早や五月。世はゴールデンウィークだと。薫風の候だな。例年だと爽やかな風が吹くんだが年々地球温暖化だろうかな、蒸し暑さがあるんだな。今年も暖冬の影響で、春の訪れが早く、三月も暖かかったが、四月は寒さがぶり返した。しかし五月の声を聞くと暑くなった。
「われに五月を」で世に出た寺山修司が、四日に逝った。三日には高橋和巳が逝った。その頃は爽やかな風であったろうが、地球の温暖化かな、梅雨の前の蒸し暑さだな
今年の黄金週間は静かだ。人の群れが無くなった。この世は動物だけでなく、人も群れを好む傾向である。このコロナ禍でテレビ映像もスカイプで映像を発している。当初は映像機器の性能が悪いのだろうな。映像もぼけて音声も悪いんだな。しかし慣れるに従って、映像がはっきりしないと視聴者への印象が悪くなるので自らの商品価値を高めるために機器も良くするんだろうな。
中には常時出演している者は、映像も当初からはっきりしている者もいる。映像の良し悪しは商品価値なんだな。多分局まで来て、別室から流しているんだろうな。頭が回る者もいるな。テレビなどは映像が第一だな。製造会社も映像を良くするために日夜奮闘している。
先日、尾道出身の、尾道を世に出した大林宣彦監督が亡くなった。映像の魔術師とも言われたとか。評論家に言わせると、コマーシャルで良いなと感じたのは大抵大林宣彦が撮ったとか。
外国で生きていける職業は、音楽と絵描きだと。音楽と絵画には言葉はいらない。いや当人にすると、言葉以上である。言葉には言い表せないと。このコロナ禍ではテレビ映像を職業にしている者も亡くなった。
志村けん。今度のコロナ禍であっという間に逝ってしまった。亡くなってからテレビで特集を組んでいた。評論家に言わせると、動作が面白いと。外人でも言葉が分からなくても動作で分かると。成程な。歌舞伎や能と同じか。
コントとは寸劇だと。軽演劇だと。上智大の右翼の渡部昇一が何年もフランスに滞在していたが小噺が分からなかったと。10年を超えてやっと、小噺の面白さが分かったと
コント55号がいた。あれは舞台の端から端まで走るんだな。動作を通り越して動き回る。テレビは映像だな。見方は色々ある。色々な考えがある。藤山寛美がいた。あれほどの馬鹿を演じるのだから、大した者だ。馬鹿を超越しなくちゃ演じられないと
何が面白いか分からないが、志村けんは生前同じ物を演じてもマンネリにならないと。成程な。色々な考えがあるな
岡江久美子も亡くなった。乳癌の手術を受けていたから免疫力が無かったと。乳腺外科の医者に言わせると、放射線治療で免疫力が落ちることはないと。どうも人はテレビ映像で接している者には近親感があるようだな
今回のコロナ禍で、知事の顔がやけに映像に出るんだな。今まで政治家などは精々総理大臣か閣僚がまれに映像に出るぐらいだった。しかし今回は東京や大阪やそれ以外の知事の顔も映像に露出している
あれも、映像を通しての顔は視聴者には近親感を与えるのだろうな。安倍晋三首相も映像からははっきり分からないが、プロンプターかな。細川護熙がやりだしたとか。映像からは分からないが、原稿を読める器具で視聴者には分からないように原稿を読んでいるだと。もともと安倍晋三の話は、言語も意味も不明瞭だったが、心にもないことを言葉に出来るんだな。大した演技者だと見ていたが、プロンプターか、合点がいった
佐藤栄作が引退会見の時に、新聞は嫌いだが、テレビは好きだと。新聞記者を排除したが、昔々のことだが。得てして政治家とはテレビ映像が好きだな。浜田幸一も国務大臣の任命経験が無いままに政界を去ったが、普段は面白くもない男だが、テレビ映像の前では面白いことを喋ったと
