風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

二足の草鞋

2015-10-31 18:59:02 | 世評
わらじとは漢字で書くと草鞋である。稲わらから作ったものである。この国の基本は稲作である。稲わらは本来捨てても良いものだが、再生産するんだな。人の糞もそうである。江戸時代長屋の糞は立派に物物交換の対象であった。

二足の草鞋を履くとは、両立しえないような二つの職業を同一人が兼ねること。特に、江戸時代、博徒が捕吏を兼ねることをいう。利根川流域の「天保水滸伝」を思うが、笹川の繁蔵と飯岡の助五郎の博徒による勢力争いは、はたから見ると面白い。

博徒が十手を持つと強い。取り締まる者と、本来取り締まれる者が同一であるので、怖い物はない。民衆も感覚で二足の草鞋を感じていたのだろう。

履物に思いを馳せると、草鞋と草履とは違う。草鞋の方が足にぴったりくる。昔の道は土であったので、稲わらにはぴったりと懐いた。今は下駄もある。

「男はつらいよ」では、下駄の鼻緒が切れたときに、寅次郎が手拭を裂いて、鼻緒を直す場面があった。すばやく器用にやるんだな。

旅人にとっては、草鞋にしても丈夫でなければ歩けない。

五木寛之が終戦になって、北朝鮮から南下した時に、丈夫な靴を履いていた人が生き残れたとも言っていた。その関係か五木寛之は靴に凝っている。

靴屋売り場には靴の専門家、シュ-フッタ-がいる。ある時何人もの人の足を見ただろうが、いままでに美しいと思った足はあるかいと聞いた所、彼女はインドだったかなネパ-ルの人だったな、足がすらりとして美しかったと答えた。さもありなんと感心した。

東京オリンピックでアベベが靴を履いて走った。普段は裸足で走っているそうであるが、東京オリンピックでは靴を履いて走った。その走りは早かった。自衛隊員、円谷幸吉もあの時走ったが、アベベの強さには勝てなかった。自衛隊員かどうか分からないが、日本の声援を背に受けたが、最後のトラックで抜かれた。

しかし、円谷幸吉の遺書は古風で美しかったな。


現代における「二足の草鞋を履く」とはどんなものかな。

内閣府に経済財政諮問会議があった。森喜朗の総理の時に創設されたが、諮問会議を十二分に活用したのは小泉純一郎だった。いわゆる官邸主導という名の元に、諮問会議に有識者を集めて、変態人気とあいまって流れを作ってしまった。

諮問会議には産業界は言うに及ばず、学者、大学教授までが大手を振って参列する。産業界の経営者達は、自社の利益、業界の利益誘導を前提とする。言ってみれば、経営者とはいつの時代でも利益追求に才能を発揮する。その手段として効率化もあろうが、大きいのは産業界に有利なように政策決定する事であろう。

マスコミ関係者も諮問会議に名を連ねる。学者も第三者として名を連ねるが、学者ほど曲者はいない。昔の大学は象牙の塔と言われ、産学協同とは遠い所にあった。過去の話である。

学問の府は今では、学生が就職の手段として通うのと同様に、学者も産業界と仲良く手をつないでいる。いわゆる実学と言う奴だな。昨今では原発が事故を起こした結果、反原発の風潮が叫ばれるが、学者は産業界の推進のお墨付きになっているんだな。

原発も学者、大学教授のお墨付きで、人民の了解も得られた。学者ほど危ない者はない。世間からの信用があるような者ほど曲者である。

二足の草鞋を履くとは、この国は三権分立であるが、立法と行政は議院内閣制のため、同一政党が請け負う。しかし、司法だけは独立を望みたい。さすがに裁判官上がりは、行政府はもちろん、立法府にも立ち入れない。

しかし、司法の一角を担っている弁護士が立法、行政に関わってくるのが、妙に気になるんだな。二足の草鞋の言葉の意味とは違うにしても、法律解釈では、正を負に変えてしまう事も可能なんだな。ウ――-ン。

造形美

2015-10-26 20:30:04 | 日記
紅葉とは寒暖差が大きいと、より美しくなると。10月も下旬になって、ようやく紅葉が色鮮やかになってきた。

現代はパソコンの時代とか。パソコンで紅葉の見頃を検索しても現状とは違うな。小諸に懐古園がある。インタ-ネットでは24日の土曜日では見頃と。インタ-ネットとは商売も兼ねているので、集客も目指す

行ってみて、帰って来た客に聞くと、綺麗だったと。受付の人に聞くと、まだだと

受付の人は正直だな。入ってみると、まだまだだな。懐古園はもみじが多いので、最盛期には美しくなるであろう。

懐古園にしても上田城址にしても、天然の要塞のようだ。上田城はボランティアに言わせると、山城でなく平城だと。しかし、平地から見ると山のようだ。山が崖になっている。その崖をコンクリ-トで固めている

