一人芝居と言えばイッセー尾形かな。もっともこの国の古典芸能の落語にしても講談にしてもたった一人で演じている。落語や講談は一人でやるのが普通であるが、芝居は一人じゃ難しいな。一人で何役も演じるから大変だわ。歌舞伎なぞは黒衣のような助太刀がいるが、芝居ではそうもいかない
説法とは仏の教えを説いて聞かせることだと。Wikipediaによると、辻説法とは、本来の意味において、人が大勢集まる町角や道端、寺社の境内などで行ったもので、辻能、辻放下、辻狂言、辻談義、辻咄、辻講釈、軽口物真似などがある。街頭で行われる政治活動等の演説についても、今日では辻説法と呼ばれる。と
昔はやはり辻々で交通の要所で芸人たちがいたんだな。坊主も布教のため大衆を相手に説いた。水上勉などは、文を書くよりも講演の方が楽だと。講演だと適当なことを話していれば良いと。文章は残るから、また同じ表現でなく、表現方法を変える必要がある。しかし、役者は、工匠の業は千載を飾るが、俳優の業は一瞬を飾るとも。文でも話でも色々な見方がある
野党の二軍の民主党かな、野田佳彦がいた。総理にも上り詰めた男である。政治家を志しナショナル塾の一期生であった。津田沼駅前で毎朝、雨が降ろうが槍が降ろうが演説していたと
ナショナル塾はまず演説だな。昔は演舌と言ったそうだが、万枚もの舌を重ね合わせるのだな。野田佳彦は「農家の末っ子同士の間に生まれた子どもが、私です。選挙区が都市部なのにシティーボーイに見えないのは、そのせいかも知れません」「司馬遼太郎から夢と志の世界を、藤沢周平から下級武士の凛としたたたずまい、矜持を、山本周五郎から人情の機微を学びました。まさに駅前演説は野田だな。参っちゃう
また言語明瞭、意味不明と言われた総理、竹下登がいた。俺も原稿みずに、心にも無いことを言うのは、長年政治家をやっていたから、真似事はできる。演説なぞは適当にカメラの前で喋れば良いかな。後の検証なぞはお構いなしだな
母方の祖父に岸信介がいたが、優秀な男だった。官僚でも抜きんでていて、戦前の満州国では最高首脳の一人であった。当時の満州国は国土も広いし、新天地だったな。もいた。軍備や経済だけでなく文化・芸能にも力を入れた。満州映画協会には甘粕正彦もいた。敗戦して、大博打身ぐるみ脱いですってんてんと詠んで青酸カリで服毒自殺をしたな。その現場に立ち会ったのが内田吐夢だった。
祖父の岸信介は戦犯になったが、巣鴨監獄所からの出所後に立ち直った。見上げた根性だったな。俺は頭脳は岸信介に及ばないが、根性だけは引き継いでいる。まあ血だな
頭脳よりも、いや頭脳とともに実行力だな。「日本の明日を切り拓く」だな。この国を改革して、師匠の変態と言われた小泉純一郎に習って、今までにない国を作るんだ。前回には美しい国を標語にしたが、美しくかつ効率的な国を作るんだ。そのためには実行力あるのみだな
旧来の保守主義とは異なって、新しい保守、いや革新かな。明日に向かって切り拓いていく。開拓者になるんだ。もちろん国体保持は大前提だが、それよりも軍隊だな。軍隊を軍人の批判を受けぬよう憲法に加えたいな。大江健三郎の厳粛なる綱渡りではないが、軍人が市中を後ろ指を指されず、堂々と軍服を着て通行できる世を作るんだな
政治家とは理想を語るが、俺はまず現実を見るな。現実が理想に一歩でも近づけば良いが、まず現実を変えることだな。俺は与党、自民党の総裁でもあるので、立法府も束ねられる。天下国家より政治家はまず私腹を肥やすことだな。私腹を肥やすためには選挙に勝つことだな
