風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

総選挙

2017-10-24 19:23:59 | 世評
総選挙が終わったと

与党だった自民党と公明党が過半数を超えたと。三分の二の議席数を超えたと。世論調査ではアベシンゾウに対する支持率はあまり良くなかったが、自民党は過半数を超えたと。絶対安定多数に達したと

選挙演説は聞かなかったが、テレビでは聞いていた。総選挙が終わって、小泉進次郎が話していた。コイケさんは数々のゼロを掲げていたが、その中に満員電車のゼロ化を挙げていた。東北に遊説に行くと、電車などはがらがらである。爺さん婆さんは満員電車になってみたとと。

うまいことを言うんだな。若いのに、保守的で利己的な農業界に携わっていたので、地方も分かっているんだな。コイケユリコは東京の地だけだったかも知れない。小泉進次郎の方がコイケユリコよりも役者が一枚も二枚も上だったな

選挙後、コイケユリコが話していた。言葉を扱う仕事をしているが、「排除」という言葉は言いすぎであったと。政治家とは難しい。生身を出してもいけないが、ある程度出さないと聴衆はついてこない。政治家とは堅気の衆には及びもつかないことだな

政治も人間がやる以上、主義主張も大事であるが人情もある。主義主張なら憲法観が違うので、異なった集団でやることは自然であろうな。本音を言うのも、本音を語るときは難しい

今回の総選挙は異例であった。民主党が公認候補を出さなかった。委員長である前原誠司の判断で、コイケ私党に吸収された。両院議員総会では異論が出なかったと。まさに政治家とは何を考えているかだな。自らの保身が第一だなと考えたくなる

民主党の衆議院議員はいなくなるが、参議院議員はまだいるんだな。なんと言う政党なのか、なんと言う党員達なのか。党とはパ-ティ-とは一種、宗教にも似ている。決まったことには従うが、決める前にまず議論があろうな

前原誠司は何故身売りをしたのか分からない。しかし、自らは沈没した船長のように希望の党には行かなかった。これには意地を感じたな。いや前原誠司だけでなく、希望の党に行かず、無所属で立候補した者には、敬意を表する。しかし、当選して党から党へ渡世するようじゃ、元の木阿弥だな

衆議院選挙の小選挙区制度、政党化あるいは、政党補助金は自らが決めたことだな。無所属議員とは国会活動において不利を強いられることであろう。多分だが、無所属議員には政党交付金は交付されないだろうと推測する。しかし、それを踏まえて無所属で立って、議員に当選したのである。無所属を貫いてもらいたい。それに意地をもってもらいたいな

いっそ、無所属グル-プなら良いだろう。無所属党でも目をつぶろう。しかし既成政党に振り返るならば、自らを選んでくれた有権者に失礼と言うもんだろう

比例区では自民党の得票率は高々3割である。野球では3割打者なら一流の部類に属するが、こと選挙では3割ではな。これが小選挙区の魔術なんだな。野球並みの3割でも十分なんだな、充分の議席を占め、権力を維持できる

自由民主党が平成24年4月27日に決定した日本国憲法改正草案がある。これが現在生きているかどうか定かではない。第9条は言うに言われずであるが、全般的に国家が前面に出ている。国家権力が前面に出てきた印象である。

https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf#search=%27%E8%87%AA%E6%B0%91+%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%8D%89%E6%A1%88%27

第12条(国民の責務)、第13条(人としての尊重等)、第21条(表現の自由)では、公益及び公の秩序に反してはならない、反しない限り、害することを目的とした等、「公益及び公の秩序」が矢鱈に多い。

第98条、99条の緊急事態の宣言及び効果は、言うに及ばずであるが、極めつけなのが第102条(憲法尊重養護義務)である。全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。参っちゃうな

今度の総選挙で立憲民主党が成立し、躍進した。大それた名称をつけたものだと思った。下手をすると、自分で自分の首を絞めることになりかねないほどの名だ。立憲とは憲法に立脚することであり、政府が統治が憲法の制限下に置かれることである

聞くところによると、立ち上げは枝野幸男ひとりであったと。エダノ立てとの声に押されて立ったと。参ったな。得てして民の声の方が、声なき声の方がまともな感覚なのだな。枝野幸男もこれからだな。昔、東京都知事に幸せ男がいた。くれぐれも幸せ男に追随せぬように

