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きのうの続きであります。
実は写真を取っているときにはまったく気付かなかったのですが、
この奈良の街道筋の約300年前の商家の主居室「ダイドコロ」は、
大きな土間空間に面していて、しかも小屋部分が高い構造部分でして
天井には天井板が張られ、その上に萱束が敷き込まれているのです。
たまたまこういった構造だから、それが露わに見えるということで、
一般的に古民家建築で天井裏に萱束が敷き込まれる例があるのか、
それともこの奈良の商家が独特にこうした手法を行っているのか、
ちょっと判断がつかずに非常に悩ましく思っております。
アナロジーとしては、グラスウールが天井裏に「充填」されるように
居室部分をまるで「ふとんでくるむ」ように断熱する意図を持っていたのかも・・・
という妄想を捨てきれずにおります。
もちろん単に萱束を上げただけでは効果はそれほど期待できないだろうけれど、
底冷えのする寒さに対して、なにがしかの効果は期待したのか。
現場撮影時には暗くて天井裏になにかあるとは気付けなかった。
写真を整理していたら、この萱束の存在に気付いたということなのです。
写真の明度を上げたり、水平垂直を微修正するPhotoshop作業中に。
この建物は造作細部は精緻であり、地域の大工棟梁が手掛けた建物と思いますが、
そういう大工棟梁の「工夫」のひとつとして、
こういった考え方が根付いていた可能性もあるかと妄想したのです。
とくにこの建物の場合屋根はこのダイドコロ部分で最高の高さになり、
天井裏部分がどうしても大きく空洞を形成する。
それはたぶん視線手前側の「土間」部分での油の製造過程で
空間の高さを必要としたことから必然化したのだろうと思われる。
その結果、居室部分の天井裏が断面的に切り取られて露出することになった。
居室ダイドコロからすると、広大な土間部分に全開放されている。
油を扱う商家建築として、そういった建築構造にならざるを得なかったので、
まだしも「保温」の可能な手法として天井裏に着目して
「屋根に萱を葺くとそこそこ断熱効果があるし、いっちょやってみるか」
というような工夫で萱束を天井裏に敷き込んでみた可能性がある。
この建物は江戸期の商家建築であり、間口が狭く奥行きの長い「町家」。
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屋根は防火を目的とした瓦葺きが必須とされる「地域協定」。
大工棟梁たちにしてみれば、瓦葺きと萱葺きでは断熱性能的には
萱葺きが優れているという判断力はあったのではないだろうか、
そこで類推的な手法として、このような内側断熱的詳細に向かっていった・・・。
この建物は川崎の日本民家園に移築保存されているのですが、
今度機会があれば、このあたりを詳細に「取材」してみたいと企図しています。
日本の「充填断熱」事始めなのかも。・・・
もし、このブログをお読みいただいた方から情報をお伺いできれば幸いです。