選挙ポスターではないが、顔は重要だな。映像の写り方、とらえ方は言葉よりも政治家にとっては重要なんだろう。テレビ映像だと言葉でも時間の制約から少なく、印象的な一言で良い。説明はいらない。コマーシャルで良い。
昨今のテレビ映像では、同じ映像が何度も何度も出てくる。あの変態総理こと小泉純一郎が郵政民営化、郵政民営化と朝から晩まで映像で叫んでいた。あれ以来新聞から一社だけの特ダネが消え去ったように、テレビ界でも映像の付け回しが目に付くようになった。同じ局だけでなく、他局へでも回すんだな。映像には著作権は無いようだな。まあ宣伝と同じだな
顔と言えば、小池百合子の顔が目立つんだな。歯切れが良いんだな。歯切れだけは良いんだな。言語も意味も明瞭なんだな。あれは役者にも使えるな。しかし、本人は主役でなければ、脇役では納得しないな。日本会議出のコイケユリコ。今じゃ東京都の知事とか。オリンピックからコロナ禍だな
自民党の幹事長が都知事候補には勝てる候補をとか。多分支持率は高いんだろうな。人には色んな考えがあるな。映像の影響は大きい。歯切れが良い者には、映像写りが良いんだなと思える。皆右派だな。小泉純一郎、大阪の維新の橋下徹、小池百合子、押しなべて右派だな。それも右寄りどころでなく、最右翼なんだな
右派と左派との違いとは、国家を考えるか個人を考えるかだな。国家とは国家の存続に関すれば一つだな、一極集中になるな。それに比べ個人は様々だな。様々な考えがあるから歯切れは悪くなる。右派は国家の存続に関してはやり方は色々あろうが、存続に関しては一つだな。国家の存続はラッパの吹き方は変わるが、吹くことが大切だろうな。従って勢いが良いな。いや勢いよく見えるな
今回のコロナ禍は平常をはるかに超えている。日本だけでなく世界的にまさに戦時以上であろうな。過去戦争で亡くなった人数より、疫病で亡くなった人数の方が多いと。藤枝静男が戦後「イペリット眼」を描いた。藤枝静男は旧制8高から千葉医大を出て眼科医になった。
瀬戸内海に大久野島がある。戦前は毒ガスを製造していて、地図上からは抹消されていた。戦後は設備自体を破壊して今じゃ国民休暇村があると。ここで「イペリット」も製造されていた。瀬戸内とは村上水軍もいたが、海の上では陸地よりも器用に動く海賊もいた。隣の生口島には平山郁夫美術館がある。今じゃ、しまなみ海道で陸地と繋がっている。海賊も出る幕が無い。平山郁夫美術館は宗教法人の隣りに建設されている。あの耕三寺とは何か関係があったろうな。大林宣彦監督の尾道から眺める瀬戸内の海は明鏡止水だな。しかし嵐の海もあるだろうが見たことは無い
「羊の歌」を描いた羊年生まれの加藤周一がいた。東大医学部を出た医者で精力的な男だった。三度の結婚をしたことからも精力は窺える。当時属していた東京大学病院が信州の上田に疎開して1945年8月15日は上田の結核療養所で迎えたと。
加藤周一は日本全国が8月15日を境にして、「最後の一兵まで戦う」とか「死んでも護国の鬼になる」とか言っていたのが、がらりと変わって平和で文化国家になると言い出したと。その変わり方の滑らかさに驚いた。大変なショックを受けたと
いわゆる抵抗勢力を排除した小泉純一郎が自民党総裁についた。総理になった。その支持者に援護した者に塩川清十郎がいた。小泉純一郎と同様に政治家一家であった。小泉純一郎を総裁にした功績により、財務大臣になった。以前機密費を批判していたが、財務大臣になった国会答弁で機密費について質問を受けたが、「忘れました」「記憶にございません」と答弁した。隣にいた扇千景大臣の顔はポカンとしていた。政治家一家で育った者との違いだな。報道では塩爺などと言われていたが、塩呆けだろうな。色々な見方、考えがある
