総選挙が終わったと
与党だった自民党と公明党が過半数を超えたと。三分の二の議席数を超えたと。世論調査ではアベシンゾウに対する支持率はあまり良くなかったが、自民党は過半数を超えたと。絶対安定多数に達したと
選挙演説は聞かなかったが、テレビでは聞いていた。総選挙が終わって、小泉進次郎が話していた。コイケさんは数々のゼロを掲げていたが、その中に満員電車のゼロ化を挙げていた。東北に遊説に行くと、電車などはがらがらである。爺さん婆さんは満員電車になってみたとと。
うまいことを言うんだな。若いのに、保守的で利己的な農業界に携わっていたので、地方も分かっているんだな。コイケユリコは東京の地だけだったかも知れない。小泉進次郎の方がコイケユリコよりも役者が一枚も二枚も上だったな
選挙後、コイケユリコが話していた。言葉を扱う仕事をしているが、「排除」という言葉は言いすぎであったと。政治家とは難しい。生身を出してもいけないが、ある程度出さないと聴衆はついてこない。政治家とは堅気の衆には及びもつかないことだな
政治も人間がやる以上、主義主張も大事であるが人情もある。主義主張なら憲法観が違うので、異なった集団でやることは自然であろうな。本音を言うのも、本音を語るときは難しい
今回の総選挙は異例であった。民主党が公認候補を出さなかった。委員長である前原誠司の判断で、コイケ私党に吸収された。両院議員総会では異論が出なかったと。まさに政治家とは何を考えているかだな。自らの保身が第一だなと考えたくなる
民主党の衆議院議員はいなくなるが、参議院議員はまだいるんだな。なんと言う政党なのか、なんと言う党員達なのか。党とはパ-ティ-とは一種、宗教にも似ている。決まったことには従うが、決める前にまず議論があろうな
前原誠司は何故身売りをしたのか分からない。しかし、自らは沈没した船長のように希望の党には行かなかった。これには意地を感じたな。いや前原誠司だけでなく、希望の党に行かず、無所属で立候補した者には、敬意を表する。しかし、当選して党から党へ渡世するようじゃ、元の木阿弥だな
衆議院選挙の小選挙区制度、政党化あるいは、政党補助金は自らが決めたことだな。無所属議員とは国会活動において不利を強いられることであろう。多分だが、無所属議員には政党交付金は交付されないだろうと推測する。しかし、それを踏まえて無所属で立って、議員に当選したのである。無所属を貫いてもらいたい。それに意地をもってもらいたいな
いっそ、無所属グル-プなら良いだろう。無所属党でも目をつぶろう。しかし既成政党に振り返るならば、自らを選んでくれた有権者に失礼と言うもんだろう
比例区では自民党の得票率は高々3割である。野球では3割打者なら一流の部類に属するが、こと選挙では3割ではな。これが小選挙区の魔術なんだな。野球並みの3割でも十分なんだな、充分の議席を占め、権力を維持できる
自由民主党が平成24年4月27日に決定した日本国憲法改正草案がある。これが現在生きているかどうか定かではない。第9条は言うに言われずであるが、全般的に国家が前面に出ている。国家権力が前面に出てきた印象である。
https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf#search=%27%E8%87%AA%E6%B0%91+%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%8D%89%E6%A1%88%27
第12条(国民の責務)、第13条(人としての尊重等)、第21条(表現の自由)では、公益及び公の秩序に反してはならない、反しない限り、害することを目的とした等、「公益及び公の秩序」が矢鱈に多い。
第98条、99条の緊急事態の宣言及び効果は、言うに及ばずであるが、極めつけなのが第102条(憲法尊重養護義務)である。全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。参っちゃうな
