風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

 保守が壊れていく・・・懐古.懐石

2022-09-16 15:46:49 | 世評
もう9月、中秋の名月も過ぎた。十五夜は先日9月10日だった。旧暦で言えば8月15日、15日の月だから十五夜だと。じゃ十三夜とは旧暦の9月13日の月だと。じゃ十六夜とは旧暦の8月16日の月だと

これらは常識と言うか一種の「きまり」、言ってみれば「しきたり」なんだな。まあ慣習とか決まり事なんだな。岸っ田文雄は安倍晋三が亡くなって、麻生太郎に相談したと。従来からの慣習に従って、自民党・内閣葬にしようかと相談したら、国葬にしろと言われたとか、これは理屈じゃないんだと

世の中、理屈通り、理論通りにいかないことが多い。そこに眼に見えない神の存在があろうが、神でなく運命と言えるかも知れない。五木寛之の言葉を借りれば、諦念とも言える。まあ理屈じゃないと言われたので国葬にしたとか

その国葬の案内状を発送したと。インタ-ネットが普及して様々な情報が出てくる。内閣府は国葬の案内状は、国会議員の現・元職、地方自治体関係者、現職と元職の三権の長、ここまでは公人、残りの後は民間人として各界の識者とか

まるで「桜を見る会」と同じ選考だな。国葬とは公務員による公務員のための葬儀だな。出席は公務扱いであるので、当然出席のための交通費も公金になるだろうな。民間人は付け足しだな

昔、インタ-ネットがまだない頃、伊勢丹に儀式110番という案内があった。今はあるかどうか分からないが、多分無くなっただろうな。世の中には「しきたり」というのがある。これは云わば、理屈じゃないな。小生などは冠婚葬祭で分からないことがあると、伊勢丹の儀式110番に問い合わせていた。儀式110番の担当者は詳しいんだな。やはり専門家はいるな。古典芸能のように「しきたり」で後から合理的な論理が付いてくるな

その国葬儀の案内状で、返信の期日が白紙で変更になっていると、こりゃ急いでやったな。盗賊で言えば急ぎ働きだな。凡人は急いでやると、ろくなことにならない。まあそれは洒落でいこうか。俺もインタ-ネットで知ったのだが、詳しい者はいるな。市井には名もなき識者はいるな。案内状には、謹啓ではじまり、敬具で終わってると

発信者は内閣総理大臣 岸っ田文雄だと。インタ-ネットでの識者は、案内文では、謹啓で始まれば謹白じゃあないかと、拝啓で始まれば敬具だなと。岸っ田文雄が発した案内状では謹啓で始まり敬具で結んであると。儀式とは常識じゃないんだな、「しきたり」なんだな。内閣府にも識者はいなくなったか

因みに、毛唐が考えたワードで謹啓と打つと、結語は謹白になる。拝啓と打つと敬具となる。誰が案内状を考案したか知らないが「しきたり」が分かっていない。今回の国葬も「桜を見る会」の業者と同じだと。国家には「しきたり」がおざなりになってきた。安倍晋三・菅義偉体制が長い間この国を支配してきたが、この体制はいわゆる「お友達体制」だな。それを岸っ田文雄が引き継いでいるようだ

内閣府と言えば国の骨幹になるな。以前、二軍・民社党が内閣を組閣したときに「国家戦略局」を創設した。個人で無く、国家戦略なんだな。その初代の大臣が菅直人。二軍・民社党らしくなく、もっとも社会じゃなく、社民に名称変更してから、個人より国家に舵を切った。ただこの発想も自民党に取られ、安倍晋三・菅義偉体制に乗っ取られた

安倍晋三とは右翼とも保守とも言われていた。しかし、古来からの「しきたり」には無頓着だったな。「桜を見る会前夜祭」ではホテルの領収書は各人に渡したとか途方もないことを喋る。ココアだったか、コロナの接触のスマ-トホンでのソフトは十何億だったか、アホノマスクも何億だったな、ドブに捨てる。長い間国家の中枢にいると、ろくなことを起こさない。

