風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

寝るが極楽 起きるが地獄

2021-07-31 10:48:50 | 世評
オリンピックが始まったと。緊急事態宣言下で安全・安心な東京オリンピック2020を開催したと。テレビでは大谷オオタニがオリンピックに代わった。テレビからは音声が聞こえてくる。数年前の郵政民営化と叫んでいた光景と同じだな

テレビとは画像である。スポーツや踊りが分かりやすい。外国で暮らしていけるのは画家と音楽家だと。言葉が分からなくても絵や音で共感を得やすい。それに昨今ではスポーツが加わった。オリンピックとは武器のない戦争とも言える。国家間の競い合いだろうな。特に団体競技では国家間の競争が観衆から国民から受け入れられる。国家を背にして国家の旗の下に競い合う

戦前軍国少年であった官僚たちの夏を記した城山三郎は、旗の下には集まるなと言ったが、オリンピックとは旗が好きなようである。国立競技場には五輪の旗と日の丸の旗が掲げられていると。画像からはメダルを受賞した者の郷里の学校では諸手を挙げている。もっとも関心の無い者は集まっていないだろうから、全員が祝っている。徳仁が開会式で名誉総裁として従来の「祝う」でなく「記念する」と述べたが観客はお祭りだ

テレビ画像では皆、祝ってる。テレビなぞは画面が小さい。小さい画像を大きく焦点を定めて見せる。相撲なぞは遠い升席からの動きは人形のようである。野球でも外野席からは全体の動きは見えるが打者とか投手の動きは鈍く通路でのテレビ画像の方に人が群がっている。オリンピックの開会儀式なぞは、観客席からは見えるだろうかな。無観客が幸いして、テレビ映像であるのでよく見える。一種テレビとは宣伝コマーシャルであろうな

ここに来て新型コロナの新規感染者が飛躍的に増大した。感染症の専門家は危惧を抱いている。政府分科会尾身茂会長は政府にはもっと強いメッセージをと言っている。菅義偉に言っている。人には分があるな。菅義偉には無理だな。菅義偉が官房長官時代は長いそして強かった。報道機関への会見でも記者からの問いかけに対して切り捨てていた。しかし首相になってからは国民にも眼を向けなくてはならない。強さは失った

その反対に無責任、人任せが目立った。曰く日本学術会議会員の任命で105人の名簿を見ていない。NHKの番組では任命拒否の説明は、説明できることと出来ないことがあると。口数も少ないからかな、致命的な本音が出てしまう。朴訥なら丁寧に話せば良いんだが記者会見でも一人一問に限り、時間制限もある。最悪なのは首相会見に尾身会長を脇に座らせている

テレビ画像で隣に感染症の専門家を座らせている。コロナに関することは尾身会長にと言っているようである。あれでは国民には伝わらない。質問を受けても尾身会長に向ける。どちらが首相か分からない。原稿を手放さず、眼もうつろだな。テレビ映像のコマーシャルでは下に「個人の感想です」と記載してある場合がある。記者会見では下部に「個人の感想です」と挿入する必要もあろうかな

自民党はどうしてこうなったのだろう。安倍晋三の路線継承だけで菅義偉を選んじゃった。小池の百合子のような国民への投げかけ、橋の下徹のような口数の多さはいらない。ただ質問にははぐらかせず、正面から向き合えば良い。その基は安倍晋三の国会での虚偽答弁を見習っている

元来、総理を辞したら退くのが筋であろうが、この国ではまだやり足らないのか居座るのだな。安倍晋三などは返り咲きを狙っていると。政党としてどうかな、疑問を通り越すな

外務省のHPによると、日本が承認している国の数は195か国であると。国連加盟国は日本を含んで193か国であると。今回の東京オリンピックでは206の国.地域が参加を予定していると。国連加盟国よりもオリンピックの参加数の方が多いな。今回の選手団には難民選手団やロシアの国家でなくロシアオリンピック委員会(ROC)として参加すると。しかし旗はあるようだな。個人で無くあくまでも団体や集団としての参加は認めるんだな