東京に戸山がある。その戸山に箱根山がある。標高は44.6mであると。山手線の中では一番標高が高いと。しかし築山、人工の山だと。天然だと標高の最高地点は25.7mの愛宕山であると。箱根山はすぐ登れる、しかし愛宕山の男坂は階段を上りだすと後に引けない。後ろを振り向くことさえ怖い。足がすくんでくる。さすがにNHKの発祥の地である。しかし登りきると頂上には車道があり車でも行ける
その戸山地区には戦前陸軍戸山学校があった。その跡地に都営戸山ハイツ、国際医療センターや国立感染研究所、隣接して早稲田大学文学部がある。一種の官庁街と言おうかな、夜は暗い。何か得体の知れない地域である。
1989年(平成元年)7月に戸山の旧陸軍軍医学校跡地に建設予定の国立感染症研究所建設現場で、四肢が様々な位置で切断された形跡が残った大量の人骨が発見された。当時は報道もされ調査団によって調査されたが良く分からなかった。その後1992年(平成4年)10月に品川区上大崎の海軍大学校跡地から現在の国立感染症研究所戸山庁舎に移転した。隣は前身が陸軍病院であった。いずれにしても戦前から陸軍に関係した土地である
今回のコロナ禍では、令和2年2月14日に内閣に設置された新型コロナウィルス感染症対策本部が新型コロナウィルス感染症対策専門家会議を立ち上げた。そしてその庶務は厚生労働省等関係行政機関の協力を得て、内閣官房において処理するとした
この専門家会議の構成員は7名とし、それ以外に座長は国立感染所研究所長の脇田隆字、副座長として独立行政法人地域医療機能推進機構理事長の尾身茂が任命された。厚生労働省のHPによると大臣官房の厚生科学課で所掌事務として国立感染症研究所の組織及び運営一般に関することとなっている。また所轄法人として医政局、医療経営支援課の傘下に独立行政法人地域医療機能推進機構がある
今回のコロナ禍では、厚労省傘下の国立感染症研究所が指揮を取っているようだ。座長も、研究員も国立感染症研究所と関係があるようだ。感染病とは急に出現する。従って厚労省も医療関係者も精一杯の人員で回していたため、過重労働になっている。医は仁術とも言われている。この時期仁術を超えているだろう。現場の保健所などは平時とは段違いであろう。前述した加藤周一やアフガニスタンで銃撃された中村哲など医者には並外れた者がいる
公務員とは公僕である。憲法第15条2項では、すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者でない。と規定してある。現場の保健所が回らなければ本部の役所の公務員が助けに行けば良い。選挙の時だけは全員で参加するが、こういう非常事態の時こそ現場を手助けしなくちゃいけないな
10万円の特別定額給付金もマイナンバー制度自体の取得率も20%以下であるし、カードリーダの取得となると更に利用できる者は少数であろう。印刷に時間がかかるようであれば公務員全員で手分けして手書きすれば良いであろう。その点青森県西目屋村は早かった。公務員の存在感を示したであろうな。西目屋村は人口1300人超の白神山地の麓である
国立感染症研究所はHPによると、起源は明治25年に設立された私立衛生会附属伝染病研究所であると。終戦後1947年(昭和22年)国立予防衛生研究所が設立され、1997年(平成9年)に現在の名の国立感染症研究所に改名されたと
どうも名の通り研究所のようである。隣の国立国際医療研究センターがセンター病院を抱えているが、国立感染症研究所は治療病院でなく研究機関のようである。前身も陸軍と密接に関係している
インターネットには詳しい者もいる。ペンネーム在野民平、通称おしえてゲンさんは恐らく事実に近いだろうな。満州における731部隊、南京における1644部隊はコレラ、チフス、ペスト等の細菌を製造し、人体実験、生体実験を行ったと。また防疫研究室もあったと
