総務省HPによると「国家公務員倫理規程違反に関する関係者の処分等について」と令和3年2月24日に11名の処分等を実施した
総務省の前身は、内務省であった。戦前の国家の基幹をなす省庁であった。警察機構や泣く子も黙ると言わしめた特別高等警察(特高)も下部組織であったが、余りに巨大機構で、絶大な権力機構であったため、敗戦後GHQによって解体・廃止された
戦前の特高は解体されたが、その業務は内閣府外局の国家公安委員会に継承されたとも言える。カミソリ後藤田と言われた中曾根康弘内閣で官房長官を務めた後藤田正晴は内務省出身であった。一貫して戦争には反対したが、リクルート事件後竹下内閣が退陣した折に総裁候補に上がったが、私は警察出身者であるため総理にはならない方が良いと、総裁選には立たなかった
しかし、今回の東北新社と総務省幹部との接待は良く表に出た。現職の総理に関わる事件であるため幕引きになるかなとも思ったが、内閣広報官の山田真貴子が高額な接待を受けたとはマスコミの話題にのぼるな
総務省は一人ではなく、幹部軒なき組織ぐるみとも言える。それほど大臣の威光は恐ろしいとも言える。官僚も長くなるとどうしても機構に呑まれる。例えばテレビカメラの前でも上司が訪れると手も両手を横にそろえ頭は下がる。実ほど頭を垂れる稲穂かなと言う言葉があるが、敬意もあろうが昔の軍隊さながらの光景だな。
話は変わるが、厚生労働省に村木厚子がいた。課長時代に凛の会事件の虚偽公文書作成により起訴有罪判決を受け、大阪拘置所に抑留された。部下の犯罪だったので無罪を主張してようやく保釈され、無罪判決を得た。大阪地方検察庁特捜部の証拠改竄事件であったので、冤罪そのものであった。その後村木厚子は厚生労働省に復帰して事務次官になったが、国家により検察により痛めつけられながら、国家機構に戻った
たとえ冤罪にしても、公務員によって公務員による犯罪を受けながら、同じく公務員に戻った。意思が強いとも言えるが、全体の奉仕者である公務員に再度戻った。小生にとっては不可思議な感じがしたな
山田真貴子と村木厚子とは立場や考えが違うにしても、同じ公務員であることには変わりが無い。しかも夫も同じ省庁勤務であり、省庁内の役職は妻の方が高い。夫婦とは気質が同じ、俗に似た者同士と言うが、同じような人が多い。特に公務員同士も多いんだな。産経新聞に司馬遼太郎がいた。生き字引と言われたが妻も同じ産経新聞社でその分野での能力は妻の方が高かったとか。東京藝術大学長に平山郁夫がいた。学生の頃は妻の方が成績は良かったと
総務省のHPの沿革によると、情報流通行政局は2008年(平成20年)7月4日に設立されている。菅義偉は2005年(平成17年)11月から2006年(平成18年)9月まで総務副大臣、その後2007年8月まで総務大臣であった。そして無職だった長男を大臣秘書官に抜擢し、その後、後援者である東北新社に入社させた。菅義偉はその後2012年12月から2020年9月まで官房長官をやっている
今回の総務省の処分等によると情報流通行政局が多い。菅義偉の人事による関与の影が付き纏っている。しかも調査が早い。異常に早いな。誰がどのように調査したか分からない。22日の衆議院予算委員会の理事会で総務省が接待内容を発表したと。1円単位で発表したと。国会の議事録を当たったが無い
総務省のHPによると、24日に武田総務大臣閣議後記者会見の概要が掲示されている。記者の問いに対し、12名延べ38件の倫理法違反があったと、本日までに調査を終え、その結果を国家公務員倫理審査会に報告するとともに、懲戒処分案についても国家公務員倫理審査会に承認申請する予定となっていると