昔の政治家は金を使った。自民党の総裁選挙なぞは公職でない。従って金はなんぼでも使っても良い。もらう方も律義になつことはない。結局は金とポストだな。藤山愛一郎などは女にも金を使ったが、使えば減る、無くなってくる。しかし今は金融資本主義もあろうが、金が金を生むんだな
鳩山しかり盟友の麻生などは、金が減らないんだな。使っても使っても、養老の滝のように減らない。減らないから使う、使えば使うほど増える。良い世の中になってきたな
今回の桜を見る会かな。田舎者の東京見物だな。伊丹十三のお葬式ではないが、田舎者には東京見物が喜ぶんだな。上京という言葉もあるな。おのぼりさんとい言葉もある。しかし、お葬式では田舎者の大滝秀治、それを蔑視する尾藤イサオ、伊丹十三の処女作だから面白ろく描いていた。
本来なら支持者、支援者の集団である後援会である。日頃の投票の見返りに自腹で接待するのが当然であるが、自腹で選挙民を接待すると公職選挙法に違反すると。俺が総理が既存の公職選挙法に違反すんじゃ立つ瀬がない。
しかし、俺は立法府いや違ったか、行政府の長だ、税金なぞはなんぼでもある。足らなければ機密費もある。まあ予算の何倍か、しかも雀の涙ほどの予算だから機密費を流用するほどのことはないな。
師匠の変態と言われた小泉純一郎が道筋を付けたが、自民党の派閥を潰して、官邸が人事権をもった。官僚なぞは人事をちらつかせれば従ってくる。俺に従ってくるんだな。文句を言っても心底からでないな、最終的には俺の後ろに付いてくる。かわいいものだわ。マスコミでも金をつかませれば俺の言いたいことを代弁してくれる。
中には田中角栄を取材した矢崎泰久なぞは例外だな。時には中には骨のある奴はいるが、影響力はないな。マスコミの社長といえども経営者だな。諮問委員に取り立てれば嬉しがって付いてくる。芸人もそうだな。政権に言葉では逆らっても、勲章や賞状を与えると嬉しがるんだな。「桜を見る会」も各界の功労者の慰労なんだな。国家が慰労して土産を持たせると、喜ぶんだな。その一環で俺の支持者を呼んだんだ。
モリカケも一段落したと思ったら桜が出てきた。モリの時は俺も感激した。小さい子供が年端もいかない餓鬼が教育勅語を暗唱するんだな。籠池泰典もよく訓練した。北朝鮮で将軍さんが喜び組を歓待したが分かるな。顔の表情が面白かったな。
どこの国でもそうだが、三権分立など、真に検察を独立させたら面倒だ。俺に逆らう者は排除する。幸いIR実施法案がやっと成立させたのに、ここで逮捕者が増えたら元も子もない。
政治家なぞは利権屋と言われた。利権が無くなったら商売が成り立たない。師匠の倅の小泉進次郎、肺炎対策本部会合を欠席して地元に帰ったと。政治家は私腹を肥やす、そのためには地元優先だな。なんせ選挙権は地元の支援者だからな。天下国家よりも地元の有権者が大事だな。選挙区なぞは、俺たち議員が決める。俺たちが現役の議員が次の選挙も通るように決める
昔の参議院なぞは大選挙区があった。全国一区だな。顔を売るにしても広すぎる。金を注入しようにも際限がない。その点小選挙区は良いな。政党本位だし何よりも20%の確実な支持者がいれば当選できる。投票率などはせいぜい50%、その半分の20%の確実な投票者がいれば当選できる。
トランプにしても俺にしても似ている。自意識は強いが、そのため強力な支持者もいる。アメリカの大統領選挙なぞはお祭りだな。全体ではなく、一部の強力な支持者がいれば、当選できる。世論調査で支持率が40%になろうが、20%の強力な支持者で充分である
今回のコロナ騒ぎ、これでモリカケや桜も検察人事も話題から消え去る。いや消え去らせる。コロナ一色だな。丁度良い時期にコロナ感染が出てきた。文科省なぞは天下り先がないので、官僚が弱い。官邸が主導で、俺が実行できる良い機会だ。