市役所の案内人が説明していたのを聞いたが、崖が崩れないように固めていると。欅は本物かと聞いたら、本物だが、欅の根が崖を崩している虞があると。日本放送協会の真田丸が済んだら、城を取り壊して、また建設すると

小諸の懐古園は谷あり山ありで、要塞に近い。小諸自体坂の多い街である。島崎藤村が良く行った中棚荘がある。あそこも崖の上に建っている。だから崖からの見晴らしは良い。店主に聞くと、昔は、その向うの千曲川まで葦が生茂っていたと。

懐古園から千曲川を見下ろすと、ダムが見える。千曲川にもダムを作ったんだな

山は自然である。自然の樹木である。当然、手入れはしているだろうが、森林業としての手入れである。小諸から八ヶ岳にかけて、小海線が走っている。その沿線を車で南下した。周りの山々は程よい色合いである。遠くから眺めて、全山紅葉の景色である

軽井沢に星野温泉がある。最近の学問の中心はアメリカらしい。一昔前の洋行と言うと西洋、西欧であったが、昨今は経営学は言うに及ばず、心理学、医学までアメリカである

星野温泉は昔の経営をがらりと変えて、急成長した。今ではこの国の宿泊業界を数々買収して、日の出の勢いである。

星野温泉の従業員が庭園の草取りをしている。雑草と花の見分けがつくかと聞いたらつくと。会津に二期倶楽部がある。あそこも同様に庭木を良く整備してある。

司馬遼太郎が言うことには、植木とは何百年前と今とで変わらない光景にすると。何百年前に見る角度の良いように植木を剪定したと。今でもその角度を守っていると。逆に言うと、植木業とは、成長を止めるかも知れない。整然としているのかな。

星野も二期倶楽部も庭園は綺麗過ぎる、極端に言えば虫も育たない環境を作っているかも知れない。そのように見えてしまうんだな。まあ、好みの問題もあるがの

八ヶ岳は昔からの赤い橋の渓谷、あるいは黄色い橋から眺める紅葉はまだまだであった。早かった。渓谷は標高が低くなることもあろうが、山々の紅葉はまだであった

八ヶ岳の外れに八ヶ岳高原ロッジがある。別荘地として開発したが、ホテルや音楽堂もある。あそこも作った、造成した開発地である。しかし、その過程では車の通行は少ない。排気ガスの影響は少ない。カラマツを道脇に植えてある。枝は道の反対側はそり落とし、道のほうに長く突き出ている

森林業でなく、美しく見えるように造成してある。標高は千四百メ-トル、丁度カラマツの黄葉の色、形も良いんだな。造形美と言おうかな

軽井沢にも三笠通りにカラマツが道路沿いにある。しかし、交通の妨げになるか、刈り取られている。上高地や志賀高原のカラマツは色合いは良いが、森林業だから美しく見せることはない

八ヶ岳高原ロッジのカラマツ通りは美しい。言わば、この時期の美しさである。錦繍とは色とりどりという事であるが、ここは一瞬の黄色の美だな


前代未聞

2015-10-14 17:08:56 | 日記
紅葉前線が里まで降りてきた。今年の夏が早く終わり、あっという間に秋が来た。秋の長雨と言おうか8月下旬から雨ばかりだった。そのせいか紅葉は早い。

今日の新聞、ニュ-スである。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画をめぐり、沖縄県の翁長武志知事は13日、移転先の名護市辺野古の埋め立て承認を取り消し、これに対して政府は行政不服審査法に基づく不服審査請求を行う方針を固めたと。

行政府のトップは、頂点は政府、国家である。市町村も自治体とは言え、国家の基で行政をやっている。住民基本法が制定され、住民基本カ-ドが発行された際に、全国の自治体の中で東京都国立市や福島県矢祭町が、当初国家に逆らってネットに参加しなかった。

その後、最後の砦であった矢祭町も住基ネットワ-クに接続するはめになった。

内務省が戦後、自治省と書き換えられ、地方自治と叫ばれるようになった。地方自治とは読んで字の如く、地方の論理や情勢や風土で独自に展開し、独自に治めるものである。

しかし国家の一行政であるために、内務省改め自治省の、あるいは国家の下請け機関に成り下がりつつある。

前述の住基ネットワ-クもしかりである。しかし、このたび国家が沖縄県に対して不服審査請求をすると言う。行政府が不服審査請求をするとは、前代未聞の出来事である。

恐らく戦後初めてではないかな。あるいは国家始まって以来の出来事であろうな

沖縄県の決定、あるいは決定に至った、国家に逆らって決定をしたことに敬意を表したい。やむにやまれぬ決定に至った、国家を相手にしての戦いは捨て身と言えば言えなくもないが孤立無援の戦いになるかも知れない。