江藤淳は若かりし頃「奴隷の思想を排す」を記して、時代の寵児になった。「若い日本の会」にも参画した。壮年になると、国民は総理を尊敬しなくちゃ国家とは言えないと語っていたが、中々人民にとっては尊敬に値する総理とはいないんだな

機械とは指令通りに動くことになっている。昔はソフトウェアと言ったが、最近ではアプリと言うんだな。アプリアプリと言うんで何のことかと思ったら、ソフトウェアのことだと。言葉は時代によって動くが、アプリは一度設定すると指令通りに動く。コロナ接触アプリのココアは設定が悪かったか、不具合があれば修正すれば良いのに修正せず途中で投げ出した

アプリでも停電になると、充電器が無くなると動かない。機械は万全でないな。先日、保育園児がバスの中に取り残されて死亡したと。あの時もアプリがアプリがと言っていた。どんなアプリでも人が発案する。アプリに頼らず、人は眼があり、耳があり、口もある。ちゃんと顔に付いている。その辺が何故確認できないか分からない。100人や200人で無い。たった6人の児童も確認できなければ保育も出来ない。アプリに続いて管理管理と言っている。児童を管理は出来ないな。管理せず見守るんだな

「しきたり」とは保守とも言われてきた。どうも、この世は保守が壊れてきたように思われる。懐古や懐石には、「懐」という字が使われる。懐かしいとは「喜怒哀楽」には入ってないが人間特有であろうな。AI(人工知能)には無いだろうな。懐かしさには人それぞれ、過去にも人それぞれだな



8月や(2)結. 国葬に寄せて・・・木口小平は・・・

2022-09-04 16:51:43 | 世評
暦の上では処暑も過ぎ秋の気配。重陽の節句は今週。今年は雨にしても、多く降る場所、全く降らない場所の差が大きい。万遍無くという言葉は忘却の彼方

稲盛和夫が亡くなったと。京セラの創業者であり、経営の神さまとも経営の仏さまとも言われていた。それほど信奉者が多かった。会社とは自己の利潤を追求する。商いとは自己の利潤を追求し、かつ相手にも利益をもたらさなければ、継続できない。そこが難しい。往々にして自己の利潤の追求だけになりがちであるが、相手に対しての利益は度合いに苦しむ

稲盛和夫に「六つの精進」があると。その一つに「善行、利他行を積む」があると。善きことをせよ、誠実であれ、謙虚であれ、そして他者の利益を優先せよと。株式会社の経営者にしてはある意味矛盾する行いであろうな

「六つの精進」の一つ目は「誰にも負けない努力をする」と。人一倍努力して、仕事を好きになり一生懸命、誰にも負けない努力をしろと、ある意味仏教の修行とは精神の鍛錬であろうが、その過程への中で精神が入り込む余地がないほど、肉体を酷使する修行にも似ている。

稲盛和夫は2010年(平成22年)当時の民社党鳩山由紀夫首相に請われて日本航空会長に無報酬で就任したと。その際に全従業員の三分の一にあたる1万6千人の首切りを行ったと

佐高信が2020年9月7日の日刊現代デジタルに京セラを狂セラと皮肉って、私は稲盛を商品の優劣で競争するのではなく、政治家や官僚とのコネを使って商売をする政商だと思っていると。また京都府八幡市の円福寺に「京セラ従業員の墓」というのがある。希望者は死後入れるらしいと

稲盛和夫は65歳の定年を境にした翌年、1997年9月に臨済宗妙心寺派円福寺で修行して「大和」の僧名を授かったと。仏教との関りは、幼少時に郷里の鹿児島で「隠れ念仏」に感銘を受け、少年期に結核に侵された時期に生長の家・谷口雅春の「生命の実相」に影響を受けたと

町工場や中小企業では従業員は社長に似てくると。会社にしても宗教教団にしても組織である。その組織を束ねる親方は何にしても従業員や会員から慕われないと継続出来ない。親方には間違いや誤りもあろう、しかし修正して、下の者からこの男には、この人には付いていこうという心構えが無ければ組織は育たない。そのためには親方は何をやっても徳、人徳が無ければ従う関係は無いだろうな

