風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

ギャンブラー 信じる者は救われるか

2021-05-31 16:40:36 | 世評
今年の市販のカレンダーは祝日が実際の祝日と変わっていることに気が付いた。オリンピックが1年延長されたことは知っていたが、祝日まで変更になっていたとは知らなかった。今更ながら官邸の力は強いことを感じさせられる

NHK東京オリンピックによると、1年延長に関しての経過が記載されている。

新型コロナウィルスにより、2020年1月22日中国の湖北省武漢で予定されていた東京オリンピックのボクシングのアジア・オセアニア予選が中止された。3月12日、ギリシャでは東京オリンピックの聖火の採火式が、観客を入れずに行われた。3月17日IOCは電話会議の形式で行った臨時理事会で「大会まで、まだまだ4か月あり、今は抜本的な決定をすべき時でない」と予定どおりの開催に向け準備を進めていく考えを確認して、各競技団体のトップとの会議でもこの方針が了承されましたと

この段階ではIOC(国際オリンピック委員会)は断行する決意であった。しかし、このコロナ禍では選手から練習の公平性が保たれないと開催に疑問の声が上がってきた。名もない国家でも選手を出場させているが、開会式を見ると選手よりも役員の人数が多い。しかしオリンピックとはあくまでも主体は選手なんだな。選手あっての大会なんだな

選手だけでなく、世界的なパンデミックになるおそれがある中での開催は無責任だと報道機関も中止を唱え出した。四面楚歌の中、急遽3月24日に開催国の安倍晋三首相とIOCのバッハ会長が電話会談で1年延長に合意した。3月30日にIOCは臨時理事会で大会の延期日程を決定したと。組織の頭の権限は強いな

国民の祝日に関する法律(昭和23年法律大78号)がある。法律とは立法府、国会で決められると。第3条までの短い法律である。昔の祝祭日は旗日と言った。学校ではお祝いと言うことで紅白饅頭を与えられた。短いが第2条の建国記念の日は国会で決められなかった。建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)で決め、昭和41年12月9日に公布されている

内閣府のHPによると、令和3年(2021年)に限り、「海の日」は7月22日に、「スポーツの日」は7月23日に、「山の日」は8月8日(※)になります。平成三十二年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法等の一部を改正する法律(令和2年法律第68号)が本年12月28日に施行されることに伴い、改正後の令和三年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法(平成27年法律第33号)第32条第2項の規定に基づき、令和3年(2021年)における海の日、スポーツの日及び山の日については、上記の通りとなります。と(※)国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)第3条第2項の規定に基づき、8月9日は休日となります。と
2020年11月27日に上記のように決定されたようだ。ついでに「体育の日」は何時の間にか「スポーツの日」に変更されている。何故かな。祝日を見れば国家が分かる。ブルーマンデイがハッピーマンデイに変更したように、どうでも良い付録と言える祝日は月曜日になった。残っているのは国家の成り立ちに欠かせない、日にちを移動できない祝日だけである。戦前からの祝日が名を変え趣旨を変えて生き残っている。降る雪や 明治は遠く なりにけり とカソリックの中村草田男は歌ったが、明治は遠いがまた間近とも言える
IOC(国際オリンピック委員会)が、東京五輪の参加選手らに対して提出を義務付けている同意書に「新型コロナウイルス感染症や猛暑によって死亡するリスクも自己責任」との文言が含まれていることが明らかになった。と。Yahoo!(ヤフー)スポーツが同意書のコピーを入手。それによると、過去の大会の内容から新たに新型コロナに関するすべてのリスクを選手が負うことが付け加えられており、感染して健康被害が出た場合のみならず死亡した場合も主催者は免責されることになると

IOCのバッハ商人は、ドイツの弁護士だと。弁護士らしい文書である。すなわちIOCは主催者だが、やるのは俺たちだが、実際に競技する選手や役員まで責任を持てないと言うことだな。バッハ商人は開催国である日本が緊急事態宣言下では予定の来日を止めたように自己保身は備えている

このコロナ禍の中では、小生はオリンピックとは、商売優先である感が強い。今まではオリンピック精神により、友情・連帯感・フェアプレーの精神・平和な社会の実現を目指しているが、このコロナ禍で商業的祭典の優先を暴露した。従ってバッハ会長をバッハ商人と称している。商売や商人とは相手がいることであり、売りと買いがいることでお互い半々であるんだが、アメリカのワシントンポストは小生の上をいっている。ぼったくり男爵と。開催国を食い物にする悪癖があると。流石アメリカだな。言うべき時には言うな。バッハ商人も立つ瀬が無いな。いや意に介さないかな。馬耳東風かな。何せ男爵だからな

しかも、弁護士だな。自分への責任を避けている。昨今の言葉を借りればセキュリティーは完璧だな。主催者からの同意書も選手たちが提出しなければ参加できないな。責任を逃れるための同意書なんだな。同意しなければ参加は出来ない。参加しなくても参加したい者はいくらでもいるな

