風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

役者

2017-06-21 19:59:38 | 世評
役者とは、俳優のこととか

辞書をひいて見ると、俳優のほかに駆け引きなどに長けている人、人前で抜け目無く振舞う人、役目に当る人、役人とか色々ある。良くも悪しきも色々な表現があるが、長じて、役者が一枚上とか、良い意味に使われるな

工匠の業は千載を飾るが、俳優の業は一瞬を飾ると

昔はビデオなど無かったから、生が多かった。生であるので、観客に対して二度目は無いため一瞬一瞬が勝負である。役者は当然だが、観客も眼を凝らして見ていた。

誰か言っていたが、オペラでは役者に興味を持つことから始めると。好きな俳優が出来ると、その俳優目当てに劇場に行くことによって、理解が深まると。役者の贔屓によって影響されると

オペラだけでなく、芝居や演劇も同じだな。演劇も演じる俳優によって、劇場に足を運ぶことは多いだろう。歌手でも、大衆の中には歌手目当ての追っかけ現象もある。まず好きになることが第一かも知れない。

政治もある面、同じ現象かも知れない。政治とは政策が大事であるが、その政治家の持つ印象が大きな要素であろう。若者の政治離れが叫ばれたが、好きな政治家が出てくれば、関心も高まってくる。

東京都のコイケ百合子だけでなくフランスでは、大統領選挙で既成政党でないマクロンが当選した。議員の総選挙もマクロン派が優勢とか。どうも既成政党で無く、既成政党寄りであっても少々変わっていれば良い。田原総一郎のように反自民でなく、半分自民が受けるんだな。日本だけでなく世界的な傾向のようだ

大衆にとっては、革命でなく、改革の方が心地よい。既成政党でなく、既成政党寄りぐらいが丁度良い響きになる。酔っ払いでも泥酔でなく、加藤登紀子言うところのほろ酔いぐらいが丁度良い塩梅であろうな。塩や辛味や酢でも、味を変えるぐらい強烈を好まないと同じように政治も社会もそうかも知れない。

国会が終わったと。共謀罪法案や森友学園や加計学園でアベ内閣の支持率が下がったと。不支持率が支持率を上回ったものもあったと。それでも支持率は40%はあるんだな。10人に4人はアベ晋三を支持すると。しかし10%も下がったと。

一つの内閣支持率が10%も下がることは、よほど、へまをやったんだろうな。報道に寄ると官邸も10%程度の低下は想像していたと。強行採決が大きいか、森友学園や加計学園の処理が悪かったのか、官邸の読みは分からない

将棋の藤井4段がデビュ-以来28連勝とか。素人と玄人が大きく違うのは相撲の世界だと。その相撲の世界でも、学生横綱が角界で活躍して、玄人と素人の差が無くなったと。将棋の世界でも天才の出現を生む余地があるのだろうか。世の玄人と言われる人たちは、おちおちしていられないな

国会が終わって、アベ晋三が記者会見をした。「印象操作のような議論に対して、つい強い口調で反応してしまう。そうした私の姿勢が、結果として政策論争以外の話を盛り上げてしまった。深く反省しております」と語った。共謀罪法案では一般人に及ぶのか、森友学園では何ゆえ大幅な値下げをしたか、加計学園では文科省で発表した文書に対して官邸の関与はどうだったか、肝心の点はうやむやであった。報道各社からの追求も無かったままに閉じた。ただアベ晋三が自分の思いのまま会見したことで終わった。

その会見後、大阪地検が森友学園の籠池泰典理事長に補助金不正で捜査した。籠池泰典は8億円もの大幅な値引きを度外視していると語っていたがもっともなことである。

国家戦略局はもともと二軍、民主党政権下で設置された。いわゆる政治主導である。官僚は選挙の洗礼を受けないので、選挙で選ばれた政治家が主導になって総理直属の国家戦略局を設置した。国民より国家を第一に考えるのだな。当局によれば、国家を考えることは即ち国民のためになるという論法であろうが、まさに国家から考えることであろうな。

社会党から社会主義から一歩退いた民主社会主義を唱えた民社党へ。民社党から社会主主義を削除して、民主主義の民主党へ、時代とともに変わっていった。名は体を表すを言うが、名とともに国家主導に変貌した。

国家戦略局なら政治家が率先して主導して、自らが責任を取ることであろうな。尻を部下である人事権を扱える部下に拭うことは、考えられない。戦国時代の領主でさえ、厠では孤独になれるし、自らの尻を拭った。今はウォシュレットと云えども尻は自らで拭って人と言える。

