風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

八月や(1)序・・・・・

2022-08-23 11:51:53 | 世評
八月や 六日九日 十五日
ハチガツヤ ムイカココノカ ジュウゴニチ

八月は新暦で言えばお盆の時期。盆とは仏教の盂蘭盆会からきたであろうが、先祖の霊を自宅に招き入れると。祖先を敬う、盆踊りもその一環であろうな。八月とは死んでいった者を偲ぶ、生きている者あるいは生き残った者が年に一回ぐらいは祖先を敬う期間であろうな。敗戦と盆が同じ時期であるのは、この国にとっては偶然であろうが感慨深い

八月に原爆が落とされ、原爆とはいつ頃からか核兵器と呼ばれているが、やはり原子爆弾の言葉の方が耳に残る。夏の花を記した原民喜の「原爆小景」、また詩碑が建っている原爆ド-ム、これが核兵器では洒落にもならない。言い換えるならピカドンである。丸木位里・俊も「原爆の図」なんだな

唄で言えば、
ふるさとの街やかれ 身よりの骨うめし焼土に 今は白~い花咲~く・・・
浅田石二作詞、木下航二作曲の「原爆を許すまじ」
歌詞も良い 歌は詩が生きてくるので徳だな

原爆が落とされたのは八月初旬、戦争終結の目的もあったろうが、黄色人種もあったろうな。二進も三進も行かなくて、15日には無条件敗戦。これでオシマイ。国家は負けたがバンザイしたが、人民は国民はやっと国家から解き放された。しかしそのためか五木寛之などは敗戦の日からが本当の戦争が始まったと。民とは悲しいな

盆と正月では無いが、八月の暑い時期に敗戦と盆があるのは良いな。今年の夏は気候が異常である。東北や北陸などは大雨による洪水、以前は九州が多かったが、昨今は至る所に線状降水帯が発生する。今だかって経験したことがないほど雨が降る。片やライン川では渇水だと

仏教では新盆とは故人が亡くなった後、初めて迎えるお盆であると。より正確には四十九日の忌明け後初めてのお盆であると。7月8日に亡くなった安倍晋三、安倍家では、いや岸家かな、新盆がどうなるか知らない

丁度参議院議員選挙中の応援演説中であった。安倍晋三にとって不幸だったのは7月8日、この日は長野選挙区の自民党候補松山三四郎の応援演説の予定だったと。しかし文春砲によって松山三四郎の不倫疑惑、人工妊娠中絶同意書に偽名で署名した事実が掲載されるので急遽奈良県に変更したと

週刊誌と言えば新潮社に斎藤十一がいた。新潮社の天皇とも言われたが、ひとのみち教団(現在のPL教団)の信者であったが、「どのように聖人ぶっていても、一枚めくれば金、女。それが人間。だから、そういう人間を扱った週刊誌を作ろうと。」新聞が書けないものを書いていくのが俗物と言われた週刊誌でもあるな

この件よって対立候補である立憲民主党の杉尾秀哉は楽々当選した。選挙前は拮抗していたが、それ故安倍晋三の応援演説を予定していたが、この件で松山三四郎は落選濃厚となり、杉尾秀哉は命拾いした。安倍晋三も長野に行っていれば、銃撃されることは無かっただろう。運命とは一寸先は闇である

銃撃したのは山上徹也。41歳。選挙演説とは大衆に一般国民に語りかける。票を求めて応援者は語る。説法とは仏の教えを説くことであるが、文章でなく口語であるので何度も何度も同じ言葉を、強弱を交えて演じる。一種、役者や俳優と似ている

山上徹也にとっては願ってもない運命であった。地元の奈良に狙った安倍晋三が来るとは運命とは分からない。演説の数時間前には現地に待機していたと。要人の度合いにもよるが、現場には警備担当者が不審者を点検していたであろう。山上徹也は付近を見回っていたと、多分警備陣には普通の人と映ったのであろう。山上徹也は安倍晋三の演説が始まると、後ろに配置した。後ろには聴衆も少なかったが不審の動きはしなかっただろう。一旦後ろに退いて、帰ると見せかけて安倍晋三に接近して撃った。当人には当たらない。この位置では当人以外にも被害が及ぶと考え、また命中度を高めるため、素早く一歩二歩と前に出て安倍晋三一人を狙って、当たった