国立感染症研究所の初代所長は小林六造、二代目所長の小島三郎はこの1644部隊あるいは防疫研究室に関与していたとか。歴代所長はこれらに関与していた者が多い
関東軍防疫給水部(731部隊)の部隊長は石井四郎であった。1945年に軍医中将に進級したが、内地に帰れた。極東国際軍事裁判(東京裁判)ではアメリカと取引したのだろうな、訴追を免れたと。晩年にはキリスト教に入信したが、1959年(昭和34年)国立東京第一病院(現、国立国際医療センター)で死亡したと。畳の上で亡くなった。墓所は月桂寺だと。キリスト教に入信したが墓所は臨済宗円覚寺派の月桂寺である。総本山は開高健が眠っている鎌倉の円覚寺。月桂寺は昔のフジテレビの前にある
緊急事態宣言が発せられた。不要不急の移動を自粛し、居酒屋等に休業要請している。その中でパチンコ屋はお上に逆らっている。刑法では賭博を禁じている。この賭博罪の適用外は競馬における日本中央競馬会(特殊法人)、地方競馬(都道府県)、競輪及び競艇及びオートレース(都道府県及び市町村)そして国家がやる証券取引所である。即ち国家や地方公共団体のやる賭博は法律によって罪に問われない
純然たる民間のやる賭博、博打はパチンコである。前は福祉団体が関与していたが分からない。当然賭博であるので、国家の認可権はあるのだろう。お上に表では逆らっても、裏では手を結ばないと継続できない。二足の草鞋であろう
矢崎泰久は丁半博打では、壺振り師は、丁方と半方を募るのが難しいと。そうだな賭博であるので、丁だけでは成立しないし、また半だけでも博打にならないな。それは国家が胴元になる証券取引所でも同じである。売りと買いが両方ないと博打は成立しない
国家がやる賭博には八百長はないのかな。胴元が売って胴元の友が買う国債は八百長にはならないか。賭博とは先の眼が見えないから博打になる。先が見えたら、賭博でなく、八百長になるかな。あるいは八百長とは投資という言葉に化けるかな
「われに五月を」で世に出た寺山修司が、四日に逝った。三日には高橋和巳が逝った。その頃は爽やかな風であったろうが、地球の温暖化かな、梅雨の前の蒸し暑さだな
今年の黄金週間は静かだ。人の群れが無くなった。この世は動物だけでなく、人も群れを好む傾向である。このコロナ禍でテレビ映像もスカイプで映像を発している。当初は映像機器の性能が悪いのだろうな。映像もぼけて音声も悪いんだな。しかし慣れるに従って、映像がはっきりしないと視聴者への印象が悪くなるので自らの商品価値を高めるために機器も良くするんだろうな。
中には常時出演している者は、映像も当初からはっきりしている者もいる。映像の良し悪しは商品価値なんだな。多分局まで来て、別室から流しているんだろうな。頭が回る者もいるな。テレビなどは映像が第一だな。製造会社も映像を良くするために日夜奮闘している。
先日、尾道出身の、尾道を世に出した大林宣彦監督が亡くなった。映像の魔術師とも言われたとか。評論家に言わせると、コマーシャルで良いなと感じたのは大抵大林宣彦が撮ったとか。
外国で生きていける職業は、音楽と絵描きだと。音楽と絵画には言葉はいらない。いや当人にすると、言葉以上である。言葉には言い表せないと。このコロナ禍ではテレビ映像を職業にしている者も亡くなった。
志村けん。今度のコロナ禍であっという間に逝ってしまった。亡くなってからテレビで特集を組んでいた。評論家に言わせると、動作が面白いと。外人でも言葉が分からなくても動作で分かると。成程な。歌舞伎や能と同じか。
コントとは寸劇だと。軽演劇だと。上智大の右翼の渡部昇一が何年もフランスに滞在していたが小噺が分からなかったと。10年を超えてやっと、小噺の面白さが分かったと