よくスポーツは筋書きのないドラマだと言われる。当然のことだな。勝負事だけでなく、人生そのものがシナリオなど無い。ドラマを作るのは記者たちだな。才能もあろう、努力もあろう、運もあろう、しかしドラマを仕立てるのは記者、書き手、第三者だな。筋書き通りなら八百長だな

第四版広辞苑によると、曲芸とは見世物の一種。普通人には出来ないさまざまに目利きをする離れ業。だと。因みに、尾崎士郎が山本周五郎に対して曲軒と称したが、広辞苑に曲軒は載っていない。言葉とは多くの他者に認知されないと言葉にならない。隠語とは特定な集団だけに理解できる言葉である。暗号とも言われる。多くの他者に認知されると隠語や暗号や符丁でなくなっちゃう

オリンピックを見ている。サーフィンとかスケートボードは元々アメリカ圏で発達したものだろうな。スポンサーがつきプロとして発展してきたものだろうな。体操やスケートフィギアと同様、得点を競う。規則はあるだろうが審判の眼に寄るだろうな。素人からは優劣を決めつけられない、曲芸や大道芸に見えるな。小沢昭一が紫綬褒章を受章した際に、永六輔から助平一筋で紫綬褒章を受けたと言われたが、大道芸を追求して日本の放浪芸を記した。オリンピックとはスポーツ運動でなく、お祭りとして曲芸もあるようだな。曲芸師は地方を渡り歩いて芸を磨いていく。歌舞伎役者も地方から地方へと。その地で家族も設けた役者もいたようだ

ひつじ年生まれで、羊の歌を記した加藤周一は親子二代の産とも言われる。このオリンピックを見て、選手を拝見して、親兄弟の血を引き継ぎ、あるいは幼児からの環境が重要であろうな。才能プラス環境プラス努力そして最後に運であろうな。それと楽しみ、遊びであろうな。国家を背負っても、プロ大会の賞金とは違って一種の遊びの要素、重圧を感じないことが知らぬ間の勝利に結びつくだろう

7月25日の朝日新聞の朝刊の一面に、「王者内村、失望と笑み」と言う見出しであった。新聞の一面は編集部で色々と議論があるだろう。一面とは新聞の顔である。その一面の第一に負けた競技で負けた者が記載された

「なにやってんだ、ばーかって感じです」。内村航平は自分にあきれていた。と。今までに一番うれしかったことは、鉄棒で「けあがり」ができたときだと。金メダルを取ったときの喜びですら、「けあがりを超えられない」と言ったと

出来なかった事が出来た喜びはあろう。知らなかった事が理解できたことは嬉しさはあるな。また老人になると昔出来た事が出来なくなることもあろう。反対に若い時に見えなかったことが見えることもあろう。人それぞれであろうな

ふと昔読んだことを思い出した。小生数年前に引越する際に本を引き払った。昔の古本屋は初版本や珍しい本は高値で取引された。昨今では売れる本か売れない本かで値段が決まると。株式市場と同様だな。需要と供給によって値は決まるが、どの世界でも共通だな。本は重い。藤原新也の本はエロ本のように軽いが、大抵の本は重量がある。立花隆の書庫の床はそのため厚くしてあるとか。渡部昇一なぞは庭の塀を書庫にしたと記憶している。発想だけは面白い

気になったのは五木寛之の弟の墓がどこだったかである。五木寛之は弟と仲が良かった。自分の作品の編集にも関わっていたかな。その弟が若くして亡くなった。五木寛之は悲嘆にくれた。墓はすぐには作らなかった。数年経って思い立って墓、碑を作った。奈良のどこの寺か気になった

インターネットで検索した。散々検索したが出てないんだな。ただ一つMixiユーザー2007年4月12日投稿、「風の王国(五木寛之)コミュの二上山の碑」に記載してあった。朝日新聞社“日暮れて道なお遠し”「みみずくの夜メール」から