ポンテレ、読売テレビがミヤネ屋を放映している。大阪だな。大阪とは大阪維新の会があると。名前から大阪の政治集団なんだろうな。ミヤネ屋で司会者の宮の根誠司と橋の下徹が放映中に、八代英輝はいいが、シマシマはダメだと他局の話をしている。内々の話を放映中にやってるんだな。森喜朗が弁えない女と言ったが、今のマスコミ人はわきまえない。シマシマとは何のことかと思ったが、コックリの玉川徹とか。そう言えば玉川徹は縞模様の背広が好きだな。大阪だな。60年安保の時に投石に使う石を売ったとか。大阪だな

弁えないとは森喜朗が称した女だけでなく、現代じゃないかな。今の時代を反映しているようだ。安倍晋三でさえ、自分の政権基盤や支持率を見ながらやっていた。安保法制にしてもモリカケにしても、これで大丈夫そうだなと思ってやっていた。しかし菅義偉は首相になった途端に文化功労者に滝久雄を選出した。律儀と言えば聞こえが良いが弁えないな

日刊SPA!で佐高信が語っていた。菅禍だと。菅は本質的に公というものが嫌いだと。安倍はヤクザで、菅は半グレだと。ヤクザはヤクザで問題だが、半グレはヤクザよりも凶悪凶暴だから、ヤクザが可愛く見えてしまうと。菅と比べれば、あれほど愚劣で悪辣だった安倍晋三が可愛く見えてしまうと。それほど日本は倒錯した状況になっていると。
言えるんだな

文春オンラインでプチ鹿島が書いてあった。勝負師とギャンブラーは違うと。菅義偉はギャンブラーだと。鋭い指摘だな。ブレないと頑固はどうかと。いかに信念のない政治家が多いことかと。どうも最大のここぞという総裁選には圧勝した。これが賭博で言う勝ちを拾ったな。それも総裁選の始まる前に勝敗は決していたな。だから博打じゃなくて計算した勝ちだった。博打で言えば勝負の前に結果は流れは決していた。博打では八百長と言うが、それほど勝ちは雪崩を打って勝ちが転がり込んできた

菅義偉は昨年9月に総理になってからは、負け続けている。それは支持率にも表れている。当初70%近くの支持率はどうして、何があんなに支持が高かったか分からないが、やはりマスコミ操作もあったんだろうな、コロナ禍の影響もあったが、支持率は転げ落ちた。菅義偉は俺は勝負師だ、俺がコロナなど抑えると思ったが、果てはウィズコロナなど、コロナと経済は一緒にと、仲良く手を繋いでと、いやまず商売が肝心だと

支持率の低下に一番こんなはずじゃなかったと思ってるのは菅義偉自身じゃないかな。ギャンブルとは高橋治も語っていたが一度はやってみるがよいと、あれほど興奮するものはないと。菅義偉はギャンブラーだけあって、その快楽は分かってる。一度の勝ちを忘れられない。beginner’s luckという言葉がある。外来語であるが、日本語では「初心者ゆえの幸運」だと訳すと。適当な言葉が無いな。ビギナーズラックとは。まあまぐれ当たりとも言えるかな

菅義偉は高校を出て、雪深い秋田から上京したと。そして「世の中を動かしているのは政治だ」と。民主主義とは主権者である民衆が様々なことを決めていくと。代議員の選出も我らの思いを一時的に政治家に託すんだな。本来なら政治とは色々議論を尽くして決めていく。しかし、今じゃ政治家が多数の議員集団が決めていく。菅義偉は政治を目指すうちに政治家が、権限を持った政治家が決めていく。行動していくことが分かったんだろうな。政治じゃなくて政治家が世の中を動かしているになっちゃった

27日のTBS系「ひるおび!」では五輪開催の是非について議論した。その中で、26日の朝日新聞が社説で菅政権に対し五輪中止を勧告したことがあげられた。これについてコメンテーターの弁護士・八っ代英輝氏「朝日新聞は社としての方針で中止を求めながら、オフィシャルパートナーは降りない。これは二枚舌に見えるが、このスタンスから、逆にオリンピックやるのは決まったんだな、と受け止めた」と私見を述べた。さらに「国民の中止を求める声を無視できないので、社説において菅総理に中止を求めておいて、開催されたらスポンサーとして経済的恩恵にあずかるという姿勢が見て取れる。これはどちらのスタンスに立ってもいいということなので、これはオリンピックはやるんだな、と思った」と話したと