黒澤明の七人の侍で仲代達矢は通行人で出演した。黒澤明から歩き方がなってないと、何時間も歩かされ、そのことが仲代達矢には強烈な印象になったと。7月8日の山上徹也にとっては千載一遇の機会で胸に秘めた思いはあったろうが表面には出なかったのであろう。目立たず普通な歩き方をして、すぐさま行動に移したのであろう

長身であった河島英五が、歌っていた
一日二杯の酒を飲み/さかなは特にこだわらず
妻には涙をみせないで/子供に愚痴をきかせずに・・・
目立たぬように はしゃがずように/似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける/時代おくれの男になりたい・・・・・
作詞は阿久悠。おのこ だな
山田洋次が「男はつらいよ」を制作した。車寅次郎は渥美清の当たり役。国民的ヒット作であった。松次郎竹次郎こと松竹のドル箱であった。何故「男はつらいよ」の題名にしたか定かでないが、車寅次郎は身内にとってはヤクザ者であり、鼻つまみ者であったろうが、男の辛さ、粋を描いている

事件後、山上徹也の供述がポツリポツリと警察から漏れてきた。凶器は手製の銃であったと。火炎瓶や爆弾では人を殺せないと、抹殺出来ないと。自分で研究して銃を作ったと。春には完成して試し撃ちもやったと

山上徹也は事件の重大さに比べて、素直なんだな。昔の変人とか変態は一癖も二癖もあったが、今の変わり者は意外と素直さをもっている。供述も黙秘など使わず素直に心情を話す。2002年から2005年まで海上自衛隊に在籍していたと。任期制自衛官だったと。そして自殺未遂を起こした。叔父がその動機を自衛隊に聞くと、自分が死んでその保険金で生活に苦しむ兄弟を助けたいと

昔の人間は一癖も二癖もあった。土台選挙の出口調査も今の人は自分の意見を素直にしゃべるんだな。だから開票した途端に当確者が決まる。アンケ-トもほぼ蓋然性が保たれると。嘘をつくのは国家の統計局ぐらいであるかな。統計の数字が虚構では先に進まない。曲者や山本周五郎のような曲軒はいなくなったな

帝政ロシアの頃、暗殺事件は数多くあった。暗殺する者は一人一殺を心掛け、標的にした者のみを狙い、周囲にいた民衆には当たらないようにしたと。山上徹也も心して大衆には影響を与えないようにしたが、民衆を傷つけなかったのは、せめてもの慰めであったろう。手製の銃は一度に六発の弾丸が出る構造になっていたと。一度目は六発出てどこに飛んだか分からない。二発目の内二つの弾丸が安倍晋三に当たったと。二発の弾丸は、一つは体内にあったが、もう一つは見つからないとか。六発の内四発はどこに飛んだか分からない

いずれ裁判で明らかになるであろうが、山上徹也は7月25日鑑定留置のため奈良県警察奈良西署から奈良地方検察庁に移送された。鑑定留置は11月29日まで約4か月間だと。奈良西署から移送される写真ではベストを着ていたかな。防弾チョッキであろうかな。口封じは十分考えられるので、くれぐれも裁判結審まで刺殺されぬよう警察当局に願いたい。岸っ田内閣は安倍晋三の国葬決定を7月22日の閣議で9月27日に日本武道館で行うと決めた。その国葬決定後の雑音を避ける意味もあって、7月25日から4ヶ月ほどの鑑定留置を決定したか。少なくても国葬までは山上徹也からはマスコミ等の外部には発信出来ないこともあるな

