風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

報道か宣伝

2017-04-16 19:27:44 | 世評
北朝鮮の首都ピョンヤンでは、キム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長の肝いりで整備が進められていた、高層ビルが立ち並ぶ新しい通りが完成して、13日にキム委員長の出席のもと、しゅんこう式が行われ、その様子が外国メディアに公開されました。
ピョンヤン市内に新しく完成したリョミョン(黎明)通りは、北朝鮮のキム・ジョンウン朝鮮労働党委員長が、祖父キム・イルソン(金日成)主席の生誕105年にあたる15日までに完成するよう指示し、去年3月から高層ビルなどの建設が急ピッチで進められ、このほど完成しました。

13日は、日本時間の午前10時半からしゅんこう式が行われ、その様子がピョンヤン入りしている外国メディアに公開されました。
会場にキム委員長が車で到着すると、集まった大勢の市民から一斉に歓声が上がり、指導部のメンバーたちとともに壇上に並びました。
パク・ポンジュ首相が演説し、新しい通りの完成について、「敵の脳天に、数百発の核爆弾を投下するよりも、もっと恐ろしい鉄ついを下した、歴史に残る勝利だ」と述べ、キム委員長の業績としてたたえました。
このあと、キム委員長みずから記念のテープカットを行い、通りの完成を祝いました。

各社から報道されている通りである。テレビの映像でも日夜流されていた。メディアは世界各国から集まっている。メディアとは日本語に翻訳すると「媒体」とか。昔はジャ-ナリズムと言われていた
ジャーナリズムは報道とも言われ、表現の自由に基づく、客観的で正確でしかも中立であった。ただ単に報告するのでなく、道を報じるのである。官制の報告とは次元が違った
北朝鮮の黎明通りの報道は、世界各国からの報道機関が集まり、あるいは招待されていたと。そして皆、朝未明にたたき起こされ、身分証明や携帯電話を没収されて、報道席に参集したと


宣伝や広告と何ら変わらない。報道する舞台裏や取材源を本来なら表に出さない。今回のあるいは北朝鮮の報告に関しては、報道機関が自ら記事にするのでなく、国家の有り様を報告するだけであるが、まだ舞台裏を表に出すだけ、マシであることかも知れない

アラブなどの報道は、報道機関の社員でなく、ほとんど外注の者の仕事である。昔、従軍記者という者がいたが、軍の後方部隊であったが、味方の後方から参加していたが、それでも記者魂は持っていた者も居た。若かりし時の開高健もそうであった

今の報道機関は足で書くことが出来ない。座ってパソコンを見ながらであるだろう。もっとも記者だけでなく報道機関と言う株式会社である。従って国家の諮問機関にマスコミの社長連中が堂々と名を連ねている。北朝鮮の報告だけでなく、あらゆる対象に官制報告が及んでいる風潮である

特に映像。テレビの世界では各テレビ局のニュースがどのテレビ局も同じ映像であることが珍しくない。そして何度も何度も同じ映像を流す。報道だか宣伝だか広告だかコマ-シャルだか判断に迷うことが往々にある

もっともテレビそのものが、映像の著作権がないので、早い者勝ち、何回も流した方が勝ちになってしまう。それはテレビの宿命であろうな。映像の宿命であろうな。同じ映像でも映画は違ってくる。また昨今のテレビは食い物かクイズである。食い物はコマ-シャルで大口開けて食う様が放映されている

昔、藤原新也がテレビは長調の曲が流れる。母親の胎内で長調の陽気な曲を耳にしている。胎内から飛び出すと、短調の荘厳な陰影をもった曲を耳にすると慣れていないため泣きだすと
テレビはコマ-シャルから映像を借りてくることが多い。コマ-シャルを真似ることが往々にしてあるな


もう一つのニュ-ス4月8日信濃毎日Webから 
             
軽井沢町は本年度、同町離山にある馬頭観音の石像を、同町旧軽井沢のロータリー(町有地)に移設する。馬を供養する馬頭観音はもともと、旧中山道碓氷峠に通じる入り口の二手橋付近にあったが、軽井沢で別荘地の造成・分譲をした実業家の野沢源次郎(1864〜1955年)の信仰があつく、野沢家ゆかりの地に移転、保存されていた。文化財保護などに携わる人たちが野沢家に打診するなどし、人目に付く場所へ移設が決まった。

馬頭観音は、貿易商社「野沢組」(東京)の「軽井沢山の家」前にある。町教育委員会によると、江戸時代末期の1853(嘉永6)年に、伊那市高遠町から全国に出向いた「高遠石工(いしく)」が作ったとされる、一塊の石から像全体を彫り出す「丸彫り」の立像。高さ約1・5メートルで、三つの顔と6本の手がある。軽井沢町文化財審議委員会会長の大久保保(たもつ)さん(71)=小諸市=は「軽井沢の中でも優れた石造物。難所である碓氷峠の守り神として信仰の対象となった大切なもの」と話す。