朝日新聞もなめられたものだな。朝日新聞は足元を見られたな。確かに東京2020オリンピックオフィシャルパートナーには、読売新聞、朝日新聞、ニッケイ、毎日新聞の報道機関は名を連ねている。二枚舌、二足の草鞋はマスコミに共通しているようである。法律家としてはが口癖の八っ代英輝に返ってくるな。両刃の刃であるな。この法律家は分かってるかな。まあテレビ画像だからか、所詮お笑いの世界かな


大阪なおみが全仏オープンで記者会見を拒否して罰金を課せられ、あるいは今後の大会追放の警告を受けたと。プロスポーツとは難しいな、他のプロスポーツではこういう記者会見への拒否はあったかな。オリンピックも同意書の提出を拒否した選手は出場出来ないだろう

菅義偉はギャンブラーと考えれば、大穴狙いのばくち打ちだと理解するとすべてが分かってくる。仮定には答えられないも、そもそも仮定のことは、もしもは考えてないんだな。ただオリンピックの開催、そのためのワクチン接種の一点だけを考えている。オリンピックの開催によって感染拡大などは考えていないな。そういう仮定の話はないな。ばくち打ちを総理に持った国民は不幸であろうが、菅義偉にとっては後援会の支持だけだろうな

もしも、仮に間違ってオリンピックの開催による感染を防いで、無事に閉会したら支持率は飛躍的に伸びるだろうな。一発の大穴を当てれば、もう神だな。阿佐田哲也、アサダ テツヤ、色川武大、還暦で一関で没したが、博打が好きだった。博打好きだが9勝6敗なら良いと。含蓄深いな

高橋和巳に憂鬱なる党派がある。政党とは一種、宗教団体に教団にも似ている。丁か半か、丁か半なり決めたら、後は信ずるのみだな。張る賭博師のみは信じれば良いが、国民はどうかな。危なくて見ていられないが、ギャンブラーを持った総理の宿命だな。1960年代の映画にシンシナティキッドがあった。今は亡きスティーブ・マックイーンが主演だったな。ギャンブルは見ても面白いな

田中邦衛が亡くなった。追悼番組で「北の国から‘87初恋」を放映した。純は中学3年生。倉本聰はNHKを干され、敗南じゃなく、敗北して北の国へ行った。札幌の人々は暖かかったと。北の国からはフジテレビのヒット。フジに拾われた。当時演出をした杉田成道は日本映画に移ったんだな。作中、尾崎豊の曲が流れていた。聴くといいんだな。尾崎豊は若くして亡くなった。1960年代にも死んだ者が多かったな。岸上大作、奥浩平、高野悦子、皆早熟だったな

黒板純が富良野を東京へと立つ日、トラックの運ちゃんが父親からだと封筒を見せられる。中には新札の一万円に父親の手の跡がついている。俺は受けとらないと。旧札でなく新札に父親のなけなしの万札に手あかがついていた。金はおなじだが人それぞれの思いはあるな

田中邦衛は若い頃、若者たちに出演していた。君のゆく道は はてしなく遠い・・・ザ・ブロードサイド・フォーの主題歌。劇中では兄弟が殴り合いの喧嘩をやるんだな。田中邦衛は長男役。殴ると吹っ飛んでしまった。冥福を祈る

賭博や酒を飲むのは性格が出る。おまけに菅義偉はもう年だな。あのシンシナティキッドは最後に老人に負けた。今回のオリンピック開催の大穴狙いはどうかな。負けたら責任はどうするかな

新天地で満州映画協会の理事長だった甘粕正彦は敗戦後「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」という辞世の句を残して逝った。内田吐夢は自決現場に立ち会い「人間が自分の股ぐらの中で死んでいくものは決していい気持ちのものではなかった」と

デジタル---ワクチン接種

2021-05-21 16:34:10 | 世評
新型コロナウィルスのワクチン接種が大幅に遅れている。諸外国に比べても遅れている。感染しているかの判定のPCR検査も広く行き渡っていない。昨年いや一昨年暮れから発生して長い。小生の記憶でもこれほど長期の緊急事態は無い

欧米では都市封鎖などしたが、日本ではそれほどの感染者数は増加しなかった。都市封鎖に至る手前で止まっていた。その理由はマスクで口元を隠すことが、欧米に比べて習慣化されていたこともあろう。また衛生管理も感覚的にあったかも知れない。しかし、医療機関は逼迫してきた。欧米では感染に際し、PCR検査と並行してワクチン接種を早期に達成すべく動いていた

わが国の指導者は、PCR検査も広まらずワクチン接種にはのんびりと構えていた。安倍晋三・菅義偉政権では新型コロナウィルスを単なる風邪ぐらいだと考えていたのだろうな。従ってアベノマクスと報道機関から喝采され、また民主主義国と言うことで私権の制限は抑えていた。然れども、商売優先上Go To トラベルなどを推進していた

