もう9月、中秋の名月も過ぎた。十五夜は先日9月10日だった。旧暦で言えば8月15日、15日の月だから十五夜だと。じゃ十三夜とは旧暦の9月13日の月だと。じゃ十六夜とは旧暦の8月16日の月だと
これらは常識と言うか一種の「きまり」、言ってみれば「しきたり」なんだな。まあ慣習とか決まり事なんだな。岸っ田文雄は安倍晋三が亡くなって、麻生太郎に相談したと。従来からの慣習に従って、自民党・内閣葬にしようかと相談したら、国葬にしろと言われたとか、これは理屈じゃないんだと
世の中、理屈通り、理論通りにいかないことが多い。そこに眼に見えない神の存在があろうが、神でなく運命と言えるかも知れない。五木寛之の言葉を借りれば、諦念とも言える。まあ理屈じゃないと言われたので国葬にしたとか
その国葬の案内状を発送したと。インタ-ネットが普及して様々な情報が出てくる。内閣府は国葬の案内状は、国会議員の現・元職、地方自治体関係者、現職と元職の三権の長、ここまでは公人、残りの後は民間人として各界の識者とか
まるで「桜を見る会」と同じ選考だな。国葬とは公務員による公務員のための葬儀だな。出席は公務扱いであるので、当然出席のための交通費も公金になるだろうな。民間人は付け足しだな
昔、インタ-ネットがまだない頃、伊勢丹に儀式110番という案内があった。今はあるかどうか分からないが、多分無くなっただろうな。世の中には「しきたり」というのがある。これは云わば、理屈じゃないな。小生などは冠婚葬祭で分からないことがあると、伊勢丹の儀式110番に問い合わせていた。儀式110番の担当者は詳しいんだな。やはり専門家はいるな。古典芸能のように「しきたり」で後から合理的な論理が付いてくるな
その国葬儀の案内状で、返信の期日が白紙で変更になっていると、こりゃ急いでやったな。盗賊で言えば急ぎ働きだな。凡人は急いでやると、ろくなことにならない。まあそれは洒落でいこうか。俺もインタ-ネットで知ったのだが、詳しい者はいるな。市井には名もなき識者はいるな。案内状には、謹啓ではじまり、敬具で終わってると
発信者は内閣総理大臣 岸っ田文雄だと。インタ-ネットでの識者は、案内文では、謹啓で始まれば謹白じゃあないかと、拝啓で始まれば敬具だなと。岸っ田文雄が発した案内状では謹啓で始まり敬具で結んであると。儀式とは常識じゃないんだな、「しきたり」なんだな。内閣府にも識者はいなくなったか
因みに、毛唐が考えたワードで謹啓と打つと、結語は謹白になる。拝啓と打つと敬具となる。誰が案内状を考案したか知らないが「しきたり」が分かっていない。今回の国葬も「桜を見る会」の業者と同じだと。国家には「しきたり」がおざなりになってきた。安倍晋三・菅義偉体制が長い間この国を支配してきたが、この体制はいわゆる「お友達体制」だな。それを岸っ田文雄が引き継いでいるようだ
内閣府と言えば国の骨幹になるな。以前、二軍・民社党が内閣を組閣したときに「国家戦略局」を創設した。個人で無く、国家戦略なんだな。その初代の大臣が菅直人。二軍・民社党らしくなく、もっとも社会じゃなく、社民に名称変更してから、個人より国家に舵を切った。ただこの発想も自民党に取られ、安倍晋三・菅義偉体制に乗っ取られた
安倍晋三とは右翼とも保守とも言われていた。しかし、古来からの「しきたり」には無頓着だったな。「桜を見る会前夜祭」ではホテルの領収書は各人に渡したとか途方もないことを喋る。ココアだったか、コロナの接触のスマ-トホンでのソフトは十何億だったか、アホノマスクも何億だったな、ドブに捨てる。長い間国家の中枢にいると、ろくなことを起こさない。
江藤淳は若かりし頃「奴隷の思想を排す」を記して、時代の寵児になった。「若い日本の会」にも参画した。壮年になると、国民は総理を尊敬しなくちゃ国家とは言えないと語っていたが、中々人民にとっては尊敬に値する総理とはいないんだな
機械とは指令通りに動くことになっている。昔はソフトウェアと言ったが、最近ではアプリと言うんだな。アプリアプリと言うんで何のことかと思ったら、ソフトウェアのことだと。言葉は時代によって動くが、アプリは一度設定すると指令通りに動く。コロナ接触アプリのココアは設定が悪かったか、不具合があれば修正すれば良いのに修正せず途中で投げ出した
アプリでも停電になると、充電器が無くなると動かない。機械は万全でないな。先日、保育園児がバスの中に取り残されて死亡したと。あの時もアプリがアプリがと言っていた。どんなアプリでも人が発案する。アプリに頼らず、人は眼があり、耳があり、口もある。ちゃんと顔に付いている。その辺が何故確認できないか分からない。100人や200人で無い。たった6人の児童も確認できなければ保育も出来ない。アプリに続いて管理管理と言っている。児童を管理は出来ないな。管理せず見守るんだな
「しきたり」とは保守とも言われてきた。どうも、この世は保守が壊れてきたように思われる。懐古や懐石には、「懐」という字が使われる。懐かしいとは「喜怒哀楽」には入ってないが人間特有であろうな。AI(人工知能)には無いだろうな。懐かしさには人それぞれ、過去にも人それぞれだな
