今後の学術会議のあり方を政府とともに考えていきたいとの話があった」と
この報道が事実なら、こりゃ駄目だわ。へいへいかしこまりました。仰せの通りでございます。喧嘩にもならない。梶田隆章は喧嘩などする気は無い。小生は学術会議とは部外者である。会員でも連携会員でもない。しかしこの国の一市民である。一市民としてなら関係もあると考えたい
日本学術会員は120名の会員と約2000名の連携会員がいると。第一部が人文・社会科学、第二部が生命科学、第三部が理学・工学だと。2018年12月10日の日本学術会議の資料によると政府機関であるため、事務局員数は61名だと
会員や連携会員の名前は公表している。事務局員は多分国家公務員であろうが事務局員の名前は分からないが、局長は福井仁史とか。今回の会員候補6名の任命除外を聞いて大変驚愕したと
インターネットの世界では恐ろしく詳しい知識人がいる。今回の任命拒否でネットの意見を拝見している。この件は感情でなく論理の問題だな。道理や理屈で判断する以外にはないな。倉阪秀史氏のツイッターに当たった。内閣総理大臣による任命行為は1984年の改正の際に設けられたと。法案を採決する際には、審議をした委員会の意思を文書として残すと。それを付帯決議と言うと
そうだな、間違っても国の最高機関である。法案を通すのに言った言わないがないように文書に残すと。第100回国会参議院文教委員会第2号昭和58年11月24日の附帯決議、第159回国会衆議院文部科学委員会第7号平成16年3月23日の附帯決議はあると
やはり選任方法とか変わる場合には国会では討議して文書に認める。内閣総理大臣が会員の任命をする際には、日本学術会議側の推薦に基づくという法の趣旨を踏まえて行うこと、と。そうしないと国家権力は何をするか分からないからだな
どの国でも、どの時代でも権力者は自らの権力を末永く保持したがる。権力の座は美味しいんだな。心地良いんだな。この国だけでなく海の向こうも同じだな。憲法を変えても自らの地位を継続したがる
梶田隆章会長の菅義偉との階段は完敗であった。権力者に取ればノーベル賞受賞者などは意に関しない。のこのこ呼び出されて、先手は負けた。しかし二幕がある。芝居では二幕でガラリと変わることもある
菅義偉は長い間、安倍晋三の恥部、陰部を担ってきた。参謀とも言えた。今度は参謀が最高権力者に、二階俊博によって、二階俊博と利害共有者になった。普段の会見では下向きの顔、メモを常に携えての会見である
見ようによっては自信が無いようにも見える。しかしメモ無しでは本音が出るんだな。いや出ちゃうんだな。こう言うことを言ってはいけないと、メモがあれば言わない。しかしメモ無しではついつい口から、飛び出すな
10月9日のグループインタビューだった。「最初に案をご覧になったのはいつか、その時点では105人の名前が載っていたのか」と聞かれたが、えーえー、「私が最終的に決議をおこなったのは9月28日です。会員候補のリストを拝見したのはその直前だったと記憶しております。まあ、その時点では、現在の最終的に会員となった方がそのままリストになっていたとふうに思ってます」「総理がご覧になった段階でもう99人だった?」と質問すると、菅義偉は「そういうことです。任命するリストですから」さらに「任命するその前の推薦段階でのリストはご覧になっていない?」と、聞くとはっきりと「見ていません」と
報道ではそのようなやり取りだったと。菅義偉は逃げた。あたかも自分の意志で6人の任命除外を匂わせている。「総合的、俯瞰的に判断した。前例を踏襲して良いか考えた」と言うが、6名のリストからの除外には直接関わっていないと言いたかったんだな。論理が一貫していない
官房長官とは首相の手足である。逃げたらまた新たな手足を添えれば良い。しかし、総理大臣、大将は逃げちゃ駄目だな。大将が逃げたら、部下も逃げる。安倍晋三も森友で逃げた。だから公文書の改ざんまで発展した。いやせざるを得なかった。死人を出しちゃった
また、菅義偉の唯一の著作を文芸春秋社から出版したと。出版の編集権は出版社にあるが、著者も関わってくる。「政治家の覚悟」だと。帯封に「国民の「当たり前」私が実現する、新総理の原点」だと
公文書の重要性、『政府がどう考え、いかに対応したかを検証し、教訓を得るために、政府が克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です』と、当たり前の事を言っている。まともな事を言っている。その記述部分の章を削除したと