ここに来てワクチン接種とオリンピック開催は菅義偉政権の命綱であろうな。医療関係者へのワクチン接種が完了してない中、65歳以上の高齢者のワクチン接種の予約が始まった。当初は自治体に任せていたが、遅々として進まないのに業を煮やして東京都大阪で大規模接種会場を決めて自衛隊に任せた

トランプもそうだったが、大統領や首相の権限は強いし大きなものであるな。いかに民主主義国家と雖も、民の選挙で選ばれた指導者であっても一国のトップなれば、その権限は大きい。人事権も持ってるし、調査の権限も、実行の権限は大きいものがある。ただその権限は、責任を伴うのが民主主義国であろうが、肝心要の責任はおざなりである。ただ権力者は責任よりも快楽の享受の方がおおきいいんだな。たとえ裸の王様と言われようが、王様である限り、王様の快楽は人民の快楽よりもはるかに大きいんだな

田村正和が亡くなったと。4月3日に亡くなっていたことが報道されている。俳優で私生活は表に出さなかったと。父親はバンツマこと坂東妻三郎。数少ない私生活をテレビで放映されている。私生活を表に出さないために余計にベールに包まれている。まさに役者、昔の俳優だったな。私生活を表に出すと役柄が壊れると

松島トモ子がいた。猛獣に2度も襲われた。永六輔の土曜ワイドで語っていた。子役から芸能界に入っただけあって、特殊な芸能界であるだけに世間とか異なる世界観を自覚していたと。子役で鞍馬天狗でアラカンこと嵐寛寿郎主演に杉作で出ていたと。アラカンは撮影が終わると芸妓に会うためお茶屋に直行すると。亡くなった葬儀にアラカンの自宅を訪れたが粗末な家だったと。アラカンは映画で稼いだ金をすべて芸妓につぎ込んだと。映画とお茶屋しか知らなかったと

田村正和の数少ないプライベートを聞いていて、家族と一緒に食事をするのは年に数回だと。いつもは食膳の前で一人で食すると。池波正太郎も夕食は一人で食すると、その後、妻と母が食すると語っていた。昔の古い俳優や文士はそのようであったのかも知れない。昔の古風な昔気質の人が逝ったな。役者しか俳優しか出来なかったのかも知れない

俳優は、昔は映画で活躍した。銀幕のスターと呼ばれた。今は活躍の舞台をテレビに移した。テレビの出始めは、テレビに出るようになっちゃお終いだと言われたが、今じゃテレビの影響力は恐ろしい。テレビとは画面に出る回数なんだな。それとスポンサーが控えているのでスポンサーの影の影響力は強い。テレビとは報道機関でもあり宣伝媒体でもある。田舎の餓鬼でもテレビが全国放送化されているのでお笑い人の顔や名前を知っている。テレビとは映像であるのでスポーツかお笑か食い物である

これをやっていれば間違い無い。それとツイッターのように短い気を引く言葉だな。変態と言われた小泉純一郎のように短い言葉が良い。短い時間で短い言葉が良い。昔の役者は容貌が整っていた。今のテレビじゃ容貌はむしろ悪い方が視聴者に親しみがあるんだな。だから食い物を鱈腹食ってデブが多い

歩きながらの食う姿など昔は考えられなかった。しかしテレビの映像では大口を開けて食うお笑い人が受ける。アナウサーも新人ではテレビ場面の前で大口を開けて食う。食えなかったらアナウサーに成れない。ある法律事務所では面接場所を酒場でやると。飲んだり食ったりすると本音が出る、人柄が現れる。しかし、カメラの前で食う場面は酷であろうな

変態と言えば、テレビ朝日の従業員であるグッドモーニングに玉川徹がレギュラーで出演している。的を得た発言が多いが、長年サラリーマンだけあって素直なんだな。変態とは、ひねくれた人でなく、意外と素直な人間が多いな。それに比べ弁護士なぞはテレビであろうな、賛否を明らかにしない。玉川徹は自らの主張と同調すると首振り人形のようだな。小生は玉川徹を首振りの玉川君と称している

河野太郎規制改革相がワクチン接種の担当を担うことになった。ワクチン接種が地方自治体主導で始まっている。予約の方法はインターネットか電話であり、先着順である。それ故殺到して混乱している。河野太郎がそれを称して「自治体が公平性や平等性に重きを置いていることに気付かなかったのは失敗だった」と述べたと。半ば羨望、半ば皮肉であろうな。権力者から見れば、公平性や平等性に重きを置いていないことを暴露したな。しかも迅速性にも欠けるんだな

公平性や平等性とは何であろうな。難しいな。先着順、抽選、年齢順、地域制等色々な方法があろうが、何せワクチン数が少ないために混乱することは避けられない。しかも高齢者にとってはパソコンやスマートホンは無理である。10年ひと昔と言うが、この数年の技術進歩は恐ろしい