コント55号がいた。あれは舞台の端から端まで走るんだな。動作を通り越して動き回る。テレビは映像だな。見方は色々ある。色々な考えがある。藤山寛美がいた。あれほどの馬鹿を演じるのだから、大した者だ。馬鹿を超越しなくちゃ演じられないと
何が面白いか分からないが、志村けんは生前同じ物を演じてもマンネリにならないと。成程な。色々な考えがあるな
岡江久美子も亡くなった。乳癌の手術を受けていたから免疫力が無かったと。乳腺外科の医者に言わせると、放射線治療で免疫力が落ちることはないと。どうも人はテレビ映像で接している者には近親感があるようだな
今回のコロナ禍で、知事の顔がやけに映像に出るんだな。今まで政治家などは精々総理大臣か閣僚がまれに映像に出るぐらいだった。しかし今回は東京や大阪やそれ以外の知事の顔も映像に露出している
あれも、映像を通しての顔は視聴者には近親感を与えるのだろうな。安倍晋三首相も映像からははっきり分からないが、プロンプターかな。細川護熙がやりだしたとか。映像からは分からないが、原稿を読める器具で視聴者には分からないように原稿を読んでいるだと。もともと安倍晋三の話は、言語も意味も不明瞭だったが、心にもないことを言葉に出来るんだな。大した演技者だと見ていたが、プロンプターか、合点がいった
佐藤栄作が引退会見の時に、新聞は嫌いだが、テレビは好きだと。新聞記者を排除したが、昔々のことだが。得てして政治家とはテレビ映像が好きだな。浜田幸一も国務大臣の任命経験が無いままに政界を去ったが、普段は面白くもない男だが、テレビ映像の前では面白いことを喋ったと
選挙ポスターではないが、顔は重要だな。映像の写り方、とらえ方は言葉よりも政治家にとっては重要なんだろう。テレビ映像だと言葉でも時間の制約から少なく、印象的な一言で良い。説明はいらない。コマーシャルで良い。
昨今のテレビ映像では、同じ映像が何度も何度も出てくる。あの変態総理こと小泉純一郎が郵政民営化、郵政民営化と朝から晩まで映像で叫んでいた。あれ以来新聞から一社だけの特ダネが消え去ったように、テレビ界でも映像の付け回しが目に付くようになった。同じ局だけでなく、他局へでも回すんだな。映像には著作権は無いようだな。まあ宣伝と同じだな
顔と言えば、小池百合子の顔が目立つんだな。歯切れが良いんだな。歯切れだけは良いんだな。言語も意味も明瞭なんだな。あれは役者にも使えるな。しかし、本人は主役でなければ、脇役では納得しないな。日本会議出のコイケユリコ。今じゃ東京都の知事とか。オリンピックからコロナ禍だな
自民党の幹事長が都知事候補には勝てる候補をとか。多分支持率は高いんだろうな。人には色んな考えがあるな。映像の影響は大きい。歯切れが良い者には、映像写りが良いんだなと思える。皆右派だな。小泉純一郎、大阪の維新の橋下徹、小池百合子、押しなべて右派だな。それも右寄りどころでなく、最右翼なんだな
右派と左派との違いとは、国家を考えるか個人を考えるかだな。国家とは国家の存続に関すれば一つだな、一極集中になるな。それに比べ個人は様々だな。様々な考えがあるから歯切れは悪くなる。右派は国家の存続に関してはやり方は色々あろうが、存続に関しては一つだな。国家の存続はラッパの吹き方は変わるが、吹くことが大切だろうな。従って勢いが良いな。いや勢いよく見えるな
今回のコロナ禍は平常をはるかに超えている。日本だけでなく世界的にまさに戦時以上であろうな。過去戦争で亡くなった人数より、疫病で亡くなった人数の方が多いと。藤枝静男が戦後「イペリット眼」を描いた。藤枝静男は旧制8高から千葉医大を出て眼科医になった。