今度の総選挙で立憲民主党が成立し、躍進した。大それた名称をつけたものだと思った。下手をすると、自分で自分の首を絞めることになりかねないほどの名だ。立憲とは憲法に立脚することであり、政府が統治が憲法の制限下に置かれることである
聞くところによると、立ち上げは枝野幸男ひとりであったと。エダノ立てとの声に押されて立ったと。参ったな。得てして民の声の方が、声なき声の方がまともな感覚なのだな。枝野幸男もこれからだな。昔、東京都知事に幸せ男がいた。くれぐれも幸せ男に追随せぬように
淺川マキは寺山修司作詞の「ふしあわせという名の猫」を歌った。いいんだな。石川の片田舎の町役場から上京して、寺山修司に見出された。同じくカムメンマキも寺山修司作詞の「時には母のない子のように」を歌った。いいんだな。このことをもっても、寺山修司とは偉大だった
教育の無償化も結構であるが、機会均等の意味で結構毛だらけであるが、一歩間違えば教育の国家の管理下になりかねない。虞があるな。自民党の憲法草案を拝見すると、権力の集中、国家による国家のための民の統制が随所に見受ける。9条以前の憲法論議の初歩だな
立憲とは現行憲法のように、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し養護する義務を負ふ。為政者や権力者は何をしでかすか分からない。そのために憲法で縛るのだな。言ってみれば、民は憲法で守られているんだな。憲法を守るのは為政者であって、国民ではないんだな。それを国民は尊重する義務を負うと
森友、加計学園では総理云々と言われている。ウンヌンなんだな。デンデンではない。この総選挙では例のごとく最高裁判所の裁判官の国民審査も行われた。国民審査は○や無印だと信任と。×だけが不信任だと。結果は○が何人、無印が何人、×の不信任が何人ではないだろうな
最高裁判所の判事はHPによると、長官以外に14名の判事がいて、経歴が掲げられている。
略歴、信条・趣味とかが掲げられている。その中に平成25年学校法人加計学園監事であり平成28年7月19日に最高裁判事になった男がいる。国民審査公報ではこの点が消えている
略歴とは本人が申請するか定かではない。意図的に国民審査公報では削除したか分からない。この世である。森友、加計学園では総理云々と言われているので、削除したことはあり得るな
弁護士とは職業柄、口数が少なく、無表情になる男は多いな。それは相手に自己の主張を悟られないための職業意識であろうな。この男もそうだった。しかし、有力と思われる人の前では饒舌になり愛想も良いんだな。人が変わったような表情をすることがある。立教大学出を滔々と語る。立教大学出の弁護士は珍しい
国民審査公報では立教中学、高校、大学と上っていった。東京には私立大学は数多くある。元来、私学とは、下から系列学校を上がってくるのは本物だろうな。大学から選抜試験で入学してくるのは裏口入学のようなものだろうな
麻布学園がある。中学、高校とある。大学はない。それは教育方針であろうな。中学・高校と学んだら、大学は好きにせよと。そして昔は郊外に農園を持ち、農業実習もやったと。意外と東京の名門と言われる学校は農園を持っているのが多い。それは農業が自らが食べるものを栽培してみると言う、基本的なものだろうな
まあ、加計孝太郎も立教大学卒業であったとか。立教大学が取り持つ縁もあり得るな。袖振り合うも多生の縁とか、浅草に染太郎と言うお好み焼き屋があった。いまもあるんだが、昔高見順がいた頃、品書きに何円と書くところを何縁と書いてあったとか
今回の選挙では身を切る改革とか、柵にとらわれないとか言われていた。身を切る改革とかは、例えば最高裁判事の国民審査について、○か×を信任、不信任の基準にするとか、無印は票数に入れないとかじゃないかなと小生は思うな
選挙制度あるいは政党交付金の廃止とかでも良い。また憲法についても、全て国民は、この憲法を尊重しなければならないなどと、言い出さないことではないかな。只でさえコイズミジュンイチロウ以後、国家権力が強くなってきている。その官邸集中をアベシンゾウは受け継いでいる。今後も益々権力の強大化、集中化は起こるであろう。そのためにも憲法で為政者を縛るしかあるまい