電子計算機(コンピュータ)は古くからあったらしいが、マイクロソフトがwindouws95を発売したのが1995年(平成7年)である。今からほんの20数年前である。その前は文書の作成はワープロでやっていた。windouws95が普及してもインターネットはまだまだ接続が限定的であった。現在のように四六時中の接続は21世紀に入ってからである。平成も後半になってインターネットも普及して、電子計算機がパーソナルコンピュータ(パソコン)と呼ばれ一人一人がパソコンを持つようになってきた

それに伴って電話機も黒い固定電話機から携帯電話、スマートホンと進化してきた。従って高齢者がパソコンやスマホに馴染が無いのは自然である。ましてや機会均等と言われる教育の分野でも電算機の教育を受けていなかった。義務教育では接しなかったので、独学で学ぶしかなかった

インンターネットを平等性や公平性の手段で使用するのは無理と言うものである。それほど社会の進化、動きは速いと言える。今じゃ電気製品でも購入しても取扱説明書は製造元のホームページに格納されている。インターネットに接しない老人は生きていくのが難しい世の中になってきた。またキャッシュレスの流れにより、インターネットでの購入はクレジットカードを使用していないと購入できない状態である

今の義務教育がどうなっているか知らない。若年層はパソコンに詳しい者もいる。小生もパソコンで行き詰った時には専門家の遠隔操作に委ねる。パソコンは多くの電気製品と異なりソフトのバージョンアップがつきものである。バージョンアップしないと、パソコンをうまく使えない

マイクロソフトは19日に、パソコン向けのネット閲覧ソフト「インターネット・エクスプローラ(IE)のサポートを来年6月15日で終了すると発表した。今でもIEを開くと以前はバージョンは10とか11であったが、記載方法も変わった。これからはマイクロソフト・エッジが後継ソフトになると。インターネットの場も日々変わっていく


菅野完がいる。モリカケに反対して国会前でハンガーストライクをした男である。その菅野完が「月刊日本」で【極めて醜悪な「令和の公共事業」の正体】として面白いことを語っていた

昭和から平成にかけて、国会議員から地方議員まで土建業が営んでおり公共事業の利権構造に食い込んでいた。公共事業の予算で商売をする土建屋の社長本人が、公共事業の予算配分に携わる議会の議員をやっているのだから、本業の土建業が儲からないわけはない。逆もまた然りである。しかし、その権力はまたたく間に瓦解し、彼らは没落することになる。バブルの崩壊が原因ではない。彼らのコンチェルンが瓦解し、彼らが没落し去ったのは、小泉内閣の登場によるところが大きい。公共事業がなくなったのだ。おそらくここ30年、これと同じような物語が日本全国のあちこちで展開されたはずである。そして同時にこれは、自民党の権力基盤の変遷の物語でもある。小泉純一郎は、自民党党内政局における宿敵ともいうべき田中派=竹下派を葬り去るために、この流れに棹を差した。「自民党をぶっ潰す」という彼の政治姿勢は、こうした公共事業の分配を背景とした田中派=竹下派的な権力基盤の否定に他ならない。そして小泉はそれに成功し、その成功が現在の自民党における「清和会専横」の最大の原因となっている。土建屋政治家が土建公共事業の予算配分の議論をするのだ。それはすなわち、行政の出す予算案の議論に携わる人々がみな、行政の出す見積資料を読む能力のある人々ばかりだということである。つまり、その工事がどのような内容であり、どの工法でなされ、どれぐらいの期間がかかり、どれほどの金額が必要か、見積書の内容がわかる人々が予算議論に参加していたのだ。行政の誤魔化しやミスが通用する余地などあろうはずがない。

今年度予算の特色は、菅内閣の目玉の一つが「デジタル庁の創立」であることもあり、各省庁とも、いわゆる「行政のIT化」に向けたIT投資をふんだんに盛り込んでいる点にある。ありとあらゆる省庁がそれぞれの分野で「AI連携」「DX推進」などという美辞麗句を散りばめて、システム開発予算を財務省に要求している。その様子は、システム開発予算があたかも「令和の公共事業」となったかのようだ。しかし、令和の公共事業であるシステム開発予算が、昭和の公共事業のインフラ予算とは、大きく違うところがある。昭和の公共事業と違い、令和の公共事業には、政治の側にその要求予算の根拠となった見積資料を読む能力のある政治家がほとんどいないのだ。予算の概算を書く人間も、その予算を審議する人間も、その予算の根拠となった技術的基盤がどれぐらいの値段のものなのか、どのような技術でどれほどの難易度のものなのか、市中価格はいかほどかなどという基礎知識がないまま、予算が要求され、審議されていく。確かに、政界は〝清潔〟にはなったのかもしれない。昭和の公共事業のように、予算の使途を受ける当事者や利害関係者が実際に議席に座って予算を配分するという〝不潔さ〟はなくなったのかもしれない。しかし、令和の公共事業では、〝清潔〟なまま腐敗が進んでいる。そして誰も気づかないまま、動かないシステム、必要でないデーターベースに巨額の予算が注ぎ込まれ続けている。検査ではなく接触者管理という戦略を採用した我が国のコロナ対策にとって最終兵器であったはずの、濃厚接触者感知アプリ「COCOA」が全く機能していないなどという無様な様子を、政治家も官僚も指を咥えて見ているだけである。  今年度も数兆円規模の国家予算がドブに捨てられるかのように、令和の公共事業に消えた。そのツケを払わせられるのは、有権者・納税者であることを忘れてはならない。

