大晦日
その年の最後の日だな。月末は晦日というと。ミソカともツゴモリとも言う
どうも昔は陰暦で月の満ち欠けの暦になっていたと。潮の干潮や満潮も地球や太陽や月によってるとか。どうも分からない。確かに太陽が昇るのは時期や季節によって変わる、また月の満ち欠けもあるんだが、どうもよく分からない
旧暦では正月は来年の1月25日であると。どうも旧正月は新月になる日であると。旧正月だけでなく新月の時が常に一日になると。
ニッサンにいたカルロス・ゴーン被告がレバノンに到着したと。世界を股にかけた男には日本の司法は及ばないかな。このニュ-スは海外メディアによって報道されて始めて分かった。わが国の検察も裁判官も弁護士も誰も分からなかったと。ただ一人ゴーンが色々情報を収集し、配下の手下にも助けられて、レバノンに逃げた。間抜けと言おうか、笑っちゃうな。至る所に防犯カメラを巡らしているが、肝心な点では抜けているかな
数十年前に松本市で事件が起こった。1994年オウム真理教によって猛毒のサリンが散布された。警察は河野義行を逮捕した。河野義行はその後警察の講演とかを引き受けて鹿児島に住んでいると。あれほど警察当局から迫害されたが、養子だったせいか人が良いんだな
その前1989年には坂本堤弁護士殺害事件が起こってる。また翌年1995年には地下鉄サリン事件が起きた。どれもオウム真理教がやったとは警察当局あるいは公安は分からなかった
戦争直後、松本清張は日本の公安は優秀であるので、調査能力が優れているので、共産党には武器は無かったのだろうと語っていた。戦前の内務省課の特高の能力にははるかに及ばないのだろうか
日本の官僚は優秀だと言われている。城山三郎の「官僚たちの夏」では魅力的な官僚が描かれている。しかし今の首相官房はどうであろうか。「桜を見る会」では身内からも反逆者が出て、資料を廃棄したと。この国を背負ってる矜持はもう捨てたな。昨今では教員のなり手が減少したと。その内官僚も後に続くかな
テレビで「ポツンと一軒家」の番組がある。朝日放送テレビの制作でテレビ朝日系列で放映しているのだろう。かっての田舎のテレビ局は地方独自の放送局があったが、今では中央のテレビ系列に浸透されてきたな。経済界だけでなくマスコミ界も中央集権化されてきた
かって地方に旅した時に、地方新聞に五木寛之の親鸞が乗っていた。コピーを撮って帰って東京新聞に聞いたら、共同通信だったかな受けて、地方新聞に流していると。連載小説だけでなく、昨今では記事も配信していると。どうも特ダネなどは遠い昔だろうな。今じゃあらゆる分野で中央集権化が進んでいるな
「ポツンと一軒家」は面白い。何が面白いかと言うと住民の生活を、人生を垣間見るからかな。日本放送協会通称NHK、昨今では日本お笑い協会通称NOKの感が無いではないが、NHKの取材では取材陣と言えるかな、編成団を組んでくるんだな、しかし「ポツンと一軒家」は映像を見る限り、せいぜい3人かな。しかも演技指導など受けず素人が面白い番組に仕上げているな
画面に現れるのだけでなく、テ-プは実際の放映時間の何倍も撮って、何人かの編集でうまく作成している。番組の当初に所何某とか林何某とかその他2名を配置しているが、あれはテレビ番組の手法であろうな。売れてる顔を采配している。スポンサ-の意向か分からないが、あの顔たちは付録のようである。番組製作者は顔が必要だろうが、顔が余分だな
昨今では吉本興業かな、行政のポスタ-でもお笑い者を配するんだな。お笑いが俺俺詐欺に気を付けようとかのポスタ-も見かけた。行政当局は真面目にやってるんだろうが、俺から見ると、おいおい行政は大丈夫かなと危惧する
「ポツンと一軒家」が何人で作成しているのか知らない。昔、東京12チャンネルだったかな、田舎に泊まろうという番組があった。あれも画面からは少人数なようだが、あれはお笑いの顔が民家に泊まる。田舎に行けば行くほどお笑いの顔はテレビで知ってるんだな
それに比べると「ポツンと一軒家」は無名の素人が素人から話を聞きだして人生を語らせる、人里離れた住民からうまく聞き出すな。そして番組に仕上げている
テレビが好きだ、テレビは性に合ってると言っていた大橋巨泉ばどは30分番組だとコマ-シャルの時間を割り引いて25分づらいしか撮らせなかったと。多く撮ると変に編集しちゃうからと
映画でも映像の最後にズラズラと氏名を記している。一つの映画を作製するには何人も何日間も要する。また音楽でもフォーク歌手でもオ-ケストラさながらの人数を要している。それに比べ「ポツンと一軒家」は少数の素人が面白しく、しかもほのぼのと撮っている。喜劇とは自らが笑うのでなく、他者を笑わすことなんだな。そして喜劇が、悲劇にも転ずることもあるんだな
面白うて やがて悲しき 鵜飼かな
