最近、家族の夢をよく見ます。
父母はもちろん、愛犬も出てきます。
愛犬は18年ともに過ごしたフジがよく出てくるのですが、先日は5年間しか一緒にいることができなかった愛犬チカが出てきました。
これは?!と思い立ち、よく愛犬と歩いた散歩道を久しぶりに一人で歩いてみることにしました。
以前は、愛犬と散歩をしながら道で見られる緑を楽しんでいたからです。
以前と変わらない風景で、色々な野草たちが見られる土手のある場所も残ってはいましたが、すっかり街並みの変わってしまった場所もありました。
立派なアカガシが生えていた場所もなくなりました。
ホタルブクロが生えていた土手も、キランソウやキンミズヒキの生えていた土手もなくなっていました。
相続税などの問題で、中小規模のマンション化をしたり、土地を売り戸建ての住宅地化されたりする私有地が多いようです。
その際、昔から色々な木々や野草たちの生育した土手なども失われ、緑が減っていっています。
代わりに後から木や花を植えても、それは元あった種類の植物とは異なるもの。つまり単に緑が減っているというだけではなく、地域に昔から生育してきた植物が消滅していっているのです。
写真:このように昔から地域に生育している色々な野草たちが生えている土手(私有地)も残ってはいましたが・・・
写真:この辺りは農地で土手も残っていたのですが、このように消滅。コンクリートの擁壁に変わっていました。
土木技術が発達してきたためか、近年ではこのように垂直の擁壁を立てて、その上に家を建てます。
昔ながらの野草たちが生えるスペースは一切残りません。
写真:この場所は以前は左側の土留めはなく斜面となっていて、そこにウグイスカグラやモミジイチゴが生育していました。
写真:この両側にも土手が残っていて、ドングリを成らすアカガシやコナラが生育していて、木漏れ日の差し込む緑のトンネルとなっていました。
私有地なので、その所有者に何も言うことができないことはわかっています。けれども、大変残念な気持ちがあることには変わりありませんし、環境問題として緑の減少や生物多種多様性が失われていっているということも間違いありません。
このような状況の中、県や市が所有し管理する公園などの土地に、こうした木々や野草たちを残していこうとしなくて、一体どこに残していこうというのでしょう。
都市的環境は拡大し、すでに市街地となっているところでも、このように隙間に残されたような小さな自然さえもがなくなっていきます。
地域の緑、昔から生育している郷土の植物を守っていく機能を持たせることも、公園などの公共地における重要な役割だと私は考えます。
土手に生育する昔ながらの野草たち(1)クサボケの花
土手に生育する昔ながらの野草たち(2)ワレモコウの芽吹き
自分が育った町で、幼少期から親しんできた小さな自然たちが消滅していっている様子を見るのは悲しく、つらいものです。
自然なんて町になくていい。昔から生えていた木や野草なんて、そんなものいらない。それより整然とした街並みや綺麗なガーデンの方が良い。・・・そんな風潮の中で、地域に昔から生えていた樹種や野草を!と訴えていくのは決して容易ではない道のりになるかとは思います。
それでも、自然の生きものたちが地域で滅んでいくのを少しでも防ぎ、野外にあって当たり前の小さな自然環境と親しめる場所を残していこうとすることは、かつて日本人が持っていた自然と共存していく心を次世代へとつないでいくことでもある、とても大事なことだと考えています。
最近家族の夢をよく見るのは、たとえつらいことや悲しいことがあっても、自分らしく生き生きと元気に暮らしていってほしいという、スピリチュアルなメッセージと感じています。
実は今まで、植物たちの消滅したことに気づいていた場所もあったのですが、つらく悲しい思いをしたくないと、そばを通ることを避けていたのです。
けれども、そんなに縮こまっていては全く、元気で生き生きとは言えませんね。
臆さず、自分のできることを一生懸命やっていこうと思います。