「体育の日」の祝日が「スポーツの日」に変わった。内閣府のHPによると、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律(平成30年法律第57号)が平成30年(2018年)6月20日に公布され、国民の祝日である「体育の日」の名称が「スポーツの日」に改められ、 その意義は「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」とされました。(施行日:令和2年1月1日)
昔からの外来語は日本語の造語を産んだ。スポーツの分野では、スポーツは体育、テニスは庭球、ピンポンは卓球、サッカーは蹴球、バスケットボールは篭球、ベイスボールは野球などだな。今じゃテニスを庭球とは聞かないな。言葉とは人々の伝達の手段であるので、いくら喋っても意味が分からなければしょうがない。昨今では体育とは言わないのかな。それとも体育のイメージが至極悪いのかな。ロシア文学では外套という語彙が多々見受けられたが今じゃデパートへ行っても外套売場とは意味が通じない
同じ体育でもスポー~ツマンでなくアスリートと言うようだな。アスリートとは陸上競技から発生したようであるが、今では運動全般を言うようだな。運動とは体育だけでなく物事全般を指す。例えば政治運動や学生運動や就職運動(活動)と幅広く使われるな
テニスの大坂なおみが鬱病であると。2021年5月の全仏オープン開始前に「選手の精神状態が軽視されている。試合後の記者会見を拒否する」と。その結果主催者は15,000ドル(約150万円)の罰金を課し、4大大会の主催者合同で、違反を続けると大会からの追放、4大大会への出場停止もあり得る」と
アメリカ西部劇に出てくる賞金稼ぎは一人が多い。二人で組む場合もあるが、大抵は一人で銃を持って、賞金首に立ち向かっていく。しかし今のプロフェショナルは大抵団体で、集団で、組織でやっているんじゃないかな。コーチ、栄養士、医者などが組んで選手を補佐していると思う。しかし、今回の記者会見の拒否は大坂なおみ一人での単独行動であった。誰か補佐する人間は居なかったのだろうか。それとも進言できる者はいなかったのかな
全米オープン優勝のわずか半年前、米国のインディアンウェルズで開催されたBNPパリパー・オープンで初優勝した折、表彰式でマイクの前に立った大坂なおみは別人のようだったと。人前でマイクの前では幼稚とも言える。今まで人前で話した経験が無かったので思ったように喋れないようである
大阪なおみはアメリカの「フォーブス」誌の調査による毎年恒例の各界の長者番付で、女性アスリート部門トップに輝いたと。収入は6000万ドル(約66億円)とか。そして収入の内賞金が占める割合はわずか1割とか。9割はスポンサー契約料であると。職業運動選手とは、テニスに関わらず消費者にとって良い印象があるらしい。スポンサーにとっては売上向上に大いに貢献するようだ
宮本輝は小説が巧みである。優駿を描く際に騎手に接したと。競馬とは優勝と二位との差がハナ差とかアタマ差とかクビ差とか小差である。宮本輝が騎手にあんなにわずかの差で勝つのは何かと聞くと、気迫だと。運動選手に限らず将棋や囲碁でも、勝負事は論理では解明出来ないこともある。気迫とは負けず嫌いや根性にも通じるかな
大坂なおみは記者会見拒否の単独行動が芳しくなかったため、ついにツイッターで打ち明けた。「こんにちは皆さん。数日前に投稿した時には、想像も意図もしなかった状況になりました。私は決して邪魔者にはなりたくないし、理想的なタイミングではなかったこと、メッセージが明確ではなかったことは認めています。何より、私はメンタルヘルスを軽視したり、この言葉を軽く使ったりは決してしません。真実として、2018年の全米オープンの時から長らくうつに悩まされていて、それに向き合うのに困難な日々を過ごしてきました。私を知っている人は、私が内向的な人だと分かっているし、トーナメントで私を見かけたことがある人は私が不安を緩和させるためによくヘッドホンをつけていることを知っています。」と発信した