おとといは奈良にでかけた。斑鳩の誓興寺さんのご住職にご挨拶をして、そのあと極楽寺の亡弟の碑に立ち寄った。極楽寺といっても、寺ではない。小高い丘の中腹が墓地になっている場所である。その丘に立つと、法隆寺の五重の塔が見え、天気がいい日には二上山、葛城、金剛の山なみが遠望できる。

インターネットとは恐ろしく詳しい者がいる。大抵のものはインターネットで検索できるが、インターネットとは立ち読み、覗きに似ている。フランス語で寝言を言っていたと言う、なかにし礼はがん治療をインターネットで見つけたとか。使いようかも知れない

誓興寺や極楽寺墓地には小生は行ってない。グーグルマップで見ると見晴らしの良い丘のようである。五木寛之に関するインターネット記事を見た。戒厳令の夜までは読んでいたが、それ以降はあまり読んでいない

風の王国は読んでいない。風の王国は休筆後の作品であると。松岡正剛の千夜千冊の五木寛之「風の王国」の解説がしっくりきた。松岡正剛は知らなかった。ウィキペディアの説明によると実業家、編集者、著述業だと。弥勒プロジェクトはともかく、こと風の王国の解説は読ませた。千夜千冊は同じ著作の本は2冊以上取り上げないと。

この物語の主人公たちは、明治維新に廃藩置県があったとき。葛城山系に住んでいた「箕作り」の一族の末裔たちだった。//最近は「山の民・川の民。海の民」ともいわれるが、そこに芸能や信仰が関与するときはしばしば「遊行の民」といった。声聞師・鉦叩き・遊行聖・白拍子・木地師・杜氏なども含んだ。ときに「化外(けがい)の民」も含まれていた。//古来、東の三輪山が朝日さす神の山で、西の二上山は日の沈む死の山とされてきた。//仏門の隠語に一のことを「大無人」(大という字から人を無くすという判じ読み)、二を「天無人」(天という字から人を無くす)、三を「王無棒」などと言い替えたことに因んで、「天武仁」で「二」を、「神」で「上」をあらわして、かれらは自分たちの講組織を「ふたかみ講」と名付けたのだった。//「風の王国」はそのような一群が、いっときの“国なき国”をつくろうとした動向に光をあてた作品である。//近代の国家というものが国民に要求することは、徴税と納税と義務教育であり、それを完遂するために国家が大前提にすることは住民登録を徹底することだった。//明治期の「ケンシ狩り」にもそのような事情が絡んでいた。住民調査、実は一斉摘発、その実は開発計画、なのである。//と

松岡正剛が五木寛之に関して「風の王国」を選択したのは、それと解説は良い。読んでみよう、読みたい気持ちにさせる。編集者冥利に尽きるだろうな

五木寛之は2002年に幻冬舎から「運命の足音」を出版している。この本はたまたま、とある老人ホームの図書館で拾い読みした。小説でなく、自らの実体験を描いた。敗戦して北朝鮮から逃げ帰った時の情景である。ようやくと言うか、書かずにいられないものだったろう。それを契機にして母は亡くなった

優しい人から先に死んでいった。//飢えた大人ほど怖いものはない//人間というものは、いつ何をするか分からないと

いつしか五木寛之は語っていた。丈夫な靴を履いていた者が生き延びたと。それ故に靴に凝っていると。ロシア兵が暴行した後にロシア民謡を歌って帰ったと。その歌が美しかったと。あれほどの暴力をする者が美しい音を奏でられるのかとも語っていた記憶がある

五木寛之は大学は露文科を目指した。シベリア経由でソ連に入った。少年の記憶を振り切ったからか、それとも少年時の記憶故にロシアを目指したか知らない。いつしか中央自動車を東京に向かってた折に、ラジオから聞き覚えのある声が聞こえてきた。NHKの深夜の友は真の友の五木寛之だった。父親は寝る際、布団に入ると、「寝るが極楽、起きるが地獄・・・・」といつも言っていたと。そして最後に大きくアーアとため息をついたと