与党だった自民党と公明党が過半数を超えたと。三分の二の議席数を超えたと。世論調査ではアベシンゾウに対する支持率はあまり良くなかったが、自民党は過半数を超えたと。絶対安定多数に達したと
選挙演説は聞かなかったが、テレビでは聞いていた。総選挙が終わって、小泉進次郎が話していた。コイケさんは数々のゼロを掲げていたが、その中に満員電車のゼロ化を挙げていた。東北に遊説に行くと、電車などはがらがらである。爺さん婆さんは満員電車になってみたとと。
うまいことを言うんだな。若いのに、保守的で利己的な農業界に携わっていたので、地方も分かっているんだな。コイケユリコは東京の地だけだったかも知れない。小泉進次郎の方がコイケユリコよりも役者が一枚も二枚も上だったな
選挙後、コイケユリコが話していた。言葉を扱う仕事をしているが、「排除」という言葉は言いすぎであったと。政治家とは難しい。生身を出してもいけないが、ある程度出さないと聴衆はついてこない。政治家とは堅気の衆には及びもつかないことだな
政治も人間がやる以上、主義主張も大事であるが人情もある。主義主張なら憲法観が違うので、異なった集団でやることは自然であろうな。本音を言うのも、本音を語るときは難しい
今回の総選挙は異例であった。民主党が公認候補を出さなかった。委員長である前原誠司の判断で、コイケ私党に吸収された。両院議員総会では異論が出なかったと。まさに政治家とは何を考えているかだな。自らの保身が第一だなと考えたくなる
民主党の衆議院議員はいなくなるが、参議院議員はまだいるんだな。なんと言う政党なのか、なんと言う党員達なのか。党とはパ-ティ-とは一種、宗教にも似ている。決まったことには従うが、決める前にまず議論があろうな
前原誠司は何故身売りをしたのか分からない。しかし、自らは沈没した船長のように希望の党には行かなかった。これには意地を感じたな。いや前原誠司だけでなく、希望の党に行かず、無所属で立候補した者には、敬意を表する。しかし、当選して党から党へ渡世するようじゃ、元の木阿弥だな
衆議院選挙の小選挙区制度、政党化あるいは、政党補助金は自らが決めたことだな。無所属議員とは国会活動において不利を強いられることであろう。多分だが、無所属議員には政党交付金は交付されないだろうと推測する。しかし、それを踏まえて無所属で立って、議員に当選したのである。無所属を貫いてもらいたい。それに意地をもってもらいたいな
いっそ、無所属グル-プなら良いだろう。無所属党でも目をつぶろう。しかし既成政党に振り返るならば、自らを選んでくれた有権者に失礼と言うもんだろう
比例区では自民党の得票率は高々3割である。野球では3割打者なら一流の部類に属するが、こと選挙では3割ではな。これが小選挙区の魔術なんだな。野球並みの3割でも十分なんだな、充分の議席を占め、権力を維持できる
自由民主党が平成24年4月27日に決定した日本国憲法改正草案がある。これが現在生きているかどうか定かではない。第9条は言うに言われずであるが、全般的に国家が前面に出ている。国家権力が前面に出てきた印象である。
https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf#search=%27%E8%87%AA%E6%B0%91+%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%8D%89%E6%A1%88%27
第12条(国民の責務)、第13条(人としての尊重等)、第21条(表現の自由)では、公益及び公の秩序に反してはならない、反しない限り、害することを目的とした等、「公益及び公の秩序」が矢鱈に多い。
第98条、99条の緊急事態の宣言及び効果は、言うに及ばずであるが、極めつけなのが第102条(憲法尊重養護義務)である。全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。参っちゃうな