以上が菅野完の文章を抜粋した。この指摘は、主張は的を得ている。文脈も論点も疑問点もただ平伏すのみである


新型コロナウイルスワクチン接種の大規模接種センターの予約に関して、「AERA dot.(アエラドット)」と毎日新聞の記者が架空の接種券番号で予約できるか検証したら入力出来たとする報道について、安倍晋三と岸信夫防衛大臣は悪質な妨害愉快犯であり法的措置も辞さないと語ったと

安倍晋三と岸信夫防衛大臣は実の兄弟だと。兄弟でも性格が違うのもいるが、この兄弟は同じようであるのを窺える。安倍家、岸家、佐藤家と政治家一家と言えるも影響しているのかもしれない。同じような気質であろうな。システムの欠陥を気付いていれば事前に公表するのが筋である。政府当局の説明がなされないので報道機関が色々検証しなくちゃならなくなる。民の検証など無用と思ってるんだな

IT用語辞典 e-Wordsによると

IT 【Information Technology】 情報技術とは、情報を取得、加工、保存、伝送するための科学技術。特に、電気、電子、磁気、電磁波などの物理現象や法則を応用したコンピュータなどの機械や器具、および、その内部で動作するコンピュータプログラム(ソフトウェア)を用いて情報を扱う技術のこと。と
ここまでは分かるんだな。ひと昔前は情報収集とか情報処理とか言っていた

デジタル 【digital】 とは、機械で情報を扱う際の表現方法の一つで、情報をすべて整数のような離散的な値の集合として表現し、段階的な物理量に対応付けて記憶・伝送する方式のこと。対義語は「アナログ」(analog)で、情報を連続した物理量で表現する方式を意味する。
特に、現代のコンピュータのようにデータをすべて0と1の組み合わせ(二進数の数値の羅列)に置き換え、これをスイッチのオン・オフや電圧の高低など明確に区別できる二状態の物理量に対応させて保存・伝送する方式のことを意味する場合が多い(三値以上の系を用いる場合もあるが各状態は離散的に区別される)。

2進数【binary number】二進法とは、数を書き表す方法(記数法)の一つで、基数を2(二)とした表記法のこと。通常、アラビア数字の「0」と「1」の二つの数字を用いてすべての数を表現する。2進数の値の連なりとして表現されたデータ形式を「バイナリ」(binary)という。
2進数では桁が一つ左へ移動する毎に値の重みが2倍に、右へ移動するごとに1/2倍になる。すなわち、整数の右端の桁は1(20)の位、その左は2(21)の位、その左は4(22)の位、その左は8(23)の位、といった具合に各桁の重みが決まる。例えば、2進数の「1101」は、我々が普段用いている10進数(十進数)では 1×8 + 1×4 + 0×2 + 1×1 で「13」となる。

デジタルや二進法となると皆目理解できない。日本語とは縦書きであった。筆で文字を書いたので縦書きが都合よく、横書きでも右から書いた。電算機の台頭により、縦書きが横書きになった。英文字など外国語は横書きである。外国語の渡来により、当時は明治の初期は外来語を日本語に当てはめた。思想、哲学、倫理、思惟、産業、革命など言葉を日本語を作っていった。西周など学者冥利に尽きただろうな

しかし、ここ数年役所を筆頭にして外来語はカタカナ書きに、横文字になった。日本語に造語する余裕が無くなった。従ってIT用語辞典のデジタル 【digital】の意味も長ったらしくなり理解に苦しむ

昨今の義務教育を筆頭にして、教育ではデジタルや二進法はどのように教えているのだろうか。大学でも総合政策学部、環境情報学部、果ては情報コミュニケーション学部やキャリアデザイン学部とか国際コミュニケーション学部やネットワーク情報学部やグローバル・メディア・スタディーズ学部やコミュニティ人間科学部やコミュニティ福祉学部や新しい学部が創設されている

二進法もヘーゲルの唱えた正反合合の弁証法とは違うようである。電算機の移入によりゲーム機械が流行した。インベ-ダーゲ-ムなどは二進法とはこうゆうものかと感覚的には理解できても論理は分からない