俺は同乗のかみさんと大声で笑った。家と同じなんだな。小生の父親も同じことを言っていた。「寝るが極楽、起きるが地獄、浮世の馬鹿は起きて働く」と。そしてため息まで同じなんだな。笑っちゃったな

やはり時代なのかな。五木寛之と石っ原慎太郎は生年月日は同じである。同時代人とも言えるが、石っ原慎太郎が太陽の季節で芥川賞を受賞した折に、五木寛之は同じ生年月日で考えていることもタイプも違うと語っていた

今村昌平が分からなかったら、とことん議論する。相手が分かるまで議論すると。沢村貞子は分からなかったら首根っこを掴んでも分からせると。白隠禅師は「語らざれば、うれい無きに似たり」と。五木寛之は諦念とか他力とよく言っていた。倶会一処とも言っていた。いつしか箱根の七福神かな回った際に、墓碑に倶会一処と記していた墓石があった。地獄の沙汰も金次第もあり得るが、田舎の温泉では男女入り口が別でも中に入れば一緒・一処はあるな

戒厳令の夜は小生の記憶では既視感デジャヴュから始まり、何人だったかなパブロがいた。主人公は画学生、老人もいた。その老人は絵画の論理は分からないが良い作品にはアーと声を上げるんだな。終盤は武装蜂起。その延長戦に「風の王国」を描いたのかも知れない

八月や 六日九日 十五日
ハチガツヤ ムイカココノカ ジュウゴニチ

今日は晦日。来週から8月、また暑い八月になる。これは季語は八月であり、五・七・五であり定型的な俳句であろう。俳句界でも俳句としているようである。永六輔が土曜ワイドで語っていたが作者には触れていなかった。ネットではこの句の作者を調べた者がいたと。著者・小林良作、「鴻」発行所出版局だと。何人も詠んでいる。作者を突き止めたようだが、はっりとは分からないな

敗戦後77年に成ろうとする。1970年ベトナム戦争の真っ最中に北山修作詞、杉田二郎作曲で戦争を知らない子供たちを杉田二郎が歌った。戦争を語ったり知っている世代が少なくなってきた。内務省上がり警察出身の後藤田正晴はカミソリ後藤田とも言われた。その後藤田正晴は海外での武力行使を禁止していた。先日のNHKテレビで読売新聞社の渡邉恒雄は戦争だけは絶対にいけないとも言っていた。保守派からも戦争体験を引きずっている

2005年(平成17年)にALWAYS三丁目の夕日が上映された。舞台設定は1958年(昭和33年)安保前の街並みで全てセットである。好評だったので続編も作成されたと。しかし小生から見ると昭和の時代はもっと汚かった。懐かしさはなく、街並みや隅田川でも雑然としていた。映画は虚構であるが、整然として違和感があった。しかし映画はヒットした

昭和の時代は戦争へ戦争へと突き進み、その戦後の時代である。戦争を見て聞いた者たちが少なくなった。世はオリンピックで日の丸が高らかに掲げられている。西欧の学者だったかな。愛国とは西欧では声高らかに叫ぶが、日本では表に出ず秘めていると

戦争を認知している者がまだ残っている。日の丸や君が代によって戦場に駆り立てられ、亡くなった者あるいは図らずも生き残った者がいる。学校でも君が代の前で素直に起立出来ない記憶が残っている者もいる。政治家は「戦後は終わった」と。しかし引きずっている、曳航している者もいる


オリンピック・・・スポーツ

2021-07-12 10:22:29 | 世評
オリンピックを開催すると。東京オリンピック2020を無観客で開催すると。このコロナ禍のさ中に誰が決定したか、知らぬ間に当初の予定通りやると。東北地震の復興を目指して、コロナに打ち勝つという標語が安全・安心に変容して、緊急事態宣言下で無観客にてオリンピックを開催すると

予定では東京2020のHPの日程では、開会式に先駆けて7月21日午前9時から福島県営あづま球場にて女子ソフトボール、札幌ドームにて女子サッカーが行われると。そして23日20時から国立競技場にて開会式をやると。そのため22日は「海の日」として祝日、23日は「スポーツの日」として祝日にしたと。手回しが良いな。先手先手だな。戦後政治とは既成事実の積み重ねと言われたが、事実を規制の物として過去として過去を振り返らず前へ前へと突き進んできた