今度の総選挙で立憲民主党が成立し、躍進した。大それた名称をつけたものだと思った。下手をすると、自分で自分の首を絞めることになりかねないほどの名だ。立憲とは憲法に立脚することであり、政府が統治が憲法の制限下に置かれることである
聞くところによると、立ち上げは枝野幸男ひとりであったと。エダノ立てとの声に押されて立ったと。参ったな。得てして民の声の方が、声なき声の方がまともな感覚なのだな。枝野幸男もこれからだな。昔、東京都知事に幸せ男がいた。くれぐれも幸せ男に追随せぬように
淺川マキは寺山修司作詞の「ふしあわせという名の猫」を歌った。いいんだな。石川の片田舎の町役場から上京して、寺山修司に見出された。同じくカムメンマキも寺山修司作詞の「時には母のない子のように」を歌った。いいんだな。このことをもっても、寺山修司とは偉大だった
教育の無償化も結構であるが、機会均等の意味で結構毛だらけであるが、一歩間違えば教育の国家の管理下になりかねない。虞があるな。自民党の憲法草案を拝見すると、権力の集中、国家による国家のための民の統制が随所に見受ける。9条以前の憲法論議の初歩だな
立憲とは現行憲法のように、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し養護する義務を負ふ。為政者や権力者は何をしでかすか分からない。そのために憲法で縛るのだな。言ってみれば、民は憲法で守られているんだな。憲法を守るのは為政者であって、国民ではないんだな。それを国民は尊重する義務を負うと
森友、加計学園では総理云々と言われている。ウンヌンなんだな。デンデンではない。この総選挙では例のごとく最高裁判所の裁判官の国民審査も行われた。国民審査は○や無印だと信任と。×だけが不信任だと。結果は○が何人、無印が何人、×の不信任が何人ではないだろうな
最高裁判所の判事はHPによると、長官以外に14名の判事がいて、経歴が掲げられている。
略歴、信条・趣味とかが掲げられている。その中に平成25年学校法人加計学園監事であり平成28年7月19日に最高裁判事になった男がいる。国民審査公報ではこの点が消えている
略歴とは本人が申請するか定かではない。意図的に国民審査公報では削除したか分からない。この世である。森友、加計学園では総理云々と言われているので、削除したことはあり得るな
弁護士とは職業柄、口数が少なく、無表情になる男は多いな。それは相手に自己の主張を悟られないための職業意識であろうな。この男もそうだった。しかし、有力と思われる人の前では饒舌になり愛想も良いんだな。人が変わったような表情をすることがある。立教大学出を滔々と語る。立教大学出の弁護士は珍しい
国民審査公報では立教中学、高校、大学と上っていった。東京には私立大学は数多くある。元来、私学とは、下から系列学校を上がってくるのは本物だろうな。大学から選抜試験で入学してくるのは裏口入学のようなものだろうな
麻布学園がある。中学、高校とある。大学はない。それは教育方針であろうな。中学・高校と学んだら、大学は好きにせよと。そして昔は郊外に農園を持ち、農業実習もやったと。意外と東京の名門と言われる学校は農園を持っているのが多い。それは農業が自らが食べるものを栽培してみると言う、基本的なものだろうな
まあ、加計孝太郎も立教大学卒業であったとか。立教大学が取り持つ縁もあり得るな。袖振り合うも多生の縁とか、浅草に染太郎と言うお好み焼き屋があった。いまもあるんだが、昔高見順がいた頃、品書きに何円と書くところを何縁と書いてあったとか
今回の選挙では身を切る改革とか、柵にとらわれないとか言われていた。身を切る改革とかは、例えば最高裁判事の国民審査について、○か×を信任、不信任の基準にするとか、無印は票数に入れないとかじゃないかなと小生は思うな
選挙制度あるいは政党交付金の廃止とかでも良い。また憲法についても、全て国民は、この憲法を尊重しなければならないなどと、言い出さないことではないかな。只でさえコイズミジュンイチロウ以後、国家権力が強くなってきている。その官邸集中をアベシンゾウは受け継いでいる。今後も益々権力の強大化、集中化は起こるであろう。そのためにも憲法で為政者を縛るしかあるまい