暗殺の武器では刃物が多い。黒澤明監督の「七人の侍」を参考にしてメキシコを舞台に「荒野の七人」を作った。その七人の中でブリット(ジェ-ムズ・コバ-ン)がナイフ投げの達人であった。演技上の役者であったが、普通の人では銃のように遠くから刃物では人を殺せない。刃物では相手にぶつかっていかないと達成できない。1960年10月12日日比谷公会堂にて浅沼稲次郎は山口二矢に刃物で刺殺された

オウム真理教の時には1995年(平成7年)4月23日衆人環視のもと教団南青山総本部前で正大師の村井秀夫が刃物で刺殺された。犯人はすぐ逮捕されたが、動機やなぜ殺せたかは不明である。裁判もやったが良く分からない。犯人の供述も変わることもあろうが背後関係が不明のままであった

警視庁公安部では良く分からない事が多い。1994年6月27日オウム真理教は松本サリン事件を起こした。死者7名、負傷者は約600名であった。当初はなぜ事件が起きたか、化学物質であるかどうかも警察は分からず第一通報者であった河野義行を事件の容疑者にした。それを受けマスコミも例の通り追随した。翌1995年3月20日地下鉄サリン事件が発生した後ようやくオウム真理教の犯行であったことが分かった。公安の調査不足であり、警察の杜撰な捜査であった。河野義行は被害者の妻の看病に追われたが、妻は2008年8月5日に死亡した

いつしか小生は長野のホテルでテレビを見ていたら河野義行は婿でその後鹿児島県警の手伝いで講演などして公安委員会委員かな鹿児島で過ごしているとか。警察に容疑者とされ、マスコミに翻弄されたが警察のお手伝いをしているとは。小生には真似は出来ないな。度量が広いと言うか人格者であろうな。人には色々あるな。原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と書かれている。これも度量が大きいと言える

金大中事件もあった。1973年8月8日金大中は九段下のホテルグランドパレスにいたが襲われ、5日後ソウルで解放された。日本で白昼堂々と拉致が行われ、警察や公安は知ってか知らずか物事が進展していった。その後金大中は韓国の大統領になってもこの件は不問にした。北朝鮮による拉致も良く分からない。警察が分かってか分からないのか犯人があがらないのだな。世の中には分からない、理解できないことが多いな

刺殺手段が刃物では難しいとみると、飛び道具の銃になる。鉄砲だと遠くから撃てるが当たる確率は修練になる。日本では銃器の所持は事前に公安委員会に許可されないと難しい。山上徹也は「こてつ」と称されたぐらいであるので、小柄で警備陣を突破する腕力は無かったであろう。あれやこれやで火炎瓶や爆弾では殺傷までいかないので、手製の銃の製作に至ったであろう。

銃だと1995年3月30日國松孝次警察庁長官狙撃事件があった。この犯人のように逃げることは考えない。これも迷宮入り。分からんことが多い

山上徹也は思いが確実に遂げれば良いと考えるにあたって、直近から当たる銃を考案したのであろう。銃の製作には作って試して試行錯誤の繰り返しであったろう。まさに執念であり、実行には目的に向かっての冷静さを備えていた

山上徹也の標的は旧統一教会であった。当初警察はある宗教団体と称していた。現代ビジネスがいち早く統一教会と称していたが、安倍晋三と統一教会の関係が深いと。そのため安倍晋三を狙ったと。山上徹也は長い間統一教会に関わってきたので、創始者の文鮮明が亡くなって分裂騒ぎも知っているし統一教会に関することは把握している

警察当局はオウム真理教の摘発の後は統一教会と定めていたが、民事事件はあったが、刑事事件化は無かったと。マスコミでは統一教会の話題はタブ-であったと。マスコミ界とは大きな所を除き、個人で関わっている者が多い。統一教会の話題をすることは失職になり、下手をすると業界からの追放にもなりかねないと。そのため2009年信者2名が懲役刑となったことからそれ以降統一教会は政治家との関係を強くし、警察の摘発かから逃れた