稲盛和夫は率先して人一倍仕事をし、努力して、実践したため従業員はついてきたのだろう。中には落ちこぼれた者もいただろうが、従業員は手足となり稲盛和夫のためなら何でもやろうと、徳がある者について行こうと、1+1=2でなく、その3倍も10倍もの力が発揮できたのであろうな

2012年に発行された鹿児島大学稲盛アカデミ-研究紀要の神田嘉延によると、稲盛和夫は幼少期に父親に連れられて隠れ念仏講の通過儀礼を受けたと。かくれ念仏とは、徳川時代に薩摩藩によって一向宗が弾圧されたとき、信仰の篤い人たちによってひそかに守りつづけられた宗教的習慣であったと。薩摩藩では、浄土真宗は禁制であった。報恩講を各村々につくり、山の洞窟や大木の地下などに洞をつくり、藩権力から隠れて祈っていた。浄土真宗は、人々の暮らしのなかで、地下組織になっていたのである。念仏講は、報恩感謝の精神を大切にしていた。「なんまん、なんまん、ありがとう」と。隠れ念仏は、真宗の禁制のあった熊本の相良藩(人吉地方)から薩摩藩、琉球まで広い地域で信仰されていたものである。相良藩で約320年間、薩摩藩では260年間にわたって、浄土真宗を信仰することに厳しい弾圧があった。厳しい弾圧のなかでも、薩摩藩や相良藩の民衆は、信仰的信念を守って、隠れ念仏として地下にもぐったため、信仰の場は、山中の洞窟であったり、大木の下の穴であったり、商家の倉であったり、様々な方法で念仏講を行っていたのである。それは、寺院による檀家ではなく、地域ごとに日常の社会的な生活組織と結びついて、広いネットワ-クをもちながら念仏報恩講が組織されたのである。と記述している

高橋和巳は「邪宗門」を描いた。親の遺骨を携えて、多分綾部駅であろうな、降り立った。帯封にあらゆる宗教とは教団の端緒は創成期は邪宗だと。遠藤周作は「沈黙」を描いた。宗教とは何故教団を立ち上げるか。あらゆる宗教にはその始まりは邪宗と言われ、世直しを掲げている。従って支配層、権力者からは弾圧を受けるのが常である。宗教とは(神)の前では平等、あまねく格差なく、平等なんだな。銭湯での裸の付き合いのような感覚であろうな。従って支配層からは弾圧を受けてきた。

神がいるのか、この点についてジャンポール・サルトルはいるか、いないか関係ないと。考えないと。考えなければこの世は人だけ考えれば良い。この世に投企されたと。放り出されたと。だから人があの世のことよりこの世を考えよと

神がいるとしたら誰を神にするか宗派に分かれる。政治とは国家とは、個人が形成する。しかし統治者にとればすべて平等で無い。司馬遼太郎が道路は民のために民が通るために道路を作ると。戦争ではその道路で民をなぎ倒して武器である戦車が通ると。本来平等とは、宗教が全てに対して、政治・統治とは全ては無理で一部の幸せしか出来ない。それは相反したものだな

若い頃懇意にしていた近所の歯医者がキリスト協会に数回通ったが、神の前ではすべての人は平等だと。恐ろしい教えなんですねと言っていたことを思い出した。また高橋和巳の憂鬱なる党派だったかな、邪宗門だったか、文中で仲間と焚火をしていて、中に焼き芋が入っていた。もう食べ頃かなと食ったら硬いの、カテイの、ドメスティックと叫んでいた。妙なことを覚えている

今回の旧統一教会は、一時的には教祖の文鮮明は脱税とかで逮捕されたが、この国では国家権力とべったりだな。政権権力者とは持ちつ持たれつ、まさに手をつないできた。不思議な現象である。果たして旧統一教会とは宗教教団であろうか、弾圧の歴史を持たず、下手をすると忍びの草のように、ひそかにひっそりと足音も立てずに中央政界や地方政界に渡り歩き、国家権力に浸透してきた。誰も口を噤んで語ってないが、それは一種の政商とも言えるな。いや俺からは政商に見えるんだな。それほど深く静かに浸透してきた。こんなことを言うと車寅次郎からは、結構毛だらけ猫灰だらけ、それを言っちゃお終いよ。山田風太郎からはコレデオシマイと聞こえてくるな