これらは常識と言うか一種の「きまり」、言ってみれば「しきたり」なんだな。まあ慣習とか決まり事なんだな。岸っ田文雄は安倍晋三が亡くなって、麻生太郎に相談したと。従来からの慣習に従って、自民党・内閣葬にしようかと相談したら、国葬にしろと言われたとか、これは理屈じゃないんだと
世の中、理屈通り、理論通りにいかないことが多い。そこに眼に見えない神の存在があろうが、神でなく運命と言えるかも知れない。五木寛之の言葉を借りれば、諦念とも言える。まあ理屈じゃないと言われたので国葬にしたとか
その国葬の案内状を発送したと。インタ-ネットが普及して様々な情報が出てくる。内閣府は国葬の案内状は、国会議員の現・元職、地方自治体関係者、現職と元職の三権の長、ここまでは公人、残りの後は民間人として各界の識者とか
まるで「桜を見る会」と同じ選考だな。国葬とは公務員による公務員のための葬儀だな。出席は公務扱いであるので、当然出席のための交通費も公金になるだろうな。民間人は付け足しだな
昔、インタ-ネットがまだない頃、伊勢丹に儀式110番という案内があった。今はあるかどうか分からないが、多分無くなっただろうな。世の中には「しきたり」というのがある。これは云わば、理屈じゃないな。小生などは冠婚葬祭で分からないことがあると、伊勢丹の儀式110番に問い合わせていた。儀式110番の担当者は詳しいんだな。やはり専門家はいるな。古典芸能のように「しきたり」で後から合理的な論理が付いてくるな
その国葬儀の案内状で、返信の期日が白紙で変更になっていると、こりゃ急いでやったな。盗賊で言えば急ぎ働きだな。凡人は急いでやると、ろくなことにならない。まあそれは洒落でいこうか。俺もインタ-ネットで知ったのだが、詳しい者はいるな。市井には名もなき識者はいるな。案内状には、謹啓ではじまり、敬具で終わってると
発信者は内閣総理大臣 岸っ田文雄だと。インタ-ネットでの識者は、案内文では、謹啓で始まれば謹白じゃあないかと、拝啓で始まれば敬具だなと。岸っ田文雄が発した案内状では謹啓で始まり敬具で結んであると。儀式とは常識じゃないんだな、「しきたり」なんだな。内閣府にも識者はいなくなったか
因みに、毛唐が考えたワードで謹啓と打つと、結語は謹白になる。拝啓と打つと敬具となる。誰が案内状を考案したか知らないが「しきたり」が分かっていない。今回の国葬も「桜を見る会」の業者と同じだと。国家には「しきたり」がおざなりになってきた。安倍晋三・菅義偉体制が長い間この国を支配してきたが、この体制はいわゆる「お友達体制」だな。それを岸っ田文雄が引き継いでいるようだ
内閣府と言えば国の骨幹になるな。以前、二軍・民社党が内閣を組閣したときに「国家戦略局」を創設した。個人で無く、国家戦略なんだな。その初代の大臣が菅直人。二軍・民社党らしくなく、もっとも社会じゃなく、社民に名称変更してから、個人より国家に舵を切った。ただこの発想も自民党に取られ、安倍晋三・菅義偉体制に乗っ取られた
安倍晋三とは右翼とも保守とも言われていた。しかし、古来からの「しきたり」には無頓着だったな。「桜を見る会前夜祭」ではホテルの領収書は各人に渡したとか途方もないことを喋る。ココアだったか、コロナの接触のスマ-トホンでのソフトは十何億だったか、アホノマスクも何億だったな、ドブに捨てる。長い間国家の中枢にいると、ろくなことを起こさない。
江藤淳は若かりし頃「奴隷の思想を排す」を記して、時代の寵児になった。「若い日本の会」にも参画した。壮年になると、国民は総理を尊敬しなくちゃ国家とは言えないと語っていたが、中々人民にとっては尊敬に値する総理とはいないんだな
機械とは指令通りに動くことになっている。昔はソフトウェアと言ったが、最近ではアプリと言うんだな。アプリアプリと言うんで何のことかと思ったら、ソフトウェアのことだと。言葉は時代によって動くが、アプリは一度設定すると指令通りに動く。コロナ接触アプリのココアは設定が悪かったか、不具合があれば修正すれば良いのに修正せず途中で投げ出した
アプリでも停電になると、充電器が無くなると動かない。機械は万全でないな。先日、保育園児がバスの中に取り残されて死亡したと。あの時もアプリがアプリがと言っていた。どんなアプリでも人が発案する。アプリに頼らず、人は眼があり、耳があり、口もある。ちゃんと顔に付いている。その辺が何故確認できないか分からない。100人や200人で無い。たった6人の児童も確認できなければ保育も出来ない。アプリに続いて管理管理と言っている。児童を管理は出来ないな。管理せず見守るんだな
「しきたり」とは保守とも言われてきた。どうも、この世は保守が壊れてきたように思われる。懐古や懐石には、「懐」という字が使われる。懐かしいとは「喜怒哀楽」には入ってないが人間特有であろうな。AI(人工知能)には無いだろうな。懐かしさには人それぞれ、過去にも人それぞれだな