宗教集団とは武者小路実篤に思いを馳せる。1918年(大正7年)に宮崎県の戦国時代の山城「石城」跡に「新しき村」を開村した。1938年(昭和13年)のダム建設により水没すると埼玉県毛呂山町に移住した。名称は一般財団法人であるが、宗教集団の原型だろうな。HPによると令和4年5月27日に埼玉県に対して公益法人とするため公益認定の申請をしたと

ヤマギシ会も農事組合法人であるが、一種の宗教集団であろう。原始共産制と言おうか出家と言おうか共同生活であろう。またジャンポール・サルトルが評価したのがイスラエルのキブツであった。キリスト教でも修道院がある。教団に入る時には全財産を寄進して共同生活をする。

宗教とは人の救済であり、楽園を求むのであろう。そのためには金も必要である。信者にとれば教団に身も心も進んで捧げる。そして現世を過ごすことは考えられる。いわゆる出家でなくとも収入の何割かは寄進することはどの教団でも同じであろう。しかし、旧統一教会はやりすぎであったな。マスコミは頭の死によって重しが取れたように次から次へと旧統一教会と政治家の関係を暴いていく。それほど自民党といや政治家と旧統一教会の関係は深い闇のなかである

東京は府中に大國魂神社がある。ここで毎年5月のゴールデンウィ-ク期間中に深夜の暗闇に祭が行われていた。あれは最初から暗闇でやるから良い。今回の自民党安倍派と旧統一教会との関係は真っ昼間に闇から闇に葬るから困っちゃうんだな。政治と宗教との関わりで言えば、宗教法人自らが政界に出る場合と、既存の政治家に依存するかどちらかである。宗教法人が自ら政界に進出する場合は、創価学会と公明党、幸福の科学と幸福実現党、古くはオウム真理教などは自らが政界に進出した。しかし創価学会を除いては芳しくない。唯一創価学会だけはあらゆる方面に進出している

オウム真理教は富士山が美しく見える上九一色村に教団を移した。出家したので住民登録もしただろう。当時の上九一色村の人口は1,500人前後であったろう。オウム真理教の出家者が何人か知らないが、国政よりも地方から攻めていったら、村議会も村長も合法的に奪取出来たであろう

自らは進出せず自らの影響力を政界に浸透させたのは多くの宗教教団がやる手であるが、最も効率的なのは旧統一教会である。旧統一教会の場合は宗教団体で1968年に日本で国際勝共連合を創設した。宗教法人としてではなく、その関連団体を通して政治家に浸透していった。反共産主義として岸信介あるいは右翼の笹川良一を通して政界に進出していった。東西の冷戦が終わると平和や家庭をキーワ-ドに浸透していった。そしてその資金源は、自らの商売と日本の信者からの寄進、献金である。日本の信者を標的にして活動資金を捻出した。そのため先祖の因縁を取り除くため壷の販売や、あるいは姓名判断や家系図鑑定に関するいわゆる霊感商法を広めた。その財力は充分政治家に影響力を与えている

旧統一教会の主張は、日本会議 神道政治連盟と似ているんだな。反共産主義、皇室と伝統文化の尊重、国土を守る憲法の制定、靖國神社に祀られる英霊に対する国家儀礼の確立、家庭の絆を大切にできる社会の確立、道徳心のある教育の確立、男は男らしく・女は女らしく同性婚や夫婦別姓は家庭を乱すなど、自民党の旧来の主張とも相容れる。然れども韓国だけでなく世界各国の右派は基本的には国家主義者だな。旧統一教会も反日だが反共産主義を基本に財力で自民党と共有しているのだろう

森友学園問題が起こった時、運営している塚本幼稚園で毎朝愛国心の一環として教育勅語を暗唱させていた。幼い子らが、朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト云々と全員が朗読する。合唱する。その様を見て、鴻池祥肇は涙をながさんばかりに感動した。ましてや安倍晋三や安倍昭恵も稲田朋美も小躍りして称賛し、讃美し、支持した。一時忘却の彼方にあった現象を呼び戻し心から感動したであろうな。彼らにとっては、自民党右派にとっては、「古き良き時代」なんだな