大坂なおみは頭が回るし、芳しくなかった時にはすぐさま軌道訂正する術は持っている。鬱病と言うぐらいだから病気なんだろうな。病気ならば医者の診断で病と認定されたのだろうな。鬱病にも色々な症状があり、人によって様々だろうし、原因も分からないことが多く、薬も多種多様であろう
ひと昔前は精神病の一種であろうが、昨今の若者は心療内科の通院などは隠さない。気が滅入る、気が晴れない、気分が優れないことは日常茶飯事とも言える。精神科医でもあり歌人でもあった内省的な斎藤茂吉を父に持ち、自由奔放な輝子を母に持った北杜夫。家系もあろうが躁鬱病でもあったと。自らは精神科医でもあったが、躁と鬱が交互に訪れ、鬱になる時は、鬱の気配は事前に察知し、人とも会わなかったと
大坂なおみの鬱病とは分からないが、ただ単に人前で不特定な人前での話に苦労するだけなのかも知れない。コート上でラケットを投げつけるとか、有能と思われたコーチのサーシャ・バインの突然の解雇、黒人差別の抗議活動、ツイッターでの発信を鑑みてただ精神的にこなれていないだけなのかも知れない。病にならない鬱状態などはある程度、馴れも影響するであろう
古代ローマでは健全なる精神は健全なる身体に宿ると。あるいは健やかな身体に健やかな魂が願われるべきであると。そもそも精神と身体に語られたこと自体が、古代の時代から精神と身体の均衡、バランスは難しかったであろうな。昨今ではボケ老人のことを認知症と言うと。認知出来ないことだと。年をとると身体にも弱くなる。中には化け物のように丈夫な老人も見受けるが、概して肉体は衰えてくる。同時に頭脳も物忘れが増えてくる。肉体と頭脳がバランス良く衰えるのが理想的であろうな。健全なる身体には健全なる精神が備わっているのが良いんだが
全仏オープン大会の規定では、選手は必ず試合後に記者会見に出席しなければならないと。プロ女子選手だった誰だったかなテレビで話していたが、テニスの場合には個人的な取材には応じなくて良いが、大会後の記者会見は選手の義務であると。逆に言えば記者会見によって大会主催者は個人的な取材から選手を守っていると。現役を引退して初めて知ったと
記者会見には時と場所が定められて、報道機関も多分決まったマスコミであろう。従ってマスコミが聞いて、選手が答えることは出席したマスコミは皆知っている。そこには一社だけの特ダネはない。そこにはパパラッチもいない。会見場ではテニス競技だけでなく、競技を超えた考えやプライベートも問われることもあろう。自己の等身大を対等に語れば良い
沢木耕太郎がいる。1979年(昭和54年)に「テロルの決算」で世に出た。ニュージャーナリズムとも言われた。大学を卒業して富士銀行に入行が決まっていたが、日本を飛び立った。戦前に小津安二郎が「大学は出たけれど」を撮ったが、あの頃も大学を出たけれど云々であった
週刊誌で梶山季之などのルポライターが活躍していた。沢木耕太郎は後に小説は書けないがルポルタージュなら書けるかもしれないと日本から旅立った。その前にはインドを目指した藤原新也がいた。あの頃日本を出た者には足立倫行もいた。ああいうやり方もあったんだな
ルポルタージュとは取材を通して記述すると。いつしか沢木耕太郎は取材のやり方などを書いてみたいとも語っていた。無名な若者が、ある程度名の知れた者に聞く。話を聞く。写真を撮る。当事者にとれば面倒なことであろう。山口二矢はセブンティーンで自殺。それに比べ数寄屋橋で辻説法していた赤尾敏は91歳まで生きたと。沢木耕太郎は若いうちにやっておいたほうがいいことに、旅とスポーツがあると思っていますと。それはどちらも、思いがけないことが起きるからと。小生からは、無駄なことでもやっておけだな
取材を通して描くのはノンフィクション作家とも言われる。立花隆が亡くなった。文藝春秋に「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表したが、当時のジャーナリストからそんなことは誰でも知ってると。しかし資料とともに世に出すことが重要なんだな。知の巨人とも言われた。まさに巨人と言えるに相応しかった。司馬遼太郎が古本街に行くと買い漁るため書物が無くなったと言われたが、立花隆も2階の本棚は重いために、床は戦車のように厚く丈夫であったと。本は重いんだな。然れども藤原新也の著作本はエロ本のように軽い