7月8日に安倍晋三が亡くなった。岸っ田文雄は国葬出来るか根拠を調査させ、7月14日の記者会見で国葬と発表した。7月22日の閣議で、安倍晋三の国葬決定を9月27日に日本武道館で行うと決めたと。早や飯早や糞芸の内と言われるが、芸とは修練が付き纏う。ないしは習慣となる。岸っ田文雄は総理大臣になって、遣唐使をもじって、検討使と言われていた。それほど意思決定には慎重を期していたが、安倍晋三の国葬の決定は素早いんだな。選挙運動中の銃弾で亡くなったことにより、旧来のリベラル気質から民主主義を守るためか、総理になって初めての意思決定と意気込んだか。やせ馬の先走りになっちゃったな。曲者の一端が垣間見える。

総理大臣の権限の強さに驚いたな。国会の議論を通さず、総理の考えで国葬を行える。権限は強いと言える。リーダ-シップを通り越した権限であろうな。2020年の自民党総裁選挙は菅義偉が圧倒邸に有利であった。岸っ田文雄は安倍晋三の影に隠れて後継の指名をずっと期待していたが、その期待はいつも裏切られていた。下馬評では岸っ田文雄は参加するだけの候補者であった。テレビで候補者の家庭を写された時に、かみさんから「主人は可哀想です」と。この光景は全国に流れた。配偶者から慰められるようでは、もう駄目だな

岸っ田文雄は総理大臣の権限で人事を決める。または安倍・菅体制から続いた人事によって組織を固めることから、情実によって自らの体制を維持するのを真似たのであろうか。人事とは適所適材と言われるが疑問符がつく。9月1日に島田和久を内閣官房参与(防衛政策)に任命した。島田和久は第二次安倍内閣で首相秘書官を6年以上務めた後に防衛事務次官になった。安倍晋三の信頼篤く、防衛費の対GDP比2%超えの後ろ盾者であった。それ故安倍晋三は事務次官の続投を望んだが、岸っ田文雄は首を縦に振らなかった。事務次官は交代し、後任者は同期の鈴木敦夫が7月1日に着任した。異例な人事と言われたが、それを9月1日から内閣官房参与(防衛政策)にした。岸っ田文雄の意図が分からない

もう一つの人事。岸っ田文雄は旧統一教会の影を無くすため、国葬へと向けて8月10日に内閣改造をした。当初9月初旬と予定されていたが、旧盆前に断行した。これも岸っ田文雄の決断の一つであったろう。大臣を決め、官房副長官、総理大臣補佐官、副大臣と任命していった。そして総務大臣政務官に杉田水脈を任命した。杉田水脈は「性的少数者は子供を作らない。生産性がない」「女性はいくらでもウソをつけますから」とか問題発言の多いいわくつきの者である。岸っ田文雄は自民党の中では宏池会であり、リベラルと言われてきたが、首をひねってしまう

水脈とは万葉集からとったとも言われるが、
秩父の金子兜太に、水脈の果 炎天の墓碑を 置きて去る の句があった

60年安保以降生まれの者たちが政治家になっていく。選挙民に選出されてきた。小生から見ると若いが、壮年であろうな、自民党の中には「保守団結の会」とか「神道政治連盟」とか戦前への懐古でなく、意外と戦後派に多いんだな。安倍晋三の政界への引っ張りもあったんだろうな。自民党の体質が本質が脈々と継がれているようだな