同日、処分を発表した後の記者会見では、記者からの問いかけに対し、今回の調査におきましては、民間企業である東北新社に対して、任意の協力により各種帳票類の提出を受けるなど、強制的な捜査権限を持たない中で、可能な限りの客観的証拠を集めた上で、事実の確認を行ってきたと。そのような中、どうしても当事者の記憶に頼らざるを得ないものもありますけど、職員・事業者双方から一人一人、ヒアリングを行い、双方の陳述内容にそごがないかも含めて検証し、できる限りの客観性というものも確保したと
総務省による総務省のための調査であった。民間相手に任意の調査であった。税務調査なら税務署による調査ならば受けざるを得ない。しかし任意の調査であった。任意で関係者への帳簿や領収書等の調査であった。何で東北新社は調査に応じたのだろう。それは任意とは言っても監督官庁であったからであろう。監督官庁の調査ならば、当初幹部等が利害関係者とは思わなかったと話していたが、総務省や東北新社の双方にとって利害関係者であろうな。身内による監督としての調査であったので、道理で早かった。手心もあったであろうな
しかも接待の的は、情報流通行政局に集中している。総合通信基盤局は通称「電波マフィア」に対して、情報流通行政局は通称「放送マフィア」と言われていると。菅義偉は総務省の利権である電波に加え放送・マスコミを手中に入れようと画策している。総務省とは携帯電話にしてもNHKにしてもその認可権をもっている。それらを考慮して総務省出身の山田真貴子を内閣広報官にすえた
集英社から「幇間の遺言」が出版されている。今は絶版になったであろうが、1995年(平成7年)5月に出版された。語ったのは悠玄亭玉介、それを小田豊二が聞き取って書いたものである。幇間だから、自らが書く事はいない。喋り、語りなんだな。これが読んでも面白い。聞けばもっと面白いだろうが、文で読んでも面白いんだな
幇間とは誰が言いだしたか、太鼓持ち。幇間とは宴席での酒間をたすけるんだな。幇間の幇とは訓読みだとタスケル。昔の男たちは粋だったな。幇間とは芸達者。しかし、客よりも芸を上手くしてはダメなんだな。客より上手くては駄目、人様より教養をひけらかしては駄目。あくまでも控え目、客を喜ばすのが商売だな
文は残る。しかし言葉は、口から出まかせと言う言葉もあるように、口から出て消える事もある。文のように残らない。しかし、余韻は残る。間をとると耳に残るんだな。間が空きすぎると、間が抜けることになってしまうが。言葉は文にはないものがある。お経もそうだな。同じ事を繰り返し、繰り返し使う事もある。文とは構成が違ってくる
人の顔には口よりも耳の方が上にある。何故だか分かるかな。まあ禅問答のようだが
「幇間の遺言」には、耳が口よりも上にあるのは人の話を聞くようにだと。しかも良く聞けるように二つもあると。まず、聴いてから口にすると
年寄りを見ると、見渡してみると、もっとも小生も爺さんが板についてきたが、自己中心になりがちである。どうしても自己をひけらかすんだな。その点、「幇間の遺言」には得るものがある。個性もほどほどに。大阪ではボチボチと言うそうな
帯には
たいこもちってのは、歴史ある由緒正しい芸人だよ。教養があって、芸があって、品がいい。それにこの美貌だ。まさにあたしにぴったりの商売だったよな
幇間とは商売だったな。それも男の職業だった。なんせ正客以下の客を取り持つ。客に快感や快楽を与える商売である。菅義偉は長男に「総務省とは距離を置いて付き合うように」と釘を刺したと。それは表の言葉だな。息子は親のやり方を見ている。息子は裏の言葉として「総務省の利権を大いに貪るように」と聞こえたのだろう
山田真貴子内閣広報官は25日の衆議院予算委員会に参考人として出席した。野党もまさか出てくるとは思っても見なかったであろうな。矛先が鈍ったと言うか上手く逃げられた。頭が良いと言うことは、通例記憶力が良い。テレビでもクイズ番組を見ているとよく知っている。それと記憶力が良い。日本の学力は記憶力に宿っている。特に官僚とは記憶力だけは良い。記憶に無いことは考えられない。理念とか考えを聞いてもすり抜けられる。具体的に聞いていくんだな。馬鹿になっても具体的に聞いていくんだな