6月9日に党首討論が行われた。首相と各野党との間でたった45分間の対話であると。討論とは意見と意見を戦わせて勝敗をつけることだと。つまり言葉による戦いなんだな。そこには法廷の場のように論理が元になる。先日の党首討論は議論の議もなく、演説のようなものだな。少々驚いたのは、菅義偉は話すことが出来るんだな。いつもは答弁書を読んでるだけ、抑揚なく棒読みの状態なんだが、演説が出来るのは驚きに近かった
菅義偉は面前では余り自らの考えや、主張や、感情を表に出さない。しかし、この党首討論では個人的な感じを表している。総理や自民党党首でなく、ごく個人的な感情を出している。いわゆる「思い出ボロボロ」である。想い出ぼろぼろとは内藤やす子を思い出す。歌は上手かったな。脳内出血や大麻汚染があったが、想い出ぼろぼろ一曲は後世に残る
実は私自身、57年前の東京オリンピック大会。高校生でしたけれども、いまだに鮮明に記憶しています。例えば、「東洋の魔女」と言われたバレーの選手。回転レシーブというのがありました。マラソンのアベベ選手も非常に影響に残っています。そして何よりも、私の記憶に残っていますのは、オランダのヘーシンク選手です。敗者である神永選手に対して敬意を払った。あの瞬間というのは私は忘れることができなかった。こうしたすばらしい大会をぜひ、今の子どもや若者が見て希望や勇気を与えて、伝えたい。そして、こうして様子をテレビで40億の人が見るということも言われています
個人の感想なんだな。昨今のテレビ画面。コマーシャルで「個人の感想です」と表示されていることが多い。それは効能とか味覚感は個人個人によって異なるから、見ている人すべてではないと、また視聴者からの批判に対する防御もあるだろう。しかし、三の鳥は酒のメーカーだったが、顔の売れた者を使って健康飲食品を頻繁に宣伝するな。開高健や柳原良平や後に山口瞳がいた洋酒天国は品が漂っていた。今は酒よりも健康かな
個人の感想にしても菅義偉青年にとっては、1964年東京オリンピックでは勝者の印象が強かったな。小生はあの時マラソンを走っている甲州街道にいた。アベベが先頭で走ってきて小生は沿道の歩道を一緒に走ってみたが早かった。40キロも走ってきても小生よりも早いんだな。42.195キロで2時間ちょっと、1000mに換算すると3分、100mでも20秒を切るんだな。確かに早い。沿道のテレビには視聴者がいた。小生も後ろからを見ていたが、国立競技場にアベベが先頭で走ってきて優勝テープを切った。その次に以外にも円谷幸吉が競技場に入ってきた。その次は英国の選手。円谷幸吉は後ろから追ってきても顎を上げずに、後ろを振り向かない。大観衆からは頑張れガンバレと声援が飛んだが、テレビの視聴者からは追い抜かれるとあ~あ~と呟きが聞こえた。円谷幸吉は気迫など関係ないかのように直立不動でじっと前を見つめていた。まさに後年の自殺を彷彿させた場面であった。しかし陸上競技において唯一のメダルである銅メダルを獲得した
格闘技は言うまでもないが、重量挙げの三宅義信を筆頭に、当時はプロッフェショナルがいなかったため、自衛隊体育学校は運動選手の源泉であった。円谷幸吉も自衛隊体育学校に在籍していた。心身ともに国を背負っていた。円谷幸吉は君原健二の影に隠れていたが、1964年東京オリンピックで銅メダルを取ったことにより、大衆の期待を受けた。本人は足の故障によりオリンピック時が成績の頂点であった。銅メダルを獲得した3年ほど後の1968年(昭和43年)1月9日の正月明けに自殺した
衝撃的だったのは、遺書であった。美味しゅうございましたと。7人兄弟の末っ子であったので、兄や姉に対して、ないしは父や母に対して何度も何度も美味しゅうございましたと筆をしたためている。日本語として忘れられた言葉を日常的に使っている。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。と。国家の重圧に押しつぶされたと言えた