淺川マキは寺山修司作詞の「ふしあわせという名の猫」を歌った。いいんだな。石川の片田舎の町役場から上京して、寺山修司に見出された。同じくカムメンマキも寺山修司作詞の「時には母のない子のように」を歌った。いいんだな。このことをもっても、寺山修司とは偉大だった

教育の無償化も結構であるが、機会均等の意味で結構毛だらけであるが、一歩間違えば教育の国家の管理下になりかねない。虞があるな。自民党の憲法草案を拝見すると、権力の集中、国家による国家のための民の統制が随所に見受ける。9条以前の憲法論議の初歩だな

立憲とは現行憲法のように、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し養護する義務を負ふ。為政者や権力者は何をしでかすか分からない。そのために憲法で縛るのだな。言ってみれば、民は憲法で守られているんだな。憲法を守るのは為政者であって、国民ではないんだな。それを国民は尊重する義務を負うと

森友、加計学園では総理云々と言われている。ウンヌンなんだな。デンデンではない。この総選挙では例のごとく最高裁判所の裁判官の国民審査も行われた。国民審査は○や無印だと信任と。×だけが不信任だと。結果は○が何人、無印が何人、×の不信任が何人ではないだろうな

最高裁判所の判事はHPによると、長官以外に14名の判事がいて、経歴が掲げられている。
略歴、信条・趣味とかが掲げられている。その中に平成25年学校法人加計学園監事であり平成28年7月19日に最高裁判事になった男がいる。国民審査公報ではこの点が消えている

略歴とは本人が申請するか定かではない。意図的に国民審査公報では削除したか分からない。この世である。森友、加計学園では総理云々と言われているので、削除したことはあり得るな

弁護士とは職業柄、口数が少なく、無表情になる男は多いな。それは相手に自己の主張を悟られないための職業意識であろうな。この男もそうだった。しかし、有力と思われる人の前では饒舌になり愛想も良いんだな。人が変わったような表情をすることがある。立教大学出を滔々と語る。立教大学出の弁護士は珍しい

国民審査公報では立教中学、高校、大学と上っていった。東京には私立大学は数多くある。元来、私学とは、下から系列学校を上がってくるのは本物だろうな。大学から選抜試験で入学してくるのは裏口入学のようなものだろうな

麻布学園がある。中学、高校とある。大学はない。それは教育方針であろうな。中学・高校と学んだら、大学は好きにせよと。そして昔は郊外に農園を持ち、農業実習もやったと。意外と東京の名門と言われる学校は農園を持っているのが多い。それは農業が自らが食べるものを栽培してみると言う、基本的なものだろうな

まあ、加計孝太郎も立教大学卒業であったとか。立教大学が取り持つ縁もあり得るな。袖振り合うも多生の縁とか、浅草に染太郎と言うお好み焼き屋があった。いまもあるんだが、昔高見順がいた頃、品書きに何円と書くところを何縁と書いてあったとか

今回の選挙では身を切る改革とか、柵にとらわれないとか言われていた。身を切る改革とかは、例えば最高裁判事の国民審査について、○か×を信任、不信任の基準にするとか、無印は票数に入れないとかじゃないかなと小生は思うな

選挙制度あるいは政党交付金の廃止とかでも良い。また憲法についても、全て国民は、この憲法を尊重しなければならないなどと、言い出さないことではないかな。只でさえコイズミジュンイチロウ以後、国家権力が強くなってきている。その官邸集中をアベシンゾウは受け継いでいる。今後も益々権力の強大化、集中化は起こるであろう。そのためにも憲法で為政者を縛るしかあるまい




再び選挙制度

2017-10-20 10:20:27 | 世評
今朝の朝日新聞を眺めていたら、眼を通していたら、選挙をくじ引きでと何処かの学者の説が掲載されていた。小生が冗談交じりに日頃語っていることの一端だな。似たような考えもあるのだなと思いつつ

かっては小生も選挙場に足を運んだ。立会人が数人いて座っていて、門番なんだな。丁度宮廷や軍隊の門番のようだな。かって久米宏だったかな、マイクを片手に門兵に取材しようかとしたと