菅義偉は昨年10月26日にNHKの「ニュースウォッチ9」に出演した。日本学術会議の会員任命について拒否した件を聞かれて「説明できることと出来ないことってあるんじゃないでしょうか」と本音を言ってしまった。翌日、山田真貴子はNHKに「事前の打ち合わせと違う、総理は怒っている」と電話したとの報道がなされた。それを聞かれたが山田真貴子は電話していないと。NHKの前田晃伸会長も出席していて、電話を受けていないと
報道での話と違うんだな。総理の報道関係者との記者会見がある。山田真貴子内閣広報官は司会をしていた。この国は記者クラブが報道の自由を害しているが、総理の記者会見は記者クラブを生かすなら、せめて記者クラブが主催して記者クラブが司会をして、出席の記者も自由にして、自由な質疑応答をすべきである
現実には山田真貴子内閣広報官が司会をやって、取り仕切って、質問内容も事前に提出させて、質問は一つだけだと。だから菅義偉の回答も眼を下に向き原稿を読むことになっている。マスコミを籠絡させ、政府の情報を手の中の報道関係者にしか流さないと。あるいは情報によってマスコミを競い合わせると
情報とは権力の源泉でもあるし、金になるんだな。ましてやその情報は政府からの発信だな。官庁、省庁とは独占企業のようなものだな。情報の発信局である。飲み会には断らない女・山田真貴子内閣広報官は政府べったり、菅義偉の意向を受けた人物であろう。菅義偉にとっては打って付けの格好の広報官であろう。そこには幇間のように政府・報道機関・国民との間を幇助出来ず、菅義偉にとっての広報官であろうな。広報官でなく告知官であろうな
幇間とは男の職業だと、だったと。山田真貴子は幇間になれなかった女と言えるな
総務省の前身は、内務省であった。戦前の国家の基幹をなす省庁であった。警察機構や泣く子も黙ると言わしめた特別高等警察(特高)も下部組織であったが、余りに巨大機構で、絶大な権力機構であったため、敗戦後GHQによって解体・廃止された
戦前の特高は解体されたが、その業務は内閣府外局の国家公安委員会に継承されたとも言える。カミソリ後藤田と言われた中曾根康弘内閣で官房長官を務めた後藤田正晴は内務省出身であった。一貫して戦争には反対したが、リクルート事件後竹下内閣が退陣した折に総裁候補に上がったが、私は警察出身者であるため総理にはならない方が良いと、総裁選には立たなかった
しかし、今回の東北新社と総務省幹部との接待は良く表に出た。現職の総理に関わる事件であるため幕引きになるかなとも思ったが、内閣広報官の山田真貴子が高額な接待を受けたとはマスコミの話題にのぼるな
総務省は一人ではなく、幹部軒なき組織ぐるみとも言える。それほど大臣の威光は恐ろしいとも言える。官僚も長くなるとどうしても機構に呑まれる。例えばテレビカメラの前でも上司が訪れると手も両手を横にそろえ頭は下がる。実ほど頭を垂れる稲穂かなと言う言葉があるが、敬意もあろうが昔の軍隊さながらの光景だな。
話は変わるが、厚生労働省に村木厚子がいた。課長時代に凛の会事件の虚偽公文書作成により起訴有罪判決を受け、大阪拘置所に抑留された。部下の犯罪だったので無罪を主張してようやく保釈され、無罪判決を得た。大阪地方検察庁特捜部の証拠改竄事件であったので、冤罪そのものであった。その後村木厚子は厚生労働省に復帰して事務次官になったが、国家により検察により痛めつけられながら、国家機構に戻った
たとえ冤罪にしても、公務員によって公務員による犯罪を受けながら、同じく公務員に戻った。意思が強いとも言えるが、全体の奉仕者である公務員に再度戻った。小生にとっては不可思議な感じがしたな