旧統一教会は参加料として、ショバ代として合同結婚式をやる。岸信介や安倍晋三は山口県田布施町の出身である。田布施町とは踊る宗教と言われた天照皇大神宮教の本部がある。創始者は北村サヨ。原始宗教には霊感をもった婆さんが初代教祖になった場合が多いが、北村サヨも霊感をもっていたと。この天照皇大神宮教では面識がない男女の結婚(結魂)をすることがあったと。宗教とは神道は何らか似てくる。オウム真理教でも早川紀代秀や林郁夫などの幹部は阿含宗の信者であったし、旧統一教会や国際勝共連合の日本の初代会長の久保木修己は立正佼成会に入っており庭野日敬会長の秘書を務めていたと。また山上徹也の母も旧統一教会の前はデイリ-新潮によると朝起き会(実践倫理宏正会(一般社団法人))に嵌まっていたと

ちなみにFRIDAYデジタル8月17日の報道によると安倍晋三は崇教真光(手かざし宗教)の平成21年12月の冊子で信者と述べていると。安倍派とは清和政策研究会と言うが地元の天照皇大神宮教の二代目教主は北村サヨの孫娘の清和だと

政治家が宗教教団に接近するのは理念や思想の一致もあろうが、票も大きい。石っ原慎太郎も最初の選挙だったかな、ある宗教教団からの支援をお願いしたと記憶しているが、霊友会だったかな、定かではない

しかし安倍亡き後の報道、テレビを筆頭にして自民党と旧統一教会の関係が次から次へと出てくる。マスコミとはスポンサ-がいるが、それ故安倍晋三が健全であった時には日の目を出なかったが、亡くなると一気にあふれたな。いつもは大阪を対象にしていたが、四チャンネル、ポンテレ(日本テレビ、読売テレビ)のミヤネ屋が意外とやるんだな。視聴率を取れると見るや、ここぞとばかりに旧統一教会と自民党の関係を暴いていく。やはり商人の町大阪を彷彿させる。多分視聴率を取れるんだろう。報道機関は情報を持っているが、出すか出さないかはトップが決めるし、スポンサ-の意向もある

しかし旧統一教会の政界への浸透は恐ろしくもある。政治家とは票を求めるがお構いなく議員当選に向けていく。政治家とは議員に成ったら次の選挙に勝つことが第一の仕事であると。猿も木から落ちる、落ちたらただの人だな

国士とか国粋主義者がいた。太平洋戦争前、戦前だな。右翼とは国士、国粋主義者、国家主義者ナショナリストだったな。戦後になると国士も国際主義者インタ-ナショナルになってきた。左翼も同じで日本主体でなく、世界的に考えてきた。それには商売、資金調達がナショナリストでは難しくなってきたことに理由があるんだろうな。皇国とかは従来通りであるが、安倍晋三などは日本独自でなく、世界の中の日本を考えていた。倫理では教育勅語や勅語を頭に描いているが商売は別だな。これは右派だった小泉純一郎が新自由主事を唱えだしてから以降の傾向だな

議員とは選挙で選ばれる。立法府とは法律を作ると。この法律の中には選挙に関することも含まれている。選挙制度や選挙区も議員たちが決める。賭博の世界では胴元がいて、実際に賭博の参加者とは建前は区別されている。時代劇ではよく博打の場面が出てくる。「話の特集」を創刊した矢崎泰久によると、丁半博打ではツボ降りが丁方と半方双方を集めるのが難しいと。丁方だけでは、あるいは半方だけでは博打にならないと。両方集まって博打になる。議員の選挙では、自分達が選挙方法を決めている。こりゃあ八百長じゃないかな。田舎の議会では違法なことが起こると、昔は行為に合うように法律を作っちゃえと

