わらじとは漢字で書くと草鞋である。稲わらから作ったものである。この国の基本は稲作である。稲わらは本来捨てても良いものだが、再生産するんだな。人の糞もそうである。江戸時代長屋の糞は立派に物物交換の対象であった。
二足の草鞋を履くとは、両立しえないような二つの職業を同一人が兼ねること。特に、江戸時代、博徒が捕吏を兼ねることをいう。利根川流域の「天保水滸伝」を思うが、笹川の繁蔵と飯岡の助五郎の博徒による勢力争いは、はたから見ると面白い。
博徒が十手を持つと強い。取り締まる者と、本来取り締まれる者が同一であるので、怖い物はない。民衆も感覚で二足の草鞋を感じていたのだろう。
履物に思いを馳せると、草鞋と草履とは違う。草鞋の方が足にぴったりくる。昔の道は土であったので、稲わらにはぴったりと懐いた。今は下駄もある。
「男はつらいよ」では、下駄の鼻緒が切れたときに、寅次郎が手拭を裂いて、鼻緒を直す場面があった。すばやく器用にやるんだな。
旅人にとっては、草鞋にしても丈夫でなければ歩けない。
五木寛之が終戦になって、北朝鮮から南下した時に、丈夫な靴を履いていた人が生き残れたとも言っていた。その関係か五木寛之は靴に凝っている。
靴屋売り場には靴の専門家、シュ-フッタ-がいる。ある時何人もの人の足を見ただろうが、いままでに美しいと思った足はあるかいと聞いた所、彼女はインドだったかなネパ-ルの人だったな、足がすらりとして美しかったと答えた。さもありなんと感心した。
東京オリンピックでアベベが靴を履いて走った。普段は裸足で走っているそうであるが、東京オリンピックでは靴を履いて走った。その走りは早かった。自衛隊員、円谷幸吉もあの時走ったが、アベベの強さには勝てなかった。自衛隊員かどうか分からないが、日本の声援を背に受けたが、最後のトラックで抜かれた。
しかし、円谷幸吉の遺書は古風で美しかったな。
現代における「二足の草鞋を履く」とはどんなものかな。
内閣府に経済財政諮問会議があった。森喜朗の総理の時に創設されたが、諮問会議を十二分に活用したのは小泉純一郎だった。いわゆる官邸主導という名の元に、諮問会議に有識者を集めて、変態人気とあいまって流れを作ってしまった。
諮問会議には産業界は言うに及ばず、学者、大学教授までが大手を振って参列する。産業界の経営者達は、自社の利益、業界の利益誘導を前提とする。言ってみれば、経営者とはいつの時代でも利益追求に才能を発揮する。その手段として効率化もあろうが、大きいのは産業界に有利なように政策決定する事であろう。
マスコミ関係者も諮問会議に名を連ねる。学者も第三者として名を連ねるが、学者ほど曲者はいない。昔の大学は象牙の塔と言われ、産学協同とは遠い所にあった。過去の話である。
学問の府は今では、学生が就職の手段として通うのと同様に、学者も産業界と仲良く手をつないでいる。いわゆる実学と言う奴だな。昨今では原発が事故を起こした結果、反原発の風潮が叫ばれるが、学者は産業界の推進のお墨付きになっているんだな。
原発も学者、大学教授のお墨付きで、人民の了解も得られた。学者ほど危ない者はない。世間からの信用があるような者ほど曲者である。
二足の草鞋を履くとは、この国は三権分立であるが、立法と行政は議院内閣制のため、同一政党が請け負う。しかし、司法だけは独立を望みたい。さすがに裁判官上がりは、行政府はもちろん、立法府にも立ち入れない。
しかし、司法の一角を担っている弁護士が立法、行政に関わってくるのが、妙に気になるんだな。二足の草鞋の言葉の意味とは違うにしても、法律解釈では、正を負に変えてしまう事も可能なんだな。ウ――-ン。
二足の草鞋を履くとは、両立しえないような二つの職業を同一人が兼ねること。特に、江戸時代、博徒が捕吏を兼ねることをいう。利根川流域の「天保水滸伝」を思うが、笹川の繁蔵と飯岡の助五郎の博徒による勢力争いは、はたから見ると面白い。
博徒が十手を持つと強い。取り締まる者と、本来取り締まれる者が同一であるので、怖い物はない。民衆も感覚で二足の草鞋を感じていたのだろう。
履物に思いを馳せると、草鞋と草履とは違う。草鞋の方が足にぴったりくる。昔の道は土であったので、稲わらにはぴったりと懐いた。今は下駄もある。
「男はつらいよ」では、下駄の鼻緒が切れたときに、寅次郎が手拭を裂いて、鼻緒を直す場面があった。すばやく器用にやるんだな。
旅人にとっては、草鞋にしても丈夫でなければ歩けない。
五木寛之が終戦になって、北朝鮮から南下した時に、丈夫な靴を履いていた人が生き残れたとも言っていた。その関係か五木寛之は靴に凝っている。
靴屋売り場には靴の専門家、シュ-フッタ-がいる。ある時何人もの人の足を見ただろうが、いままでに美しいと思った足はあるかいと聞いた所、彼女はインドだったかなネパ-ルの人だったな、足がすらりとして美しかったと答えた。さもありなんと感心した。
東京オリンピックでアベベが靴を履いて走った。普段は裸足で走っているそうであるが、東京オリンピックでは靴を履いて走った。その走りは早かった。自衛隊員、円谷幸吉もあの時走ったが、アベベの強さには勝てなかった。自衛隊員かどうか分からないが、日本の声援を背に受けたが、最後のトラックで抜かれた。
しかし、円谷幸吉の遺書は古風で美しかったな。
現代における「二足の草鞋を履く」とはどんなものかな。
内閣府に経済財政諮問会議があった。森喜朗の総理の時に創設されたが、諮問会議を十二分に活用したのは小泉純一郎だった。いわゆる官邸主導という名の元に、諮問会議に有識者を集めて、変態人気とあいまって流れを作ってしまった。
諮問会議には産業界は言うに及ばず、学者、大学教授までが大手を振って参列する。産業界の経営者達は、自社の利益、業界の利益誘導を前提とする。言ってみれば、経営者とはいつの時代でも利益追求に才能を発揮する。その手段として効率化もあろうが、大きいのは産業界に有利なように政策決定する事であろう。
マスコミ関係者も諮問会議に名を連ねる。学者も第三者として名を連ねるが、学者ほど曲者はいない。昔の大学は象牙の塔と言われ、産学協同とは遠い所にあった。過去の話である。
学問の府は今では、学生が就職の手段として通うのと同様に、学者も産業界と仲良く手をつないでいる。いわゆる実学と言う奴だな。昨今では原発が事故を起こした結果、反原発の風潮が叫ばれるが、学者は産業界の推進のお墨付きになっているんだな。
原発も学者、大学教授のお墨付きで、人民の了解も得られた。学者ほど危ない者はない。世間からの信用があるような者ほど曲者である。
二足の草鞋を履くとは、この国は三権分立であるが、立法と行政は議院内閣制のため、同一政党が請け負う。しかし、司法だけは独立を望みたい。さすがに裁判官上がりは、行政府はもちろん、立法府にも立ち入れない。
しかし、司法の一角を担っている弁護士が立法、行政に関わってくるのが、妙に気になるんだな。二足の草鞋の言葉の意味とは違うにしても、法律解釈では、正を負に変えてしまう事も可能なんだな。ウ――-ン。