コイケ百合子が都議選を前にして、市場に結論を出したと。前日の市場関係者との懇談会では参加者の人選をして、様子を見て、頃合を見て、観測して、翌日結論を出した。市場関係者特に女将さん会は涙を出す女もいたんだな。誰か言っていたが、コイケは美川憲一みたいだと。傍から見ていると一種の芸能スタ-なんだな

都民ファ-スト、名を変えてコイケファ-ストもようやく選挙前に知事の判断に従う、平伏すことになり、選挙体勢が整った。ようやく政党とも言える、公約が出てきた

それは、豊洲の安全性は抜きにして、豊洲に移る。5年後には築地に戻ると。築地のブランドを守ると

築地市場とは、卸売業と小売業が場外、場内と区分けして存在する。そして卸売と小売の中間に仲卸業者がいる。豊洲には卸売業が移っても、小売業者はどうなるんだろう、小売業者が豊洲に移って、5年後に築地に帰るか。どうもよく分からない。築地ブランドとは小売業を指すんだろうな

コイケ百合子はマスコミ受けがするんだな。都民ファ-スト、言い換えればマスコミファ-ストとも言える。反自民党でなく、片足は自民党の中である。いや自民党に片足を突っ込んで、抜け切れないだろうな。こういう人間が受けるんだな。時代にうけるんだな

先日、テレビの報道番組を見ていた。軽井沢にISAKUという学校があると。世界各国から学生を集めて、英語を主体として、全寮制で、財界からの寄附金で多くを賄っていると。地図を見ると、人里離れた場所だな。アメリカにも全寮制の学校は多いと聞く。

どうも世界的な傾向だな。人里離れているから、地元民との接触は少ない。全寮制であるので、接触する人は限られてくる。しかも財界からの援助で、考える教育が進められている。一種のタコ部屋、思想教育とも言えなくも無い。こういうのが世に受け入れやすい。

政治で言えば、一頃の松下政経塾だな。演説だけは巧い。演説を聴く分には世の政治家を圧倒してしまう

昔の旧姓高校、いわゆる一高から始まって八高まであったが、それ以外にも松本や新潟にもあった。全国にあった。エリ-トと扱われたが、市街地にあった。エリ-トであったが、地元民との接触があった。その後帝国大学に進学するが、エリ-ト故に地元民との接触を通して軋轢もあったろう、甘えも驕りもあったろう、しかしながら地元民と接触して、学校教育の塀の外の社会を肌で感じることができた

今時の学校、新進の学校には疑問符をつけてしまうな


タコ部屋

2017-06-09 14:34:24 | 世評
蛸漁とは蛸壺を海中に沈めて漁をすると。蛸の習性を利用した漁とか。壷の中に入ったら外へ出られない、あるいは出たくないとか。そして蛸とは、足や腕を切られても再生すると

昔はタコ部屋と言われた時があった。劣悪な労働環境で労働者をこき使い、タコのように使えなくなったら切り捨てた。江戸時代の百姓のように生かさず殺さずである。江戸時代の方がまだ良かった。殺したら元も子もない。生かしたら元気が良すぎて逃げられる。労働が継続できるように領主たちは配慮した

飯場ではいつでも取替えは効く。死んだら補充がきいた。昨今では労働条件は劣悪からは良くなったのだろうなと推測される。いやブラック企業と言う言葉も聞くので分からない。飯場と言う言葉も聞かれなくなった

岡林信康はフォ-クの神と言われたが、ブル-スの神でもあるな。「流れ者」、飯場飯場と渡っていく おれは一生流れ者 と

寺山修二が「金の無い時に ブル-スは身に染みる」と言っていたな

世界卓球選手権大会がドイツで行われたと。日本選手の活躍が凄まじい。それも若い選手が恐ろしく伸びている。報道によると、北区に「トップアスリ-ト教室」があると。全国から幼少から才能のある子供を集めて英才教育をするとか

張本少年は中学生とか。将棋の世界も中学生が脚光を浴びている。昔では考えられなかったな。精神分析医のフロイトなどは、3歳までに性格は決まると言っていたが、英才教育とは恐ろしい。人工知能AIの進化も恐ろしく早い

人工知能は、人の論理や習性を数多く接して統計も駆使して作られている。将棋や囲碁はル-ルがあるので、駒を動かす順序は限られてくるのであろう。俳句にしても17文字。その内人工知能でも名作が生まれてくるだろう。人工知能は経験値に基づいているので、新しいことには弱いのだろう

英才教育とは、一種タコ部屋とも言えなくはない。朝から晩まで一芸に没頭する姿は、傍から見るとタコ部屋と言えなくも無い。通称タコ部屋と決定的に違うのは、本人が望むか望まないかであろうな。本人の意思を尊重するかどうかであろうな