一票の格差は憲法違反であると訴訟したが、結局決めるのは議員だな。国会議員(衆議院)は小選挙区制度になって一選挙区で一人の選出になった。検察審査会がある。無作為に選出された有権者による組織である。どのように選出するか知らないが機能しているんだな。議員も籤引で選出したらどうかな。それではあんまりだと言うならば、いっそのこと選挙区など無くすのが良い。それに同じ選挙区で立候補出来ないようにはならないかな。そうすれば地元と議員の癒着は無くなる。政治家とは政治屋であり利権屋であろうな。その昔は周旋屋や口入れ屋と言っていたかな。議員などは長くやれば利権を得てくる。土台10年や20年や30年もやっていれば、人事権を持っていればやりたい放題になりかねない。今の時代は利権があれば座っていても蓄財できる。昔の自民党の総裁選挙などは札束が飛び回っていたと。藤山愛一郎なぞはなんぼ銭があっても足りなかったと。今じゃ銭が銭を生んでくる

自民党に金丸信こと銭丸がいた。銭丸と文鮮明と金正恩は繋がっているんじゃないかな。1990年9月に北朝鮮に社会党議員と一緒に訪問し、金丸信は金日成と差しで対談した。1992年3月アメリカで脱税容疑により文鮮明は日本に入国できなかったが、入国させ3月30日に金丸信は文鮮明と会見した。金丸信が法務省に圧力をかけたのではないかとの疑惑がある。また金の延べ棒の件、オウム真理教の強制捜査で金の延べ棒約10キロが発見されたが、刻印が無く北朝鮮製であったと、アエラ2012年6月19日、週刊朝日2012年6月29日号が報じている。良く分からない

旧統一教会も日本人から金を巻き上げ、それに加え商売も上手いのだろう、いやこれほど政界に食い込んでいると利権も持つのだろう、利権とは金が金を呼んでくる。日本だけでなく世界に進出しているようだ。所詮政治屋とは国民、国家よりは自分の懐であろうな

旧統一教会はさまざまな連携団体を持っていると。選挙の手伝いでも旧統一教会との関係は分からないと。最初は分からないだろう。一人や二人でのボランティアでは受け入れることはあるだろう。しかし旧統一教会は組織でくるだろう。一人二人のボランティアの域ではない筈だ。宗教も組織であり上意下達であろう、階級社会だろうな

議員には政治活動費や政務活動費が与えられると。この中から旧統一教会の関連団体に会費を支払っている。それは政治活動の一環としての支払いだな。極端な場合、スパイ目的以外には共産党に対して旧統一教会は接触を試みないだろうな。議員とは代議員制度になっている。国民が選んで、その代表が議員と言うことになっている

せめて公務員とは嘘を言わずに正直になれ。安倍晋三などは国会の場で桜を見る会前夜祭などは嘘を貫き通した。嘘から誠とは虚構の世界だな。藝術、文化とは虚構の世界を描く。虚構を通して真を探っていく。しかし公務員とは事実を話さねばならない。岸っ田文雄は7月22日の閣議で、安倍晋三の国葬決定を9月27日に日本武道館で行うと決めたと。検討使と言われた岸っ田文雄にしては早いんだな。意外と曲者だな。民主主義を守るためとか、丁寧な説明をとか口では言うが、やることは曲者だな。噓になるかなと思ったらせめて口を噤ぐむ方がまだましだな

冠婚葬祭と言う言葉がある。人の一生を描いていると。日本旧来の伝統的な一生である。伝統であるから外れることもある。制度の婚姻でなく、事実婚もあろう、同性婚もあろう、さまざまであるが、旧来の言葉だな。人が亡くなると残された者が葬式を行う。葬式にも色々あろうが、あくまでも遺族とか残された者が行うんだな。こぢんまりと家族葬もあろう、密葬もあろう、直葬もあろうが残された者がやるんだな。そして順番でいくと、葬式の後に祭りごと、祭事がくる。国葬とは残された岸っ田文雄が決定した。少々早とちりだが、自己の権威を高めるために決めたのであろうな。昔、言語明瞭、意味不明と言われた竹下登総理がいたが、岸っ田文雄も国葬の決定とか今回の組閣を見ていると、この口であり、意外と曲者だな