瀬戸内海に大久野島がある。戦前は毒ガスを製造していて、地図上からは抹消されていた。戦後は設備自体を破壊して今じゃ国民休暇村があると。ここで「イペリット」も製造されていた。瀬戸内とは村上水軍もいたが、海の上では陸地よりも器用に動く海賊もいた。隣の生口島には平山郁夫美術館がある。今じゃ、しまなみ海道で陸地と繋がっている。海賊も出る幕が無い。平山郁夫美術館は宗教法人の隣りに建設されている。あの耕三寺とは何か関係があったろうな。大林宣彦監督の尾道から眺める瀬戸内の海は明鏡止水だな。しかし嵐の海もあるだろうが見たことは無い
「羊の歌」を描いた羊年生まれの加藤周一がいた。東大医学部を出た医者で精力的な男だった。三度の結婚をしたことからも精力は窺える。当時属していた東京大学病院が信州の上田に疎開して1945年8月15日は上田の結核療養所で迎えたと。
加藤周一は日本全国が8月15日を境にして、「最後の一兵まで戦う」とか「死んでも護国の鬼になる」とか言っていたのが、がらりと変わって平和で文化国家になると言い出したと。その変わり方の滑らかさに驚いた。大変なショックを受けたと
いわゆる抵抗勢力を排除した小泉純一郎が自民党総裁についた。総理になった。その支持者に援護した者に塩川清十郎がいた。小泉純一郎と同様に政治家一家であった。小泉純一郎を総裁にした功績により、財務大臣になった。以前機密費を批判していたが、財務大臣になった国会答弁で機密費について質問を受けたが、「忘れました」「記憶にございません」と答弁した。隣にいた扇千景大臣の顔はポカンとしていた。政治家一家で育った者との違いだな。報道では塩爺などと言われていたが、塩呆けだろうな。色々な見方、考えがある
東京に戸山がある。その戸山に箱根山がある。標高は44.6mであると。山手線の中では一番標高が高いと。しかし築山、人工の山だと。天然だと標高の最高地点は25.7mの愛宕山であると。箱根山はすぐ登れる、しかし愛宕山の男坂は階段を上りだすと後に引けない。後ろを振り向くことさえ怖い。足がすくんでくる。さすがにNHKの発祥の地である。しかし登りきると頂上には車道があり車でも行ける
その戸山地区には戦前陸軍戸山学校があった。その跡地に都営戸山ハイツ、国際医療センターや国立感染研究所、隣接して早稲田大学文学部がある。一種の官庁街と言おうかな、夜は暗い。何か得体の知れない地域である。
1989年(平成元年)7月に戸山の旧陸軍軍医学校跡地に建設予定の国立感染症研究所建設現場で、四肢が様々な位置で切断された形跡が残った大量の人骨が発見された。当時は報道もされ調査団によって調査されたが良く分からなかった。その後1992年(平成4年)10月に品川区上大崎の海軍大学校跡地から現在の国立感染症研究所戸山庁舎に移転した。隣は前身が陸軍病院であった。いずれにしても戦前から陸軍に関係した土地である
今回のコロナ禍では、令和2年2月14日に内閣に設置された新型コロナウィルス感染症対策本部が新型コロナウィルス感染症対策専門家会議を立ち上げた。そしてその庶務は厚生労働省等関係行政機関の協力を得て、内閣官房において処理するとした
この専門家会議の構成員は7名とし、それ以外に座長は国立感染所研究所長の脇田隆字、副座長として独立行政法人地域医療機能推進機構理事長の尾身茂が任命された。厚生労働省のHPによると大臣官房の厚生科学課で所掌事務として国立感染症研究所の組織及び運営一般に関することとなっている。また所轄法人として医政局、医療経営支援課の傘下に独立行政法人地域医療機能推進機構がある
今回のコロナ禍では、厚労省傘下の国立感染症研究所が指揮を取っているようだ。座長も、研究員も国立感染症研究所と関係があるようだ。感染病とは急に出現する。従って厚労省も医療関係者も精一杯の人員で回していたため、過重労働になっている。医は仁術とも言われている。この時期仁術を超えているだろう。現場の保健所などは平時とは段違いであろう。前述した加藤周一やアフガニスタンで銃撃された中村哲など医者には並外れた者がいる