7月12日に安倍元首相の家族葬が、昭恵夫人が喪主を務め増上寺で営まれたと。その際に、遺族の意向も踏まえて陸上自衛隊の特別儀杖隊が参列したと。防衛大臣は亡くなった安倍晋三の弟の岸信夫だった。私的な葬儀に儀杖隊が参列したことは、戦後初めてのことだったと。防衛大臣だけの権限か、岸っ田文雄が関与したのか不明である。人は論理で動くとは言っても、感情をもっている。公人を長くやると公私の境目が分からなくなるのは習慣により、自然な行動になってくるんだろうな。AI(人工知能)ならいざ知らず、人とは感情・感覚・感性・文化に作用されることが極めて多い。それは人の性であろうな

葬儀とは死者を供養し、弔う。宗派によっては悲愴でなく、笑顔であの世に送り出す方式もある。しかれども、葬儀の前提には誰の死であっても死者の前では頭を垂れ弔意を表わし、敬う。それは国家が主催する国葬でも同じである。安倍晋三の生前の評価には熱烈な信者もいたが、同数あるいは一定の反対者がいた。熱烈な支持者に劣るとも言えない強烈な反対者がいた。国葬には敬うことに反対の意思表示をする国民が現れることは想定されていた。国家でやる葬儀には似合わないんだな。何でも一定の反対者はいるが、国葬には大手を振って反対する集団がいる場合を想定される時には、国葬は相応しくない

安倍晋三にとって幸いなのは選挙中の銃弾に寄る死であった。戦後の首相経験者の中で銃弾やあるいは刺殺された者はいなかった。死者は何時の世でも許される要素がある。過去の汚点でさえ銃殺によって美化されがちである。そういう意味で過去の汚点を帳消しされ、かつ神聖化される点もある。それは事件後、民主主義を守る、民主主義を守ると連呼されたことにもある。また保守の会での最高顧問就任にも表れている

1972年(昭和47年)2月に連合赤軍の残党によって軽井沢町の河合楽器保養所に立て籠もった浅間山荘事件があった。テレビで生中継され高い視聴率で、真冬の寒い時期に占拠した者たちと警察との攻防に、テレビの前に釘付けになった。連合赤軍側は猟銃などの銃器を持っていて。管理人の妻を人質にした。死者3名。何人もの重軽傷者を出した。連合赤軍側は最後のあがきであろうな、やりたい放題の有様であった。対する警察は警視庁長官に後藤田正晴、広報幕僚長に佐々淳行を擁し、まず人質の無事救出を目的とし、犯人に向けて発砲しないことを前提にしたと。そして犯人全員の生け捕り逮捕を目標にしたと。犯人からは情け容赦もなく撃ってくる。こちらは死者も出したが、ただ防御するだけであった。後から分かったが、犯人を殺すと英雄視、神格化されかねないと。あの頃は知恵者、識者はいたな。犯人たちは全員自爆者も出さず、生き残って逮捕されたため、警備当局の潔さ手際の良さが余計に目立った。公務とはつらいものであるな

その昔、公僕という言葉があった。亡くなった赤木俊夫の口癖は「僕の契約相手は国民です」と。公務員とは読んで字のごとく公に努める人員である。公に義務を持った者とも言える。日本国憲法第15条では「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定されている。憲法とは公人を縛っているんだな

内閣府は文化の日(明治節)に文化勲章を授与すると。我が国の文化の発達に関して顕著な功績のあった者に授与すると。文化の定義は難しいが、スポ-ツも含まれるようである。対象者は民間人。公人はいない。公務員は別に瑞宝章を設けている。また国民栄誉賞は1977年(昭和52年)から設けられた。これも民間人を対象にしている。また文化勲章受章者には金銭を支給できないため、1951年(昭和26年)から文部科学大臣が文化功労者を設けた。これも公人でなく民間人を対象にしている

文化勲章とか国民栄誉賞は国家が授与するんだな。授け、与える。従って辞退者もいる。受賞者よりも辞退した者の方が記憶に残っている。曰く文化勲章では河井寛次郎、熊谷守一、杉村春子、国民栄誉賞ではイチロー。国家から与えるよと言われたが、辞退する。色々あろうな

対して国葬とは過去、民間人でなく、公人を対象にしている。公人が国家から供養される。弔意を受ける。しかも国費を使って

太平洋戦争(15年戦争)敗戦前の尋常小学校修身教科書では
キグチコヘイ ハ テキ ノ タマ ニ アタリマシタ ガ
シンデモ ラッパ ヲ クチ カラ ハナシマセンデシタ  と