森友・加計、桜を見る会での公文書の改ざん・破棄について、2017年8月に記者がこの書物の公文書のあり方部分を読んで、この本を記されたのは、どなたかご存じですしょうかと聞くと、菅義偉官房長官は「知りません」と
官房長官では逃げられた、逃げ足が速かったのでその場は収まった。しかし最高指揮官ではこうはいかない。文学や論評でも、例えば盗作した立松和平や風を虱と書いて謝った山藤章二がいたが、総理ともなると、最高司令官なんだな。いくらシマの人間でも別だな。総理とはシマの中から出なくちゃならないな
文春新書編集部は取材に「官房長官時代のインタビューなどを加えて新たに編集したものであり、特定の文言の削除を意図したものではありません。本の総ページ数など全体のバランスを考えた上で、編集部の判断で割愛しました」と
編集部の判断なんだな。文藝春秋社の粋な計らいだな。それは政治家の信念にも関わるな。出版社は商売に関わってくる。話題を提供して売上の増加を目指す。編集方針もあるが、商売上の方が重要である
文藝春秋も商売上宣伝を掛ける。サワリ部分を宣伝のために抜粋して公表している。『人事権は大臣(※菅氏は当時、総務大臣)に与えられた大きな権限です。』『とりわけ官僚は「人事に」敏感で、そこから大臣の意思を鋭く察知します。』
NHK改革に関して『さっそく局長を呼んで調べたところ、懇談の議事録が残っていて、はっきりとその課長の発言が記載されていました。NHK改革が簡単か難しいか訊かれてもいないのに、わざわざ自分から見解を述べた発言であることが分かりました。』
官僚が人事に拘ることに関しては、出世を望むことに関しては、横浜の市議になった時からだと。長年の秘書時代からかな当時の市長とは馬が合ったと。人事の情報がいち早く入ると本人に告げると、そうすると当人たちは菅義偉が人事をしているのかと錯覚すると。それも菅義偉は計算しているんだな
26日からの国会では菅義偉の所信表明があると、予算委員会では質問が丁々発止で飛んでくると、メモ無しでの答弁である。見ものである。それは菅義偉もそうだが野党からの質問もである
何故、公文書の重要性を削除したか
公文書の重要性より、官邸のインタビュー記事の方が自らの信念であるのか
それとも考えを、信念を変えたか
学術会議の会員の任命は99名を任命したが、その理由は
6名を除外したのは自らか その理由は
日本の携帯電話の料金は高いのか その理由は
3社の独占状態は変わらないか
地方の銀行も利益が下がったのは何故か
合併する弊害は
菅義偉とは、議論の過程が嫌いで、結果が出てくる。説明とか理由がない。説得力がない。国会とは菅義偉と言う総理大臣の考え、ひいては人間を知る機会なんだな
土台、下からたたき上げで伸してきて暗部を担ってきた男が総理になっちゃった。人事に警察畑を8年近くいた者を配し官僚を操ってきた。最高権力者に上り詰め、財政も軍隊も握った。後はこの体制の長期化を図るだけである。そのために学問の自由などは困るのである。学問の自由を与えたら自らの首を絞めることにもなり兼ねない。学術会議の任命はその入り口である。ここを突破したら国立大学の学長や学者にも手を伸ばしてくる
国立大学だけでなく私学にも国庫補助金を導入している。国の財政を与えていると言う理由であらゆる分野で自らの配下に置こうとするだろう。それが菅義偉の信念であろう
喧嘩とは最初の踏み込みが肝心である。最初の勢い、気迫がものを言う。相手に手強いと身に焼き付けることが重要である。第一幕では大将が白旗を上げた。文藝春秋のお手つきで第二幕が下りた。ここで99名のうち、1名でも任命を辞退して、首相官邸前で莚を掲げて座り込みしか手が無いだろう。「私は御用学者じゃ無い。学術会員の任命をあなたから受けません」と
ここが瀬戸際である。ここで崩れたら、後はなし崩し的に菅義偉の言いなりになる。菅義偉は何せ信念を持った男である。99名の内1名でも立ち上がれば突破口は開けてくるだろう。それ以外に道はないだろうな。そすれば同調者はきっと現れる。現れなければこの世はオシマイだ
明治の表を描いたのが司馬遼太郎なら、裏を描いたのは山田風太郎と言われている。山田風太郎が「コレデオシマイ」を記したが、そうならないためにも正念場だな
江戸っ子は気が短い、感情が表に出るために喧嘩っ早いと。火事場の見学は多いが、喧嘩は見学も自分もだろうな。喧嘩とは言っても江戸っ子では武器は持たずに素手での喧嘩であろう
喧嘩は必ずしも腕力の強い者が勝つとは限らない。喧嘩は先手必勝が肝心である。それと場数だな。喧嘩にはスポーツのようなルールはない。要はその場で相手を負かし、そして恐れさせることである。役者で石倉三郎は高倉健から倉の一字をもらって芸名にしたと。痩せているが、どう言う訳か喧嘩は強いと。