公務員とは公僕である。憲法第15条2項では、すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者でない。と規定してある。現場の保健所が回らなければ本部の役所の公務員が助けに行けば良い。選挙の時だけは全員で参加するが、こういう非常事態の時こそ現場を手助けしなくちゃいけないな
10万円の特別定額給付金もマイナンバー制度自体の取得率も20%以下であるし、カードリーダの取得となると更に利用できる者は少数であろう。印刷に時間がかかるようであれば公務員全員で手分けして手書きすれば良いであろう。その点青森県西目屋村は早かった。公務員の存在感を示したであろうな。西目屋村は人口1300人超の白神山地の麓である
国立感染症研究所はHPによると、起源は明治25年に設立された私立衛生会附属伝染病研究所であると。終戦後1947年(昭和22年)国立予防衛生研究所が設立され、1997年(平成9年)に現在の名の国立感染症研究所に改名されたと
どうも名の通り研究所のようである。隣の国立国際医療研究センターがセンター病院を抱えているが、国立感染症研究所は治療病院でなく研究機関のようである。前身も陸軍と密接に関係している
インターネットには詳しい者もいる。ペンネーム在野民平、通称おしえてゲンさんは恐らく事実に近いだろうな。満州における731部隊、南京における1644部隊はコレラ、チフス、ペスト等の細菌を製造し、人体実験、生体実験を行ったと。また防疫研究室もあったと
国立感染症研究所の初代所長は小林六造、二代目所長の小島三郎はこの1644部隊あるいは防疫研究室に関与していたとか。歴代所長はこれらに関与していた者が多い
関東軍防疫給水部(731部隊)の部隊長は石井四郎であった。1945年に軍医中将に進級したが、内地に帰れた。極東国際軍事裁判(東京裁判)ではアメリカと取引したのだろうな、訴追を免れたと。晩年にはキリスト教に入信したが、1959年(昭和34年)国立東京第一病院(現、国立国際医療センター)で死亡したと。畳の上で亡くなった。墓所は月桂寺だと。キリスト教に入信したが墓所は臨済宗円覚寺派の月桂寺である。総本山は開高健が眠っている鎌倉の円覚寺。月桂寺は昔のフジテレビの前にある
緊急事態宣言が発せられた。不要不急の移動を自粛し、居酒屋等に休業要請している。その中でパチンコ屋はお上に逆らっている。刑法では賭博を禁じている。この賭博罪の適用外は競馬における日本中央競馬会(特殊法人)、地方競馬(都道府県)、競輪及び競艇及びオートレース(都道府県及び市町村)そして国家がやる証券取引所である。即ち国家や地方公共団体のやる賭博は法律によって罪に問われない
純然たる民間のやる賭博、博打はパチンコである。前は福祉団体が関与していたが分からない。当然賭博であるので、国家の認可権はあるのだろう。お上に表では逆らっても、裏では手を結ばないと継続できない。二足の草鞋であろう
矢崎泰久は丁半博打では、壺振り師は、丁方と半方を募るのが難しいと。そうだな賭博であるので、丁だけでは成立しないし、また半だけでも博打にならないな。それは国家が胴元になる証券取引所でも同じである。売りと買いが両方ないと博打は成立しない
国家がやる賭博には八百長はないのかな。胴元が売って胴元の友が買う国債は八百長にはならないか。賭博とは先の眼が見えないから博打になる。先が見えたら、賭博でなく、八百長になるかな。あるいは八百長とは投資という言葉に化けるかな