しかし、久米宏は特異な才だな。永六輔もそだが、マスコミの世界をうまく泳いでいるな

多摩に福生基地がある。いつだったか身内が深夜倒れて、車で駆けつけた時があった。道に迷って米軍基地の前にたどり着いた。黒人が銃を持って小生に近づいてきた。小生はただ両手を上に掲げるだけだったな。銃を前にすると何も出来ない。

この国で厚木だったかな。基地騒音で国家が損害賠償を出しなさいと、しかし航空機の差し止めは出来ないと。まさに軍隊の前では日本国家は無力だな。その無力の判決を司法がしたと

釈迦は三十にして立つと。四十にして惑わずと

司法は、原因は米軍だが、日本国家はその原因を作った米軍の尻拭いをしろと。本州においてもそうなんだな。ましては沖縄はだな

検察審査会があると。どう言う内容になっているか分からないが、くじで選ぶと。任期は6ヶ月だと。過去にくじで選んで差しさわりがなかったかは知らないが、制度としてはあるんだな。先輩が昔に審査員に選ばれたと話していた

どうも民主主義が可笑しくなっているんではないかな、形骸化しているのではないかな。政治、経済、芸能、どの分野でも寡占化が進んでいるような感触だな。お笑いの世界でもそうだな。芸人風情がどのテレビ局でも顔を出している。プロダクションの世界は知らないが、裏方はまとまっている感触がある

建築の世界は縦系列。下請けの制度によっている。政治の世界、司法もそうかな。最高裁判事とは内閣が選ぶと。内閣が選ぶとなると、強くなった官邸だ、諮問委員を振り出しに上り詰めていく

政治改革から小選挙区制度や政党助成金制度が作られた。丁度オタカさんが衆議院の議長だったかな。やってみなれけば分からないと、マスコミも後押しした。しかし制度とは一度動き出すと元には戻れない。パソコンの世界がそうだな。パソコンに足を踏み入れたら戻れない

民主主義とは民の意見を聞くと、一人ひとりは平等だと。いっそのこと議員もくじ引きで選出したらどうかな。例は司法の世界の検察審議会だな。前例はあるんだな。

信じることは救われると言うがな・・・・・・まあ、夢のまた夢か

人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり

選挙制度

2017-10-16 18:33:51 | 世評
今度の日曜日は衆議院議員の選挙とか。第48回とか。因みに第1回は明治23年(1890年)
7月1日に行われたとか。投票率は93.91%。選挙権は直接国税15円以上納税の満25歳以上の男性とか。全人口のおおよそ1%であったとか。被選挙権は士族か平民とか。小選挙区制度が大半であったとか

因みに第16回衆議院議員選挙は第1回普通選挙と言われ、納税額による制限選挙は撤廃され、25歳以上の成年男子による普通選挙が昭和3年(1928年)2月20日に行われた。この時は中選挙区制度であったとか。投票率は80.33%、前回比マイナス10.85%であったとか

因みに昭和21年(1946年)4月10日に行われた第22回総選挙は大日本帝国憲法下での最後の総選挙であったが、20歳以上の男女普通選挙制度を採用しての初の選挙となった。この時は制限連記投票の大選挙区制度であった。競馬で言えば、連番制度であったとか。有権者一人につき、二人又は三人に投票ができる制度であったとか。投票率は72.08%で前回比マイナス11.08%であったとか

新憲法、現在の憲法下での総選挙は、昭和22年(1947年)4月25日に行われた第23回総選挙からであった。衆議院の国会関係資料もこの時から記載されている。この時は中選挙区制の単記投票であった。投票率は67.95%、前回比マイナス4.13%であったとか

どうも、時々によって選挙制度は変わる。そしてそれを決めるのは議員であると。自分で自分の首をきめるんだな。日本国憲法43条には、両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。と。47条には、選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。と

参っちゃうな。法律を作成するのが議員であり、その議員は選挙で選ばれると。田舎では一時期、適当な法律が無いなら、法律を作っちゃえと、そういう時代があったな。

議員とは民の代弁者であるか。現行の衆議院議員選挙制度ではどうであろうか

市町村議員の選挙は大方、定数以上立候補したら、一人を選ぶ。従って町村によっては数百人~数千人で議員に当選できる。熱烈な支持者がいれば、安定した支持者がいれば当選圏内に入れる。だから議員たちは後援会を作り、構成員の依頼を聞いているだけで、議員の継続を出来得る