報道によると、10月16日に、菅義偉は日本学術会議の梶田隆章会長と首相官邸で会談したと。会談は約15分、会長に今月就任した梶田隆章の挨拶を目的に、学術会議側から求めたと
菅義偉は会談後、記者団の取材に対し、「学術会議が国の予算を投ずる機関として、国民に理解をされる存在であるべきだ」と、さらに「梶田会長からは未来志向で、今後の学術会議のあり方を政府とともに考えていきたいとの話があった」と
この報道が事実なら、こりゃ駄目だわ。へいへいかしこまりました。仰せの通りでございます。喧嘩にもならない。梶田隆章は喧嘩などする気は無い。小生は学術会議とは部外者である。会員でも連携会員でもない。しかしこの国の一市民である。一市民としてなら関係もあると考えたい
日本学術会員は120名の会員と約2000名の連携会員がいると。第一部が人文・社会科学、第二部が生命科学、第三部が理学・工学だと。2018年12月10日の日本学術会議の資料によると政府機関であるため、事務局員数は61名だと
会員や連携会員の名前は公表している。事務局員は多分国家公務員であろうが事務局員の名前は分からないが、局長は福井仁史とか。今回の会員候補6名の任命除外を聞いて大変驚愕したと
インターネットの世界では恐ろしく詳しい知識人がいる。今回の任命拒否でネットの意見を拝見している。この件は感情でなく論理の問題だな。道理や理屈で判断する以外にはないな。倉阪秀史氏のツイッターに当たった。内閣総理大臣による任命行為は1984年の改正の際に設けられたと。法案を採決する際には、審議をした委員会の意思を文書として残すと。それを付帯決議と言うと
そうだな、間違っても国の最高機関である。法案を通すのに言った言わないがないように文書に残すと。第100回国会参議院文教委員会第2号昭和58年11月24日の附帯決議、第159回国会衆議院文部科学委員会第7号平成16年3月23日の附帯決議はあると
やはり選任方法とか変わる場合には国会では討議して文書に認める。内閣総理大臣が会員の任命をする際には、日本学術会議側の推薦に基づくという法の趣旨を踏まえて行うこと、と。そうしないと国家権力は何をするか分からないからだな
どの国でも、どの時代でも権力者は自らの権力を末永く保持したがる。権力の座は美味しいんだな。心地良いんだな。この国だけでなく海の向こうも同じだな。憲法を変えても自らの地位を継続したがる
梶田隆章会長の菅義偉との階段は完敗であった。権力者に取ればノーベル賞受賞者などは意に関しない。のこのこ呼び出されて、先手は負けた。しかし二幕がある。芝居では二幕でガラリと変わることもある
菅義偉は長い間、安倍晋三の恥部、陰部を担ってきた。参謀とも言えた。今度は参謀が最高権力者に、二階俊博によって、二階俊博と利害共有者になった。普段の会見では下向きの顔、メモを常に携えての会見である
見ようによっては自信が無いようにも見える。しかしメモ無しでは本音が出るんだな。いや出ちゃうんだな。こう言うことを言ってはいけないと、メモがあれば言わない。しかしメモ無しではついつい口から、飛び出すな
10月9日のグループインタビューだった。「最初に案をご覧になったのはいつか、その時点では105人の名前が載っていたのか」と聞かれたが、えーえー、「私が最終的に決議をおこなったのは9月28日です。会員候補のリストを拝見したのはその直前だったと記憶しております。まあ、その時点では、現在の最終的に会員となった方がそのままリストになっていたとふうに思ってます」「総理がご覧になった段階でもう99人だった?」と質問すると、菅義偉は「そういうことです。任命するリストですから」さらに「任命するその前の推薦段階でのリストはご覧になっていない?」と、聞くとはっきりと「見ていません」と
報道ではそのようなやり取りだったと。菅義偉は逃げた。あたかも自分の意志で6人の任命除外を匂わせている。「総合的、俯瞰的に判断した。前例を踏襲して良いか考えた」と言うが、6名のリストからの除外には直接関わっていないと言いたかったんだな。論理が一貫していない
官房長官とは首相の手足である。逃げたらまた新たな手足を添えれば良い。しかし、総理大臣、大将は逃げちゃ駄目だな。大将が逃げたら、部下も逃げる。安倍晋三も森友で逃げた。だから公文書の改ざんまで発展した。いやせざるを得なかった。死人を出しちゃった
また、菅義偉の唯一の著作を文芸春秋社から出版したと。出版の編集権は出版社にあるが、著者も関わってくる。「政治家の覚悟」だと。帯封に「国民の「当たり前」私が実現する、新総理の原点」だと