山田真貴子と村木厚子とは立場や考えが違うにしても、同じ公務員であることには変わりが無い。しかも夫も同じ省庁勤務であり、省庁内の役職は妻の方が高い。夫婦とは気質が同じ、俗に似た者同士と言うが、同じような人が多い。特に公務員同士も多いんだな。産経新聞に司馬遼太郎がいた。生き字引と言われたが妻も同じ産経新聞社でその分野での能力は妻の方が高かったとか。東京藝術大学長に平山郁夫がいた。学生の頃は妻の方が成績は良かったと
総務省のHPの沿革によると、情報流通行政局は2008年(平成20年)7月4日に設立されている。菅義偉は2005年(平成17年)11月から2006年(平成18年)9月まで総務副大臣、その後2007年8月まで総務大臣であった。そして無職だった長男を大臣秘書官に抜擢し、その後、後援者である東北新社に入社させた。菅義偉はその後2012年12月から2020年9月まで官房長官をやっている
今回の総務省の処分等によると情報流通行政局が多い。菅義偉の人事による関与の影が付き纏っている。しかも調査が早い。異常に早いな。誰がどのように調査したか分からない。22日の衆議院予算委員会の理事会で総務省が接待内容を発表したと。1円単位で発表したと。国会の議事録を当たったが無い
総務省のHPによると、24日に武田総務大臣閣議後記者会見の概要が掲示されている。記者の問いに対し、12名延べ38件の倫理法違反があったと、本日までに調査を終え、その結果を国家公務員倫理審査会に報告するとともに、懲戒処分案についても国家公務員倫理審査会に承認申請する予定となっていると
同日、処分を発表した後の記者会見では、記者からの問いかけに対し、今回の調査におきましては、民間企業である東北新社に対して、任意の協力により各種帳票類の提出を受けるなど、強制的な捜査権限を持たない中で、可能な限りの客観的証拠を集めた上で、事実の確認を行ってきたと。そのような中、どうしても当事者の記憶に頼らざるを得ないものもありますけど、職員・事業者双方から一人一人、ヒアリングを行い、双方の陳述内容にそごがないかも含めて検証し、できる限りの客観性というものも確保したと
総務省による総務省のための調査であった。民間相手に任意の調査であった。税務調査なら税務署による調査ならば受けざるを得ない。しかし任意の調査であった。任意で関係者への帳簿や領収書等の調査であった。何で東北新社は調査に応じたのだろう。それは任意とは言っても監督官庁であったからであろう。監督官庁の調査ならば、当初幹部等が利害関係者とは思わなかったと話していたが、総務省や東北新社の双方にとって利害関係者であろうな。身内による監督としての調査であったので、道理で早かった。手心もあったであろうな
しかも接待の的は、情報流通行政局に集中している。総合通信基盤局は通称「電波マフィア」に対して、情報流通行政局は通称「放送マフィア」と言われていると。菅義偉は総務省の利権である電波に加え放送・マスコミを手中に入れようと画策している。総務省とは携帯電話にしてもNHKにしてもその認可権をもっている。それらを考慮して総務省出身の山田真貴子を内閣広報官にすえた
集英社から「幇間の遺言」が出版されている。今は絶版になったであろうが、1995年(平成7年)5月に出版された。語ったのは悠玄亭玉介、それを小田豊二が聞き取って書いたものである。幇間だから、自らが書く事はいない。喋り、語りなんだな。これが読んでも面白い。聞けばもっと面白いだろうが、文で読んでも面白いんだな
幇間とは誰が言いだしたか、太鼓持ち。幇間とは宴席での酒間をたすけるんだな。幇間の幇とは訓読みだとタスケル。昔の男たちは粋だったな。幇間とは芸達者。しかし、客よりも芸を上手くしてはダメなんだな。客より上手くては駄目、人様より教養をひけらかしては駄目。あくまでも控え目、客を喜ばすのが商売だな
