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マーガレットの気まぐれ写真日記

2017-4-22 馬籠宿から妻籠宿へ②

↓一石栃の白木改め番所跡(いちこくとちのしらきあらためばんしょあと)

木曽から移出される木材を取り締まるために設けられたもので、檜の小枝に至るまで、許可を示す刻印があるかどうかを調べるほど厳重だったと言われています。

 ↓樹齢約300年と言われる、さわら大樹

↓子安観音と枝垂れ桜

↓吉川英治著の宮本武蔵の舞台に取り上げられた、男滝、女滝(おだき、めだき)

↓男滝より一回り小さい女滝

↓倉科祖霊社(くらしなそれいしゃ)

今にも霊があらわれそうな古色蒼然とした佇まいに加え、私以外に周りに人影が全く無く、急に身震いを覚え急いで通り過ぎました。

↓ニリンソウが、あちこちで目を楽しませてくれました。

↓国の史跡に指定されている石畳が随所に見られます。

この道を、重い荷物を載せて黒牛が通ったということです。

↓そうした牛の供養搭として作られた牛頭観音

↓中仙道庚申塚

↓大妻籠に到着。妻籠まであと少し。

↓満開の源平咲きの花桃が青空に映えて一段と綺麗。

 ↓ここに来るまでの間、カメラのバッテリーの残量が徐々に少なくなり心配しましたが、妻籠宿に到着した途端にシャットダウンしました。

何とか最後まで持ちこたえて欲しい、という私の願いがカメラに通じたようでした。

前回と今回の2回、南木曽~妻籠~馬籠と中仙道のほんの一部を歩いたに過ぎませんが、その間にたくさんのことを教わりました。

中仙道を踏破される人の気持ちを、今更ながら理解できるような気がしました。

”百聞は一見に如かず”という、今まで何気なく使っていた言葉が重く心に刻まれた2日間でした。

コメント一覧

マーガレット
hashiba511さんへ
中仙道は東海道より道のりは長く、宿場の数も多かったのですね。
両親の時代は”喰うのに一生懸命”の時代ですね。両親のこと思うたびに、私も涙が出ます。
でも、そういう体験をなさったことは決して無駄にはなってないと思いますね。
hashiba511
http://d.hatena.ne.jp/hashiba511
小学生の頃は遠足で歩いた道です。

ところで江戸時代、中山道が東海道に代わって栄えた理由は、東海道は大雨によって川が渡れず、何日も足止めを食らった当時は、少し遠回りでも川幅の小さい木曽路をえらだと言うことらしい。
また水やこの実なども豊富だったことも。それによって宿場街が栄えたのですね。

マーガレットさんの日記を見て亡き両親や貧しかった昔を思いだして涙が・・・
マーガレット
多摩NTの住人さんへ
私にとっては、長い長い道のりでした。
でも、たくさん歩いたことで、その恩恵はありますね。
少々の歩きが苦にならなくなりました。
不思議なものです。
多摩NTの住人
こんにちは
http://blog.goo.ne.jp/botanicallife4-1956
こんにちは。この道はけっこう急だったことを覚えています。私も山小屋さんと同じく妻籠から馬籠のルートでした。
マーガレット
山小屋さんへ
馬籠から峠までは急坂で、峠を過ぎ、妻籠に降りる道は緩やかですね。
山小屋さんの行かれた道順が楽かもしれませんね。
牛車の轍、見落としました。
マーガレット
ヒューマンさんへ
馬頭観音と牛頭観音があるのですね。
こうして歩いたおかげで、その存在と作られた意味を知ることが出来ました。
山小屋
http://blog.goo.ne.jp/terusan114
馬籠から妻籠宿・・・
私と逆を歩かれたようです。

石畳に刻まれた牛車の轍の跡・・・
いろんなところに残っていました。

ヒューマン
こんばんは
http://blog.goo.ne.jp/human_2011_001
牛頭観音
ヒューマンの街には馬頭観音があります。やはり馬が荷物を
運んでいたようです
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