後援会なぞは俺の信者だな。俺を俺の官邸を慕って、あるいは眺めていれば良い。その意味で政治とは宗教に似ているかな
俺は差し詰め教祖かな
説法とは仏の教えを説いて聞かせることだと。Wikipediaによると、辻説法とは、本来の意味において、人が大勢集まる町角や道端、寺社の境内などで行ったもので、辻能、辻放下、辻狂言、辻談義、辻咄、辻講釈、軽口物真似などがある。街頭で行われる政治活動等の演説についても、今日では辻説法と呼ばれる。と
昔はやはり辻々で交通の要所で芸人たちがいたんだな。坊主も布教のため大衆を相手に説いた。水上勉などは、文を書くよりも講演の方が楽だと。講演だと適当なことを話していれば良いと。文章は残るから、また同じ表現でなく、表現方法を変える必要がある。しかし、役者は、工匠の業は千載を飾るが、俳優の業は一瞬を飾るとも。文でも話でも色々な見方がある
野党の二軍の民主党かな、野田佳彦がいた。総理にも上り詰めた男である。政治家を志しナショナル塾の一期生であった。津田沼駅前で毎朝、雨が降ろうが槍が降ろうが演説していたと
ナショナル塾はまず演説だな。昔は演舌と言ったそうだが、万枚もの舌を重ね合わせるのだな。野田佳彦は「農家の末っ子同士の間に生まれた子どもが、私です。選挙区が都市部なのにシティーボーイに見えないのは、そのせいかも知れません」「司馬遼太郎から夢と志の世界を、藤沢周平から下級武士の凛としたたたずまい、矜持を、山本周五郎から人情の機微を学びました。まさに駅前演説は野田だな。参っちゃう
また言語明瞭、意味不明と言われた総理、竹下登がいた。俺も原稿みずに、心にも無いことを言うのは、長年政治家をやっていたから、真似事はできる。演説なぞは適当にカメラの前で喋れば良いかな。後の検証なぞはお構いなしだな
母方の祖父に岸信介がいたが、優秀な男だった。官僚でも抜きんでていて、戦前の満州国では最高首脳の一人であった。当時の満州国は国土も広いし、新天地だったな。もいた。軍備や経済だけでなく文化・芸能にも力を入れた。満州映画協会には甘粕正彦もいた。敗戦して、大博打身ぐるみ脱いですってんてんと詠んで青酸カリで服毒自殺をしたな。その現場に立ち会ったのが内田吐夢だった。
祖父の岸信介は戦犯になったが、巣鴨監獄所からの出所後に立ち直った。見上げた根性だったな。俺は頭脳は岸信介に及ばないが、根性だけは引き継いでいる。まあ血だな
頭脳よりも、いや頭脳とともに実行力だな。「日本の明日を切り拓く」だな。この国を改革して、師匠の変態と言われた小泉純一郎に習って、今までにない国を作るんだ。前回には美しい国を標語にしたが、美しくかつ効率的な国を作るんだ。そのためには実行力あるのみだな
旧来の保守主義とは異なって、新しい保守、いや革新かな。明日に向かって切り拓いていく。開拓者になるんだ。もちろん国体保持は大前提だが、それよりも軍隊だな。軍隊を軍人の批判を受けぬよう憲法に加えたいな。大江健三郎の厳粛なる綱渡りではないが、軍人が市中を後ろ指を指されず、堂々と軍服を着て通行できる世を作るんだな
政治家とは理想を語るが、俺はまず現実を見るな。現実が理想に一歩でも近づけば良いが、まず現実を変えることだな。俺は与党、自民党の総裁でもあるので、立法府も束ねられる。天下国家より政治家はまず私腹を肥やすことだな。私腹を肥やすためには選挙に勝つことだな
昔の政治家は金を使った。自民党の総裁選挙なぞは公職でない。従って金はなんぼでも使っても良い。もらう方も律義になつことはない。結局は金とポストだな。藤山愛一郎などは女にも金を使ったが、使えば減る、無くなってくる。しかし今は金融資本主義もあろうが、金が金を生むんだな