公文書の重要性、『政府がどう考え、いかに対応したかを検証し、教訓を得るために、政府が克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です』と、当たり前の事を言っている。まともな事を言っている。その記述部分の章を削除したと
森友・加計、桜を見る会での公文書の改ざん・破棄について、2017年8月に記者がこの書物の公文書のあり方部分を読んで、この本を記されたのは、どなたかご存じですしょうかと聞くと、菅義偉官房長官は「知りません」と
官房長官では逃げられた、逃げ足が速かったのでその場は収まった。しかし最高指揮官ではこうはいかない。文学や論評でも、例えば盗作した立松和平や風を虱と書いて謝った山藤章二がいたが、総理ともなると、最高司令官なんだな。いくらシマの人間でも別だな。総理とはシマの中から出なくちゃならないな
文春新書編集部は取材に「官房長官時代のインタビューなどを加えて新たに編集したものであり、特定の文言の削除を意図したものではありません。本の総ページ数など全体のバランスを考えた上で、編集部の判断で割愛しました」と
編集部の判断なんだな。文藝春秋社の粋な計らいだな。それは政治家の信念にも関わるな。出版社は商売に関わってくる。話題を提供して売上の増加を目指す。編集方針もあるが、商売上の方が重要である
文藝春秋も商売上宣伝を掛ける。サワリ部分を宣伝のために抜粋して公表している。『人事権は大臣(※菅氏は当時、総務大臣)に与えられた大きな権限です。』『とりわけ官僚は「人事に」敏感で、そこから大臣の意思を鋭く察知します。』
NHK改革に関して『さっそく局長を呼んで調べたところ、懇談の議事録が残っていて、はっきりとその課長の発言が記載されていました。NHK改革が簡単か難しいか訊かれてもいないのに、わざわざ自分から見解を述べた発言であることが分かりました。』
官僚が人事に拘ることに関しては、出世を望むことに関しては、横浜の市議になった時からだと。長年の秘書時代からかな当時の市長とは馬が合ったと。人事の情報がいち早く入ると本人に告げると、そうすると当人たちは菅義偉が人事をしているのかと錯覚すると。それも菅義偉は計算しているんだな
26日からの国会では菅義偉の所信表明があると、予算委員会では質問が丁々発止で飛んでくると、メモ無しでの答弁である。見ものである。それは菅義偉もそうだが野党からの質問もである
何故、公文書の重要性を削除したか
公文書の重要性より、官邸のインタビュー記事の方が自らの信念であるのか
それとも考えを、信念を変えたか
学術会議の会員の任命は99名を任命したが、その理由は
6名を除外したのは自らか その理由は
日本の携帯電話の料金は高いのか その理由は
3社の独占状態は変わらないか
地方の銀行も利益が下がったのは何故か
合併する弊害は
菅義偉とは、議論の過程が嫌いで、結果が出てくる。説明とか理由がない。説得力がない。国会とは菅義偉と言う総理大臣の考え、ひいては人間を知る機会なんだな
土台、下からたたき上げで伸してきて暗部を担ってきた男が総理になっちゃった。人事に警察畑を8年近くいた者を配し官僚を操ってきた。最高権力者に上り詰め、財政も軍隊も握った。後はこの体制の長期化を図るだけである。そのために学問の自由などは困るのである。学問の自由を与えたら自らの首を絞めることにもなり兼ねない。学術会議の任命はその入り口である。ここを突破したら国立大学の学長や学者にも手を伸ばしてくる
国立大学だけでなく私学にも国庫補助金を導入している。国の財政を与えていると言う理由であらゆる分野で自らの配下に置こうとするだろう。それが菅義偉の信念であろう
喧嘩とは最初の踏み込みが肝心である。最初の勢い、気迫がものを言う。相手に手強いと身に焼き付けることが重要である。第一幕では大将が白旗を上げた。文藝春秋のお手つきで第二幕が下りた。ここで99名のうち、1名でも任命を辞退して、首相官邸前で莚を掲げて座り込みしか手が無いだろう。「私は御用学者じゃ無い。学術会員の任命をあなたから受けません」と
ここが瀬戸際である。ここで崩れたら、後はなし崩し的に菅義偉の言いなりになる。菅義偉は何せ信念を持った男である。99名の内1名でも立ち上がれば突破口は開けてくるだろう。それ以外に道はないだろうな。そすれば同調者はきっと現れる。現れなければこの世はオシマイだ
明治の表を描いたのが司馬遼太郎なら、裏を描いたのは山田風太郎と言われている。山田風太郎が「コレデオシマイ」を記したが、そうならないためにも正念場だな