芥川賞を受賞したら大阪を脱して、東京圏内に転出した開高健に比べ小松左京は終生大阪を離れなかったと。その小松左京に日本沈没がある。小林桂樹扮する地球物理学者・田所雄介博士は科学者に必要な物は何かと問われた時に、「直感」だと。一理あるんだな。しかし、デジタルには論理が理屈が大事だな・・・・。科学に裏打ちされた直感かな。如何せんその入り口だけでも覘いてみたいな


弁えない公務員 内閣官房参与

2021-05-12 10:36:19 | 世評
今年の冬は緩かった。春の訪れも早かった。桜の開花もことのほか早かった。然れども5月の声を聴くと季節の進行は足踏みしている。ここ数年は気候温暖化の影響を受けてゴールデンウィークは蒸し暑さが漂っていたが、今年は久しぶりに爽やかなんだな。5月に生まれ、5月に逝った寺山修司を彷彿させる5月だな

弁える、わきまえるとは物事の違いを見分ける。区別する。弁別する。物事の道理をよく知っていることだと。最近では東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長が臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言し、「#わきまえない女」がワッと広がった

内閣官房参与を務める高橋洋一喜悦大教授が5月9日にツイッターで、諸外国と日本の新型コロナウィルスの感染状況を比較した上で『日本はこの程度の「さざ波」。これで五輪中止とかいうと笑笑』と発信したと。この言について、加藤勝信官房長官は10日の記者会見で「個人としての発言で、政府としてコメントは従来差し控えている」と説明したと。また菅義偉首相は10日の参院予算委員会で「高橋さん個人の主張について私から答弁することは控えるべきだろうと思う。五輪のことについては全く相談していない」と

内閣官房参与とはどういうものかインターネットで検索してみる。内閣官房ホームページや内閣府ホームページには内閣官房参与の名簿は公表されていないし役割も記載されていない。調べてみると各省庁の幹部名簿にも国会議員要覧にも記載されていない。困った時のウィキペディアである。内閣官房参与とは首相の諮問に答え、意見を述べ非常勤の国家公務員で独自の部屋も与えられていると。菅義偉内閣では4人が安倍内閣から再任され、7人が新任されたが、農林水産業振興担当の西川公也が2020年12月8日で辞任して、現在10名だと

2020年10月13日午前の加藤勝信官房長官の記者会見では内閣総理大臣辞令として内閣官房参与6人が任命されている。その6名の中で高橋洋一、経済・財政政策担当、主な経歴は喜悦大学ビジネス創造学部教授となっている。結局名簿名は一覧では発表されていないが、前任者や辞任した者や新任された者を繋ぎ合わせて現在の名簿が分かるようである

ベールに包まれているが、首相のブレーンであるようである。いつしか高橋洋一と同じく任命された外交担当の宮家邦彦がテレビで話していたが、菅義偉と二人で会ってちょっと話をして、首相は時間を気にしていたのでまた誰かと会う予定があるのかなと思ったが、翌日内閣官房参与の任命があったと

要は首相の権限で責任で任命して、表には出なくて、首の差し替えは首相次第であろう。担当が何々とは決まっているが、内閣官房参与には変わりはないであろう。電子計算機がパソコンと言われ、携帯電話がスマホになり発信は自由に出きるようになった。発信が自由に気ままに発信出来るようになったことは、取りも直さず受信も自由であることである

ツイッターとは和訳すると(小鳥の)さえずりだと。言ってみれば呟きなんだな。人とは感情の動物だから喜怒哀楽もある。感情だけでなく、智に働けば角が立つ、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だと。しかし、ツイッターとは単なる呟きなんだな。思いまでいかない、結論まで到達しない、入口だけで出口の見えない発信だな。短い言葉で、こんなかな、あんなかなと疑問だけ発して後は野となれ山となれだな。様子見にもなるし、悪いことには公私の別なく公私と混同させるから責任がない状態である。ツイッターとはアメリカ大統領だったトランプが頻繁に使っていたが、日本の政治家やその周辺も使い出しているようである。トランプの場合は大統領として発信していたが、大統領の独善の考え、思考、方向も見えたが政治家周辺が使い出したら、公的なのか私的なのか分からなくなってくる

いつしか、靖国神社参拝は公的か私的かと問われていたが、石っ原慎太郎は馬鹿なことを聞くんじゃない、と言っていたが政治家が日中参拝するのは公式なのに決まっているんだな。いや、政治家なら私的か公式などは無い。すべて為すことは公的になるだろうな。石っ原慎太郎は一定の支持者も抱えていたので、そういう意味ではまともであった

平成天皇と言われたヒロヒトも、天皇には私的は無いと、すべてが公務であると言っていたな。例えば私的な冠婚葬祭でも公的になっちゃうんだな。そういう意味では当たり前の考えであった。戦国の一国の武将でも厠の中だけが一人であったな。高橋洋一の名で発信することは、内閣官房参与が発信することだな。それには個人的なことなど無い。そんな当たり前の事が分からないとは。菅義偉も年だな。いや30年も公務員を続けてきたことは、選挙で当選してきたので、当たり前の事が分からなくなってくるか

