街で暮らす私たちの周りには、私たち人間によってつくられた人工的なものばかりがあります。
しかし、この世は人間の作ったものだけでできているのでしょうか。
ちがいますよね。
太陽、月、星、空気、空、大地、そして小鳥たちや昆虫たち、木々や草花たち。
こうしたものは人間の作ったものではありません。
自然観察の意義の一つは、このことを確かめること。認識し直すことです。
そんなこと確かめなくたって、みなさんご存知なことは私も承知しております。
しかしながら、人工的なものばかりに囲まれて暮らしている私たちが、このことを日ごろから意識できているでしょうか。
そこは怪しいところだと思います。
私たちは、いつも接しているものには意識が向きますが、接していないものについては意識から遠のき、認識が薄れていくものです。
そんな私たちが人間の作ったもの以外のもの、つまり自然のものも私たちの周りに存在するのだということを体感しつつ思い出すための手段が自然観察なのです。
自然観察というと理科や生物の授業の中で行なう科学的手法のような感じがするかもしれません。もちろん、そうした一面もあります。
でも、もっと簡単に大きくとらえ、自然とふれあうことと考えてください。
自然とふれあい、それらを認識することは大事なことだと私は考えています。
なぜ大事なのかは今までもお話したことなのですが、「自然観察の意義」の連載で、再びお話ししようと思います。
しかし、この世は人間の作ったものだけでできているのでしょうか。
ちがいますよね。
太陽、月、星、空気、空、大地、そして小鳥たちや昆虫たち、木々や草花たち。
こうしたものは人間の作ったものではありません。
自然観察の意義の一つは、このことを確かめること。認識し直すことです。
そんなこと確かめなくたって、みなさんご存知なことは私も承知しております。
しかしながら、人工的なものばかりに囲まれて暮らしている私たちが、このことを日ごろから意識できているでしょうか。
そこは怪しいところだと思います。
私たちは、いつも接しているものには意識が向きますが、接していないものについては意識から遠のき、認識が薄れていくものです。
そんな私たちが人間の作ったもの以外のもの、つまり自然のものも私たちの周りに存在するのだということを体感しつつ思い出すための手段が自然観察なのです。
自然観察というと理科や生物の授業の中で行なう科学的手法のような感じがするかもしれません。もちろん、そうした一面もあります。
でも、もっと簡単に大きくとらえ、自然とふれあうことと考えてください。
自然とふれあい、それらを認識することは大事なことだと私は考えています。
なぜ大事なのかは今までもお話したことなのですが、「自然観察の意義」の連載で、再びお話ししようと思います。