先日の党首討論は嚙み合わなかった。政治の場、国会でも野党の質問に関して自民党は虚偽答弁はさることながら噛み合わない。記者会見でも記者会見がどういう形で行っているか分からないが、質問者の質問内容は総理に渡ってるようであり、一問一答弁では真実に辿り着くのは甚だ疑問である。どうしてこうなっちゃったんだろう。民主主義が壊れていくようである
選挙とは小選挙区制度では有権者の20%の強固な支援者、支持者がいれば勝てる。選挙区制度は議員が決める。投票でも開票前にもう当確が出る場合もある。そんなに早く当確が出るなら投票している最中に出してくれと小生は思うがな。どうも選挙投票とは八百長くさいな
首相とは行政における最高責任者である。内閣も組閣できるし、国会の議決を経るにしても多数の与党ではある程度は総理の権限で出来る。前総理の安倍晋三は総理を辞職した。国会では桜を見る会前夜祭ではホテルが一人一人に領収書を発行したなど、とんでもない嘘をこいていた。国会軽視も甚だしいな。唯我独尊だな。そして検察から指摘され謝罪していた
そんな男が総理の辞職はしたが、以前の総理辞職者同様国会議員には残っている。そして今では党の数々の集団の顧問になっている。総理を辞めてまだやりたいんだな。やり足りないんだな。総理の時に原発賛成で、辞めて原発反対を唱えている者もいるが、この国の政治をやってる者はどういう感覚であろうか。自民党もそうだな。選挙民は言わずもがな、そういう男を党の要職にする政党とは、まさに利権屋とか周旋屋の域を出ない
辻元清美も言っていたが、世論を二分する案件は国民投票をしない方が良いと。国民を分断してしまうんだな。世論が賛成や反対が拮抗する案件は指導者は動かない方が良い。今度の東京オリンピック。菅義偉は国家高揚のためにやりたい。何が何でもやりたい。個人的には若者にスポーツの感動を与えたいと言うが、国家民族のためにやりたいんだな。そのやりたい気持ちを土壇場まで抑えて、徐々にやる方向にもっていく
安倍政権から忖度と言う耳慣れない言葉が出てきた。幕末の世、得てして武士たちは無口であったと。江戸幕府との戦いで要人の警護に当たった剣の遣い手がいた。岡田以蔵、中村半次郎、田中新兵衛、河上彦斎は幕末の四大人斬りと呼ばれた。数々の暗殺事件にも関わったが中には要人の口が重いため、思いぱかって間違って暗殺してしまったこともあったとか。今でいう忖度だな。何時の時代でも指導者とははっきりと言わない場合がある
大阪に維新とかの政党があると。あそこも何だな大阪都構想の住民投票をやっている。これも世論調査によれば賛否両論あり、それも差が無い。2015年に否決され、橋の下徹は辞任。2020年に懲りずにまた住民投票をやったと。賛成だろうが反対だろうが小差なんだな。小差だから住民投票はやらない方が良い。しかもこの政党は党首であった橋の下徹が政治から足を洗ったが、マスコミには登場して政治的な発言をしている。この政党はどうなってるんだろうな。足を洗うとは退くんだな。世を退く、公の発言、民間でとは言えマスコミでの発言は影響力があるんだな。足を洗うのではなく、手を洗うに似ているな
どうも政治とは国民のためとは言ってるが、そんなことは露ほどもないんだな。同じ博徒でも昔の博徒の方がまだ良いかなとも感じてしまう。昔の武士は刑法がなかったと。過ちをすれば辞職でなく、切腹、腹を切るんだな。そして政敵には島流しをした。今では島流しも死語だな
数日前の新聞に藤原新也が記述していた。欧州の貴族文化に端を発した近代五輪が、華やかな祭りの影で世界の土着文化を破壊していった「裏の歴史」。それは今も、歴然と積み重ねられ続けていると。オリンピックが風景を人を変えてしまうと。さすが藤原新也は眼で見て、耳で聞いている。英語なら単純に、Olympic Flameと言うところ、「聖火」と神がかった語を使う日本社会を考えさせられたと
マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや 修司
巧いな。大橋巨泉は早稲田大学の俳句部にいた頃ズーズー弁の寺山修司が入ってきたと。巨泉とは俳号であったと。寺山修司に会って舌を巻いて逃げたと
今じゃマッチも死語かな
昔からの外来語は日本語の造語を産んだ。スポーツの分野では、スポーツは体育、テニスは庭球、ピンポンは卓球、サッカーは蹴球、バスケットボールは篭球、ベイスボールは野球などだな。今じゃテニスを庭球とは聞かないな。言葉とは人々の伝達の手段であるので、いくら喋っても意味が分からなければしょうがない。昨今では体育とは言わないのかな。それとも体育のイメージが至極悪いのかな。ロシア文学では外套という語彙が多々見受けられたが今じゃデパートへ行っても外套売場とは意味が通じない
同じ体育でもスポー~ツマンでなくアスリートと言うようだな。アスリートとは陸上競技から発生したようであるが、今では運動全般を言うようだな。運動とは体育だけでなく物事全般を指す。例えば政治運動や学生運動や就職運動(活動)と幅広く使われるな
テニスの大坂なおみが鬱病であると。2021年5月の全仏オープン開始前に「選手の精神状態が軽視されている。試合後の記者会見を拒否する」と。その結果主催者は15,000ドル(約150万円)の罰金を課し、4大大会の主催者合同で、違反を続けると大会からの追放、4大大会への出場停止もあり得る」と
アメリカ西部劇に出てくる賞金稼ぎは一人が多い。二人で組む場合もあるが、大抵は一人で銃を持って、賞金首に立ち向かっていく。しかし今のプロフェショナルは大抵団体で、集団で、組織でやっているんじゃないかな。コーチ、栄養士、医者などが組んで選手を補佐していると思う。しかし、今回の記者会見の拒否は大坂なおみ一人での単独行動であった。誰か補佐する人間は居なかったのだろうか。それとも進言できる者はいなかったのかな
全米オープン優勝のわずか半年前、米国のインディアンウェルズで開催されたBNPパリパー・オープンで初優勝した折、表彰式でマイクの前に立った大坂なおみは別人のようだったと。人前でマイクの前では幼稚とも言える。今まで人前で話した経験が無かったので思ったように喋れないようである
大阪なおみはアメリカの「フォーブス」誌の調査による毎年恒例の各界の長者番付で、女性アスリート部門トップに輝いたと。収入は6000万ドル(約66億円)とか。そして収入の内賞金が占める割合はわずか1割とか。9割はスポンサー契約料であると。職業運動選手とは、テニスに関わらず消費者にとって良い印象があるらしい。スポンサーにとっては売上向上に大いに貢献するようだ
宮本輝は小説が巧みである。優駿を描く際に騎手に接したと。競馬とは優勝と二位との差がハナ差とかアタマ差とかクビ差とか小差である。宮本輝が騎手にあんなにわずかの差で勝つのは何かと聞くと、気迫だと。運動選手に限らず将棋や囲碁でも、勝負事は論理では解明出来ないこともある。気迫とは負けず嫌いや根性にも通じるかな
大坂なおみは記者会見拒否の単独行動が芳しくなかったため、ついにツイッターで打ち明けた。「こんにちは皆さん。数日前に投稿した時には、想像も意図もしなかった状況になりました。私は決して邪魔者にはなりたくないし、理想的なタイミングではなかったこと、メッセージが明確ではなかったことは認めています。何より、私はメンタルヘルスを軽視したり、この言葉を軽く使ったりは決してしません。真実として、2018年の全米オープンの時から長らくうつに悩まされていて、それに向き合うのに困難な日々を過ごしてきました。私を知っている人は、私が内向的な人だと分かっているし、トーナメントで私を見かけたことがある人は私が不安を緩和させるためによくヘッドホンをつけていることを知っています。」と発信した
大坂なおみは頭が回るし、芳しくなかった時にはすぐさま軌道訂正する術は持っている。鬱病と言うぐらいだから病気なんだろうな。病気ならば医者の診断で病と認定されたのだろうな。鬱病にも色々な症状があり、人によって様々だろうし、原因も分からないことが多く、薬も多種多様であろう