矢崎泰久を先ほど書いた。矢崎泰久は話の特集を創刊したが、右翼に殴り込みをかけられた折に編集長を出せと。しょうがないと面前に出たが、とっさに、じんむ、すいぜい、あんねいと口にし、しかも漢字を記載したと。やはり戦前の教育を受けた者は違う、右翼は舌を巻いて逃げたと。また木乃伊取りが木乃伊になる虞があったが、田中角栄に取材したとき、秘書の早坂茂三から車代として封筒を渡された、中身を見てよいかと聞いて見たら百万円入っていたと。車代としては多いと返したら、早坂茂三は返されたのはあなたが初めてだと

その矢崎泰久が2022年5月4日現代ビジネスに話の特集の件を記述してあった。石っ原慎太郎の逝去から3ヶ月が経った、1958年に小田実をリーダ-にして「若い日本の会」を結成した。安保反対のための若者たちの会だった。石っ原慎太郎も名を連ねていた。大江健三郎、永六輔、寺山修司、黛敏郎、谷川俊太郎、浅利慶太など新進気鋭の若者が参加していた。そして国会前のデモで石っ原慎太郎と会ったと。デモに参加したのは最初にして最後だったろうと。その後1965年に和田誠と「話の特集」を創刊した。資本金は矢崎と和田で100万ずつ。あとは一人10万円で80人募った。なかなか集まらなかったが石っ原慎太郎と黛敏郎がポンと出してくれた。1971年石っ原慎太郎は自民党から立って参議院議員となった。矢崎泰久は旗印の反権力、反権威、反体制に傷がつくので株主から降りてもらおうと話したが、石っ原慎太郎は断ったと。黛敏郎と一緒に話の特集を見張ろうと。5年後に増資することになり、矢崎泰久は会社から倍額出して降りてもらおうと提案したが友人だからと怒られたと。そして増資に応じたと。以後年に少なくても2回は石原・黛の二人を執筆者として待遇してくれ、また数ヶ月に一度は三人での会食の場を設けることと、ある意味三人の秘密であったと。矢崎泰久の困った顔が眼に浮かぶようでもある。若いってことは良いな。年を取ると、人間長く生きていくと垢が付いてくるかな。もっとも長く生きるのも芸のうちだかな。まあ矢崎泰久の古き良き話であった

反して、老いてますます磨きがかかることもある。澤地久枝と金子兜太である。澤地久枝は敗戦の時には満州にいた。金子兜太は南洋トラック島で敗戦。互いに戦争体験者である。2015年の安全保障関連法案に反対する。従来からの憲法解釈を変えて、集団的自衛権の行使に反対するために、澤地久枝が金子兜太に揮毫をお願いした。金子兜太は「アベ政治を許さない」と。「安倍」は安心や安寧が倍になるから「アベ」にしたと。こんな政権に漢字はもったいないと。アハアハと。笑うしかないな。「許すな」と共同行動でない。許さないなんだな。私は許さない。主語が民、個人、私なんだな。明確な意思表示だな。頼んだ澤地久枝もアベと書かれて唸ったと

金子兜太は秩父の人。山に囲まれているため空は狭いと。俳人であったが、思想家なんだな。しかも並みの思想かよりも深い。花鳥風月を季語で表現する俳句界にあって異端であった。花鳥諷詠に加えて人間を詠んだ。
水脈の果 炎天の墓碑を 置きて去る
ポン銀では窓奥族と自称していたが、定年まで勤め上げた。そこから羽ばたいた

