南木曽から妻籠宿を往復、10キロ弱を歩いたのは先週の土曜日でした。
快適なウオーキングと中仙道の歴史に興味をそそられ、その翌週、今度はその手前にある馬籠宿に出かけました。
JR青空フリーきっぷというお得な乗車券を利用し、JR中央線の中津川駅まで乗車し、そこからバスに乗り継いで馬籠宿へ向かいます。
↓中津川駅と駅前の風景
随分前に一度来たことがありますが、町の様子は見る限り殆ど当時のままで、”変わっていない”ことに何だかホッとしました。
↓バスは、駅前から国道19号線を少し走り、落合下町で右折。
↓馬籠宿に到着。先日の妻籠宿と比べると観光客はかなり多そうです。
↓清水屋・・・資料館になっています。
↓道の両側に旅籠が軒を連ねています。妻籠宿と比べると、こちらは道幅が狭く坂が多いでしょうか。
↓ 島崎藤村の生家であり、今は記念館として公開されている藤村記念館。
↓その隣は大黒屋 藤村の初恋の人、おゆふさんの実家。
↓宿場町を通り抜け、ここから7、5キロ先にある妻籠宿に向けて登って行きます。
↓満開の花桃が、両手を広げ「行ってらっしゃい」と、これからの長い道のりを応援してくれます。
↓ 少し登ると恵那山が一望できる上陣場跡(かみじんばあと)に到着。
家康と秀吉が戦った小牧長久手の戦いの時、徳川方の武将が陣をとった場所です。
↓「夜明け前」の一節を記した看板が立っています。
「夜明け前」の世界に引き込まれそうな臨場感と身震いを覚えました。
↓いいよ山道に入ります。
↓所々に”クマ出没注意”の立て札があります。
↓妻籠宿に向かって山道を歩いているのは、私以外は、10人程度の欧米系シニアの観光客の団体でした。
↓ネコノメソウが光っています。
↓十返舎一九の句碑がありました。
↓ここでは、まだつくしが見られました。
↓熊野神社 明治天皇が休憩されたことを表す碑があります。
↓ここから先は長野県。 現在、妻籠は長野県、馬籠は岐阜県になっています。昔は両方とも長野県でした。
↓馬籠峠に到着。 長野と岐阜の県境。
↓ここから妻籠までは、緩やかな下り坂が続きます。
↓クマよけのベルが所々に設置されています。出てきたら怖いので、大きく鳴らしました。
私が鳴らしていると、後ろから「ウオー」とクマの声が・・・。
驚いて振り向くと、前後して歩いていた海外のシニアのご婦人がにっこり。
声色を使って、ユーモアたっぷりです。
↓ショウジョウバカマもまだ見られました。
↓立場茶屋(たてばちゃや)
妻籠と馬籠の中間に位置し、往時は7件ほどの家があったようですが、今残っているのは、この牧野家1件のみ。
素朴な雰囲気で、往時の生活を垣間見るようです。
入り口に、”一石栃(いちこくとち)お休み処”という看板が掛けられています。
時代と謂れを彷彿させる、とても良い名前だと思いました。
↓鳥の囀り以外は何も聞こえない静かな別天地でした。
↓木曽路の桜は、まだこれからのようです。
”木曽路はすべて山の中”
ただ単に”山の中”と言うだけでなく、古い悠久の歴史が秘められた、深いフレーズであることを改めて感じます。