戦前の世代では木口小平は英雄であった。木口小平は日清戦争で歩兵二等兵であったと。1894年(明治27年)7月の成歓の戦いで突撃ラッパを吹いている最中に清国の弾に当たり死亡したが、死んでも口からラッパを離さず、ラッパは口元にあったと

戦前は義務教育で修身の授業があったと。修身とは端的に言うと道徳だろうな。国家が幼時からこのように生きるべき、考え方、行いを教えていた。徳の道だな、これを教えていた。色々な考えでなく、言わば道徳の押し付けでもあり得た。明治維新前でも藩の学校には道徳の授業はあった。明治になり中央集権となり藩主が天皇に変わった。しかも大日本帝国憲法第1条「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」、第3条「天皇は神聖にして侵すへからず」と。道徳とは一種の宗教とも言えた。本来家庭や社会が教えることを国家が教えていた

公人とは死んでも、死んだ後も国家との関りがある。公務員とは公人とはつらいものがあろうな。7月12日の家族葬では民間人の弔問も多かったと。生前安倍晋三の信奉者であった田崎史郎がテレビであんなに並んでいたら焼香する気にならないと言っていたが、一般の民衆は並んでまでも焼香の列に加わる。信者はいるんだな

いっそのこと、あれほど多くの信者がいるんだったら、国家に頼らなくても、有志で葬儀をやる選択もあろうな。そうすれば戦後初めてのことで、多くの信者に囲まれて本人もあの世へ安心して旅立ちができるだろう。そうすれば反対者は無く、国費云々も言われないだろう

もう国葬と決めたから後には戻れない。国葬の費用は2022年度予算の一般予備費から2億4940万円で、それ以外に警備や外国要人の接遇費用がかかると。巷では数十億円と言われている。

令和4年度一般会計歳出総額は107兆5964億円である。その内一般歳出が67兆3746億円、その中で新型コロナ対策予備費が5兆円である。予備費の割合は一般会計歳出総額の4.6%、一般歳出では7.4%である。従来から指摘されているが、コロナ対策という非常時の費用もあろうが、予備費が5兆円は令和3年度も4年度も同額である。予算とは歳出を国民の前に予め目的をきめて算出することである。予備費とは何に使うか明示していない。国会とは国民の前に何のために何円かかるが、よろしゅうお座いますかと図ることである。予備費がこんなに多いのでは、どんぶり勘定では、国会議員の機能を果たしていないと言える

総務省予算では、一般会計予算4759億円の中で「マイナンバーカ-ド関係経費、国政選挙関係経費等として2079億円である。その内マイナンバーカードの発行、申請、交付体制の整備では、令和4年度末にはほぼ全国民にマイナンバーカ-ドが行き渡ることを目指す方針で、令和3年度予算1001億円、2年度補正予算で1032億円とし、令和4年度予算1027億円、3年度補正予算で268億円を計上した。この中にはポイントの費用も含まれていようが、マイナンバーカ-ドの普及として日夜テレビ宣伝をしている。この宣伝に何人もの「お笑い」を使っている。選挙の啓蒙も「お笑い」、国家とは「お笑い」が好きなのかな。小生から言わせると真面目にやっているかなと聞きたくなる。宣伝とは画像の良し悪しでなく、露出の回数なのだな。談志の弟子がマイナンバーポイントを国家が出すようじゃ、まやかしだなと言っていたが、噺家はいいことも言うんだな

国家の「くにがまえ」の中は、旧字体では「或る」で國だった。今じゃ「くのがまえ」の中は「玉」なんだな。「王」では無い。将棋では「天に二日なく、地に二王なし」との言葉に基づき「王将」は1枚とし、上位者が「王将」を使い、下位者が「玉将」を使うのが慣例となっていると。「国家」の「くにがまえ」の中が何故「玉」になったか知らない

氏名名称、年月日等はWikipediaを参考引用した