亜細亜大学があった。一芸に秀でた者を入学させるとか。一芸が多芸に通じるかどうかだな

映画界に浦山桐郎がいた。相生湾は女の子宮のようだと言っていた浦山桐郎がいた。若くして亡くなったためもあったが、寡作だった。「私の棄てた女」では、公募で選んだ。ぶざまな女は浦山桐郎宅に住み込みで外部との接触も許されなかったと

その弟子の小栗康平も廓舟を描いた「泥の河」の子役も監督の家に泊まり込みで親への連絡も禁じられていたと。どちらも監督の思い描く役者に徹底的にするんだな。そこには民主主義など微塵もない。監督とは映画製作の上では絶対なんだな。これも一時のタコ部屋と言える。ただその子役は「泥の河」を完成させたら、思いっきり監督の小栗康平をぶん殴ったとか。殴る方、殴られる方、どちらにも理がある

黒澤明が「赤ひげ」を描いた。二木てるみが出演したが、どう言う風に演じろとは言わないと。ただ駄目とは言うと。何故駄目なのかは言わないと。二木てるみは演じるが指示がないので、迷う。迷って迷ってしょうがないから自分で色々考えるんだな

「七人の侍」にも仲代達矢は通行人役で出たが、何回も何回もやらされたと。ただ歩くだけなのに、何回も何回もだな。どうやれとは言わないと。結局自分で考えるのだな

ハンマ-投げに室伏広治がいる。父親もハンマ-投げの室伏重信。父親は息子に教えるんだな。こうすれば良いとか喉から出掛かるが、言わないと。言えば、自らで考える力が無くなると

スポ-ツでさえも、そうなんだな。ましてや論理や倫理や理論、挙句の果ては感性までも教えると自分で考える力、習性は喪われることはある。教えることは容易いが、ぐっと堪えることも必要である。しかし教えなければ分からないこともある。難しいものである

一種タコ部屋で徹底的に教えることもあろう。英才教育とはそういうものであろうが、教育とは教え育てることの難しさはある

男はつらいよの渥美清が世を去ったので、家族はつらいよが世に出た。東京物語はゆったりとした流れであるが、家族はつらいよは寅さんばりである。橋爪功の息子が覚醒剤で逮捕されたと。もう成人であるので、親には責任がないとは言え、教えとは難しい

親の背中を見て育つということがあるがな。少なくても橋爪功の場合には意に反したんだろうな。いや教えが届かなかったかな

世に言う教育とは文部省の管轄である。今は文部科学省と言うとか。財務省は官僚の中でもエリ-ト、何瀬国家の予算を司っている。従って籠池劇場では内部告発は無かった。統制が取れている

片や文科省は教育行政を司っている。小中学校でのいじめ問題でも、教育委員会はいじめは無かったと。文科省の指導の元に調査されて、いにめはありましたと

加計学園問題では、「官邸の最高レベルが言っている」文書自体の存在が、官邸では無いと。内部告発ではあると。小泉以降自民党よりも自民党の派閥領主よりも官邸、首相の力が大きくなってきた

諮問委員も首相の顔色を見ながらである。委員の人選も官邸次第である。だから議論する前に結果は想像できる。丁度この国の公職選挙のようであるな。結果の前に予想が当る。一見、八百屋の長さんだな

そして官邸の意向で諮問委員も結果を出して、流れを作ってしまうんだな。何瀬、諮問委員などは、報道機関のトップが喜んで名を連ねるからな。だからマスコミが流れを作ってしまう

今じゃ流れに棹差すなどは遠い昔であるな。足で記事を書かなくても、記事が流れ着いてくる。桃太郎じゃないが、記事の方で流れに沿って、机に座っていてポンと押せば印刷してくれる

忖度などと言う聞きなれない言葉でなく、顔色だな。上司の顔色で判断できる。アベ晋三がアベノミクスとか発表したら日銀の方針も黒田東彦になった途端に円をじゃぶじゃぶ刷り出したな

国家は言うに及ばず、地方自治体も首長の権限は強い。圧倒的に強いんだな。会社でも社長と副社長では段違い。それはトップは一人で人事権を持っているからと

まあ、文科省も前からも後ろからは退職した前事務次官から弾が飛んでくるんだな。まあ宮仕えだから、しょうがないが。民に仕えるのではなく、宮に使えるんだな。公務員とは全体の奉仕者であることになっているのが建前であるがの

海の向うでも大統領の好みで決まるようだな。ただ口では言わないが、顔色で部下は分かってくる。丁度、家庭で夫が妻の顔色で判断する仕草と似ている。今に人工知能も顔色で判断するようになったら、人より上に行くかも知れない

ああ、やんなっちゃうな
ウクレレが聞こえてくる

三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい
三味線の音色の方が色気があるな