その年の最後の日だな。月末は晦日というと。ミソカともツゴモリとも言う
どうも昔は陰暦で月の満ち欠けの暦になっていたと。潮の干潮や満潮も地球や太陽や月によってるとか。どうも分からない。確かに太陽が昇るのは時期や季節によって変わる、また月の満ち欠けもあるんだが、どうもよく分からない
旧暦では正月は来年の1月25日であると。どうも旧正月は新月になる日であると。旧正月だけでなく新月の時が常に一日になると。
ニッサンにいたカルロス・ゴーン被告がレバノンに到着したと。世界を股にかけた男には日本の司法は及ばないかな。このニュ-スは海外メディアによって報道されて始めて分かった。わが国の検察も裁判官も弁護士も誰も分からなかったと。ただ一人ゴーンが色々情報を収集し、配下の手下にも助けられて、レバノンに逃げた。間抜けと言おうか、笑っちゃうな。至る所に防犯カメラを巡らしているが、肝心な点では抜けているかな
数十年前に松本市で事件が起こった。1994年オウム真理教によって猛毒のサリンが散布された。警察は河野義行を逮捕した。河野義行はその後警察の講演とかを引き受けて鹿児島に住んでいると。あれほど警察当局から迫害されたが、養子だったせいか人が良いんだな
その前1989年には坂本堤弁護士殺害事件が起こってる。また翌年1995年には地下鉄サリン事件が起きた。どれもオウム真理教がやったとは警察当局あるいは公安は分からなかった
戦争直後、松本清張は日本の公安は優秀であるので、調査能力が優れているので、共産党には武器は無かったのだろうと語っていた。戦前の内務省課の特高の能力にははるかに及ばないのだろうか
日本の官僚は優秀だと言われている。城山三郎の「官僚たちの夏」では魅力的な官僚が描かれている。しかし今の首相官房はどうであろうか。「桜を見る会」では身内からも反逆者が出て、資料を廃棄したと。この国を背負ってる矜持はもう捨てたな。昨今では教員のなり手が減少したと。その内官僚も後に続くかな
テレビで「ポツンと一軒家」の番組がある。朝日放送テレビの制作でテレビ朝日系列で放映しているのだろう。かっての田舎のテレビ局は地方独自の放送局があったが、今では中央のテレビ系列に浸透されてきたな。経済界だけでなくマスコミ界も中央集権化されてきた
かって地方に旅した時に、地方新聞に五木寛之の親鸞が乗っていた。コピーを撮って帰って東京新聞に聞いたら、共同通信だったかな受けて、地方新聞に流していると。連載小説だけでなく、昨今では記事も配信していると。どうも特ダネなどは遠い昔だろうな。今じゃあらゆる分野で中央集権化が進んでいるな
「ポツンと一軒家」は面白い。何が面白いかと言うと住民の生活を、人生を垣間見るからかな。日本放送協会通称NHK、昨今では日本お笑い協会通称NOKの感が無いではないが、NHKの取材では取材陣と言えるかな、編成団を組んでくるんだな、しかし「ポツンと一軒家」は映像を見る限り、せいぜい3人かな。しかも演技指導など受けず素人が面白い番組に仕上げているな
画面に現れるのだけでなく、テ-プは実際の放映時間の何倍も撮って、何人かの編集でうまく作成している。番組の当初に所何某とか林何某とかその他2名を配置しているが、あれはテレビ番組の手法であろうな。売れてる顔を采配している。スポンサ-の意向か分からないが、あの顔たちは付録のようである。番組製作者は顔が必要だろうが、顔が余分だな
昨今では吉本興業かな、行政のポスタ-でもお笑い者を配するんだな。お笑いが俺俺詐欺に気を付けようとかのポスタ-も見かけた。行政当局は真面目にやってるんだろうが、俺から見ると、おいおい行政は大丈夫かなと危惧する
「ポツンと一軒家」が何人で作成しているのか知らない。昔、東京12チャンネルだったかな、田舎に泊まろうという番組があった。あれも画面からは少人数なようだが、あれはお笑いの顔が民家に泊まる。田舎に行けば行くほどお笑いの顔はテレビで知ってるんだな
それに比べると「ポツンと一軒家」は無名の素人が素人から話を聞きだして人生を語らせる、人里離れた住民からうまく聞き出すな。そして番組に仕上げている
テレビが好きだ、テレビは性に合ってると言っていた大橋巨泉ばどは30分番組だとコマ-シャルの時間を割り引いて25分づらいしか撮らせなかったと。多く撮ると変に編集しちゃうからと
映画でも映像の最後にズラズラと氏名を記している。一つの映画を作製するには何人も何日間も要する。また音楽でもフォーク歌手でもオ-ケストラさながらの人数を要している。それに比べ「ポツンと一軒家」は少数の素人が面白しく、しかもほのぼのと撮っている。喜劇とは自らが笑うのでなく、他者を笑わすことなんだな。そして喜劇が、悲劇にも転ずることもあるんだな
面白うて やがて悲しき 鵜飼かな