源次郎は、二手橋近くにあった英国公使ヒュー・フレイザーの別荘を購入したという。軽井沢山の家はもともと元首相桂太郎の別荘で、後に野沢家が取得。現在は野沢組の保養所となっている。

軽井沢の歴史的建築物の調査・保存に取り組む軽井沢ナショナルトラストの名誉会長中島松樹さん(82)=軽井沢町新軽井沢=と大久保さんが野沢家側に掛け合った。藤巻進町長が昨年12月、源次郎のひ孫、野沢毅一郎さん(49)=東京=に文書で移設を希望する旨を伝えたところ、今年1月に毅一郎さんから、寄付する旨の回答があった。

大久保さんによると、二手橋付近には他にも石造物があったが、時とともに失われていった。周辺は道も狭く、安全な場所に移すことを町とともに検討。旧中山道沿いのロータリー内に移すことになった。町は本年度一般会計当初予算に移設工事費38万円を計上している。

 毅一郎さんは、取材に「馬頭観音像を人々の目につく元あったような場所に移設することで、一般の方々にも広く見ていただく方がいい」としている。

(4月8日信濃毎日Web)


信州の道端には馬頭観音が佇んでいる光景を見受けられる。馬は農耕馬であり、また運搬に適していた。重量のあるものを運搬するには重宝した。馬力と言う言葉もある。人は馬と共に生活していた。アメリカの西部劇でも、車社会の前は、馬に乗って移動していた

八ヶ岳の麓に平山郁夫シルクロ-ド美術館がある。小生は平山郁夫が亡くなって、しばやくしたら訪ねた。シルクロ-ドで求めた多くの石仏が陳列してあった。

美術館には、要所要所に学芸員が立っている。または黙って座っている。小生は、この石仏はどうしたの、略奪してきたのと学芸員に茶々を入れた

正当な所有者が現れたら、返却します
良く道々襲われなかったね
いつしか、楼蘭を中国政府の許可を得てヘリコプタ-で上空から眺めた時には、10分間だけと制限をつけられたので、その光景を眼に焼き付けたと
センセイは気に入った石仏の前では、何時間も座って眺めていると
普段は押し黙っているのに、喋り出すと饒舌なんだな

平山郁夫は巧いんだが、面白みに欠けていたと思ったが、弟子から慕われていることがありありと分かるんだな。それから生口島、瀬戸田町出身の平山郁夫が好きになった

ラジオ出身の久米宏がテレビのニュ-スステ-ションの司会だったとき、トヨタがスポンサ-であった。その時、ニュ-スステ-ションは左よりだから自民党の梶山静六が、トヨタにスポンサ-を降りろと圧力をかけたとか

久米宏は既に雑誌で報道されていたので、ゲストの梶山静六にトヨタさんにスポンサ-を降りるように要請したという話がありますが本当ですかと聞いた。梶山静六は平然としてそんなことはありませんと。そして帰って部屋を出ると、廊下のゴミ箱を足蹴りする音が聞こえたと。従って本当な話と確信したと。それ以来トヨタの車には乗らなかったと。タクシ-でもトヨタの車は拒否したと

久米宏がある日、NHKに行った時に美人の受付嬢が結婚したと。結婚相手は同じNHKの人か聞いたら、名古屋のトヨタの人だと。久米宏曰く、それからまたトヨタの車に乗り出したと

人工知能(AI)が持て囃されている。将棋にしても囲碁にしてもプロが人工知能(AI)に負けると。考えられないことだな。コンピュ-タは過去の経験、統計によって動く。勝負事で機械に負けるとは。新しい未知のことでも、コンピュ-タが対応できるとは驚きである。もうプロではないな。プロの方が馬鹿馬鹿しくてやってられないだろうな

インタ-ネットの世界では、恐ろしく物識りがいる。軽井沢の三つの顔と6本の手がある馬頭観音の写真が出回っている。個人の庭先にある石仏の写真が結構インタ-ネット上では見かけられる

法学者の七戸克彦の「法学者の軽井沢」をインタ-ネットで見かけた。軽井沢のことに詳しいんだな。佐藤万平は、亀屋旅館を外国人向けに改装して、外国人が発音しやすい「万平」ホテルに改称したと。それ故、万平ホテル。アルプス館のステンドグラスは亀の意匠になっていると