市町村選挙の多くは、選挙区が大選挙区であり、行政単位が市町村であるのでそれが良かろうな。それか市町村が国家と同じように地区単位の小選挙区制度にするかだな

国家の衆議院議員選挙は、選挙区と比例区に分かれていると。選挙に立候補するには供託金がいる。選挙区では300万円、比例区では600万円であると。そして一定の票を獲得しなければ没収される。因みに町村議員選挙では供託金は不要である。誰でも立候補できる訳ではない。立候補するにはショバ代がいる

博打でも、管理している者は、ショバ代、場所代を徴収した。江戸時代には、朝廷は博徒に場所を提供して、寺銭で凌いだとか

一票の格差が裁判上に訴えられている。国家は憲法違反ではないかと。一人一人は平等ではないかと

選挙区は小選挙区制度で289区である。この区割りも議員が決める。衆議院の過半数は大抵、自民党である。この自分たちの区割りも自分たちで決める

比例区は176人の定数であると。そして比例区は政党だけだと。投票用紙には政党名を書く。無所属は立候補できないと。そして選挙区と比例区の重複立候補が出来ると。いわゆる、自分たちの敗者復活制度だな。救済措置だな

政党とは国家から政党交付金を頂けると。もちろん自分たちで決めた。政治活動には金がかかるから、政党として届出すると、交付金を与えると。因みに総務省HPの政党助成制度では平成22年国勢調査人口により算出すると約320億円であると

そして政党交付金には、細かな使途を定めていないと。議員とは、自分たちのことは、自分たちで決めていることに何の疑念も抱いていない。監査も良い加減であろうな

今回の総選挙は異例だな。民主党が割れた。割れたよりもコイケ私党に飲み込まれた。前っ原が委員長であったので、前っ原が共産党と共闘するのを嫌って、コイケ私党に呑まれちゃった。民主党も解散するわけでもなく、民主党として立候補者ゼロに、全員異議なしで賛成したと

信じられないな。コイケユリコは日本会議の構成員だったとか。思想的には石っ原、アベシンゾウ並の右派だな。民主党の左派を呑み込む訳はない。全部呑み込んだら私党でなくなっちゃうし、新鮮味は欠けてしまう

政治家とは尋常な人間ではないな。昔は腹芸の出来る男が結構いた。腹芸とは男のことだな。女には言わない。女は通常は化粧をしているから、腹芸をすることはない。政治家の演説は小生はほとんど聞かない。

総じて、ナショナル塾あがりは、演説がうまいと言うが。しかしテレビでやる党首討論は見る。先日テレビ朝日でやってるのを見た。コイケユリコは女だが、腹芸の出来る政治家だ。党首のなかでは、役者が一枚も二枚も上だな。道理で東京で驚異的な票を取ったか判ったな

あの口調で演説されたら、選挙民はいちころだな。何であんなに人気があるか、理解できたわ。森友の籠池泰典もそうだったが、あの口調だと投票してしまう民も出てくるな

立憲民主党を遅まきながら立ち上げたと。当然の流れであろうな。二軍だけあって、政治判断が鈍ぶい。コイケユリコと左派リベラルとは主張が正反対だな

各政党は色々政策を挙げている。コイズミジュンイチロウが言っていたが公約などどうでもいいんだな。政党にとっては、既成事実を積み重ねて、現状を維持して、変革するにしても少々だな。何より選挙民にとっては経済だな

アベシンゾウが円を湯水の如く刷って、円安にして、輸出企業は大もうけ、外国からの観光客も増加した。すべて円の価値が下がった結果である

経済さえやれば、選挙民の支持を受ける。消費税にしても徐々に上っていく。法人税率を下げて、消費税に財源を求める、あるいは原発にしても廃止するには年数がかかる。政策の違いはそれほど差がない。

後は、憲法観であろうな。選挙制度はどうも公平とは思われない。そのために為政者を憲法で縛らないと何をしでかすか分からない。憲法だけは、議員だけで勝手に改正できない。最後は民が決めるな