助平はいいんだ。人とは様々である。色んな人がいる。助平なら助平で良い。ただ助平ったらしいのは駄目だ。ましてや公務員ならもうアウト。何、日本学術会議会員の任命拒否について、NHKの番組で説明できることと出来ないことがあると。それを言っちゃお終いよ。山田風太郎はこれでお終いと逝ったが、総理が説明できないことがある?。それでは総理は務まらない。説明できないのは感情、阿吽と言うか論理の世界ではないな。論理では説明出来ないことは往々にしてある。それは私的なことだな。総理とは公なことだな

菅義偉は助平ったらしい。胡散臭いんだな、年を取ると地が出てくるんだな。しかし特別な国家公務員だな。公務員である限りは私的なことは無い。これは極論であるがな。少なくても臣民の前では、主権者である国民の前では私的なことは無い。断じてない。すべて公だな

菅義偉にはこの基本的な事が分からない。隠蔽する。だから助平ったらしい男と映る。総理なら指針を示せ。そして大衆から支持者から反対されたら退くのみだな。昔は侍、士はいたと。今のご時世では少なくなったが公務員なら全体の奉仕者になれと言いたい。そして総理とは望んでなれるものでは無いが、総理に成ったら、横綱と同じだな、崖っぷちだな。思いを思考をめぐらし、動いてそれで駄目なら退くのみ

今の政治屋は総理を退いても議員を続ける。と言うことは総理になってもやり足りないことがあるんだろうな。あのあしたのジョーのように燃え尽きることが無かったんだろうな。公務員だから、真面目に思いっ切りやれよと言いたいな。あの変態と言われた小泉純一郎でさえも、最後に往年の主張であった郵政民営化を遂げて、退いた。二代目に地盤を世襲させたが、原発反対に転じた。政治屋をやめて民間に転じて原発反対だと

ぼったくり男爵と、アメリカ有力紙ワシントン・ポストはIOCのトーマス・バッハ会長を記載したと。ワシントン・ポストはオリンピックのスポンサー(パートナー)には入ってないな。ワールドワイドパートナー14社、ゴールドパートナー15社、オフィシャルパートナー32社、オフィシャルサポーター20社、には入っていないようだ

日本のマスコミ、新聞社、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、ニッケイはオフィシャルパートナーに名を連ねている。マスメディアは柵をもっては書けないな。このコロナの一件でオリンピックとは商売、商業イベントであることをさらけ出してしまった。商売とは売り手と買い手、片方だけでは成立しない。さてどうしたものやら、池江瑠璃子ではないが、どうしたものやら

政治屋で催事、イベントに反対する者はいないな。むかし引退の会見で新聞記者を締め出して、テレビが好きだと言った総理が居た。テレビ局は言われても素直に従っていたがな。テレビも商売だのう。佐藤栄作、Aサク、佐藤B作もいたな

高橋洋一内閣官房参与は経済・財政政策担当である。統計によると諸外国に比べて日本の新型コロナウィルスの感染状況を比較すると、圧倒的に低い。感染率は低いが病床の逼迫のグラフは添付していない。西欧やアメリカに比べて圧倒的に公立病院が少ないんだろうなと思うが、どうなんだろう

経済だけ考えれば、国家から考えれば菅義偉政権は五輪をやりたいだろう。中止などお笑ものであろうな。国会でも国民を守るとは言うが建前なんだな。菅義偉内閣は安倍晋三を引き継いだが、真髄を引き継いだ。安倍晋三の場合は胸を張って国会で虚偽答弁をしたが、菅義偉にはそこまでの開き直りはないな

菅義偉は官房長官時代から方々の民間人と会っていたと。そして話をしていたと。どんな人と会って、何の話をしていたのであろうな。公務で人と会っていたんだな。反自民でない、半分自民、半自民の田原総一朗が菅義偉を評してこんなに話が出来なかった男とは知らなかったと。その一点では同感だな

考えてみれば、高橋洋一内閣官房参与の笑笑は俺から見れば弁えない公務員であるが、政権から見ればおおいに、わきまえた発信であるな。愛知県西尾市のスギ薬局会長のワクチン接種、中日新聞だな。世論は新聞次第とも言えるな。新聞はニュースペーパーだな。週刊誌に負けずに迅速に事実を報道してもらいたいな

今日12日の朝日新聞のかたえくぼ、「1日100万回」、笑笑―国民、と、(苫小牧・オリーブ)素早い反応だな、才能だな、作者も選者もまさに旬を掴んでいる。笑いには色々あるな。昔の教育とは人に笑われないようにだったが、今じゃ人から笑われるのを業とする者もいるな。いや笑いを彷彿するものもいる