体育、スポーツとは何であろうな。スポーツを通して感動をとこの国の指導者、菅義偉は言う。スポーツによって感動を得ることもあろうな。運動とは身体の動きであり、他者との戦いである。そこには台本は、原稿はないな。筋書きは無い。一寸先は闇だな。その一寸先が分かれば八百長だな

60年安保、1960年(昭和35年)は戦後15年。節目だった。6月には日米安保条約を巡り国が割れた。中には当時渦中であった岸信介が声なき声と発したのは名言であった。いつの時代でも蚊帳の外に置かれている者はいる。国会前ではまさに軍隊を出動させようと政権首脳部は考えていたが、後楽園球場では満員の観衆がいるし、銀座通りは何事もないような人の流れである。岸信介には声なき声が聞こえたな。あるいは聞こえたふりをした。流石東大出の秀才であり満州帰りの官僚であり運も付いていた

1960年6月10日にはハガチーが逃げ、15日には樺美智子が圧死されたが、あれほどの運動も流れも19日に日米安保条約が自然承認されたら、潮を引くように運動は消滅した。盛り上がりが大きかっただけに、気の抜けたビールのようだったと。混乱の責任を取るかのように岸信介は退陣して、後継総理に池田勇人が選出された

池田勇人は所得倍増計画を引き下げ、私は嘘は申しません、低姿勢、忍耐と寛容を携えてこの国に躍り出てきた。11月の総選挙では自民党が圧勝し長期政権の礎が築かれた。そこには安保のアの字は無かった

10月12日には日比谷公会堂で開かれた演説会で社会党の浅沼稲次郎委員長が山口二矢に刺殺された。プロ野球ではセリーグ万年最下位だった大洋ホエールズが西鉄ライオンズを辞任した三原脩を監督に迎えて初優勝し、その勢いで日本シリーズでも四連勝して日本一に輝いた。投手に秋山登、捕手に土井淳の明大出を擁し、いわゆる三原マジックで世間をあっと言わせた

大相撲では3月場所に栃錦と若乃花が史上初の全勝対決となり若乃花が優勝した。敗れた栃錦は5月場所で初日から連敗すると引退した。若乃花は1962年5月に引退を表明した。軽量力士だった「栃若時代」から、次の「白鵬時代」に移った。柏戸と大鵬は1961年9月場所後横綱に同時昇進することとなった

夏になった。九州南部では梅雨が明けたと。高校野球が始まった。高校野球のメッカは甲子園である。真夏の風物詩とも言える。47都道府県から一校ずつ選出され甲子園で戦う。地方から上京した者にとっては、夏そのものであった

浅川マキが石川県の片田舎の町役場から上京した。1960年代後半に上京して寺山修司に見出された。寺山修司は人を発掘し育てるのが上手であった。「夜が明けたら」「かもめ」は一代ヒットした。ちっちゃな時から、ふしあわせという名の猫、赤い橋と続いた。名曲揃いであった。声、歌詩、耳に残る歌手であった。曲もよし、歌詩もはっきりしていた。1971年4月に発売した港の彼岸花には赤い橋が収録されていた。赤い橋は北山修の作詞

不思議な橋が この町にある/渡った人は 帰らない
いろんな人が この町を出る/渡った人は 帰らない
赤く赤く塗った 橋のたもとには 赤い赤い花が咲いている
いつかきっと 私も渡るのさ

地方出身者からは、高校野球が「赤い橋」と重なるんだな。三代続けば江戸っ子と言われるが、真夏は終戦もあり、高校野球は一服の清涼剤とも言えるな。誰か言っていたが、正月と盆ぐらいは亡くなった者を偲べと