ベルツの日記では、軽井沢は夏は外人が多数訪れる。主としてアングロ・サクソン系の新教伝道者で云々と。つまり、軽井沢は外国人の中でも、新教徒(プロテスタント)のイギリス人及びアメリカ人の避暑地として形成されたものであった

道理で今も軽井沢の教会はプロテスタントが圧倒的に多い。カソリックは聖パウロだけであると

碓氷峠のアプト式鉄道工事を請け負った鹿島組(現・鹿島建設)の鹿島岩蔵が、宿場の西方、精進場の長野県種育場後を購入して、現在の鹿島の森を建設したと

大正期になると、旧軽井沢宿の外部における新たな別荘地開発が活発してくる。横浜の貿易商・野沢組二代目・野沢源次郎が、「男爵芋」の川田龍吉が経営していた農場及び牧場を譲り受けて(かって雲場原と呼ばれ、その後は野沢原と呼ばれるようになる)大規模な別荘開発を行い云々

分譲された別荘地は、財団法人の名称にちなんで「南ヶ丘」と名づけられた

ホンダの創始者に本田宗一郎がいた。後年、社名を自らの姓を冠した本田技研工業と命名したことに一生の不覚だったと嘆いていたとか


太平洋戦争、十五年戦争で敗戦してカメリカ軍が進駐してきた。当時の建設会社は何とか組が多かった。アメリカ軍の高官が、日本の会社にはヤクザが何故多いのかと聞いたとか。会社なら社長、銀行なら頭取、大工なら棟梁、板前なら板長、ヤクザ何とか組なら組長と呼ぶんだろうな

軽井沢の通りには通称
犀星の径 : 室生犀星の別荘があり、生前は多くの文学者が訪れた
ヴォーリズレーン : 近江兄弟社「創設者W・M・ヴォーリズ」山荘がある
万平通り : 万平ホテルへの道
野沢原通り : 軽井沢開発者の一人である野沢源次郎が土地分譲、貸別荘、マーケットの経営をここでおこなった
鳩山通り : 政治家・学者として活躍の鳩山家の別荘が大正期よりある
大隈通り : 元首相大隈重信が別荘を建てる、早稲田グラウンドを作る
近衛レーン : 元首相の近衛文麿の別荘がある
田辺レーン : 経済界人の田辺氏の「あめりか屋」別荘がある
細川レーン : 細川護立公爵の「「あめりか屋」があった。庭内の桂並木がすばらしい

公共の通りの名前に人名が多い。命名するほうもされる方もどうなのかな。東京の早稲田大学の野球に貢献した安部磯雄がいた。昔は地名から戸塚球場と呼ばれていた。狭く場外ホ-ムランは多く、窓ガラスを割られた家が多かった。安部磯雄が亡くなった翌年、安部球場と改めた。そこまでは大学内の話で良い。しかし、安部球場の前を通る公道は安部通りとは言わない。グランド坂通りと言う。

京都は作った都であるので縦横無尽に道がある。道に名前が付けられている。何々通りを上ルとか下ルである。京都人は背中をかいてもらう場合も、上下右左で無い、上ル、下ルであると司馬遼太郎が称していた

また、西田幾多郎が思索に耽った通りも、哲学の道と称している。西田通りとは、幾多郎通りとは言っていないな

この国は大昔、明治以前には北には通称アイヌ民族が住んでいた。時の経過によりヤマト民族が支配地域を北に伸ばしていった。北海道は言うに言われず、東北でもアイヌからの地名が方々に残っている。先住民の痕跡が地名に残っている

片や、この国が周りを制圧していった。朝鮮に征伐して日韓併合をおこなった。朝鮮民族の言葉を奪った。物の略奪だけでなく、言葉さえも奪った歴史があった

軽井沢の地名について疑問が湧いた。野沢原の地名は野沢組からきたのではないか。星野や塩壷も人名からとったのではないかと詮索する。通りも人名から命名したものが多い。財界人、政界人から命名したのが多い。通りとは銅像にも似ている。命名した者もされた者もどちらも、どっちもどっちであろうな。寄り添うあるいは媚を売る様のようにも言えなくも無い



コンビニ人間

2017-04-09 15:42:53 | 世評
今年の天候は不順、寒さ暑さの差が激しい。桜の開花宣言もしたが、満開まで日数が掛かった。どうも気温の変化に身体がついていかない、慣れが、慣習が通用しなくなった感がある。気温だけでなく、世の移り変わりも激しいようである。個性の多様性と叫ばれているが、掛け声だけかと思っていたが、世相は着実に変わってるようである