ここまでの情勢になった事は、腰砕けにならなかったことは、いずれは長い戦いになるであろう。戦後、三権分立が叫ばれた、あるいは司法の独立が叫ばれたが、高度に政治的な事には関わらない司法の存在意義も問われることになろう

また、安保法制も、憲法学者あるいは人民から憲法違反の疑いがあるとの指摘を受けた。憲法違反なら、立憲国家ではないと言うことだろうな。

戦後の政治は既成事実の積み重ねできた。しかし立憲主義に基づかないとは、民主国家で無く、独裁国家であろうという事になりかねない

既成事実の積み重ねの中では、現実主義が往々にして優先される。外敵あるいは侵略に対しての防衛はまた別の話である。現実的な方便でも、憲法違反の疑いがあるなら、対案、代案は難しいな。ましてや現実の立法は絶対多数である、決められる政治なのだな、いや決めてしまう政治とも言える

今回の国家による不服審査請求は、その裁決がどう出るか見守りたいが、いずれにしても司法の場にまでいくだろうな。ついでに安保法制に対して憲法違反の疑いのある学者によっても、安保法制を司法の場に持ち込むであろう

司法の意義を問われることになろう。こんどこそは司法当局は逃げるわけにはいかないであろう。民事では原告と被告との和解が多くなる。白とか黒と決着をつけにくいため、和解と言う調停手段が圧倒的に多い

しかし、今回の沖縄県や憲法の点には和解は難しい。ここまでが良く、ここからは悪いとは言えないな。

むかし、武田泰淳が「ひかりごけ」を描いた。北海道沖の漁船が遭難して、人が人の肉を食う。食わざるを得なかった事件であった。実際にひかりごけと言うコケが存在する。夜になると、暗くなると光るんだな

ひかりごけは、司法はどう裁いたか忘れた。いずれにしても、司法の存在が、法曹界全般の存在が問われることになろうな。裁判官だけでなく、弁護士も大いに影響を受けることは眼に見えている

軽井沢新聞の10月号を手に取った
無料なんだな

軽井沢町議会は9月定例会で「安全保障関連法案の廃棄を求める意見書」を賛成13人、反対2人の賛成多数で可決したと

提案した議員も驚いたと

驚き 桃の木 山椒の樹 だな



錦繍

2015-10-13 19:08:44 | 日記
錦繍の時期である
人によっては、錦秋とも言うが、やはり錦織りなす錦繍だろうな

宮本輝が錦繍を描いた
面白いと言うか、文章が巧い
物語が巧い

大学は三流大学でテニスに明け暮れたスポ-ツマン

彼曰く、一流を落ちたら、三流にいけと
名言だな

普通の人は一流がダメなら、二流を目指す
明らかに、二流なんだな

三流や四流だと、もう流儀は関係なくなる
ノビノビと育つな

また、優駿を描く前、取材で騎手に会ったと
競馬などは首の差とか、鼻の差なんだな
勝つ、勝ち上がる差は、何かと聞いたら、気迫だと

スポ-ツだな
ある意味、スポ-ツなどは、自らの筋肉に鞭打って、マゾじゃないとやれないだろう
気迫か

これも、ある意味、真理と言おうか事実だろうな

上田あるいは東御から須坂に大笹街道が伸びている
真田の里を通ってこの時期、紅葉、色具合が丁度良い

須坂に上って、あるいは降りて、山道を登ったところに五味池破風高原がある
標高は1700メ-トル近いかな
舗装道路であるが、車はほとんど通っていない
あそこも丁度良い、錦繍だった

上田は、今時、真田で沸き立っている
駅近くに上田城址がある
今は、公営の所有だな

その中心に真田神社があった
市営あるいは国立の中に宗教法人がある

薩摩に霧島神宮がある
その太古に神が空から降りた場所が、国定公園の中にあった

霧島神宮ほど賑やかでないが、いかにも神話の世界のように荒涼とした光景であった

公営地に宗教法人があるのは、奇異に感じるが、もともと宗教法人が所有していたが、その後に公営地にしたと
だから、公営地に宗教法人があると
別に国家と宗教法人は結託していないと
まあ、筋が通ってるような、ないような

昔、真田の末裔と言われていた先輩がいた
その男は、旅に行く時に山葵を持参していた

食堂に入ると、その山葵をおろしていた