高校野球はひと夏であるが、東京六大学野球は神宮球場で春と秋の二度ある。6チームの総当たりで優勝を決める。途中優勝が決まっても早慶戦は最後である。早慶戦で終了することになっている。これは早慶戦を起源としたことにより伝統的なものであろうな。1960年秋季リーグ戦は慶応8勝2敗で勝ち点4、早稲田は7勝3敗で勝ち点3、最終の早慶戦に優勝を持ち越した。慶応は早慶戦に勝てば優勝、早稲田が慶応に連勝すれば優勝、2勝1敗なら同勝ち点・同勝率で優勝決定戦となることであった

ここに歴史的な6連戦をやった。11月6日から11月8日までの3連戦で早稲田が2勝1敗で同率首位にて優勝決定戦に持ち込まれた。11月9日は延長11回で日没引き分け、11月11日も日没引き分け、11月12日に3対1で早稲田が勝って優勝した。早稲田の安藤元博は引き分けと勝った試合5試合を一人で投げ通した。まさに逆転優勝で後世まで伝えられた。いつもながら新宿の夜は沸き立ったであろうな

学生スポーツ界では4年が、4回が限度であろうが、学生運動家、政治については、裏表で8回生の猛者もいた。学生とはいっても様々である。高校の頃の応援部員は重い旗を持ち、いかつい顔が並んでいた。格闘技に長けた者が多い印象であったが、大人になってみて大学の応援団を先頭にした行進を見ると、応援団員の顔はかわいいんだな。年の差ばかりでなく、年代かも知れない。この1960年秋季の有様は、早大を中退した長尾三郎が「神宮の森の伝説60年秋早慶6連戦」に描いている。この作品が文藝春秋から単行本として発行されたのが1992年だと。1960年には色々あった

映画の黄金の七人だったかな、続編だったかな。刑務所にわざと入り、色々準備して刑務所を脱走して紙幣を刷って、アリバイのためまた刑務所に戻る。その画面でサッカーのテレビ中継を見入ってる間に犯行した。サッカー英国杯の決勝戦を利用した。看守も誰しもサッカー中継に仕事そっちのけで夢中になる。そういうことはあるのかと驚いたが、後年どの国民でも同じようなものとも言える

スポーツでもスケートやスキー、体操、陸上のフィールド競技などがタイムレースや得点で勝敗を決する。昔の中学生は対外試合を禁止していた。従って放送陸上と言って、各県の一つの競技場で開催して、全国で集計してタイムで競いタイムによって優勝を決めていた。タイムレースだと同じ場所での競り合いが無い。見ている者には結果がすぐには分からない。だから見る者には感動は薄くなる

オリンピックとは古代オリンピックでは戦争は休止にしたと。現代のオリンピックは武器のない国家間の戦争であろうな。だから黄金の七人のように皆で応援する。下手をすると肩を組んで応援する。ある時飲み屋で松尾雄治がいた。良く喋るんだな。ラグビーにはプロはあるかと聞いたらあると。細々とあると。プロスポーツとは見せる者を対象にしている。見せるし観衆も多いからプロとして成り立つんだな。国家間の競技の方がより観衆も増えるし熱狂する構造だな。それに昨今では商売が基底になることを露呈した。何をなしても商売上の利潤の追求が見え見えになっちゃった。国プラス商売の両輪がオリンピックと言える

無観衆での開会式ではどうなるか。儀式として成り立つかな。開会式だから役員のためでなく、兵士いや選手も参加するだろうな。開会宣言はどうするのだろうな。誰がどのように発言するのだろうかな

緊急事態宣言下では、飲食店での酒の販売は中止にすると。酒の卸売店も飲食店に酒を売るなと。大変な緊急事態宣言下でのオリンピックになった。酒とは人と人の潤滑油になる。ある法律事務所では酒場で面接をすると、信州には酒病院と言われた佐久病院がある。若月俊一は口の重い北国の農民たちと酒を通して農民の本音を引き出して懐に飛び込んだ。酒は口が滑らかになるんだな