鳩山しかり盟友の麻生などは、金が減らないんだな。使っても使っても、養老の滝のように減らない。減らないから使う、使えば使うほど増える。良い世の中になってきたな
今回の桜を見る会かな。田舎者の東京見物だな。伊丹十三のお葬式ではないが、田舎者には東京見物が喜ぶんだな。上京という言葉もあるな。おのぼりさんとい言葉もある。しかし、お葬式では田舎者の大滝秀治、それを蔑視する尾藤イサオ、伊丹十三の処女作だから面白ろく描いていた。
本来なら支持者、支援者の集団である後援会である。日頃の投票の見返りに自腹で接待するのが当然であるが、自腹で選挙民を接待すると公職選挙法に違反すると。俺が総理が既存の公職選挙法に違反すんじゃ立つ瀬がない。
しかし、俺は立法府いや違ったか、行政府の長だ、税金なぞはなんぼでもある。足らなければ機密費もある。まあ予算の何倍か、しかも雀の涙ほどの予算だから機密費を流用するほどのことはないな。
師匠の変態と言われた小泉純一郎が道筋を付けたが、自民党の派閥を潰して、官邸が人事権をもった。官僚なぞは人事をちらつかせれば従ってくる。俺に従ってくるんだな。文句を言っても心底からでないな、最終的には俺の後ろに付いてくる。かわいいものだわ。マスコミでも金をつかませれば俺の言いたいことを代弁してくれる。
中には田中角栄を取材した矢崎泰久なぞは例外だな。時には中には骨のある奴はいるが、影響力はないな。マスコミの社長といえども経営者だな。諮問委員に取り立てれば嬉しがって付いてくる。芸人もそうだな。政権に言葉では逆らっても、勲章や賞状を与えると嬉しがるんだな。「桜を見る会」も各界の功労者の慰労なんだな。国家が慰労して土産を持たせると、喜ぶんだな。その一環で俺の支持者を呼んだんだ。
モリカケも一段落したと思ったら桜が出てきた。モリの時は俺も感激した。小さい子供が年端もいかない餓鬼が教育勅語を暗唱するんだな。籠池泰典もよく訓練した。北朝鮮で将軍さんが喜び組を歓待したが分かるな。顔の表情が面白かったな。
どこの国でもそうだが、三権分立など、真に検察を独立させたら面倒だ。俺に逆らう者は排除する。幸いIR実施法案がやっと成立させたのに、ここで逮捕者が増えたら元も子もない。
政治家なぞは利権屋と言われた。利権が無くなったら商売が成り立たない。師匠の倅の小泉進次郎、肺炎対策本部会合を欠席して地元に帰ったと。政治家は私腹を肥やす、そのためには地元優先だな。なんせ選挙権は地元の支援者だからな。天下国家よりも地元の有権者が大事だな。選挙区なぞは、俺たち議員が決める。俺たちが現役の議員が次の選挙も通るように決める
昔の参議院なぞは大選挙区があった。全国一区だな。顔を売るにしても広すぎる。金を注入しようにも際限がない。その点小選挙区は良いな。政党本位だし何よりも20%の確実な支持者がいれば当選できる。投票率などはせいぜい50%、その半分の20%の確実な投票者がいれば当選できる。
トランプにしても俺にしても似ている。自意識は強いが、そのため強力な支持者もいる。アメリカの大統領選挙なぞはお祭りだな。全体ではなく、一部の強力な支持者がいれば、当選できる。世論調査で支持率が40%になろうが、20%の強力な支持者で充分である
今回のコロナ騒ぎ、これでモリカケや桜も検察人事も話題から消え去る。いや消え去らせる。コロナ一色だな。丁度良い時期にコロナ感染が出てきた。文科省なぞは天下り先がないので、官僚が弱い。官邸が主導で、俺が実行できる良い機会だ。
後援会なぞは俺の信者だな。俺を俺の官邸を慕って、あるいは眺めていれば良い。その意味で政治とは宗教に似ているかな
俺は差し詰め教祖かな