 先日、車の洗車をした。1時間近く待っている間に本棚を覗いた。ガソリンスタンドや車屋は週刊誌か漫画が多い。その中に、その前に「コンビニ人間」が置いてあった。数年前の芥川賞受賞作品である。マスコミ紙上には賑わしていたが、気にも留めなかった。一頃は芥川賞ぐらいは読めと言われたが、ここ数年、数十年は読んでいない

 芥川賞、直木賞は新人作家の登竜門といわれていた。最後に芥川賞を読んだのは何時だったか思い出せない。受賞作家すら思い出せない。まず頭をよぎるの柴田翔の「されどわれらが日々」かな。当時は社会現象だったな。60年安保を境にして、社会が大きく変わった。ネットで受賞作に眼を通したが、最近の受賞作家も知らない名前がほとんどである

 芥川賞であるので、薄いので洗車を待っている間に読めるかなと思い手に取った。「コンビニ人間」読み始めてコンビニの描写が巧い。コンビニの中には音がする。客とのやり取り、従業員との関係、職場でもっとも身近な者は従業員である。その従業員に影響を受ける

恋愛関係でも、身近な者に惚れることが多いのは世の常である。昨今では電子メ-ルとかで会ってもいない者に惚れることも有り得るが、多くは現実にいる身近な者から惚れるんだな

小鳥の死骸に会って、母たちは死んだ小鳥がかわいそう、お墓を作ってやろうと思うが、主人公は「お父さんが焼き鳥が好きだから焼いて食べよう」と思う場面では、思わず笑ってしまった。後で選考委員の一人の意見を拝見すると、「芥川賞の選考で笑ったものは初めてだと」

面白い発想なんだな。ちょっと考えると衛生上を考察するが、その場は衛生上よりも発想が面白い。およびもつかないんだな。しかし考えられることはある。次の場面では子供同士喧嘩をしていて、回りの者は止めさせようと先生を呼びに行くが、主人公は武器をもって両方殴って止めさせる。ぎょっとする人格である

そんな主人公が、社会に同化できない、女主人公がコンビニでは合っているんだな。社会の部品として、コンビニでは唯一とも言えるように、水を得た魚のようにコンビニの中では同化していく

音の事を言えば、最近のテレビも音楽や電子音や電話の音や、音が多い。テレビだけでなく、社会も音が気にならない社会に、人びとが慣れていく。音が無いと不安になってくるんだな

しかし、作者、村田沙耶香は結構文学賞を受賞している。文学塾にも通っていた経歴もある。この芥川賞作品が処女作でない。手に取った「コンビニ人間」は10刷だった。結構売れている。結構生産している。やはり芥川作品は売れるな、社会現象の一つだな

洗車の合間に読んだので、半分くらいしか読んでいない。ネットで筋書きを見ると、アルバイトにきた男の従業員と結婚したと。コンビニの店員を見下げていた男と同棲したと。分からないな。後半部分を買ってまで読みたいとは思わない

かって、寺山修二は「ブル-スは金の無い時に分かると」。金を出して買ってくれた人にこの本を奉げると

人に寄っては、カミュの異邦人とか、太陽がいっぱいとかに似ているとか言っている。現代社会に疎外された人物である。社会の部品にしかなれない、人は社会の部品にならざるを得ないと。しかし「コンビニ人間」には哲学がないんだな、耳に残らない。確かに笑っちゃう場面もある。お笑いの場面もある

テレビのお笑いと何ら変わらない。いやお笑いが主流になっているんだな

芭蕉が、おもしろうて やがて哀しき鵜舟かなと唄った。喜劇と悲劇は裏腹の関係になってしまう。そこの所を描ききれていないように思う。確かに、過去に何作も受賞しているので、描写は巧い

最近の新人の作は読んでいないが、この「コンビニ人間」は異端でなく、ひょっとすると主流じゃないかな。かって「オタク」と言う言葉が使われた。小生は何の意味だか理解できなかったが。今でも良く分からないが、どうも特定の趣味に没頭して、その趣味に対する知識が豊富である人物を指すようだ

サカイ引越センタ-が、出始めの頃、テレビコマ-シャルをやった。関西の芸人を使って派手に宣伝した。内容よりもまず目立つことを主眼にした。変態を前面に出した。当初は変態、下品のイメ-ジであったが、名は知れ渡った。宣伝とはまず、名前を売ることだな

政治の選挙もそうだな。まず名前だ。コイケと言えばもう八割は当選圏内だな。本来なら候補者より選挙民の方が、岡目八目になる、状況がよく見えてくるが、今じゃ選挙民が、コイケの名でコイケ劇場の演出者になっちゃうな

丁度、寺山修二や唐十郎が観客を舞台に引っ張り込んだように、テレビも選挙の候補者も聴衆をあるいは選挙民を舞台に乗せているようである