文は残る。しかし言葉は、口から出まかせと言う言葉もあるように、口から出て消える事もある。文のように残らない。しかし、余韻は残る。間をとると耳に残るんだな。間が空きすぎると、間が抜けることになってしまうが。言葉は文にはないものがある。お経もそうだな。同じ事を繰り返し、繰り返し使う事もある。文とは構成が違ってくる
人の顔には口よりも耳の方が上にある。何故だか分かるかな。まあ禅問答のようだが
「幇間の遺言」には、耳が口よりも上にあるのは人の話を聞くようにだと。しかも良く聞けるように二つもあると。まず、聴いてから口にすると
年寄りを見ると、見渡してみると、もっとも小生も爺さんが板についてきたが、自己中心になりがちである。どうしても自己をひけらかすんだな。その点、「幇間の遺言」には得るものがある。個性もほどほどに。大阪ではボチボチと言うそうな
帯には
たいこもちってのは、歴史ある由緒正しい芸人だよ。教養があって、芸があって、品がいい。それにこの美貌だ。まさにあたしにぴったりの商売だったよな
幇間とは商売だったな。それも男の職業だった。なんせ正客以下の客を取り持つ。客に快感や快楽を与える商売である。菅義偉は長男に「総務省とは距離を置いて付き合うように」と釘を刺したと。それは表の言葉だな。息子は親のやり方を見ている。息子は裏の言葉として「総務省の利権を大いに貪るように」と聞こえたのだろう
山田真貴子内閣広報官は25日の衆議院予算委員会に参考人として出席した。野党もまさか出てくるとは思っても見なかったであろうな。矛先が鈍ったと言うか上手く逃げられた。頭が良いと言うことは、通例記憶力が良い。テレビでもクイズ番組を見ているとよく知っている。それと記憶力が良い。日本の学力は記憶力に宿っている。特に官僚とは記憶力だけは良い。記憶に無いことは考えられない。理念とか考えを聞いてもすり抜けられる。具体的に聞いていくんだな。馬鹿になっても具体的に聞いていくんだな
菅義偉は昨年10月26日にNHKの「ニュースウォッチ9」に出演した。日本学術会議の会員任命について拒否した件を聞かれて「説明できることと出来ないことってあるんじゃないでしょうか」と本音を言ってしまった。翌日、山田真貴子はNHKに「事前の打ち合わせと違う、総理は怒っている」と電話したとの報道がなされた。それを聞かれたが山田真貴子は電話していないと。NHKの前田晃伸会長も出席していて、電話を受けていないと
報道での話と違うんだな。総理の報道関係者との記者会見がある。山田真貴子内閣広報官は司会をしていた。この国は記者クラブが報道の自由を害しているが、総理の記者会見は記者クラブを生かすなら、せめて記者クラブが主催して記者クラブが司会をして、出席の記者も自由にして、自由な質疑応答をすべきである
現実には山田真貴子内閣広報官が司会をやって、取り仕切って、質問内容も事前に提出させて、質問は一つだけだと。だから菅義偉の回答も眼を下に向き原稿を読むことになっている。マスコミを籠絡させ、政府の情報を手の中の報道関係者にしか流さないと。あるいは情報によってマスコミを競い合わせると
情報とは権力の源泉でもあるし、金になるんだな。ましてやその情報は政府からの発信だな。官庁、省庁とは独占企業のようなものだな。情報の発信局である。飲み会には断らない女・山田真貴子内閣広報官は政府べったり、菅義偉の意向を受けた人物であろう。菅義偉にとっては打って付けの格好の広報官であろう。そこには幇間のように政府・報道機関・国民との間を幇助出来ず、菅義偉にとっての広報官であろうな。広報官でなく告知官であろうな
幇間とは男の職業だと、だったと。山田真貴子は幇間になれなかった女と言えるな