ひと昔前は精神病の一種であろうが、昨今の若者は心療内科の通院などは隠さない。気が滅入る、気が晴れない、気分が優れないことは日常茶飯事とも言える。精神科医でもあり歌人でもあった内省的な斎藤茂吉を父に持ち、自由奔放な輝子を母に持った北杜夫。家系もあろうが躁鬱病でもあったと。自らは精神科医でもあったが、躁と鬱が交互に訪れ、鬱になる時は、鬱の気配は事前に察知し、人とも会わなかったと
大坂なおみの鬱病とは分からないが、ただ単に人前で不特定な人前での話に苦労するだけなのかも知れない。コート上でラケットを投げつけるとか、有能と思われたコーチのサーシャ・バインの突然の解雇、黒人差別の抗議活動、ツイッターでの発信を鑑みてただ精神的にこなれていないだけなのかも知れない。病にならない鬱状態などはある程度、馴れも影響するであろう
古代ローマでは健全なる精神は健全なる身体に宿ると。あるいは健やかな身体に健やかな魂が願われるべきであると。そもそも精神と身体に語られたこと自体が、古代の時代から精神と身体の均衡、バランスは難しかったであろうな。昨今ではボケ老人のことを認知症と言うと。認知出来ないことだと。年をとると身体にも弱くなる。中には化け物のように丈夫な老人も見受けるが、概して肉体は衰えてくる。同時に頭脳も物忘れが増えてくる。肉体と頭脳がバランス良く衰えるのが理想的であろうな。健全なる身体には健全なる精神が備わっているのが良いんだが
全仏オープン大会の規定では、選手は必ず試合後に記者会見に出席しなければならないと。プロ女子選手だった誰だったかなテレビで話していたが、テニスの場合には個人的な取材には応じなくて良いが、大会後の記者会見は選手の義務であると。逆に言えば記者会見によって大会主催者は個人的な取材から選手を守っていると。現役を引退して初めて知ったと
記者会見には時と場所が定められて、報道機関も多分決まったマスコミであろう。従ってマスコミが聞いて、選手が答えることは出席したマスコミは皆知っている。そこには一社だけの特ダネはない。そこにはパパラッチもいない。会見場ではテニス競技だけでなく、競技を超えた考えやプライベートも問われることもあろう。自己の等身大を対等に語れば良い
沢木耕太郎がいる。1979年(昭和54年)に「テロルの決算」で世に出た。ニュージャーナリズムとも言われた。大学を卒業して富士銀行に入行が決まっていたが、日本を飛び立った。戦前に小津安二郎が「大学は出たけれど」を撮ったが、あの頃も大学を出たけれど云々であった
週刊誌で梶山季之などのルポライターが活躍していた。沢木耕太郎は後に小説は書けないがルポルタージュなら書けるかもしれないと日本から旅立った。その前にはインドを目指した藤原新也がいた。あの頃日本を出た者には足立倫行もいた。ああいうやり方もあったんだな
ルポルタージュとは取材を通して記述すると。いつしか沢木耕太郎は取材のやり方などを書いてみたいとも語っていた。無名な若者が、ある程度名の知れた者に聞く。話を聞く。写真を撮る。当事者にとれば面倒なことであろう。山口二矢はセブンティーンで自殺。それに比べ数寄屋橋で辻説法していた赤尾敏は91歳まで生きたと。沢木耕太郎は若いうちにやっておいたほうがいいことに、旅とスポーツがあると思っていますと。それはどちらも、思いがけないことが起きるからと。小生からは、無駄なことでもやっておけだな
取材を通して描くのはノンフィクション作家とも言われる。立花隆が亡くなった。文藝春秋に「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表したが、当時のジャーナリストからそんなことは誰でも知ってると。しかし資料とともに世に出すことが重要なんだな。知の巨人とも言われた。まさに巨人と言えるに相応しかった。司馬遼太郎が古本街に行くと買い漁るため書物が無くなったと言われたが、立花隆も2階の本棚は重いために、床は戦車のように厚く丈夫であったと。本は重いんだな。然れども藤原新也の著作本はエロ本のように軽い