菅義偉の記者会見の前に酒でも飲ませたら良い。下戸か。じゃパンケーキでも腹一杯食わせるんだな。お汁粉で酔っぱらう者もいると。菅義偉に任命拒否された日本学術会議の会員候補候6人が、政府に情報開示請求した自身の拒否理由に関する文書が不開示とされたことに対して、行政不服審査法に基づき審査請求する方針を決めたと。この菅義偉内閣だけでなく、安倍晋三内閣からずっと理由を言わない理由を言えない内閣だな。菅義偉が味方としていた心を許していたNHKのニュースウォッチ9で日本学術会議の会員候補任命拒否に対して「説明できることとできないことってあるじゃないでしょうか」と話したと。口が足りないだけあって突かれるとポロリと本音が出る。説明できない事は致命的な欠陥だな。致命的な欠陥を侵してもまだ政権が続いていることは異常だな。政治とは感情ではないな。論理だな。論理でやるべきだな。論理で説明出来なければお終いだな。山田風太郎の遺作は「コレデオシマイ」。感性を求める世界でも辞世はある。ましてや云々。記者会見でもはぐらかす。論点をずらす。政治家も変わったな

東京都議選があった。様々な政党から立った。その中に東京・生活者ネットワークがあった。議員は最長でも3期12年で交代すると。政党の綱領か不文律かは分からないが、3期12年で交代するとは本来の政治家のあるべき姿であろうな。当たり前のことが出来ない世になった。さいわい1名当選したようだが。政府の広報者の田崎史郎が、自民党は保守に弱いと。図星だな。大都市では大阪では維新、東京では都民ファーストが地方議会の選挙ではそこそこいる。中選挙区も幸いしているが、今の自民党では不安があるので亜流でも、まあ代わりになるんだろうな

世論調査がある。大抵世論調査に答えるのは半分だな。半分では世論調査にならないと思うがな。選挙に関して政党や政治家への支持率を調査する。特に政治家は世論調査の結果を重視すると。半分程度の調査では分からないと思うが、考えたら半分で十分だな。調査に答えない、選挙でいえば白票は、投票しないんだな。元々投票しない者の意識などは関係ないと。じゃ投票した者の出口調査、これも正直なんだな。素直に投票した者を答えるようだな。ひねくれ者、へそ曲がりは居なくなったな。尾崎士郎は山本周五郎に対して曲軒と称したとか。
山本周五郎はただ大衆の庶民の見解だけであったろうな

大坂なおみがオリンピックに出場したいと。記者会見の形式自体が時代遅れで、刷新が必要と。人生は旅だと。たまにはメディアの目を離れ、精神的な休息を取る権利をアスリートに与えるべきだろうと。選手が会見などを免除される病欠制度の導入を提案と。

人は話しながら考えるタイプと考えてから話すタイプがある。大坂なおみは典型的な考えてから話すタイプのようである。考えないと口を動かせないようである。内省的もあろうが、文章での発信は出来るし、テニスは人一倍出来るんだな。鬱病とは分からないが、他者から聞かれる質問されることが嫌いなんだろうな。人前で自分の考えが即座に発信出来ないようだ。それなら時間など気にしなくて無制限の記者会見を受けてみたら、鬱病も直るかも知れない

熱海市伊豆山が土石流でやられた。熱海は坂の町、坂の上に家屋が街が立っている。どこの市町村でも統計資料を公表している。熱海市のHPによると令和元年現在人口36,607人、21,517世帯である。その内伊豆山地区では人口3,404人、2,164世帯である。あくまでも住民登録している統計資料である。伊豆山地区で65歳以上の人口は1,847人である。実に54%の老人人口である。多分一人暮らしの老人も多いだろうな。尾道も坂の町。坂の町は老人になると辛い。ましてや一人暮らしだと

社会学者・大野晃は65歳以上の高齢者が人口の過半数を占める集落を限界集落と言うと。限界集落とは共同体の機能維持が限界に達している集落を言うと。高齢化により住民自治、冠婚葬祭などの共同体機能が急速に衰え、やがて消滅に向かうと。新宿区の戸山団地もその虞があると

共同体意識が無くなるか。薄くなるか。自治意識が無くなるか。年を重ねることには苦難の道が待ち構えてるな