新語・流行語大賞の2015年の大賞に「アベ政治をゆるさない」が選ばれた。当時の選考委員であった、やくみつるは解釈を変えれば「アベ政治を許してやってもよいよね」ともとれる。それぐらいの遊び心がなくてどうすると言ったとか。それは文化とか虚構の世界だな。私は許さないとは怒りだな。拳だな。山上徹也が恨みは自らがやると言っていたが、私の喜怒哀楽については当事者の感情だな。拳が他人任せでは拳闘ボクシングになっちゃうな

官より政により政治家の力が強くなってきた。政が全体の人事を差配してきた。人事権を武器に官僚を支配してきた。官僚も人事を盾にされると弱い。いや官僚だけでなく組織とはそういうものだった。安倍晋三も人事によって支配してきた。いや人事だけかも知れない。テレビなど見ていると、安倍さんは優しいとが意外と多いんだな。安倍晋三とは身内、仲間、味方には表情が違うようだな。歴代の政権の中で安倍晋三ほど賛否が分かれる男はいない。それは長く政権にいたから、良い悪いがはっきりと分かれてくる。海外では、外づらが良いので、また長く政権にいたので良く言う元首が多いな。弔電の多さにも表れる。国内でも弔問の数は多かった。

今の選挙は候補者を良いと選ぶんだな。駄目を選んで減点方式したらどうかな。安倍晋三は下手をするとマイナスになるかも知れない。しかし現行の小選挙区制度では2割の強力な支持者がしれば、選挙に当選になる。2割だから民意を反映しているかと言うと疑問だな。2割とは投票率は6割その内2割プラスアルファならば当選しちゃう

戦争を経験した者が少なくなってきた。敗戦後77年経った。1970年ベトナム戦争の真っ最中に北山修作詞、杉田二郎作曲で戦争を知らない子供たちを杉田二郎が歌った。戦争を語ったり知っている世代が少なくなってきた。内務省上がり警察出身の後藤田正晴はカミソリ後藤田とも言われた。その後藤田正晴は海外での武力行使を禁止していた。読売新聞社の渡邉恒雄は戦争だけは絶対にいけないとも言っていた。保守派からも戦争体験を引きずっている者が数えるほどになってきた

2005年(平成17年)にALWAYS三丁目の夕日が上映された。舞台設定は1958年(昭和33年)安保前の街並みで全てセットである。好評だったので続編も作成されたと。しかし小生から見ると昭和の時代はもっと汚かった。懐かしさはなく、街並みや隅田川でも雑然としていた。映画は虚構であるが、整然として違和感があった。しかし映画はヒットした

昭和の時代は戦争へ戦争へと突き進み、その戦後の時代である。戦争を見て聞いた者たちが少なくなった。オリンピックでは日の丸が高らかに掲げられている。スポ-ツビジネスと言葉が出てきたが、スポ-ツは金になる。人が集まる。テレビを見れば、食い物かスポ-ツだな。画像と漫画だな。オリンピックとは金に加え国威高揚が加わる。個人もさておいて国家だな。西欧の学者だったかな。愛国とは西欧では声高らかに叫ぶが、日本では表に出ず秘めていると。日本でもインタ-ナショラルの影響か西洋並みになってきた

戦争を認知している者がまだ残っている。日の丸や君が代によって戦場に駆り立てられ、亡くなった者あるいは図らずも生き残った者がいる。学校でも君が代の前で素直に起立出来ない記憶が残っている者もいる。政治家は「戦後は終わった」と。しかし引きずっている、曳航している者もいる

太平洋戦争、15年戦争で日本は朝鮮を占領した。言語まで奪い日本に同化させた。敗戦後朝鮮に対して謝罪を曖昧にしてきた。明確な謝罪が無かったと相手は思っているだろうな。その結果であろうな、北朝鮮から拉致され、大韓民国からは旧統一教会からは金品を巻き上げられた。日本の政治家、安倍晋三やら石っ原慎太郎を筆頭にして右派を含めて歴代の自民党政治家は本当の意味での謝罪をしなかったツケが回ってきたと言える。いや私の小生の俺の責務である。忸怩たる思いである

氏名名称、年月日等はWikipediaを参考引用した