6月9日に党首討論が行われた。首相と各野党との間でたった45分間の対話であると。討論とは意見と意見を戦わせて勝敗をつけることだと。つまり言葉による戦いなんだな。そこには法廷の場のように論理が元になる。先日の党首討論は議論の議もなく、演説のようなものだな。少々驚いたのは、菅義偉は話すことが出来るんだな。いつもは答弁書を読んでるだけ、抑揚なく棒読みの状態なんだが、演説が出来るのは驚きに近かった
菅義偉は面前では余り自らの考えや、主張や、感情を表に出さない。しかし、この党首討論では個人的な感じを表している。総理や自民党党首でなく、ごく個人的な感情を出している。いわゆる「思い出ボロボロ」である。想い出ぼろぼろとは内藤やす子を思い出す。歌は上手かったな。脳内出血や大麻汚染があったが、想い出ぼろぼろ一曲は後世に残る
実は私自身、57年前の東京オリンピック大会。高校生でしたけれども、いまだに鮮明に記憶しています。例えば、「東洋の魔女」と言われたバレーの選手。回転レシーブというのがありました。マラソンのアベベ選手も非常に影響に残っています。そして何よりも、私の記憶に残っていますのは、オランダのヘーシンク選手です。敗者である神永選手に対して敬意を払った。あの瞬間というのは私は忘れることができなかった。こうしたすばらしい大会をぜひ、今の子どもや若者が見て希望や勇気を与えて、伝えたい。そして、こうして様子をテレビで40億の人が見るということも言われています
個人の感想なんだな。昨今のテレビ画面。コマーシャルで「個人の感想です」と表示されていることが多い。それは効能とか味覚感は個人個人によって異なるから、見ている人すべてではないと、また視聴者からの批判に対する防御もあるだろう。しかし、三の鳥は酒のメーカーだったが、顔の売れた者を使って健康飲食品を頻繁に宣伝するな。開高健や柳原良平や後に山口瞳がいた洋酒天国は品が漂っていた。今は酒よりも健康かな
個人の感想にしても菅義偉青年にとっては、1964年東京オリンピックでは勝者の印象が強かったな。小生はあの時マラソンを走っている甲州街道にいた。アベベが先頭で走ってきて小生は沿道の歩道を一緒に走ってみたが早かった。40キロも走ってきても小生よりも早いんだな。42.195キロで2時間ちょっと、1000mに換算すると3分、100mでも20秒を切るんだな。確かに早い。沿道のテレビには視聴者がいた。小生も後ろからを見ていたが、国立競技場にアベベが先頭で走ってきて優勝テープを切った。その次に以外にも円谷幸吉が競技場に入ってきた。その次は英国の選手。円谷幸吉は後ろから追ってきても顎を上げずに、後ろを振り向かない。大観衆からは頑張れガンバレと声援が飛んだが、テレビの視聴者からは追い抜かれるとあ~あ~と呟きが聞こえた。円谷幸吉は気迫など関係ないかのように直立不動でじっと前を見つめていた。まさに後年の自殺を彷彿させた場面であった。しかし陸上競技において唯一のメダルである銅メダルを獲得した
格闘技は言うまでもないが、重量挙げの三宅義信を筆頭に、当時はプロッフェショナルがいなかったため、自衛隊体育学校は運動選手の源泉であった。円谷幸吉も自衛隊体育学校に在籍していた。心身ともに国を背負っていた。円谷幸吉は君原健二の影に隠れていたが、1964年東京オリンピックで銅メダルを取ったことにより、大衆の期待を受けた。本人は足の故障によりオリンピック時が成績の頂点であった。銅メダルを獲得した3年ほど後の1968年(昭和43年)1月9日の正月明けに自殺した
衝撃的だったのは、遺書であった。美味しゅうございましたと。7人兄弟の末っ子であったので、兄や姉に対して、ないしは父や母に対して何度も何度も美味しゅうございましたと筆をしたためている。日本語として忘れられた言葉を日常的に使っている。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。と。国家の重圧に押しつぶされたと言えた
先日の党首討論は嚙み合わなかった。政治の場、国会でも野党の質問に関して自民党は虚偽答弁はさることながら噛み合わない。記者会見でも記者会見がどういう形で行っているか分からないが、質問者の質問内容は総理に渡ってるようであり、一問一答弁では真実に辿り着くのは甚だ疑問である。どうしてこうなっちゃったんだろう。民主主義が壊れていくようである
選挙とは小選挙区制度では有権者の20%の強固な支援者、支持者がいれば勝てる。選挙区制度は議員が決める。投票でも開票前にもう当確が出る場合もある。そんなに早く当確が出るなら投票している最中に出してくれと小生は思うがな。どうも選挙投票とは八百長くさいな
首相とは行政における最高責任者である。内閣も組閣できるし、国会の議決を経るにしても多数の与党ではある程度は総理の権限で出来る。前総理の安倍晋三は総理を辞職した。国会では桜を見る会前夜祭ではホテルが一人一人に領収書を発行したなど、とんでもない嘘をこいていた。国会軽視も甚だしいな。唯我独尊だな。そして検察から指摘され謝罪していた
そんな男が総理の辞職はしたが、以前の総理辞職者同様国会議員には残っている。そして今では党の数々の集団の顧問になっている。総理を辞めてまだやりたいんだな。やり足りないんだな。総理の時に原発賛成で、辞めて原発反対を唱えている者もいるが、この国の政治をやってる者はどういう感覚であろうか。自民党もそうだな。選挙民は言わずもがな、そういう男を党の要職にする政党とは、まさに利権屋とか周旋屋の域を出ない
辻元清美も言っていたが、世論を二分する案件は国民投票をしない方が良いと。国民を分断してしまうんだな。世論が賛成や反対が拮抗する案件は指導者は動かない方が良い。今度の東京オリンピック。菅義偉は国家高揚のためにやりたい。何が何でもやりたい。個人的には若者にスポーツの感動を与えたいと言うが、国家民族のためにやりたいんだな。そのやりたい気持ちを土壇場まで抑えて、徐々にやる方向にもっていく
安倍政権から忖度と言う耳慣れない言葉が出てきた。幕末の世、得てして武士たちは無口であったと。江戸幕府との戦いで要人の警護に当たった剣の遣い手がいた。岡田以蔵、中村半次郎、田中新兵衛、河上彦斎は幕末の四大人斬りと呼ばれた。数々の暗殺事件にも関わったが中には要人の口が重いため、思いぱかって間違って暗殺してしまったこともあったとか。今でいう忖度だな。何時の時代でも指導者とははっきりと言わない場合がある
大阪に維新とかの政党があると。あそこも何だな大阪都構想の住民投票をやっている。これも世論調査によれば賛否両論あり、それも差が無い。2015年に否決され、橋の下徹は辞任。2020年に懲りずにまた住民投票をやったと。賛成だろうが反対だろうが小差なんだな。小差だから住民投票はやらない方が良い。しかもこの政党は党首であった橋の下徹が政治から足を洗ったが、マスコミには登場して政治的な発言をしている。この政党はどうなってるんだろうな。足を洗うとは退くんだな。世を退く、公の発言、民間でとは言えマスコミでの発言は影響力があるんだな。足を洗うのではなく、手を洗うに似ているな
どうも政治とは国民のためとは言ってるが、そんなことは露ほどもないんだな。同じ博徒でも昔の博徒の方がまだ良いかなとも感じてしまう。昔の武士は刑法がなかったと。過ちをすれば辞職でなく、切腹、腹を切るんだな。そして政敵には島流しをした。今では島流しも死語だな
数日前の新聞に藤原新也が記述していた。欧州の貴族文化に端を発した近代五輪が、華やかな祭りの影で世界の土着文化を破壊していった「裏の歴史」。それは今も、歴然と積み重ねられ続けていると。オリンピックが風景を人を変えてしまうと。さすが藤原新也は眼で見て、耳で聞いている。英語なら単純に、Olympic Flameと言うところ、「聖火」と神がかった語を使う日本社会を考えさせられたと
マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや 修司
巧いな。大橋巨泉は早稲田大学の俳句部にいた頃ズーズー弁の寺山修司が入ってきたと。巨泉とは俳号であったと。寺山修司に会って舌を巻いて逃げたと
今じゃマッチも死語かな